120点満点の正解
アルバート兄様視点のしょたウィルイス日常。
寒いところにいて体を冷やしてしまったルイスを怒ろうとするウィリアム。
ウィリアムがイートン校に入学する前なので兄様はまだウィルイスと距離があるけど、弟として大切に思ってるよ。
秋に入学するイートン校で諸々の手続きをするため、ウィリアムはジャックと共に朝早くから出かけている。
帰りは遅くなるだろうから近くにホテルでも取れば良いとアルバートは進言したのだが、ウィリアムは頑なに屋敷へ帰宅すると決めていた。
既に馬車の予約も取り付けてあり、日付が変わっても対応してもらえるよう事前にチップまで弾んでいるのだから何があろうと帰ってくるのだろう。
その理由が今自分の隣にいる小柄な末弟、ルイスであることはとうに知れていた。
「ルイス、ウィリアムを待つのなら屋敷の中にしなさい。暖かくなってきたとはいえ、夜はまだ底冷えするだろう?」
「…アルバート兄様。でも、もうすぐ帰ってくると思うので」
数年前に記録に残されるほどの寒冷期を迎えたここ英国において、夏に分類される季節だろうとさほど気温は上がらない。
昼間はともかく、夜になれば外で長く過ごすことは無理がある。
ゆえにアルバートはウィリアムの帰宅を待つべく門の近くで立ち竦むルイスに声をかけた。
返ってきた言葉がやんわりとした拒否の言葉であることは想定内だ。
「そう言って夕食を食べてからずっと門の近くにいるじゃないか」
「……」
「…はぁ。せめて玄関先で待とうか。体が冷えてしまうよ」
「…はい…」
ルイスがウィリアムを何より大事に想っているのはよく理解しているし、それ以上にウィリアムがルイスを大事に想っていることもよくよく理解している。
長く列車に乗った上で面倒な手続きをしなければならないというのに、わざわざ夜遅くなろうとも帰宅しようとしているのはルイスのためなのだ。
兄離れ出来ていない弟を明日の朝まで一人にさせないよう、ルイスのそばにいてあげたいのだろう。
いや、そもそもウィリアム自身がルイスに兄離れさせようとしていないのかもしれない。
それどころかウィリアムこそがルイスのそばにいたいのかもしれない。
どちらにしろ二人の気持ちはそっくり同じであることは明白だ。
随分と重たい兄弟愛だと思うけれど、それが二人にとっての絆なのだと思えばとても神聖な印象を受ける。
アルバートは容姿の整った礼儀正しい弟達を美しくも好ましくも感じているのだ。
だが、確実に日付は超えるだろうウィリアムの帰宅を外でずっと待ち続けるルイスの行動はいただけない。
健気といえばそれまでだが、ルイスは心臓を悪くしていて未だ定期的な検診が必要な身だ。
だからこそウィリアムも長時間の外出にルイスを連れて行かなかったのだから、彼のいない間にルイスを託されたアルバートが無理を許す訳にはいかない。
寂しそうに門の先を見るルイスの腕を引き、アルバートは屋敷の扉を開けてルイスを中へと閉じ込めた。
「ここも冷えるだろう?リビングで待とうか」
「…いえ、ここが良いです」
「そうか…あまり体を冷やしてはいけないよ。ガウンを持ってくるから待っておいで」
「あ、ありがとうございます」
いつもならばアルバートに物を取りに行かせるような真似をルイスが受け入れるはずないのだが、それほどこの場所から離れたくないのだろう。
門の外から屋敷の中に移動したのはルイスなりの最大の譲歩なのだから、これ以上無理を強いてはルイスとの関係にヒビが入ってしまう。
今はこれが限界かと、アルバートはルイスを置いて部屋へと戻る。
ルイスの視線はアルバートを気にしながらもほとんど目の前にある扉へと向いていた。
たった一日離れていただけなのに、少しでも早くウィリアムと会うべく懸命なルイスは間違いなく異様だ。
けれどそれがルイスらしさなのだと、玄関ホールに戻ってきたアルバートはその小さな肩に厚手のガウンを羽織らせ隣に立った。
「あの、アルバート兄様」
「何だい?」
「僕一人で待っているので、兄様は先にお休みください」
「おや、僕と一緒は嫌かな?」
「い、嫌ではないです!でも冷えますし、兄さんがいつ帰ってくるかも分からないので…」
「ルイスの勘だともうそろそろなんだろう?なら僕も待つよ」
「…兄様」
喜んで良いのか申し訳なく思った方が良いのか、思い悩む様子がよく分かる。
常に笑みを浮かべているウィリアムと違って、ルイスの表情は幾分か分かりやすいように思う。
