週末限定メッセージ
ウィリアムがダラム大学に着任した頃のほのぼのモリアーティ三兄弟のお話。
週末にしか会えない兄様とウィリアムとルイスが、ホワイトボード使ってメッセージのやりとりしてたら良いなと思ってる(実際は時代設定的に黒板とチョーク)
「これから離れて過ごすことが多くなります。週末には帰ってくるとはいえ、すれ違いの生活が多くなることでしょう。そこで、こちらを用意してみました」
とん、とアルバートとルイスの目の前に置かれたのは、学生時代にはほぼ毎日目にしていた黒板だった。
違うのはそのサイズだけだろうか。
一般書籍よりも大きな、動植物に詳しい図鑑ほどのサイズだろうか。
そばには手のひらほどの大きさになる箱があり、小さな黒板を考えると箱の中身はチョークだと予想がつく。
「コンパクトな黒板だね」
「これがどうしたのですか?」
得意げな様子で笑みを浮かべるウィリアムを見やり、ルイスは純粋な疑問を表情に浮かべている。
きっとアルバートもそうなのだろうと横目に彼を見るが、聡い彼はすぐにピンときたようで頷く素振りを見せていた。
ルイスはすぐに回答を得ようと質問してしまった自分を恥じ、慌てて思考を巡らせたけれど、それよりもウィリアムの口が動く方が早かったようだ。
聞こえてきた声にはっとしたルイスがウィリアムを見る。
「これから僕とルイスは週の半分以上をダラムで過ごすことになる。定期的にこの屋敷に帰るとはいえ、アルバート兄さんとは中々会えないことも多いはずだ。会いたいからといって、疲れて休んでいる兄さんを無理矢理起こすわけにはいかないだろう?」
「はい」
「大学教授であるウィリアムとは違い、私の仕事は突然不規則な勤務形態になることがあるからな」
前例のあるアルバートの言葉にはルイスも深く頷いてしまう。
大学卒業後より英国を守りし国軍に従事しているアルバートは、要事の際には真っ先に最前線へと足を運ぶ。
貴族という身分が幅を利かせているのか、命の危険を伴うような部署に配置されることはない。
けれどその有能さからアルバートに課せられる業務は多岐に渡るため、数日に渡って帰宅せず庁舎に缶詰になることは多々あった。
その度にルイスとウィリアムは時間を見つけてアルバートに食事や着替えの差し入れをしていたのだ。
そうして疲れて帰宅したアルバートのために作りたての食事と温かいお湯、清潔なベッドを用意してゆっくり休めるよう環境を整えるのはルイスの仕事だった。
けれどこの秋からはそうもいかない。
ダラム大学に着任するウィリアムに付き添うルイスは、今後はダラムとロンドンにある屋敷二つを管理することになるのだ。
管理する領地が増えることに大した不安はないけれど、限られた時間しかロンドンにいられないというのに、アルバートとすれ違う可能性があるのは想像だけでとても悲しい。
だが、ウィリアムの言葉の通り「会いたい」という理由のみで疲れているアルバートに無理をさせるつもりはなかった。
「私としてはお前達が帰ってくるのであれば、どれだけ深く寝ていたとしても起こしてくれて構わないのだがな」
「何を仰るんですか、兄様。決して無理をしてはいけないと、あれだけ僕に言っていたというのに」
「ふ…そうだったね」
アルバートの言葉は本心であり、むしろ弟達と会えた方がよほど疲れが取れるというのに、ルイスからは咎める声が返ってきた。
苦笑するアルバートとウィリアムをよそに、ルイスは懇切丁寧に十分な休息と十分な栄養の大切さを語っている。
かつて病に伏せていた経験があるためか、ウィリアムにもアルバートにも同じ思いをさせるわけにはいかないと考えているのだ。
いつ何がきっかけで病を発症するか分からないのだから、万全を期して二人をサポートするのが自分の役目だとルイスは考えている。
「そもそもアルバート兄様に限らず、ウィリアム兄さんもご自分の体については少し無頓着が過ぎるのではないでしょうか。僕に対してはあれほど厳しく注意されるというのに、この間だって」
「分かったよ、ルイス。でももうそこまでにしようか」
「兄さん」
いつの間にかアルバートだけでなくウィリアムにも話題が飛んでいき、ともすればこのまま一時間でも二時間でもルイスのお説教が続きそうな空気を断ち切ったのはウィリアムだ。
まだ言い足りないルイスはやや不満そうな顔をしているが、それでもウィリアムに逆らうことはしない。
そうして再び彼の手元にある小さな黒板に目をやった。
果たしてこれが今後、一体何の役に立つのだろうか。
「僕達の帰宅に合わせて兄さんが休んでいることはあるかもしれないけど、どちらかといえば帰宅のときに兄さんがいない可能性の方が高いだろう?顔も見ずにただ帰るのはお互い味気ないだろうし、せめてメッセージを残しておけば気持ちが違うと思ってね」
「そうだな。外に出ている私がいつ帰宅するか書いておけば、お前達が帰ったときも困ることはないだろう」
