寄り道ひとつ


56話を読んだ上での真面目なアルルイ。
一人投獄されたアルバート兄様がルイスから届く手紙を読むお話。
兄様はきっとルイスに対して罪悪感と後悔を持ってるだろうなと思った。

不調にならない程度に暖められた空間にコツコツと規則正しい靴音が響く。
世間から外れた場所に位置するここは基本的に何の音もしない。
数多の罪を犯し、数多の人を殺し、数多の罪なき人に迷惑をかけてきた人間が住まう場所にしては程良く清潔が保たれた空間。
アルバートはこの場所でたった一人、己が歩んできた道について悔い改めている。

「モリアーティ様、貴方様宛に手紙が届いております」

酌量の余地などないはずなのに、膿んでいた英国を変えたきっかけとして、アルバートが望んだ監獄への幽閉は不気味なほどに穏やかだった。
期間は申し渡されていない。
先の見えない長い時間、ただ静かに己の罪と罰について向き合うことがアルバートに課せられた英国政府からの指示だった。
本来であれば裁かれ死罪になるべきなのに、それはすぐには叶わないらしい。
まずは生きながらにして存分に悔い改めよということなのだろう。
司法を含む国のトップが途方もない期間をたった一人ここで過ごし懺悔せよと決めたのならば、アルバートはそれに従うべきだ。
今日も今日とて償うべき人達のことを思っていたところ、聞こえていた靴音が止み声をかけられた。
聞き慣れない声に顔を上げると、見慣れない顔をした看守がそこにいる。

「様はよしてくれないか。私はもう爵位を失った大罪人なのだから」
「は…しかし…」
「私は罪を犯してここにいる。罪人に敬意など不要だろう?」
「…では改めて、モリアーティ氏。手紙が届いている」
「ありがとう」

戸惑う看守を言いくるめ、封の開いた一通の手紙を受け取った。
ここではプライベートなど何もない。
いつだって贈られるものには政府のチェックが入り、送るものには政府の可否が入るのだ。

「家族から送られてきたようだな」

封筒の裏を見れば差出人の名前に一人遺してきてしまった末弟の名前が書かれている。
おそらくこの看守はアルバートの詳細について知らされていないのだろう。
アルバートの生い立ちも犯した罪も大切な家族がいたことも、新聞の飾られた文面でしか知らない程度の情報しか与えられていない人間だ。
そうでなければアルバートのことを貴族として呼ぶことはない。

「すぐに読もう。少しだけ待っていてくれるかい」
「は」

見慣れた、けれど懐かしいその文字で彩られた封書は何度となく投獄されたアルバートの元に届いている。
週に一度のペースで送られるそれは几帳面な末弟の性格を表しているようだった。
政府のチェックが入っているこの手紙は完全なる私用の文書だ。
大勢から見れば取るに足らないちっぽけな文書だが、アルバートにとってはこの上ない宝物のような存在である。
読んだ際の反応を見届けるためその場に佇む看守を横目に、アルバートはゆっくりと中を開けて数枚の便箋を取り出していく。
端麗な字で書かれたそれは癖がなく、紛れもなくかつてアルバートがルイスに教えた彼の文字だった。


【 アルバート・ジェームズ・モリアーティ様

  こんにちは。
  先日出した手紙からお変わりないでしょうか?
  体調など崩されていないか心配です。
  決してお体に無理はされませんよう、心から願っております。

  今回はアルバート様にお伝えしたいことがあり、筆を執りました。
  やっと言葉にする覚悟が出来ました。
  乱文になってしまうこと、どうかご了承ください。

  アルバート様が以前仰っていた、私達の始まりはアルバート様からの依頼によるもの、という言葉を覚えておいででしょうか。
  まさしくその通りに、私達三人の関係はアルバート様からのご依頼で始まりました。
  償い切れないほどの罪を背負い、十数年間を三人一緒に生きてきました。
  その時間は長くもあっという間で、私にとってとても大切な日々だったと記憶しています。

  そう、私達の始まりは確かにアルバート様からのご依頼でした。
  けれど、私も兄も決してアルバート様が全ての原因だとは考えていません。
  アルバート様はきっかけでした。
  私と兄が生きていくためのきっかけを、アルバート様は与えてくださったのだと認識しています。
  
  私はアルバート様に拾われなければ、今こうして貴方に手紙を送ることが出来ていません。
  たくさんの罪と同じくらいに、たくさんの幸せな思い出で記憶を埋めることも出来ません。
  兄しかいなかった私の世界を広げてくれた人と出会えた奇跡を、私は後悔などしておりません。
  きっとアルバート様にとって私は兄のおまけだったのでしょうね。
  けれど、おまけに過ぎない私に貴方はたくさんの言葉と思いを与えてくださいました。
  とても、とても嬉しかった。 】


