一つの傷を二人で分ける


双子は片方が怪我をするともう片方にも何か起きるという情報を参考にした結果のウィルイス。
ちょっと暗いけど、ウィルイスどっちもお互いのために頑張ってる。

幼い兄が" それ "に気が付いたのは偶然だった。

昔から身に覚えのない場所に傷や痣が出来ているなと思うことがあった。
切ったわけでもぶつけたわけでもないのに、今も瘡蓋が剥がれて治りかけの新しい皮膚が腕にあり、青から黄色に変化していく治りかけの痣が腹にある。
腕の傷は機嫌の悪かった浮浪者に割れた酒瓶の欠片で切られたものに紛れていたから気にならないけれど、最近は殴られていないはずなのに腹部に拳大の痣があるのだ。
毎日湯を浴びられる環境でもなければ頻繁に衣服を交換出来る立場でもないため、もう治りかけて肌色に染まりつつあるその痣に気付くのが遅れてしまった。
蹴られたり殴られたりすることは、慣れたくないけれど、最下層かつ物乞いをする人間にとってはごくごく一般的にある。
けれどたくさんの臓器が詰まっている腹は、当たりどころが悪ければそのまま死んでしまう可能性が高い。
なるべく影響が少なく痛みが長引かない部分を狙って当てさせなければ後が厄介だと、幼い子どもはよく考えた上で言いがかり甚だしい暴力を受けてきたのだ。
だからこんなところに痣を作って気付かないはずがない。
聡明な子どもは己の体に少しの違和感を覚え、触れても痛みのないただ色付いているだけの腹に指をやった。

「兄さん、縫い終わりましたよ」
「…ありがとう、ルイス」
「どうかしましたか?」

脱いでいた衣服を繕い直した弟が兄の元へ来る。
寒くないように纏っていた布を預け、渡された服を持ってもどこか反応が鈍い兄を見て、ルイスは心配そうに眉を下げた。
大きな瞳が不安で揺らぐ様子にハッとしたように気を取り直し、慌てて綺麗に縫製された服へと視線を落とす。
泥で汚れていた部分も水で落としてくれたようで、今はまだ少しだけ冷たい部分が残っていた。

「いや、何でもないんだ。上手に縫えているね、ありがとう」
「…いえ。怪我はないですか?」
「ないよ、どこも痛くないから安心して」
「なら良かった。…でも、兄さんは何もしていないのに、いきなり突き飛ばしてくるなんて酷すぎます」
「仕方がないよ。あの人達曰く、僕達が邪魔なところにいたのが悪いらしいからね」
「でも」
「僕は大丈夫だよ、ルイス。ありがとう、優しいね」

通りの隅で小さなパンを頬張っていた幼い兄弟は、通りの中央を馬車で進むことを許された貴族様の気に障ったらしい。
いきなり突き飛ばされて兄の衣服は破れてしまったけれど、幸い目立った傷もないしルイスには何の被害もなかった。
それだけで十分幸運な部類だと、兄は着替えながら穏やかにルイスへ言い聞かせる。
兄さんは何も悪いことをしてないのに、というルイスはまだ納得出来ていないようだけれど、悪いことをしたら天罰が下るというのも今この階級社会では望めないことなのだ。
過ぎたことを悔やんでも仕方ないと、可愛い弟の眉間に寄ってしまった皺を伸ばすように兄はその顔へと指を当てる。

「ほら、癖になってしまったら可愛い顔が台無しだろう?僕は怒っているよりも笑っているルイスがすきだな」
「…ん」
「そうそう。そういう顔をしているルイスがすきだよ」
「…ふふ」

ムッとしたように歪めた顔を咎められ、ルイスは温かく優しい兄の指に逆らうことなく表情を崩す。
ふわりととろけるその表情は、まるで空に浮かぶ淡い雲のように心躍る魅力がある。
人見知りが強くて外では滅多に見せないルイスらしいこの顔は、自分と二人きりで安全が約束された空間でしか見ることの出来ない大事なものだ。
とても可愛くて愛おしいこの表情を、いつか晴れ渡る空の下でも見てみたいと思う。
いつだって自分を信じ付いてきてくれる唯一の家族、自分だけの弟。
この子を守るためならば盾にも矛にもなってみせると、一つ違いの兄は幼いながらに誓っているのだ。