「はい。もし会えなかったとしても、ただ屋敷の手入れがされているより実感が湧くだろうと思いまして」
「なるほど!それは名案ですね、兄さん!」
「ありがとう、ルイス」
ウィリアムとアルバートの言葉に黒板の使い道を見出したのか、ルイスは感動したように両手を合わせる。
もちろん、帰宅のたびにアルバートと会ってウィリアムと三人過ごせるのが一番良い。
けれどアルバートの勤務形態を考えると必ずしも顔を合わせることは叶わないだろうし、気配を感じるだけでまた離れてしまうのは寂しいと思っていた。
そんな中でも、アルバートが書いた文字で綴られたメッセージがあるのなら気分は大分違うだろう。
ウィリアムだけでなくアルバートにも大層依存しているルイスにはぴったりの代物だ。
喜びで目を輝かせるルイスを見て、ウィリアムも嬉しそうに笑みを浮かべている。
ルイスを思っての提案だったが、もちろんウィリアムもアルバートと会えなくなる日々を少しだけ寂しいと感じていた。
自分の文字とアルバートの文字を交換すれば多少気持ちは晴れるだろうと考えていたけれど、ルイスだけでなくアルバートも賛同してくれたことが何より嬉しい。
たった三人きりの家族。
ルイスが特別に依存的であることを除いたとしても、三人それぞれが互いに依存しているのだ。
「では今後、離れて過ごす間に何か伝えたいことがあればこの黒板を使うことにしましょう」
「もちろん、定期報告を兼ねた手紙は欠かさずお送りしますね。兄様はお忙しいでしょうし、返事は手の空いたときで構いませんのでお読みください」
「ありがとう。必ず返事を書くから待っておいで」
「はい」
ウィリアムが用意した小さな黒板は、ルイスの手でチョークの入った箱とともにリビングに備えられた棚に置かれることになる。
玄関先に置くよりも気の落ち着く空間でゆっくり見た方が良いだろう。
そう考えて置かれた黒板は、選び抜かれた一流の家具が揃う空間には見合わないものだった。
どう見てもインテリアとしてはそぐわないのだろうが、元よりそれを目当てにしているわけではない。
使う機会などないに越したことはないけれど、新しい試みに心躍ってしまうのも事実だった。
ルイスがウィリアムとアルバートを見れば二人も同じように感じていたらしく、好奇心に満ちた穏やかな表情を浮かべている。
三人揃う時間は少なくなるけれど、少しの工夫で楽しみが見出せるのは幸福である証拠だろう。
早く使う日が来てほしいような来てほしくないような、複雑な気持ちでルイスはウィリアムとアルバートの元へと近寄った。
【ウィリアムとルイスへ
土曜の19時には帰宅出来るはずだ。私が帰るまで待っておいてほしい】
「兄さん、アルバート兄様は今晩帰ってきてくださるようです」
「そう。家の様子を見ると数日は帰っていなかったようだし、タイミングが良かったみたいだね」
「はい。保管庫も空のようですし、食材を買い込んできて正解でした」
「せっかくだから一緒に夕食を作ろうか」
「いえ、僕が作るので兄さんは休んでいてください」
「僕がルイスと一緒に作りたいんだ。良いだろう?」
「…では、お芋の皮剥きを手伝ってください」
【ウィリアムとルイスへ
見送り出来ずにすまなかった。昼夜の寒暖差も大きいから、体調を崩すことのないよう注意しなさい】
「アルバート兄さんも忙しいみたいだね。今朝早くに出て行ったようだ」
「昨夜のうちに教えてくだされば、朝食もお弁当も僕が用意したのに…!」
「ふふ、移動で疲れたルイスを気遣ってくれたんだろうね。アルバート兄さんは優しいから」
「僕は兄様のためなら何も苦ではないのに…次は絶対に前もって兄様の予定を聞いておかなければ」
【アルバート兄様へ
お仕事お疲れ様です。保管庫の中に日持ちする食事をいくつか用意しています。もし良ければお召し上がりください】
【アルバート兄さんへ
お疲れ様です。兄さんこそ体調に気をつけてくださいね。それと、黙って仕事に行ってしまったことをルイスが気にしていました。僕も残念に思ったので、今後はないようにお願いします】
「…良かれと思ったのだが、裏目に出てしまったかな。ふ、仕方ないか」
【ウィリアムとルイスへ
すまないが週末は留守にする。次の週末には帰宅出来る予定だから、そこで会えるのを楽しみにしている】
「…兄様、今日も明日もお戻りにならないみたいです」
「そう…残念だね。仕方のないことだけれど」
「はい…それより、兄さん」
「何だい?」
「メッセージの後に書かれているこの模様は何でしょう?」
「うーん…犬かな」
「犬?」
「この前帰ったとき、ルイスは迷子になった子犬を保護したと兄さんに報告しただろう?飼い主が見つかったのか気にしているんじゃないかな」
「なるほど。さすが兄さん、名推理です。では兄様宛にメッセージを残しておかなくてはなりませんね」
【アルバート兄様へ