子どもらしいといえばそうなのだろうなと考えながら、アルバートはルイスの隣で取り止めもないことを話しながら時間を潰してあげた。
始めは萎縮していたルイスも段々柔らかい表情を浮かべるようになり、ウィリアムがいなくて寂しいけれど少し気が紛れたのか、小さな口から小さなあくびが出てくるようになる。
眠いのなら部屋に行こうかと声をかけても案の定、眠くありません、と意地を張ったような声が返ってきた。
朝は一緒にいたというのにそんなにもウィリアムに会いたいのかと思えば、少しばかり疑問に思うのも確かだ。
それほど誰かに執着するということをアルバートは知らないし、きっとこの先も知ることはないのだろうなと思う。
だが流石にこれ以上はルイスの体が冷えきってしまうだろうから無理矢理に部屋へ連行するかと考えていたとき、屋敷の扉がゆっくりと開かれた。
屋敷に入ってきたのは外出していたウィリアムとジャックの二人である。
「あ…兄さん」
「ルイス…!?それにアルバート兄さん、どうして…」
「お出迎えですかな?こんな夜遅くとは感心しませんが」
「そう言わないでくれると助かる。ルイスがどうしてもウィリアムを出迎えたいと希望していたんだ」
「ルイス、先に休んでいて良いと言ったのに」
「おかえりなさい、兄さん」
ハットを手に持ったままルイスに駆け寄り、ウィリアムはその肩を抱いて言い聞かせるように視線を合わせている。
けれどルイスは咎めるような音を気にせず、やっと帰ってきてくれたとばかりに笑っていた。
アルバートとしてもそろそろ限界だと考えていたのでタイミング良く帰ってきてくれて助かったと、安堵したように息を吐く。
ジャックも仕方がないと瞳を閉じ、今回は多めに見ましょうという気配を見せてくれた。
けれどウィリアムだけがより一層の怒りを携えながらルイスの頬に手をやっている。
「…ルイス。いつからここで待っていたんだい?随分と体が冷たいけど」
「……30分前からです」
「そう。本当は?」
「………夕食後、から」
「へぇ、そう」
「…………」
「部屋に行こうか。まずは体を温めて早く休もう。眠いんだよね?」
「……………はい」
あまりウィリアムが本気で怒っている姿を見たことはないけれど、おそらくこれは、本気に近い分類で怒っているのだろう。
いつも浮かべている笑みが消え、かといって帰宅した瞬間に見せた心配そうな表情でもない、無表情の上にはっきりした怒りが乗っていた。
思わずアルバートどころかジャックも口を噤んでしまうほどには迫力がある。
ウィリアムがルイスの腕を引いて薄暗い廊下を歩く姿を見ながら、アルバートは明日の朝起こるだろうことを予想しては一人自室へと帰っていった。
「おはようルイス」
「おはようございます、兄さん」
「まだ眠たいところ申し訳ないけど、昨日のことについて説明してもらえるかな?」
「昨日…?」
アルバートが何となく気になったためルイスの寝室に寄ってみれば、ベッド近くに置かれた椅子にウィリアムが座り、ルイスは未だベッドの中にいた。
もそもそと毛布から出てベッドの上に座っていたけれど、部屋の空気がまだ冷えているせいか動きが鈍い。
朝いつも通りの時間に目覚めたアルバートでさえ少し眠気が残っているのだから、夜に強くないルイスの頭が目覚めていないのは当然だろう。
眠気が冷めていないだけでなく、ルイスは未だ循環が良くないと聞いていたからその影響もあるのかもしれない。
ぼんやりした様子でウィリアムを見上げて考え込むように首を傾げるルイスの姿は、年相応に幼く見えた。
「あ、兄様。おはようございます」
「おはよう。調子はどうだい?」
「少しぼんやりします」
「寝不足と体が温まりきっていないせいだろうね。ルイス、昨日はどうしてあんなに長い時間ホールにいたんだい?」
「…昨日」
アルバートが部屋に入ってきた瞬間、ウィリアムは視線をやって会釈することで挨拶としていたけれど、ルイスはようやく気が付いたらしい。
随分と注意力が散漫になっているなとアルバートも呆れてしまうほどだ。
もう少し寝かせてあげた方が良いのではないかと思うけれど、それを知りつつウィリアムは早くにルイスに言い聞かせたいことがあるのだろう。
ならばそれで良いかと、アルバートは事の成り行きを見守るためウィリアムの隣に立った。
表情を乗せていないウィリアムと、寝ぼけながら昨日のことを思い出すルイス。
さてどうなるのだろうか。
アルバートは不謹慎ながらも身内の微笑ましい喧嘩を見る、という初めての経験に少し期待してしまっていた。