いつもは一枚きりの便箋に日記のような内容が書かれているはずの手紙には、珍しくルイスの心情ばかりが記録されている。
その内容はアルバートにとって震えるほどに嬉しいものだ。
アルバートが始めた今までを、原因ではなくきっかけだとルイスが評してくれたことが純粋に嬉しかった。
心が温かくなるような内容に思わず頬を緩めるが、次の便箋に目を通した瞬間にアルバートの表情は凍りつく。


【 アルバート兄様が僕との面会に応じてくださらないのは、罪悪感を覚えるからなのでしょう。
  兄さんと似ている僕の顔を見ると、依頼をしたあの日を思い出すのでしょうか。
  庇護対象でしかなかった幼く病弱なあの頃の僕が、アルバート兄様の心に住み着いているのでしょうか。
  それとも、兄さんに執着する僕から兄さんを奪ってしまったことを、改めて思い知らされるからでしょうか。
  僕の存在は、アルバート兄様に後悔という名の罪悪感を与えるだけになっているのでしょうか。 】


そこには達観しているアルバートですらドクリと鼓動が鳴り、胸騒ぎがするような内容が書かれていた。
思わず目を見開いて、浮かんだ汗をそのままに手紙を握る。
綺麗な便箋に皺が寄ってしまったことを気にする余裕もなかった。

「…どうした、モリアーティ氏。顔色が悪いが」
「……何もない。すぐに読み終わる」

押し潰されそうなほど大きな罪悪感に、アルバートは思わず唇を噛んだ。
ここに幽閉され、己の罪を悔い改めてから既に数ヶ月が経っているけれど、アルバートは誰とも面会していない。
アルバートの気持ちを尊重して面会を望む人間がそもそも少なかったことが要因の一つだ。
だが、その中で唯一ルイスだけはアルバートとの面会をずっと前から希望していたことを知っている。
三兄弟の中で一番の末っ子は、いつだって構われたがりで依存的な弟だ。
兄になりきれなかったアルバートを兄にしてくれたのはルイスだった。
か弱く幼かった小さいルイスの姿は今もアルバートの脳裏に焼き付いていて、初めて「守らなければならない」と庇護欲を実感したのを昨日のことのように覚えている。
ルイスがいたからこそアルバートは兄として生きてこられたし、ルイス以上に己の世界が広がったように思う。
そんな愛すべき弟を犯罪の道へと誘導し、最愛の兄を彼から奪ってしまった罪はそれこそ償い切れないほどに重たく歪だ。
愛しているのに、深く愛している分だけ罪の意識に苛まれる。
自分さえいなければルイスはウィリアムに看取られ幸福なまま死ねたかもしれないのに、その機会を自分が奪ってしまったのだから。
アルバートは的確に自分の心情を察しているルイスにいっそ恐怖を覚えてしまった。


【 アルバート兄様は、三人で犯した罪の始まりと責任は全て自分にあるとお考えなのでしょう?
  僕はそれがとても悲しかった。
  僕に生きるきっかけをくれた、僕の世界を広げてくれた、僕にたくさんの思い出をくれたアルバート兄様が、僕と兄さんに出会ったことを悔やむように一人責任を感じていることが、とても悲しいのです。
  出会わなければ僕達を巻き込むことはなかった、などと考えないでください。
  僕はアルバート兄様と出会えて幸せでした。
  アルバート兄様の弟として生きることが出来て幸せでした。
  昔も今も、これから先もずっと、僕はアルバート兄様と出会えたことを一番の奇跡だと思っております。
  きっと兄さんも、僕と同じことを思っていることでしょう。 】


思想が似通っていたとはいえ、ウィリアムの計画を実現可能なものにしたのはアルバートだ。
権力と財力を持ってして最大限のサポートをしてみせた。
聡明なウィリアムを巻き込み、ただただ不快だという理由ひとつで大それた計画を唆した張本人こそがアルバートである。
そしてウィリアムを引き込むということは必然的にルイスも巻き込むということになり、そこにルイスの意思は一切ない。
自分が目を付けなければ犯罪に手を染めることもなかったはずの無垢な存在と出会ってしまったことを、アルバートは確かに悔いていた。
出会わなければ良かったとは考えていない。
けれど、出会わなければウィリアムとルイスが計画を実行に起こすことはなかったのかもしれないと考えたことはある。
出会う前のアルバートはたくさんの人間に囲まれながら独りきりで、出会ってからのアルバートはたった二人だけの人間に初めて心癒された。
家族になってくれた大切な二人を、同意した契約上とはいえ己の身勝手なエゴに巻き込むという罪深さ。
出会ってしまったがゆえに得た後悔は、きっとアルバートにしか理解出来ないのだろう。
けれどルイスはそれを否定している。
アルバートと出会って不幸だったことはないと、綺麗な文字で懸命に訴えている。
隠していたはずの本心を暴かれた衝撃以上に、途方もない愛おしさでおかしくなりそうだった。


