ベイビースキン


ウィルイス・アルルイ前提の三兄弟とボンドのお話。
ルイスが肌荒れして何故かボンドが奮闘して治そうと頑張るコメディ。

生い立ちを聞いていなければ、元の素材だけでなく潤沢な資金を注ぎ込んだ結果があの美貌なのだと信じていただろう。
そう考えてしまう程度には、今ボンドの目の前にいるモリアーティ家の末弟は容姿が美しく整っている。
過去を捨てた身であれど、ボンドは美容やお洒落には人一倍に興味があると自負している。
センスの良いアルバートとは話が合うし、目的のために尽力する毎日とはいえ日々のお洒落は欠かせない。
ゆえに他人の持つ美にも興味が出てしまうのは当然のことだった。
ボンドの興味は己を救い出してくれたウィリアムの実弟、ルイスに向いている。

「ルイスくんってさぁ、肌綺麗だよね」
「以前もそんなことを言っていましたね、ボンドさんは。別に何もしていないのですが」
「化粧の一つもしないでその肌は羨ましい限りだよ」

ルイスが淹れたアイスティーの氷を鳴らしながら、ボンドは失礼を承知で目の前に座るルイスの顔をまじまじと見つめていた。
確かに以前も赤ちゃんのようにつやつやと柔らかな肌質に驚いて褒めちぎったことがある。
爛れた右頬を惜しく思う気持ちがないわけではないが、その苛烈な危うさこそがより一層真っ白い肌の美しさを引き立たせているのだろうと思う。
元々整っている顔立ちはさておき、土台となる肌質がとても綺麗なのだ。
数々の人間を手玉に取ることが可能なボンドの目は節穴ではない。
シミも荒れも一切ない、つるりとした青白い肌はまるで陶器のようだ。
彼の実兄であるウィリアムも妖艶な魅力を持つ美しい人である。
そんなウィリアムによく似た美貌を持つルイスだが、兄よりも血色が悪く見えるのは貴族としてかなりのアドバンテージになるだろう。
現在、貴婦人の間ではわざわざ顔色を悪く見せる病弱メイクが流行している。
ルイスの肌色は決して不健康ゆえのものではない。
聞けば心臓を悪くしていた頃の名残だというのだから、憂いのある雰囲気と合わせて儚げで病弱な印象を与える色合いをしているのも納得だ。
精一杯にメイクをして流行を追っている貴族にしてみれば、労せずそれを手にしているルイスを羨むのは当然だろう。
ボンドは喉を潤すためアイスティーを口に含み、表情を変えることのないルイスを見た。
陶器のような質感と青白い肌色を組み合わせると本当に人形じみて見えてしまう。
優しい笑みを浮かべながら人を寄せ付けない表情を見せるウィリアムより、よほどルイスの方が近寄り難い雰囲気を醸している理由はこれなのだろう。

「ウィル君とアル君に愛されて綺麗になるだなんて、まるで御伽噺みたいでロマンがあるよ」

常に表情を変えずクールな姿を保っているから一部の貴族にはアイスドールと呼ばれているくせに、気を許した同志の前では幾分かその表情がやんわり丸くなる。
今もルイスの目元は少しだけ緩んでいて、表情を誤魔化すように紅茶を喉に流し込む様子が微笑ましいほどだ。
ボンドとルイスの年齢差はルイスの方が年上ではあるのだけれど、どうにもルイスの末っ子気質が強いせいか、年上という印象を抱くことはない。
まるで自分も弟を持ったようだと、ボンドはルイスを見ては艶やかに微笑んだ。

「…別に、そういうわけではないと思いますが」
「まぁルイス君の素材の良さもあるんだろうけどね、やっぱりウィル君とアル君の存在は大きいと思うよ。とても綺麗だ」
「……それはどうも」

ふい、と視線を逸らして照れる姿はなかなか可愛らしい。
今この場にいないウィリアムとアルバートに申し訳なく思うと同時に、自分も恋の一つでもして彼のように綺麗で格好良くありたいものだと、ボンドは気ままに考えた。



ボンドは美しいものがすきだ。
それは勿論内面の美しさを一番に考えているけれど、見目麗しいものはどうしたって好ましく感じてしまう。
これはもう人としての性なのだろう。
美しいものがとてもすきだし、その反面、美しかったものが醜くなるなど許せない。
不可抗力だとしても納得出来ないし、それが本人の努力不足だというのならますます持って納得出来るはずもなかった。

