「ありがとう」と「だいすき」
イートン校時代のほのぼのモリアーティ三兄弟のバレンタインのお話。
ウィリアムとアルバート兄様にチョコレートケーキを作るおでこちゃん、絶対可愛いと思う!
ジャックがたくさん出るけど、おじいちゃんポジとして仲良しだと良いな。
イートン校の休暇を利用して兄達とともにロックウェル伯爵家へと帰省したルイスは、執務を教わるべくジャックとともに街へ買い出しに来ていた。
休暇なのだから休めば良いだろうに、という師の言葉には首を振って拒否をする。
ルイスは一日でも早くウィリアムとアルバートのためにたくさんの知識と技術を覚えて、彼らの役に立ちたいのだ。
ただでさえ術後の体に無理はさせられないと二人に比べて訓練に遅れが出ているのだから、さほど体を酷使しない程度の執務は今のうちに身に付けてしまいたい。
幼いけれど凛とした意志を持つルイスは、あのウィリアムでさえ止めることが出来なかったのだからジャックに止められるはずもなかった。
「今日は随分と街が賑わっていますね」
「もうすぐバレンタインですからな」
「バレンタイン…?」
贔屓にしている店で愛用しているものを買い足していき、ジャックの教えの元ワインの目利きにも挑戦した。
主治医にアルコールを止められているため色と香りだけでの判断になるが、それでも初めての経験はルイスにとって興味深く面白い。
そうしてジャックの提案で街並みを覚えるために少しばかりの散策をしていると、甘い香りとともにたくさんの人がいることにようやく気が付いた。
買い出しに集中していて気付くのが遅くなってしまったとはいえ、バレンタインが近いと人が多くなるのだろうか。
「どうしてバレンタインが近いと街が賑わうのですか?」
「あぁ、坊ちゃんはご存知ないのですね。さて、バレンタインには何を贈るのが定番ですかな?」
「メッセージカードです」
「その通り。日頃の感謝を込めて男性から女性へカードを贈るのが定番ですな。ですが近年、貴族の間ではチョコレートを贈るのが流行しているのですよ」
「チョコレートを?」
ルイスが小さな鼻をすんと研ぎ澄ませると、確かに甘い香りの正体はカカオ由来のチョコレートであることに気が付いた。
アルバートに拾われるまでは存在すら知らなかった高価な菓子だ。
今までに伯爵やアルバートの厚意で数回口にしたことがあるけれど、ほろ苦さをカバーする上質な甘味とミルクの風味がとても美味しかったことを覚えている。
ルイスが食べたのはチョコレート風味の焼き菓子ととろりと溶けたチョコレートがかかっているケーキだった。
舌に乗る強烈な甘味はとても美味しくて、美味しいですと素直に伝えればウィリアムとアルバートも笑ってくれたことをよく覚えている。
あの甘いティータイムはとても良い記憶としてルイスの中に残っているのだから、きっと二人もチョコレートを気に入っているはずだ。
また一緒に食べたいなと、ルイスはぼんやり考えながら街ゆく人々を見つめていた。
「何でも、東の島国では愛を込めてチョコレートを贈るのが定番のようでしてな。珍しいものがすきな貴族の間ではカードではなくチョコレートを贈るのが流行しているんです。ルイス坊ちゃんにはあまり馴染みがないでしょう」
「はい…カードは、兄さんから貰ったことがありますけど」
「そうですか」
一食にもならない高価な菓子を戯れで贈るというのはさすが貴族らしい金の使い方だと思う。
この地域一帯はかつてルイスが住んでいた場所とは比べ物にならないほどの高級地帯だ。
それゆえ名門伯爵家に仕える執事が買い出しに出かけていても不自然はなく、取り扱っているものも高級品ばかりである。
ルイスが見慣れなかったチョコレートの菓子を売っていても不思議ではない。
一人の婦人とその付き人が菓子店に入り、大きな紙袋を手に出てくる様子をなんとなしに見る。
きっとあの袋の中にはチョコレート菓子が入っているのだろう。
「あのお方もどなたかにチョコレートを贈るのでしょうか?」
「そうでしょうな。ご自分の想いを菓子に託して渡したいお相手がいるのでしょう。流行り廃りも一長一短ですが、カードだけでは伝わらない気持ちを込められるのは良いことだと思います」
「女性から女性に贈るのですか?」