お仕事お疲れ様です。十分に休息をお取りくださいね。
以前お話しした迷子の子犬は無事に飼い主が見つかりました。兄様が気にかけてくださったこと、あの子犬も喜んでいることだと思います】
【アルバート兄さんへ
次の週末、お会い出来ることをルイス共々楽しみにしています。機会があれば兄さんにも子犬とその飼い主を紹介しますね】
「ほう、無事に見つかっていたのか。それは何よりだ。動物に懐かれたことはないが、果たして会う機会を作れるだろうか」
【ウィリアムとルイスへ
昼過ぎに帰宅したため、お前達が帰る頃はまだ眠っているだろう。起こしてくれて構わないので必ず起こすように】
「兄さん、昼過ぎからまだ3時間しか経っていません。起こして良いのでしょうか?」
「うーん…眠っておいてほしいけど、アルバート兄さんの指示だからね。ルイスはどうしたい?」
「…早く兄様に会いたいです」
「ふふ。僕も会いたいし、何より兄さんの指示だ。起こしに行こうか」
「はい!ところで兄さん、今回も書かれているこの模様は何ですか?」
「そうだね…起こさなかったら怒るよ、という表情をした兄さんかな?」
「アルバート兄様、ですか?…なるほど」
「さぁ、怒られないよう早く起こしに行こうか」
「おはようございます、兄様」
「…おはよう、ルイス。ウィリアムも」
「目覚めはいかがですか?」
「問題ない。良い目覚めだよ」
「それは良かった」
【アルバート兄様へ
今回は長く過ごせて嬉しかったです。また兄様のお話を聞かせてくださいね。黒板に書かれた兄様の絵、とても素敵です。次も楽しみにしています】
【アルバート兄さんへ
ルイスには絵の難易度が高いようです。もう少しセンスを抑えていただけると助かります】
「分かりやすく書いているつもりなんだが…ウィリアムが言うのならば難しいのだろうな。芸術というものは中々奥が深い」
【ウィリアムとルイスへ
少し手のかかる案件に取り掛かっている最中だ。土曜の夕食は一緒に食べられるが、すぐに庁舎に戻る必要がある。すまないが三人分の食事とお湯の用意をしておいてくれ、必ず帰る】
「兄様、今週もお忙しいようですね…ちゃんと休みは取れているのでしょうか」
「器用な人だから大丈夫だと信じたいけどね。帰ってくるというのなら、疲れを癒せるよう精一杯頑張ろうか」
「はい。ところで兄さん、この絵は何かの祭壇ですか?」
「これはワインとパイじゃないかな。きっと兄さんの夕食のリクエストだと思うよ」
「なるほど。では今夜はワインに合うミートパイとフィッシュパイの二種類を用意しましょう」
【アルバート兄様へ
僕が作ったミートパイとフィッシュパイを気に入ってくださりありがとうございます。保管庫に新しいワインを追加しておきましたので、お時間が出来たら是非お飲みくださいね】
【アルバート兄さんへ
夕食のリクエスト、ルイスはとても喜んでいました。出来ることなら用意したワインは次の機会に三人で楽しみたいものですね】
「ほう、確かに良いワインだな。ルイスは早く飲んでほしいのだろうが、ウィリアムの提案通り三人揃ったタイミングで楽しむとしようか」
【ウィリアムとルイスへ
昨日、久々に時間が出来たのでスコーンを焼いておいた。夜には帰るから、先に二人でお茶と一緒に食べておくと良い】
「兄様がスコーンを焼いてくださいました!さすが兄様、見事な焼き加減…!」
「とても美味しそうだね。早速お茶にしようか、ルイス」
「はい。ところで兄さん、これは何の絵でしょうか?スコーンと…眼鏡?」
「そうだね、これはスコーンと二つのカップかな。僕とルイス用だろうね」
「なるほど。僕達のお茶会を表していたんですね」
「そうみたいだ。優しいね、兄さん」
【アルバート兄様へ
夕食と明日の朝食とお弁当を用意してあります。是非召し上がってくださいね。次に帰るときは兄様が気に入ってくださった僕特製のブレンドティーとお菓子を用意していきます】
【アルバート兄さんへ
ルイスも随分と兄さんが書いた絵の理解が深まっているようです。いつも楽しそうに見ては、消すのを惜しんでおりますよ】
「ふ…たまたま思いついて書いただけなのだが、気に入ってくれたのなら何よりだ」
(兄様が書かれる絵は奥が深いです。僕がその奥深さを理解するのはまだまだ先なのでしょう。ですが、絶対に理解してみせます!)
(その意気だよ、ルイス)
(さすがウィリアム兄さんは芸術面でも秀でているのですね。僕も兄様のことをもっとよく知れば理解も早いのでしょうか?)
(そうだね…兄さんの絵は理解するよりも、その前後の心情を推理した方が早いかな?感じるよりも兄さんが何を書くかを想像する方が良いだろうね)
(ふむ…?芸術を知るということはそういうものなのですか?)
(こと兄さんの絵に関しては、ね)
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