「…ホテルを使わず帰ってくると約束してくれたので、兄さんが帰ってくるまで待ってました」
「待っていてくれたのは嬉しいよ、ありがとう。でもどうして玄関で待っていたんだい?しかも夕食後から待っていただなんて、体が冷えて当然じゃないか」
「…早く兄さんに会いたくて」
「ルイス」
ぼんやりしているせいか本音がこぼれたようで、凛とした声を出していたウィリアムの肩が震えていた。
誰より大事にしている弟に早く会いたかったと言われてしまえば、それはウィリアムにとって一番の反撃になるだろう。
名前を呼ぶ声もどこか刺々しさが取れて丸くなっていると、アルバートは確信した。
「…待つなら部屋で温かくして待っていてくれれば良かっただろう?お医者様からも、ルイスの体はあまり血液の巡りが良くないから注意するよう言われていたじゃないか。冷えた場所にいてはいけないと、あれほど言っていたのに」
「…ごめんなさい」
気を取り直したのか、ウィリアムはルイスの行動を改めさせるため静かに言葉を紡ぐ。
刺々しさはなくなったままだが、声はまたも硬さを取り戻している。
ルイスは怒られているのだととりあえず認識したようで、理解しているかどうかはともかく素直に謝っていた。
反省はともかく謝っているのだからこれでウィリアムも納得するかと、アルバートは呆気なく終わってしまった弟達のいざこざを残念に思っていたが、実際は違っていたらしい。
見せかけの謝罪で良しとするほどウィリアムは甘くないようで、ちゃんとルイス本人に反省を促すため、腕を伸ばして小さな手を自らの両手で包み込んでいた。
「人の体は冷え切ってしまうと良くないと教えただろう?低体温で亡くなる人はとても多いんだよ。それに、ルイスの体は元からあまり温かくない。ほら、一晩かけて温めた後でもようやくこれじゃないか」
「兄さんの手はぽかぽかしてますね。温かいです」
「…昨夜の君はとても冷たかったんだよ。どうしてそんなに冷えてしまったと思う?」
「んん…?」
そろそろ覚醒しても良さそうだが、ルイスはまだぼんやりしたまま眠気を払えていないらしい。
そんな弟に知識を植え付けるべく丁寧に教え導くウィリアムの姿は、まるでルイスの専任教師のようだ。
教えることに長けているウィリアムの初めての生徒はルイスなのだろう。
ルイスは兄であり先生でもあるウィリアムの教えを自分なりに昇華すべく懸命に考えている。
そうしてウィリアムに手を握られたまま、ルイスは一生懸命に考えて辿り着いた結果を口にした。
「冷たいところにずっといたから…?」
「そうだね、寒い場所にいればルイスの体はどんどん冷たくなってしまう。他には?」
「他…?うーん…?」
今しがたウィリアムに教えられたことを思い出しながらルイスは声を出す。
大きな瞳が今にも寝てしまいそうなほど閉じかけていて、けれどウィリアムの教えをちゃんと覚えなければという使命感ゆえに起きようと頑張っている。
この状態ではいくら覚えの良いルイスだろうと頭に残らないと思うけれど、ウィリアムはそれも承知の上で今行動しているのだろう。
もしかするとしっかり覚醒したタイミングでもう一度教えるつもりなのかもしれない。
つまりルイスがしっかり起きるのを待っていられないほど、今のウィリアムは心が切迫しているということだ。
アルバートがそう解釈しながら二人を見守っていると、他の理由を考え込むルイスがやっと正解を思いついたように顔を上げる。
ウィリアムは笑みを浮かべず真剣な顔でそんなルイスを見つめ、アルバートは、さて何を言うのだろうかと微笑ましげにルイスを見た。
「兄さんに、ぎゅうしてもらえなかったから…?」
「そうだけど!そうじゃなくて!!」
そして、待つならちゃんと温かい格好をして!といきなり叫んだウィリアムの声に、今度はアルバートの肩が驚き跳ねた。
小さなルイスの声の数倍は声量のあるウィリアムの声は、それでもぼんやりしたルイスにはあまり届かなかったらしい。
呆けたようにウィリアムを見上げては大きな瞳をあどけなく丸くさせていた。
その姿をアルバートが可愛いなと思うよりも先にウィリアムがその体を抱きしめて、ルイス曰く「ぎゅう」をしてあげている。
確かに冷えたルイスを温めるため、ウィリアムは日常的に小さな体を抱きしめては温もりを移してあげていた。
ルイスが冷えないために抱きしめているという大義名分があるのだから、どうして体が冷えてしまったのかという問いへの解答には最適解だろう。