「いいえ、女性から男性に、でしょうな。東の島国では男性からではなく女性から贈ることが多いそうなので、それに合わせているのでしょう」
「女性から男性に?…珍しいですね」
大英帝国は完全なる階級社会、女性は後継を生むためだけの存在に過ぎない。
その認識は貴族も平民もさして変わらず、けれどごく一部には互いを想い合う男女がいることも知っている。
男尊女卑が根付いていることは憂うべきことだけど、それでも女性が自ら積極的になれる機会があるというのは良いことだと思う。
「とても素敵なイベントですね」
「ならばルイス坊っちゃんも参加してみてはいかがですかな?」
「え?」
「東の島国では男女に限らず、日頃お世話になっている人への礼を込めてチョコレートを贈ることも多いそうですよ」
「そう、なんですか?」
「カードだけでは足りないのでしょう?」
ジャックの言葉を聞き、ルイスはウィリアムとアルバートの顔を思い浮かべる。
いつも優しく自分を見守ってくれる二人のことが、ルイスはだいすきだ。
与えられる優しさに見合うだけのたくさんの想いを返したいのに、ルイスは何も持っていないから、精一杯の言葉で気持ちを伝えている。
けれどそれだけではどこか物足りなくて、何か形になるものを贈りたいとずっと考えていたのだ。
だからバレンタインに向けて綺麗な便箋と綺麗なインクを用意しておいたし、頑張って素敵なメッセージカードを作ろうと思っていた。
一生懸命に作っている最中のカードは、帰省中の今もルイスの鞄に仕舞い込んである。
だが、綴られた文字と飾ったカードだけではルイスの気持ちを表現しきれないのだ。
もっとたくさんのお礼と、もっと大きなだいすきを伝えたいと思っていた。
ウィリアムとアルバートは小さなルイスの世界そのものだから、どうにかしてその二人に自分の想いを届けたいと考えながら今までを過ごしていたのだ。
そんな中でのジャックの提案は、ルイスの気持ちにスッと入り込んできてくれた。
「に、兄様もバレンタインの文化は知っているのでしょうか?」
「知っておられると思いますよ。去年は親しい貴族からの贈り物が多数届いていたと聞いております」
「では、僕がチョコレートを贈っても妙な顔はしないでしょうか?」
「むしろ喜ぶと思われますよ」
勘の良いウィリアムはきっと既に情報収集しているだろうから、貴族の娯楽についても知っているだろう。
たとえ知らずとも菓子の類はウィリアムも好んでいるから、いきなり贈ったとして戸惑うことはない。
日頃お世話になっている人へのお礼を込めたバレンタインのプレゼント。
ならばルイスはウィリアムとアルバートに気持ちを込めたチョコレートを贈りたいと思う。
きっと喜んでくれるとジャックも言ってくれたのだから、ルイスは二人が喜ぶ姿を見てみたい。
だが、それにはひとつの弊害があった。
「…贈りたい、ですけど…」
「どうされましたかな?」
「……僕個人はお金を持っていないので、買うことが出来ません」
「ふむ」
ルイス個人は金銭を一切持ち得ていない。
養子という身分であるため当然だろうが、そもそも必要なものはアルバートから潤沢に与えられているし、物欲もないため今までに欲しいものもなかったから、金が必要になることすらなかったのだ。
バレンタインのために用意しておいた便箋とインクだって、アルバートとウィリアムとともに選んで買ってもらったものだった。
せっかくイベントに乗じて最愛の二人に気持ちを伝える機会になると思ったのに、必要なチョコレートを用意できなければ結局カードを贈るしか道はない。
ルイスは持っていたバックの紐を握りしめて俯いた。
しょんぼりと頭を下げ、寂しそうに瞳を潤ませるルイスを見下ろし、ジャックは顎に手を当てて思案する。
勉学に訓練に執務にと、ルイスは幼い割に多忙な日々を送っている。
そのどれもに手を抜くことなく頑張っているのだから少しのお小遣いくらい与えられてもいいと思うのだが、ルイスが必要ないと拒否してきたのだろう。
それが仇になってしまったのかと、見えた額にかかる髪を見てジャックは名案を思いつく。
今日は買い出しのために街に来たのだ。
買い出しの材料であればジャックの采配で買うものを選んで良いと主人から許可を貰っている。
ならば日々の消費される食材のついでに買ってしまえば良いだろう。
