僕のルイスと兄さんが可愛い
子ども時代のほのぼのモリアーティ三兄弟のお話。
アルバート兄様がルイスの頭をなでなでしてる。
ウィリアム以外に頭を撫でられるのは嫌だったのに兄様には許してしまうルイスかわよ!
自分のものとは質の違うふわふわした髪の毛に小さな葉が付いていた。
庭掃除をしてきた後なのだろう、新しく弟になった小さなその子は気付いていないらしい。
せっかくの綺麗な髪が勿体無いと、アルバートは不意に手を伸ばしていた。
「ルイス」
「はい?…っ、!」
意識せずにその名を呼んで髪に触れようとすれば、振り返ったルイスの顔が一気に恐怖で染まっていった。
大きな瞳は怯えたように強く閉じられ、真っ白い頬は青褪める。
震えたように肩を竦めている様子を見て、アルバートは思わず浮かべた手を止めてしまった。
「…すまない。髪に葉が付いていたものだから」
「ぇ…あ、はい…お、教えてくださり、ありがとうございます」
「…あぁ。庭掃除、お疲れ様」
結局ふわふわした髪に乗る葉へ触れることなく、アルバートの手は宙を掻いたまま降ろされた。
降りた手とアルバートの声に安心した様子のルイスは自らの髪に触れ、かさりと音を立てて落ちた葉を見て一人頷いている。
先程までアルバートの手に怯えていたその表情は、いつも通りのルイスらしいものに戻っていた。
まだまだ幼い弟は礼儀正しくお礼を言ってから頭を下げ、料理長と食事の用意をしてきます、と言ってアルバートの前から去っていく。
「…慣れてくれたと思ったのだけど、まだ早かったのかな」
ようやくルイスに兄と呼ばれるようになって、アルバートには兄としての自信が付いていた。
初めての家族であり初めての弟を通して兄になったアルバートは、ルイスのおかげで本当の兄になることが出来たのだ。
もう一人の弟であるウィリアムを参考に振る舞ってみたけれど、髪に触れることをあれほど拒絶されるとは思わなかった。
ウィリアムはよくルイスの髪に触れ頭を撫でていたから自分も大丈夫なのだと、無意識に驕っていたのかもしれない。
まるで警戒心が強く一向に信用してくれなかったあの頃を思い出してしまうようで、アルバートは嫌な記憶を押し出すように頭を振って気を取り直した。
ウィリアムがルイスの頭を撫でるというのは、アルバートにとってよくよく目にする光景だった。
こうして安全を約束された場所で過ごすことになってから特に増えたように思う。
ロックウェル家の使用人達を牽制するかのように、戸籍上は養子でしかないルイスをウィリアムは大層大事に囲っているのだ。
そのおかげでロックウェル家の人間は皆ルイスに親切で、少しの嫌味を言われることもない。
今日もルイスがウィリアムに勉強を教えてほしいとお願いしており、求められる正解をちゃんと答えることが出来たルイスの頭をウィリアムが撫でている光景が目に入った。
「正解だよ。偉いね、ルイス」
「ふふ」
以前アルバートが触れようとしたときとは違い、ルイスは安心しきったように愛らしい笑顔でその手を受け入れている。
ウィリアムも愛おしげに髪を混ぜていて、どこから見ても誰から見ても二人は仲の良い兄弟だ。
いつまでだって見ていられるその光景は、アルバートが見ても心温まる癒し効果があった。
「それでは兄さん。僕は先生のところに行ってきます」
「行ってらっしゃい。頑張っておいで」
「はい」
ジャックと約束をしているらしいルイスが名残惜しげにウィリアムの手から離れ、アルバートとすれ違ってはぺこりと小さくお辞儀をする。
その顔ははにかんだように笑んでいてとても可愛らしかった。
「兄さん、何か御用ですか?」
「あぁ、いや…少し手が空いたものだから、様子を見にきただけなんだ。特に用事はないよ」
「そうですか」
幼さに見合わない美しい笑みを浮かべてアルバートの来訪を受け入れたウィリアムは、自然な動作で向かいにあるソファへ腰掛けるよう促した。
アルバートは逆らうことなく座り心地の良いソファへと腰を下ろす。
そのまましばらく適当な雑談をして時間を過ごしていると、勘の鋭いウィリアムはアルバートが抱える違和感に気付いたらしい。
穏やかな雰囲気を携えたまま、アルバートの心を丸裸にするかのように唇を開いていった。
「何か気にかかることがあるようですね」
「そうかい?特に何もないけれど」
「ふふ、僕に隠し事なんて水臭い。兄さんの弟として、僕はいくらでも相談に乗りますよ」
「優しいね、ウィリアムは。だが、本当に何もないんだよ」
アルバートはウィリアムの言葉を聞いても思い至ることはないと微笑んだ。
事実、今は全てが順調だ。
安全を約束された環境で将来のために虎視眈々と爪を研ぐ。