ウィリアムが求めていた解答とは違うだけで、ルイスの答えは決して間違っていない。
「だから!ちゃんと温かい格好をして温かい場所にいないと駄目だっていつも言ってるじゃないか!確かに普段は冷える前にぎゅうしてあげてるけど!間違ってはいないけど!今はそうじゃないんだよルイス!いやこれからも冷える前にぎゅうはしてあげるけど!それ以外で自分に出来ることを考えて欲しかったんだよ僕は!」
「ウィル、少し落ち着いてはどうだろうか」
「あっ」
混乱したように次から次へと言葉を出すウィリアムを、アルバートは初めて見た。
嬉しいようで困ったような複雑な表情を浮かべてルイスを抱きしめ、叫びながらも唸るような声を出すウィリアムはとても器用だと思う。
アルバートには到底理解し得ないが、今のウィリアムはルイスへの愛おしさが爆発して限界を超えた状態なのだろう。
可愛い弟達が抱き合う姿は目の保養だ。
アルバートはそんな二人を見ていると心がとても癒される。
けれど今のウィリアムの姿は少しばかり異常で、確かにルイスの言葉は可愛らしいものではあったけれど、心癒される前に冷静さが勝ってしまった。
「んん…ふぁ…」
「ルイス?」
「……すぅ…」
求めていたものを与えられた安心感からか、それともウィリアムの体温が温かく心地よかったからなのか、ルイスはとろんと閉じかけていた瞼を本格的に下ろしてしまった。
そうして聞こえてきたのは警戒心のかけらもなく幸せそうに寝入る吐息だけだ。
あっという間にすよすよと眠ってしまったルイスの体からは力が抜け、ウィリアムには小柄なルイスの体重全てが乗る。
「…眠ってしまったようだね。昨夜は遅かったから」
「はい…随分と冷えていたので、眠るまでに時間がかかった影響もあるでしょうね」
「そうか。陽も出て気温も上がるだろうから、今ならゆっくり眠れるだろう」
「そう思います。…あの、アルバート兄さん」
「何だい?」
「…みっともない姿をお見せしました」
「いや、そうでもなかったよ」
驚いたし僅かに引いたのは事実だけれど、それ以上にウィリアムから人間味というものを感じられて少し嬉しかったのも事実だ。
どこか人離れして見えるほど達観しているウィリアムをかろうじて地上に食い止めているのはルイスなのだろう。
そう考えればアルバートにとってルイスという存在には感謝しかない。
何より、大事にしている人からあれだけ可愛らしく求められてしまえば動揺と興奮が入り混じるのも無理ないだろう。
アルバートにそんな人間はいないから、心のどこかで羨ましいとさえ思ってしまう。
いずれにせよアルバートにとって可愛い弟達の可愛いやりとりは、決してみっともない姿ではないのだ。
ウィリアムとルイスが仲睦まじくあることはアルバートにしてみればむしろ喜ぶべきことである。
「本当に仲が良いね、君達二人は」
「…はい」
「それに、ルイスの答えも間違ってはいないしね。僕ではあの場所からルイスを動かすのは難しかったし、そうなるとウィリアムがそばにいることが一番正しい答えに違いないだろう」
「そうですね…ルイスにとってはあれが正解なんでしょうね」
僕の出した問題こそが不適切でしたと、ウィリアムは照れたように表情を変えてからルイスの体をベッドへと優しく寝かせる。
そうして乱れた髪を整えるように数回撫でつけ、穏やかに寝息を立てるルイスを愛おしげに見つめていた。
きっとルイスにウィリアムの心の叫びはほとんど届いていないのだろう。
目覚めたらもう一度ちゃんと教えてあげなければならないなと気を引き締めるウィリアムの表情はアルバートから見ても甘ったるく糖度に満ちていて、おそらく厳しく言い聞かせるのは難しいのだろうなと感じさせていた。
(ん…)
(おはよう、ルイス。起きたのかい?)
(兄さん…おはようございます。あ、昨日は遅くまでお疲れ様でした)
(遅くまで待っていてくれてありがとう。それで、さっきのことだけど)
(さっき?…何かありましたか?)
(…覚えていないんだね、そう…まぁ良いか。ルイス)
(はい)
(これからは薄着で寒いところにいてはいけないよ。体が冷えてしまうだろう?)
(…はい。次からは気をつけます)
(絶対だよ。約束)
(はい、約束です)
(うん、信じてるよルイス)
(…結局ウィリアムはルイスに甘いんだな。ふ、それも仕方ないか)
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