「ではルイス坊ちゃん。チョコレートを買うのではなく、作るというのはいかがですかな?」
「作る?チョコレートをですか?」
「幸い、チョコレート自体はさほど珍しくもありません。材料となるチョコレートを買い、ご自分で菓子を作ってみてはいかがでしょう」
「僕、お菓子はあまり作ったことがないのですが…」
「料理長に頼めば教えてくださいますよ。これならルイス坊っちゃんのお金がなくとも、食材の一種ということで私の判断で買うことが出来ます。あの二人も買い付けのものよりあなたが作ったものの方が喜ぶことでしょう」
「そ、そうでしょうか」
「あぁ。自信を持てルイス。おまえはあいつらの弟だろう」
俯いたせいで額にかかっている髪を掻き上げ、わしゃわしゃとその頭を混ぜていく。
寂しそうな色を乗せていたルイスの瞳はジャックの言葉に輝きを取り戻し、年頃に相応しい明るく希望に満ちた色を乗せていた。
短い付き合いではあるが、ジャックはウィリアムもアルバートもルイスを大層大事にしていることを知っている。
出来合いのものよりルイスが手を込めて作ったものの方があの二人はよほど喜ぶに違いない。
贈りたいのであれば我慢せずに贈るべきだ。
その程度の助けであれば大した手間にもならないし、兄を想う気持ちは慈しむべきものである。
確信めいたジャックの言葉に励まされたルイスは俄然やる気になったようで、ジャックの手を振り切り行き慣れた店へと足を進めていった。
「ウィリアム兄さん、アルバート兄様。今日はご自分のお部屋から出ないでいただけますか?」
「どうして?」
「今日は先生と料理長と一緒にキッチンの大掃除をする予定なのです。埃が立つと思いますので、お二人の体に障ってしまっては大変です」
ジャックの提案でチョコレートを買い、料理長と相談してチョコレートケーキを作る約束もした。
昨日は遅くまで起きて時間をかけたおかげでメッセージカードも上手に作ることが出来た。
バレンタインには少し早いが、休暇を終えて寮に戻るまでの間にチョコレートを作って二人に渡しておきたいと、ルイスは朝から張り切っているのだ。
そうしてウィリアムとアルバートに気付かれないよう作って驚かせようとお願いをすれば、怪訝な顔をした二人に反論されてしまった。
「埃が立つならルイスの体に障るだろう。先生には僕から伝えておくから、君はゆっくり休んでいなさい」
「え…」
「アルバート兄さんの言う通りだよ。お医者様にも無理はほどほどにと言われているのを忘れたのかい?」
「ち、ちが」
内緒にしようと思って吐いた嘘は優しい二人の心に響いたらしく、労るように気を遣われてしまった。
少し考えれば分かることだったのに迂闊だったとルイスは後悔する。
けれど今更嘘だったとも言えず、かと言って本当のことも言えず、ルイスは引かれる手を振り払えずにウィリアムに付いていくしかない。
「今日は特に予定もないだろう?一緒に本でも読もうか」
「あ、あの」
「それとも勉強を見てあげようか?課題はもう終わったのかい?」
「あと少し残ってます、けど…あの、お二人とも」
寮ではあまり過ごすことの出来ない兄弟の時間を補うように、ウィリアムとアルバートはルイスを構うべく書斎に連れ込む。
ルイスとて二人とともに過ごせるのはとても嬉しい。
隠している予定さえなければ喜んでウィリアムと本を読み、アルバートに課題を見てもらったことだろう。
だがそれではケーキを作れない。
これはピンチだと、ルイスは座るよう促されるままふかふかのソファに腰を下ろした。
左右にはウィリアムとアルバートが座っており、寮では叶わない広いソファにだけ許されるこの並びが嬉しかった。
「アルバート兄さんに面白そうな本を借りたんだよ。少し難しいけれど、きっと楽しいから読んでみようか」
「はい」
「君達の好みは似ているから、ルイスも楽しめる本だと思うよ」
「ありがとうございます、兄様」
見せられた本の表紙とタイトルは確かに面白そうなもので、今話題になっているミステリー小説のようだった。
ウィリアムならばすぐに犯人が分かってしまうのだろうなと想像しながらページを開いてみると、文体は多少読みづらいけれど理解が難しいわけでもない。
休暇中に読み切ることは出来ないだろうが、寮に持って行っても良いのだろうかとアルバートを見上げたところで部屋の扉が開く。