もちろん勉学にも手を抜くことなく、三兄弟それぞれが己の役割を全うすべく日々を過ごしているのだ。
心許せる家族を得た今、かつてに比べれば想像も出来ないほど充実した毎日だとアルバートは確信している。
「それなら良いのですが。先程アルバート兄さんが僕とルイスを見ているとき、どこか遠い目をしていたことが気になったので」
「…あぁ、なるほど」
「心当たりがおありで?」
「大したことではないんだ。ただ、まだあの子は僕に気を許してくれてはいないんだと思っているだけだから」
「…どういうことです?」
ウィリアムの目から見たルイスは随分とアルバートに気を許している。
自分以外に心を開くことのなかったルイスがアルバートを兄と呼び、少しずつ打ち解けてきた今までを、他の誰よりも近い場所でずっと見てきたのだから。
アルバートが気落ちするほどの何かがあったとは思えない。
怪訝な顔をしているウィリアムを気遣ったのか、アルバートは務めて明るく先日の一件について話し出した。
今までウィリアムと二人だけで生きてきたのだから、いきなり異分子であるアルバートが混ざることにルイスが抵抗を覚えるのも無理はないのだ。
気にするほどのことでもないとアルバートが世間話のように教えてあげれば、ウィリアムは眉を顰めて唇を噛み締める。
アルバート以上にその一件を気にしているようなその表情に、思わず圧倒されてしまった。
「…ルイスが無礼な真似をしてしまい、申し訳ありません」
「どうして謝るんだい?僕が距離感を間違えてしまっただけだよ、ルイスは何も悪くない」
「……あまり、お教えしたいことではないのですが…ルイスのために、弁解させていただいても良いですか?」
「…どうぞ」
悲しいような悔しいような、明らかに負の感情を見せるウィリアムにアルバートが拒否をすることはない。
何を謝る必要があるのかも分からないが、元よりアルバートはルイスが悪いとは思っていないし、ルイスの態度を不快にも思っていない。
ただ少し、ルイスによって築いてきた兄としての自信が僅かに揺らいでしまっただけなのだ。
けれど他に何か理由があるのであれば知りたいと思う。
膝に腕を付いた姿勢で、アルバートはウィリアムの言葉を待った。
「僕とルイスはアルバート兄さんと出会ったあの孤児院で過ごすまでの間、色々な場所を転々としていました。安全な住居で過ごせず、路地裏で夜を明かしたことは数え切れないほどあります。そういった中では僕達のような子どもはどうしても、理由のない暴力を受けてしまう立場になってしまうんです」
「……」
「何をした訳でもないのにいきなり殴られる。ちゃんと約束通りに働いたのに賃金を貰えず疎まれる。抵抗したところで生意気だと怒鳴られてしまうのだから、大人しく受け入れて向こうが飽きるまでを待つしかなかった。…ルイスが兄さんの手に怯えたとき、兄さんは上から手を伸ばして触れようとしたのでしょう?」
「…あ、ぁ。その通りだ」
いきなり明かされた二人の過去に、思わず声が詰まってしまった。
想像していなかった訳ではない。
ストリートチルドレンの住まう環境が劣悪でないはずはないし、環境ゆえに精神が荒んでしまったものは多数いるのだろう。
けれど実際に弟達がいきなり暴力を振るわれるような環境で生きてきたことを、アルバートは具体的にイメージしていなかったのかもしれない。
健康なはずの心臓がドクリと軋んで痛んだような気がした。
「やっぱり…ルイスに限らず、家を持たない孤児のほとんどは手を振りかざされれば殴られるのだと解釈しています。僕でさえそう思っている。幸い、ルイスは僕がよく頭を撫でてあげていたから僕に対してだけは警戒心を持っていませんが、まだ僕以外の人は怖いのでしょう。ルイスもアルバート兄さんに殴られるなど思ってはいないはずですが、それでも、過去の経験がトラウマになっているんだと思います」
「…そうか…そうだったんだね、それは申し訳ないことをした」
アルバートがルイスの髪に触れようとしたとき、怯えたように見えたのは錯覚ではなかった。
ルイスはアルバートを恐れていたのではなく、上から降りてくる手を怖がっていたのだ。
あのときのルイスはアルバートの手を振り払おうともせず、ただ怯えた状態で殴られるのを待っていたのだろう。
怖いけれど仕方がないと、少しの抵抗も見せずにいた小さな弟。
兄と呼んでくれているのだから、ルイスがアルバートを慕っているのは間違いない。
それはウィリアムも認めてくれているのだから確かな事実だ。
けれどそれ以上に、ルイスはウィリアム以外の手が怖いのだろう。
あの小さな体にどれだけ理不尽な過去を持っているのか、想像すら拒否したくなるほどに怒りが込み上げてきそうだった。