「ルイス君、それどうしたの?」
「え?何がですか?」
「それ、その肌」
「肌?」

ボンドの前にはきょとんとしたように瞳を丸くするルイスがいた。
その右頬にはいつも通りアシンメトリーに伸ばした前髪がかかっており、左頬は額から露わになっている。
普段と変わらないそのヘアースタイルは見慣れている姿だが、鋭いボンドの目は誤魔化せない。
いや、ルイスに誤魔化すつもりはないのだから気付いて当然かもしれないが、少なくともモランやフレッドでは気付かないだろう。
今のルイスの頬にはポツンとした小さな凹凸が存在していた。

「この前まですべすべの陶器肌だったのに何で荒れてるんだい!?」
「あ、荒れてる?」
「肌荒れ!ここ!あ、こことここも!」
「肌荒れ、ですか?」

何のことかとルイスが首を傾げるが、勢いよく食って掛かるボンドの気迫に思わず後ろに足を引いた。
それに構わず、ボンドは触れることなく指で示しながらルイスの顔に出来た肌荒れ部分に驚愕の視線を向けている。
触ってしまってはストレスを与えてより肌荒れが悪化してしまうのは常識だ。

「荒れてるんですか?これ」
「分かってなかったの!?嘘でしょ!?」
「そういえばいつもよりかさかさするような…初めての感触です」
「そのかさかさが肌荒れ!この前まですべすべ柔らかなベイビースキンだったじゃないか!一体何があったんだい!?ていうか初めて!?」
「べ、別に何もしてないですが」

己の肩を掴み、必死の表情で言い縋るボンドの気迫にルイスは僅かばかりの恐怖を覚えた。
いつも飄々として周りを翻弄する華やかな彼が、ここまで取り乱す姿など初めて見る。
一体何があったとはこちらの台詞だと、ルイスは口元を引き攣らせながら幾分か目線の低いボンドを見下ろしては冷静になるようその体を押した。
けれどもボンドに掴まれた肩から手が外れることはなく、むしろ指が食い込むほどの力で握られていて大分痛い。

「何かあるでしょ、思い当たることが!そうじゃなきゃ君の美肌が荒れるはずないでしょう!!」

今にも血走りそうなスカイブルーの瞳をルイスに向けて、ボンドはその肌を観察した。
つい先日まで見るからに滑らかだったその肌は、普通の人であれば気にしない程度の軽微な凹凸がある。
これが他の人間であるならば、ボンドとて何を言及することはなかっただろう。
だがそれがルイスであるならば話は別だ。
いついかなるときも満たされたように美しく真っ白い肌をしていた彼の肌が荒れているなど、絶対に何か原因があるに違いない。
ボンドは恐る恐る指をルイスの頬へと触れさせる。
そうして感じたのは赤子のように滑らかな肌ではなく、確かに感じる微かなかさつきだった。
間違いなくあのルイスに相応しい肌ではない。

「な、何で…!」
「あの、ボンドさん」

ボンドはルイスの肌に触れた後、その衝撃に耐えきれずに膝を追ってその場に蹲った。
あまり関わりたくはなかったが、明らかに自分が原因で落ち込んでいるボンドを放置して去るわけにもいかない。
どうやら自分の肌が原因のようだが、何故肌ひとつでここまで落ち込んでいるのかが分からなかった。

「何故そんなに落ち込んでいるんですか?」
「…ルイス君のベイビースキンが大人になってしまったからだよ」
「僕はとうに成人していますが」
「そうじゃない、そうじゃないんだよルイス君…」

ルイスのものより細く明るい金の髪を振り乱し、ボンドは悲しげな瞳でルイスを見上げる。
正しくはルイスの頬にある荒れた部分を見つめていた。
彼が持つ素材の良さに加え、ウィリアムとアルバートに愛され満たされた日々を過ごしている証のような美しい肌。
その肌に危機が訪れているのだからボンドがショックを受けるのは当然だ。
ボンドは美しいものがすきで、美しいものが醜くなることを嫌うのだから。

「ルイス君、最近体調が良くないのかい?」
「先日の検診では主治医に異常なしという結果をいただいています」
「じゃあ何か精神的なストレスを抱えているとか」
「忙しくはありますが、ストレスがあるとは思っていませんね」
「忙しいなら睡眠時間が足りないとか質が悪いとか」
「短時間ではありますがよく眠れていると思います」