「失礼します。ルイス坊ちゃんはおりますかな?」
「あ!」
優しく構ってくれる二人に絆され、今日の予定を忘れてかけていた。
ルイスは慌ててソファから立ち上がり、呆れた顔で名前を呼ぶジャックを見る。
その顔には「一体何をしているのだ」という感情がありありと乗っていた。
「先生、あまり大掛かりな掃除はルイスの体に障るので、キッチンの掃除はルイス抜きで済ませていただいても良いですか?」
「掃除?…あぁ、なるほど」
「…すみません」
アルバートの言葉に大体の事情を察したジャックは申し訳なさそうに俯くルイスを見た。
偽ることが苦手だとは思っていないが、たまたま手段を誤ったのだろう。
訓練だけでなく日常においてもどこか詰めの甘いルイスはまだまだ鍛える余地があるなと、ジャックは助け舟を出すことにした。
そうでなければせっかく用意した材料が無駄になるし、菓子を作れなかったと落ち込むルイスを見て動揺するのはウィリアムとアルバートだろう。
「では仰る通り、掃除はまたの機会に致しましょう。ですがルイス坊ちゃんには茶菓子の作り方を指導する必要があります」
「お茶菓子を?」
「先日、紅茶については合格点を出しました。けれど茶菓子についてはまだ及第点を出しておりませんので」
「そ、そうです!僕、早く上手にスコーンを焼けるようになりたいので練習したいんです!」
「そう。僕も一緒に着いていこうか」
「に、兄さんはこの本を読んでいてください!お勧めのところがあったら後で教えてくれると嬉しいです!」
「ルイス?」
慌てた様子のルイスを見て怪訝な顔をするウィリアムだが、ジャックの顔を見るに悪いようにはならないだろうと判断する。
アルバートもルイスの様子には違和感を覚えたが、あまり踏み入ってしまうのもルイス個人を尊重していないようで気分が悪い。
ルイスが望んでいるのならばそう行動させてあげるべきなのだろうと、慌てた様子でジャックとともに部屋を出ていく末っ子を見守った。
「全く、上手く隠せないのならはっきり言ってしまえば良かっただろうに」
「それは駄目です!いきなりチョコレートを渡して、二人をびっくりさせたいんです」
部屋から離れて厨房へと向かいながら、ルイスは改めて二人のために美味しいチョコレートケーキを作るのだという決意を固める。
美味しいケーキを用意して、いつもありがとうございますと言って、だいすきの気持ちを込めたメッセージカードを渡して、そして三人でバレンタインのティータイムを過ごしたいのだ。
プレゼントといえばサプライズと相場は決まっている。
ルイスはかつてウィリアムからバレンタインのメッセージカードを貰ったとき、バレンタインのことを何も知らなかったからこそますますの嬉しさを実感したのだから。
「怪しまれてはいるがまぁ大丈夫だろう。早く作らなければ様子を見に来てしまうかもしれんがな」
「レシピは頭に入れているので問題ありません。頑張って作ります」
「そうか。では行くぞ」
「はい」
祖父が孫を見守る気持ちはこんな感覚なのだろうなと、ジャックは平和慣れした自分に苦笑しながらも小さなルイスを引き連れて料理長が待つ厨房へと足を踏み入れた。
「暇ですね」
「あぁ、暇だね」
ジャックにルイスを連れていかれ、ひとまずウィリアムとアルバートは各々読書に勤しむことにした。
休暇中にやるべきことは全て終わらせているし、かといって計画について進められることもない。
今はただひたすらに知識を深め学んでいくための準備期間なのだ。
計画の最後を考えても、今は一つでも多くの思い出を作っておいた方が良い。
いずれ迎える最期のために心の支えになるものは多くあった方が、折れることなく終わりを迎えられるだろう。
だからこそ絆を誓い合った兄弟三人での時間を大切にしようとしたというのに、可愛がるべき弟がいなくなってしまったのだから不満で仕方がない。
本などあっという間に読み終えてしまった。
「ルイスの様子を見に行きましょうか」
「だがルイスは嫌がっていただろう?」
「大したことではないでしょう」
ルイスの行動を尊重すべくここで待つべきだと考えるアルバートとは対照的に、ウィリアムはもう二時間も待ったのだから十分だろうとルイスを構いに行こうと提案する。