「少し休んだらまたご飯を貰いに行こうね」
「…もう良いです、もうお腹いっぱい」
「ルイス」
「それより、また本を読んでほしいです」
「…そう。分かった、何でも読んであげる」

小さなパンを少ししか食べていないのに、また外に出て兄に何かあっては大変だと考えているのだろう。
お腹いっぱい食べさせてあげられないことを歯痒く思うけれど、自分を思うルイスを無碍には出来なくて、たくさんある書物の中で好きな本を選んでくるよう伝えてあげる。
素直に本を探しに行く後ろ姿を見送って、消えかけている痣が残る腹へともう一度手をやった。
痛みはない。
むしろ満足に食べていないから空腹を感じるほどで、全くもって健康そのものだと思う。
こんな部分に残るほどの痣に何故覚えがないのだろうと、兄は胸に張り付く嫌な疑念を払うことが出来なかった。



初めて" それ "に気付いてからひと月ほどが経過する。
その間にも何度か覚えのない傷跡や痣が出来ていることに気付いていたけれど、記憶を探ってみてもどれにも本当に身に覚えがなかった。
目に見えない部分が病に侵されているのだろうかと思ったけれど、出来るのは治りかけの傷や痣ばかりだということに違和感がある。
傷付いたばかりの生々しい跡は一度もなく、どれもあと数日で目立たなくなるだろうという程度に治りかけた傷しか出来ないのだ。
もしや気付くのが遅いだけなのかと、自分の体を毎日毎晩と確認するようになったから間違いはない。
ある日突然、この体には治りかけの傷が浮かび上がっている。
浮かんだ傷の共通点があるとすれば、どの跡も服に隠れる部分だということだろうか。
腕ならば上腕、足ならば大腿、決して手のひらや足首など見える部分に出てくることはなかった。
今日も今日とてルイスがいない間に服を脱いで確かめてみれば、肩に昨日まではなかったはずの薄い青痣が付いている。
一体何なのだろうと胸騒ぎを自覚したまま鏡を見ていると、トイレに行ってくると出ていったルイスが帰ってきた。

「兄さん、お着替えしていたんですか?」
「あぁ…うん、ちょっとね」

ルイスはもうすぐ眠るからと、いつも着ている黒いアンダーウェアを脱いでシャツだけの姿になっている。
自分だって眠るときにはスカーフを外しているし、何も珍しい姿ではない。
けれど、今日は何故か月明かりと灯の足りないランプに照らされている弟の姿がやけに目に付いた。
外されたボタンの隙間から見える真っ白い肌。
に、相応しくない妙な影が見える。

「…ルイスっ」
「え、ぁっ!」
「…!」
「……っ」

思わず駆け寄り、ボタンを外す時間も惜しくなって縫製の甘いシャツを両手で左右に引き裂けば、自分とは違って生々しい青痣がその肩に存在していた。
今確認していた鏡の中の薄い痣より何倍も痛々しく、昨日今日で付いたのだろうことがよく分かる。
怪我など日常茶飯事の生活ではあるが、わざわざ好き好んで見たいとは思わない。
けれど今は怯えたように瞳を歪めるルイスの顔が目に入らないほど、その痣だけを見つめてしまう。
何も言わない兄弟に構うことなく床に飛んだボタンの転がる音がして、その音が止まったのをきっかけに、兄は呆然とした様子で口を開いた。

「…ルイス、何なの、この…跡は…」
「ぁ…こ、これ、は…」
「いつから?いつから始まっていたんだい?全然…っ、気付けなかった…!」
「……ひと月、くらい…前、から」

自分と同じ部分に、自分よりも余程痛々しい怪我を負っている弟を見て、ようやく兄は" それ "に気が付いた。
己の体に付いた跡はそのままルイスが受けた暴力の跡で、自分が知らない間にルイスが虐げられていたという証だったのだ。
何故弟の体に出来た傷が自分にも出来ているのかはどうでも良い。
それだけ強く結ばれた兄弟なのだという可能性も、互いを思い合う気持ちが強い結果だという可能性も、もはやどうでも良いことだった。