兄さんか兄様と一緒に寝ているので、という副音声が聞こえてくるようだった。
一般的な肌荒れの原因といえば不規則な生活やストレスが原因である。
だがそのいずれにもルイスは覚えがないという。
ならば何故ルイスの肌は荒れているというのだろうか。
ボンドとて睡眠が足りなかった次の日は肌の張りが弱いと感じるし、かさついて潤いが足りていないと感じることがある。
だがルイスはそもそも肌が荒れているという自覚すらなかったのだ。
今まで一度も荒れていなかった事実こそ恐ろしいし嫉妬すら覚えるが、それはひとまず置いておく。
原因が分からないからといってこのまま放置していては悪化してしまうのは確実だろう。
絶対に何か原因があるはずだと、ボンドはその頭脳をフル回転させてルイスを観察した。

「…もしかして、ウィル君とアル君と喧嘩でもした?」
「は?」
「構ってもらえなくて寂しいからそれがストレスになって肌荒れしたとか」
「子ども扱いしないでいただけますか」

口にしておきながら、これはないな、と思いつつも念のため聞いてみれば怒らせたらしい。
あれだけルイスを溺愛している二人と、その二人をこの上なく敬愛しているルイスなのだから喧嘩はないだろう。
忙しくて関わる時間が少ない可能性はあるが、時間は取れずとも夜は一緒に過ごしているようだから関係は拗れていない。
ならば一体何故、とボンドは慣れない推理をするべくまずはその場を立ち上がってもう一度よくルイスを観察した。
だが本人に自覚がない以上、ここでいくら観察してもその原因が見つかるとは思えない。
ボンドは仕方なく原因探しを諦め、この肌荒れを治すべくルイスに逐一丁寧にアドバイスをした。

「中々面倒ですね…別に僕は困らないので放っておきたいのですが」
「絶対駄目!勿体ない!」
「でも」
「ルイス君、よく聞いて。しっとりしたタオルととごわついたタオル、ウィル君ならどちらがすきかな?」
「ウィリアム兄さんはしっとりしたタオルを好みます」
「口溶けの良いチーズとダマの残るチーズ、アル君はどちらがすきかな?」
「アルバート兄様は口溶けの良いチーズを好みます」
「だろう?ルイス君の肌もかさついた触り心地よりすべすべした触り心地の方がウィル君とアル君好みだよ」
「なるほど」

それもそうですね、というルイスはとても素直だ。
実に扱いやすい子だと、ボンドは年上であるはずのルイスを諭しながらそう思った。
ウィリアムとアルバートの好みなど知る由もないし、あの二人はルイスならば無条件で肯定してくれるだろう。
だが美しいものを嫌う人間はいないし、肌荒れしているルイスなどきっとあの二人も見たくはないはずだ。
ボンドは見ていたくないし、一刻も早く人形めいて美しく生気を感じさせない肌に戻ってほしいと思う。
早く治して元のルイス君になってねという呪いにも似た念を送り、ボンドはルイスと離れて自室へ戻った。



そんなことがあったのが一週間ほど前である。
ルイスの肌には未だ微かな凹凸があり、一般人なら気にすることはないがルイスであるならば許容できないものが残存している。

「どうして!?ちゃんとご飯食べてよく寝て体動かしてシャワーの前にはホットタオル当てて丁寧な洗顔と保湿はしたの!?」
「し、しました」
「じゃあウィル君とアル君とちゃんと仲良くしてる!?」
「も、勿論です」
「じゃあどうして治ってないの!?」
「わ、分かりません」

己の気迫に引き気味のルイスには気付いているが、だからといって可愛い弟分の肌が未だ荒れているのだからボンドの気持ちも荒れてしまう。
ルイスが行動したというのだから偽りはないはずだ。
しっかりご飯を食べ、ちゃんとした睡眠をとり、適度に体を動かし、毛穴を開かせてから全身の血流を温め、差し入れた洗顔料と化粧水でケアをしているに違いない。
ウィリアムとアルバートと仲良くしているのか問うたとき、頬を染めて視線を逸らしたのだから十分に愛されているのだろう。
ルイスの生活習慣もストレスも申し分ないはずなのに、どうしてあのベイビースキンが戻ってこないのだろうか。
ボンドは思わず膝を付いてしまった。
その様子を戸惑ったようにルイスが見下ろしていると、何かあったのかとウィリアムがわざわざ書斎から出て来てくれた。

「どうかしたのかい?」
「ウィリアム兄さん。いえ…些細なことです。読書の邪魔をしてしまいすみません」
「ボンド、大丈夫かい?」
「大丈夫だよ…ちょっとショックが大きくて」
「ふぅん…?」