【 僕はアルバート兄様と出会えたことを心から幸せに思っています。
  貴方は僕と兄さんにたくさんの奇跡をくださいました。
  感謝こそすれ、恨むことなどありえません。
  僕達に対し、罪の意識を抱く必要はないのです。
  そしてどうか、出会ったことを後悔しないでください。
  幸せだったあの日々は決して偽りでも幻でもない、僕達三人の現実でした。
  出会わなければあの日々を得ることはなく、僕はアルバート兄様の弟という誇るべき立場になることもなかったのだから。 】


まるで目の前でルイスが直接語りかけているような文章は、アルバートの視界を通って脳と胸に染み渡る。
弛みなく浮かぶ罪悪感も、出会ってしまった後悔も、どちらも薄れていくような心地がした。
数多の罪を犯し、数多の人を殺し、数多の罪なき人に迷惑をかけてきたアルバートは、最愛の弟達を自らのエゴに巻き込んでしまったことを一番気にかけていた。
アルバートとて人の子だ。
身内にはどうしても甘くなるし、意識せずとも贔屓をしてしまう。
今までに殺してきた人間よりも、最も身近にいた弟達を心の中心に据えてしまうのは仕方ないだろう。
アルバートは今までに傷付けてきた誰よりも、ウィリアムとルイスを巻き込んでしまったことを悔いていた。
だがそれはルイスがアルバートに届けようと必死に書いた一通の手紙で霧散していく。


【 会いたい。
  会いたいです、アルバート兄様。
  " M "として生きている僕と、アルバート兄様の弟である僕のどちらも、アルバート兄様に会ってお話ししたいことがたくさんあります。
  お気持ちに区切りが付いたら、以前のように僕のわがままを聞いてくださると嬉しいです。

  ルイス・ジェームズ・モリアーティ 】


そう締めくくられたルイスからの手紙は、込められるだけの愛情に満ちているように感じられた。
末っ子らしく甘えを見せたかと思えば、これはアルバートを気遣っているのだろう。
無理矢理に会うのではなくアルバートの指示を待つところがとても彼らしい。
最愛の弟だ、会いたくないはずがない。
けれどその顔はアルバートが巻き込んだウィリアムと瓜二つであるし、穢れを知らなかったはずのルイスに罪を背負わせる始まりを作ったのはアルバートだ。
己の罪深さを実感させられるようで、どうしても会うに会えなかった。

「すまない、ひとつ頼まれてくれるだろうか」
「何だい?」
「ルイス・ジェームズ・モリアーティをここへよこしてほしい。私用での面会を希望する」
「…上に確認して、また報告に来よう」

だが、いつまでもくよくよと己と向き合っていても最愛の弟が喜ぶことはない。
抱いていた重たい気持ちはルイス本人が軽くしてくれたのだから、もうそろそろ彼とも向き合うべきなのだろう。
思えばここへ来る前はろくに話すこともせず、一方的に事象を言い渡すばかりだった。
一人でずっと頑張ってきた弟を労うのは兄たるアルバートにしか出来ないことだ。
読み終えた手紙を封筒に戻し、遠ざかる靴音を聞きながらしばらく宛名をじっと眺める。
大罪人として一心不乱に罪を償うべきなのだろうが、どうか少しの寄り道は許されてもらいたい。
腹が決まれば俄然会いたい気持ちばかりが先立ってしまうのだ。
果たしていつになるだろうかと、懺悔するべき時間を忘れて浮き足立つ気持ちでアルバートが過ごしていると、二人分の靴音と共に今しがた望んでいた人間が訪ねてきた。



(ル、イス…!?何故、)
(お、お久しぶりです、アルバート兄様。長官のご厚意で、今日ここに来るようにと言われて来ました)
(ルイスからの手紙を拝読した。君の元に手紙が届く今日という日にルイスとの面会を希望するだろうと考え、事前に呼び寄せておいた)
(…ありがとうございます、長官)
(私はしばらく席を外す。…ゆっくり過ごすと良い)
(お心遣い、感謝致します)
(ありがとうございました、長官)

(ルイス、久しぶりだね)
(は、はい。…あの、来ても宜しかったのでしょうか…?)
(どうして?会いたいと希望したのは私の方だが)
(です、が…)
(髪、上げることにしたのか。よく似合っている)
(……兄様…)
(今まで君から顔を背けていてすまなかった。もう大丈夫だよ、ルイス)
(あ、アルバート兄様…!お会いしたかったです、ずっとずっと…!)
(私も会いたかった…ルイス)
(兄様…!)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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