「ひと月前…」
「…は、ぃ」

言われた日付の記憶を辿れば、ちょうど体に身に覚えのない傷があると気付き始めた頃だった。
突き飛ばされたあのときに初めて腹と腕に傷跡があると認識し、それから今日に至るまで何度か似たような跡を体に作っている。
今日の肩の痣で四回目。
つまり、自分が知らない間にルイスが怪我をしたことも四回あるということだ。
一体どうして、という音を出さずに小さな体を抱きしめる。
細くてどこかひんやりしている体を温めるように縋り付いていると、ぽつりぽつりとルイスが声を出していった。

「…ひと月前…兄さんが出掛けているときに、この貸本屋の持ち主だという人が来ました。勝手に住み着いている僕が目障りだと、そう言っていました」

二人はろくに面倒を見てくれない両親と家を捨て、雨風を凌ぐために潰れた貸本屋を寝床にしている。
満足に食べられないけれどたくさんの本があるこの場所は飢えた知識欲を満たすには絶好の場所で、兄は独学で一定の法則を見つけては読み書きを覚えたし、ルイスも兄に教わって一通りの文字を読むことが出来るようになった。
読んでも読んでもまだまだ残る本に囲まれた頭の良い兄弟は、衣と食が満たされずともここに住まうことで満足していたのだ。
腹は満たされずとも知識欲は満たされる。
特に兄はその傾向が強く、この貸本屋で過ごすことを気に入っている。
ルイスも兄に教わってたくさんのことを覚えるのが楽しかったし、最愛の兄と二人きりの生活がとても嬉しかった。
外が危険でもここは安全だ。
だからもう随分と長くこの貸本屋に住み着いていたけれど、兄が知らない間にここは安全地帯ではなくなっていたのである。
兄はルイスを連れて行くのは危ないからとここに置いて一人で物乞いや人助けをしていたけれど、ルイスを思うならば一瞬たりとも自分のそばから離すべきではなかったのだ。

「どうして教えてくれなかったんだい?教えてくれていたら、すぐにこんな場所出て行ったのに」
「…だって、兄さん、本がすきだから。僕も兄さんに本を読んでもらうの、すきだったから…ここにいたかったんです」
「ルイス…」

殴られて蹴られて詰られて、きっと身も心も随分と傷付いたに違いない。
今あるこの傷だって、懸命に抵抗して出来たのだろう。
衣服に隠れる場所ばかりを狙われ、それでも無防備に腹を晒してはいけないと学んだ結果、肩ならば構わないと考えた上で向こうの暴力を受けたのだ。
守るべき弟にそんなにも荒んだ知識があることに驚いたけれど、それ以上にとても悲しかった。

「ルイス…っ」
「兄さん…」

痛かっただろうに自分のために我慢して耐えていたのだと知って、胸が張り裂けそうなほどに軋んでいる。
細くて小さいこの体に不要な悪意を向けられることが嫌で一人外へ出ていたのに、守るつもりの行動が結果としてルイスを危険に晒してしまっていたのだ。
ここは安全だと簡単に判断していた自分が愚かだった。
大事なものこそ肌身離さず、そばに置いておかなければならなかったのに。

「兄さん、ごめんなさい…兄さんみたいに上手く言い返せなくて、何度もお願いしたけど、やっぱり許してもらえなくて…」
「良いよ、もう良い。他の場所に行こう」
「でも、ここにはたくさん本があって楽しいって、兄さんそう言ってたのに」
「ルイスがいればどこだって楽しいよ。それなのに、この場所でルイスが一人傷付いていた方が僕は嫌だ」
「…兄さん」

一人で背負っていた緊張がようやく解けたのか、今まで一度も弱音を吐かずに隠し続けていたルイスの体から力が抜ける。
凭れるように腕の中にいる弟の体を、兄は一際強く抱きしめた。
抱きしめた体はやっぱり細くて小さくて、守ってあげなければならないという責任感に駆られるのに、このひと月の間は少しも守れていなかったことが悲しくて悔しくて堪らない。
ルイスがこんなにも隠すことを得意にしているなんて知らなかった。
自分のために乱暴な大人相手に必死で頑張ってくれていたことは嬉しいけれど、こんなに酷い怪我を負うまで頑張ってほしくなかったというのが一番の本音だ。
己の体に浮かび上がっていた跡はきっと、ルイスが一人で我慢していた悲鳴なのだろう。
痛々しい傷跡を分け合うように己の体に存在していることが、何故だかとても嬉しかった。