何があってもルイスが自分を嫌うことなどないという自信の表れなのか、もしくはルイスの個人など全て自分のものなのだから今更気にすることはないという傲慢さゆえなのか、アルバートには判断が付かない。
どちらにせよウィリアムがルイスを大事にしていることは間違いないのだから、このままここで二人仲を深めていても、一人足りなければ兄弟としては不完全なのだ。
アルバートは悩むのも早々に終わらせてウィリアムの提案に乗り、ルイスが何かを隠そうとしている厨房へと向かっていった。
「この匂いは…」
「チョコレート…かな?」
足早に歩いていけば段々と濃く甘い香りが届いてくる。
意識して香りの正体を探ろうとすれば、それは高価な分だけ美味が約束されている菓子に違いなかった。
食べたことがないとは言わないが、ここまで充満するほどに濃いカカオの香りが漂うことも今までになかった。
ルイスはスコーンを作ると言っていたはずだったけれど、予定を変えてチョコレートを使った菓子でも作っているのだろうか。
「あ、ウィリアム兄さん、アルバート兄様」
「ルイス」
厨房に足を踏み入れようとしたところでルイスが勢いよく中から飛び出してくる。
落ち着きない様子を恥じているのか、二人の姿を認識したところで足を止めて深呼吸をしながら気を鎮めている。
みっともない姿を見せてしまったと恥ずかしそうに頬を染めるルイスの髪からは、辺りに漂う甘いチョコレートの香りが染み付いていた。
「何か御用ですか?」
「あぁ、いや…ルイスこそ、この香りはどうしたんだい?」
甘いそれを指摘してみればルイスは驚いたように視線を彷徨わせるが、すぐに気を取り直したようにウィリアムを見上げる。
「兄さん、兄様。今から紅茶の用意をするので、一緒にティータイムを過ごしませんか?」
ルイスからの提案を拒否する理由もなく、ウィリアムとアルバートは頷くことで返事をした。
その様子を見たルイスは喜ぶように顔を綻ばせ、リビングでお待ちになっていてください、と言い残して二階へと上がっていってしまう。
「ルイス、どうしたんでしょうか」
「お菓子が美味しく作れたのかな」
「そうだとしたら楽しみですけどね」
髪に染み付いた甘いチョコレートの香りはルイスの容姿にとても似合っている。
ルイス自身が甘い砂糖菓子のような愛らしさを持っているのだから当然だろう。
ウィリアムとアルバートは懸命に作ってくれたであろう茶菓子を心待ちにしながら、それ以上にルイス本人を待ちわびる。
ルイスが作ったという菓子も紅茶も楽しみだが、まずはルイス本人がいなければ意味がないのだ。
「お待たせしました、お二人とも」
「お帰り、ルイス」
「用意してくれてありがとう」
ウィリアムとアルバートが指示通りにリビングで待っていると、ティーワゴンを押したルイスが張り切った様子で入ってきた。
目に見えてソワソワと楽しげな雰囲気が溢れていて、けれど少しの緊張も感じ取れる。
だがその緊張も含めて何か期待していることがあるのだろう。
そしてその正体はワゴンの上に乗っている茶色いケーキにあるはずだ。
「珍しいね、チョコレートケーキなんて」
「僕が焼きました」
「凄いじゃないか。とても美味しそうだ」
ルイスはまだうっすらと湯気の立つケーキを切り分け、真っ白い皿の上に乗せてから二人の前に置く。
そして二人の好みに合わせて淹れた紅茶を添え、カトラリーを差し出せばティータイムの用意は万端だ。
初めて焼いたチョコレートケーキ、味は申し分ないとジャックからも料理長からも合格点を貰っている。
あとはウィリアムとアルバートの好みに合えば良いのだけれど、とルイスは緊張で高ぶる鼓動を抑えるためにもう一度深く息をした。
「それで…食べていただく前に、お二人へ渡したいものがあって」
「何だい?」
紅茶もケーキも温かいうちに食べてほしいけれど、その前にするべきことがある。
今日はバレンタインではない。
けれど当日に三人過ごす時間を取ることは出来ないのだから、今がルイスにとってのバレンタインだ。
ルイスは昨夜遅くまで起きて作っていたメッセージカードを手に、ウィリアムとアルバートにそれぞれを差し出した。
ウィリアムに教わり、アルバートに鍛えてもらった綺麗な文字はルイスに自信を与えてくれる。
「少し早いのですが、お二人へのバレンタインのプレゼントです」