深入りしてくれるなという雰囲気を出せば察してくれたようで、ウィリアムは気になりつつもルイスに害がないことを確認した上でボンドから興味を逸らしてくれた。

「読んでしまいたい本があるんですよね?ここは僕に任せてゆっくりお読みください」
「ありがとう。何かあったらすぐに呼ぶんだよ」
「はい」

ウィリアムはルイスに微笑みかけ、細い顎に指をやってその頬にキスをした。
ちゅ、と二度三度と音を立てて吸い付く音は軽やかに響き、音に負けないくらい甘ったるい雰囲気が二人を囲っている。
そのキスを受け入れているルイスは気恥ずかしそうに、けれども嬉しげに柔らかな笑みを浮かべ、飴細工のようにとろりとした瞳をウィリアムに向けていた。
まるで砂糖菓子のような光景を唖然を見上げていたボンドは声が出ていない。

「ルイス、ボンド、ここにいたのかい」
「アルバート兄様。何か御用ですか?」
「すまないが、この手紙を出して来てくれるかい?速達でなくても構わないが、今日付で投函をお願いしたいんだ」
「分かりました。すぐに用意して出てきます」
「ありがとう、助かるよ」

ウィリアムが書斎に戻ってすぐ、二人の元にアルバートがやってきた。
簡潔に用件を述べた彼にすぐさま了解の意を返したルイスに待っていたのは、アルバートからの労いのキスである。
先程ウィリアムが触れた場所と同じ部分に音を立てない淡いキスを数回繰り返す。
そうしてルイスの頭を撫でた後、頼んだよ、と穏やかに微笑んではボンドを見て深く構うことなくその場を離れた。
急ぎの仕事があるのだろう。
ルイスは撫でられて乱れた髪を整えつつ、今しがた受けたばかりの用事をキスを思い返しているようだ。
そんなルイスを見て、ボンドはますます唖然としたように口をぱくぱくと開けていた。

「ボンドさん、僕は用事が出来たので失礼します」
「それ!」
「え?」
「肌荒れしてるときは不必要に触っちゃいけないって言ったよね!?」
「はい。なので今はもう洗顔のときくらいしか触れていません」
「今のウィル君とアル君は!?」
「え?」
「荒れてる頬にキスなんかしてたら治るもんも治らないでしょう!」

まさか物理的にストレスを与えていたとは想定外だ。
それでは治るものも治らないし、むしろよく悪化させていないなと感心してしまう。
決してボンドに見せつけるわけではなく、とても自然な様子でルイスの頬にキスをしてすぐさまいなくなってしまった手際を見るに、ウィリアムもアルバートも常習犯に違いない。
ルイスもルイスで戸惑うことなく受け入れていたのだから、三人の中では今更疑問に思うまでもなく日常になっているのだろう。
ボンドにしてみればとんだ誤算である。
どれだけの頻度でしているのかは不明だが、二人からのキスさえなければすぐにルイスの肌荒れは治るという確信すらあった。
これできっと治ると、ボンドが希望に満ちた瞳でルイスを見上げたその瞬間。

「…でも、兄さんと兄様のキスは不必要ではないですし」

少しだけ思い悩んでいたルイスが臆することなく真顔でボンドにそう言った。
不必要ではないからキスを控える意味が分からないと、表情だけでルイスが何を考えているのかがよく伝わってくる。
同時に、ルイスに関することでルイスだけを懐柔しようとしたのが間違いだったと、ボンドはようやく気が付いた。
ルイスはウィリアムとアルバートのものなのだから、まずはその二人から落とさなければならなかったのだ。
ボンドはルイスの美肌を保つため、ルイスではなくウィリアムとアルバートを説得しようと心に決める。
そうして多少荒れてはいてもそこらの人間よりよほど美しいルイスの両頬に指をかけ、思い切り左右に引っ張った。



(ウィル君、アル君、相談があるんだけど)
(ボンドが相談なんて珍しいね)
(何かあったのかい?)
(ルイス君のことなんだ)
(ルイスがどうかしたのかい?)
(見ている限り、調子は悪くなさそうだが)
(ルイス君の肌、少し荒れてるのは知ってるかい?)
(肌?少しかさついているなとは思っていたけど)
(あまり気にはしていなかったな)
(今のルイス君、肌荒れしてるんだよ。治すために色々アドバイスしたんだけど、君達にもお願いしたいことがあるんだ)
(お願い?)
(ルイス君の肌荒れが治るまで、ほっぺたへのキスはやめてもらえるかな)
(…え?)
(…は?)
(キスが原因で治りが遅くなってる。治るまでは禁止ね)
(…それは絶対かな?)
(絶対。ルイス君のすべすべなお肌を堪能したかったら今は我慢しておいてね、二人とも)
(…)
(…)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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