「…兄さんがすきな場所、ちゃんと守れなくてごめんなさい」

今にも泣きそうな震えた声で、ごめんなさいと繰り返す弟の体を抱きしめる。
強く抱きしめられたルイスは自分の不甲斐なさがとても情けなくて悲しかった。
もっと上手く対応出来ていたらこの場所を貸してもらえていたかもしれないのに、口下手な自分は相手を怒らせてしまうばかりで、何度お願いしても早く出て行けと蹴られるばかりだった。
幼いがゆえに何も出来ないからこそ、せめてやっと見つけたこの場所は守りたいと思っていたのに。
だいすきな兄の足手纏いにしかなっていない自分が情けなくて、自分のせいで兄が大切にしているものを無くしてしまうことが嫌だった。
だからルイスはルイスなりに頑張ったのだけれど、やっぱり上手く出来なくて、ただただ無意味に痛い思いをしただけだ。
二人が気に入っているこの場所を、ルイスは自分の手で守りたかったのに。

「良いんだよ。僕はルイスがいればそれで良いんだ。僕のために頑張ってくれてありがとう」
「…兄さん…」
「痛かっただろう?よく我慢していたね、偉いねルイスは」
「…ぅん…」
「痛むかい?もう熱はないようだから、早く治るように温めておこうか」

たくさんある本よりも自分の方が大切だと言われて、ほんの少しだけルイスの気持ちは浮上した。
だいすきな兄に好かれているのだという現実は、知識だけでなく愛に飢えている体へとても暖かく染み渡る。
兄はルイスの体に昨日出来たばかりの痣に触れ、畳んであったスカーフを持ち出して首から肩に巻き付けていく。
冬ではないけれど薄寒いこの空間で温めるというのは中々難しいことで、せめてたくさんの布を被って全身を温めるだけでも違うだろうと、二人はありったけの毛布を被って小さな体を寄せ合った。

「明日にはここを出て行こう。今後はどこかの孤児院でお世話になった方が良いだろうね」
「…はい」
「大丈夫、すぐに良い場所が見つかるよ。さぁ、もう寝ようか」
「おやすみなさい…兄さん」
「おやすみ、ルイス」

悲しそうに瞳を伏せるルイスを励ますためその額に頬を寄せ、少しの隙間も出来ないよう密着する。
背中に回されていた手がちゃんとシャツを掴んでいることに安心した兄は、可愛い弟の顔を見ながら静かに歌い始めていく。
温かい抱擁と優しい声の子守唄はルイスに抜群の安心を与えてくれて、ようやく緩んだ表情のまま寝息を立ててくれた。

「…おやすみ、ルイス」

自分の知らないところで、自分が大切にしている場所を一人必死に守ろうとしていた弟。
健気な様子はとても愛おしくて、けれどその代償はあまりにも大きかったように思う。
怪我どころかあらゆる苦痛からこの子を守ってあげたい。
青空の下で緩んだ笑みを見てみたいし、もう二度とその体に傷を付けてほしくない。
ルイスが受けた苦痛全ての身代わりになれるのなら、何を差し置いてでも喜んでそれを望むのに。
兄は己の肩に存在する痛みのない痣を見た。
身代わりにはなれないけれど、少なくともルイスの身に何かあればこの体が教えてくれるのだろう。
それは願ってもない現実だと、兄はルイスに被さるようにして瞳を閉じて意識を落としていった。



(お帰りなさい、兄さん)
(ルイス、手を怪我したのかい?)
(え?あぁ、今日つい包丁で切ってしまって。もう手当てはしてあるので大丈夫ですよ)
(それなら良いけど…随分深く切ったんだろう?珍しいね)
(考え事をしていたら手元が疎かになってしまいました)
(そう、次からは気をつけるんだよ)
(はい。…それにしても、どうして帰宅早々分かったんですか?まだ見ていないのに)
(何となくね、そんな気がしたんだ)
(はぁ…)
(遅くなったけど、ただいま、ルイス)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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