「…もしかしてこのケーキもバレンタインに合わせて用意してくれたのかい?」
「はい。当日は時間が取れないと思ったので、今日渡そうと決めていたんです」
「ルイス」
目を見開くウィリアムとアルバートの視線を浴びてルイスは一瞬だけ怯むけれど、その瞳が驚きと優しさに満ちていたから安心して息を吐いた。
生まれてから今まで、ずっと自分を見守り支えてくれたウィリアムがルイスはだいすきだ。
新しく兄になってくれただけでなく、自分自身のことを見てくれる優しいアルバートがルイスはだいすきだ。
ウィリアムとアルバートの弟として今ここに生きていることを、ルイスは何より誇りに思う。
何も持たず何も出来ない自分を見捨てず、成長を見込んでそばに置いてくれることがとても嬉しかった。
「いつもありがとうございます、ウィリアム兄さん、アルバート兄様。僕はお二人のことがだいすきです」
伝えたいことがたくさんあるけれど、結局は「ありがとう」と「だいすき」に要約されてしまうのだから言葉というものはもどかしい。
それだけで伝わるとは思えないけれど、伝えるべき言葉はこれに尽きるのだ。
表現しきれない気持ちは懸命に作ったメッセージカードと、目の前で甘い香りを漂わせているケーキに託している。
「いつも僕を見守ってくださるお二人へ、僕からバレンタインのプレゼントを贈らせてください!」
一生懸命作りましたと、ルイスは満面の笑みで両手でケーキを指し示す。
ウィリアムもアルバートも、バレンタインにチョコレートを贈る貴族の流行を知ってはいたが、まさかルイスがそれを利用して初めてのプレゼントを贈ってくれるとは思っていなかった。
いや、手紙だけならば今までに何度も貰ってきた。
けれどそれ以外のものは実質初めてだ。
ルイスは金銭を持ち得ていないため、他に何か贈ろうとしてもその手段がない。
二人はそれを知っているからこそ、わざわざチョコレートケーキを手作りしてまでプレゼントを用意してくれた健気な様子に堪らなく胸を撃ち抜かれてしまったのだ。
鮮やかな色紙とマーカー、リボンを使って華やかに作られたメッセージカードといい、見ているだけでお腹が空いてきそうなほど見事な出来栄えのケーキといい、ルイスに許される最大限のプレゼント達が愛おしい。
そして何より、このプレゼント達以上に無邪気に笑って慕ってくれるルイス本人がどうしようもなく愛おしかった。
「えっと…お二人のお口に、合うと良いのですが…」
いつまで経っても何も言わずカードを持ち自分とケーキを交互に見るウィリアムとアルバートへ、ルイスはおずおずと声をかける。
美味しく出来たと思ったのだが、もしかして食べたくないのだろうか。
そう勘違いしてルイスが表情を曇らせる直前、ウィリアムはケーキではなくルイスに向けて腕を伸ばしては小さなその体を抱きしめる。
綺麗なカードより美味しそうなケーキより、今はルイスを堪能したい。
ウィリアムは心ゆくまで可愛い弟を抱きしめ、チョコレートよりも甘いルイスの匂いを思い切り吸い込んでは癒しを得る。
そうして溢れ出た気持ちを表すべく、ありがとう、と声を掛ければ、やっとアルバートも状況を把握出来たようだ。
彼はウィリアムごとルイスを抱きしめ、美しく整った顔に綺麗な笑みを浮かべて弟達を見る。
未だケーキを食べてもらえない気まずさよりも、抱きしめられた驚きで大きな瞳を丸くしたルイスはじわじわと実感する歓喜に頬を染めるのだった。
(ありがとうルイス。とても嬉しいよ)
(素晴らしいカードだね。大事にさせてもらおう)
(…はい!ケーキも食べてみてください。美味しく作れたと思うんです)
(ふふ、食べるのが勿体ないね)
(このまま大事に保存しておきたいくらいだ)
(それではケーキが駄目になってしまいます。早く食べてください、早く)
(そう急かさないで、ルイス。もう少し大事に見ておきたいんだから)
(…でも、早く食べてほしいんです)
(…そう言われてしまっては仕方ないな。ではいただこうか)
(お、美味しいですか?)
(ん、美味しいよ)
(初めて作ったんだろう?凄いじゃないか、ルイス)
(が、頑張って作りました!お口に合ったのなら嬉しいです!)
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