「もう随分と暴力を振われることなどなかったから、まさかまだルイスがそんな状態だとは思っていませんでした…兄さん、教えてくれてありがとうございます」
「いや…ルイスを怖がらせてしまったことは事実だ。後で謝っておこう」
「いえ、出来ることなら謝らず、気付いていないふりをしてあげてもらえませんか?ルイスは頭を撫でられることも髪に触れられることも気に入っています。おそらく、自分が恐怖心を抱いていることにも気付いていないでしょう。ルイスは兄さんと仲良くなりたいと願っているはずです。兄さんが少しずつ慣らしてあげてください」
「…だが」
「お願いします。ルイスが未だ過去に囚われ怯えているなんて、僕には耐えられない。けれど僕ではルイスの恐怖を取り除いてあげられません。どうか、アルバート兄さんにお願いしたいんです」
唯一大事な弟が、預かり知らぬところで自覚もなく怯えているなどありえない。
可能ならウィリアム自らその恐怖を取り除いてあげたいけれど、それはウィリアムでは叶わないことなのだ。
ならばアルバートに頼るしかない。
アルバートはウィリアムが認め、ルイスが受け入れた二人にとっての兄なのだから。
「…分かった。あまり大それたことは出来ないけれど、今まで通り君を参考に、兄としてルイスへ接することにしよう」
「ありがとうございます、アルバート兄さん」
「任せておいてとは言えないが、僕なりに頑張ってみるよ」
ルイスの兄として話していたはずのウィリアムが、今はアルバートの弟として安心したように笑っている。
頼られるなんて鬱陶しく思ったことしかないのに、大事な弟達に頼られるというのはこんなにも嬉しいことなのだと初めて知った。
家族がいる生活はこんなにも新鮮なことの連続なのかと、アルバートはらしくもなくワクワクした気持ちを実感した。
それからのアルバートは今まで通り、ルイスを遠ざけることもせず過度に近づくのでもなく普通の生活を送っていた。
いきなり態度を変えては気配に敏感なルイスが何かに勘付いて、より警戒してしまうかもしれない。
だから何を変えることもなく、ウィリアムを参考にした兄としての振る舞いを見せていくことにしたのだ。
それでも少しだけスキンシップは増えたかもしれない。
参考にしている人物が人物なのだから、ほぼほぼ無意識なのだろう。
アルバートは今日も穏やかに挨拶を交わしてから執務に励むルイスを労うため、優しく笑いかけていた。
「いつもお疲れ様。これをあげるから、後で食べるといい」
「あ、ありがとうございます、アルバート兄様」
「先生には秘密だよ。休憩を取らせてもらったら一人でこっそり食べなさい」
「…分かりました!」
茶目っ気あふれたアルバートの笑みにつられ、ルイスも淡く微笑んでいる。
小さな手に乗せられたのは先日開けたばかりの洋菓子で、ルイスが特に気に入っていたものだった。
嬉しさのあまり瞳を輝かせたルイスを満足げに眺め、アルバートは細い肩をポンと叩いてあげる。
それを合図にルイスは今日も懸命に執務に励むのだ。
あまり頑張りすぎなくても良いというのに、兄さんのために頑張りたいのだといつも懸命なのだから頭が下がる。
可愛い弟の小さな後ろ姿を見送り、アルバートは内緒でお菓子を持ち出したのがバレたときの言い訳を適当に考えていった。
「ルイス、庭掃除をしていたのかい?」
「兄様。はい、今日は天気が良くて気持ち良かったです」
「お疲れ様。髪に葉がついているよ」
「え?」
アルバートがルイスの恐怖を取り除くべく日々を過ごしていると、いつかと同じような状況が来た。
ふわふわした金色に混ざる色鮮やかな新緑の葉。
色合いは鮮やかで見ていて趣深いけれど、せっかくの髪に異物を付けているのはやはり勿体無い。
過去の経験から声だけで教えてあげれば、ルイスはてんで見当違いのところに指を伸ばして髪を混ぜてしまった。
余計に絡まってしまう緑色を見たアルバートは思わず笑ってしまう。
「ふふ、より絡まってしまったよ。こっちだ…っ、!」
見えないはずの髪を見ようとしているのか、自然と上目になっているルイスを可愛らしく思う。
その仕草に心癒されたアルバートの手はついつい無意識にルイスの髪へと伸ばされていた。
長い指を伸ばして髪を梳きながら、ふわふわ髪に絡まる葉を取り除く。
そうして指で葉をもてあそびながらその顔を見れば、キョトンとしたように自分を見上げている弟がいた。
気付いたときには手を伸ばしていたけれど、ルイスは少しの抵抗も拒否もなくアルバートの手を受け入れたのだ。
むしろアルバートの方が「しまった」とばかりに心臓が跳ねたのに、ルイスはそんな兄に気付く様子もなく、兄の手にある葉を見て照れ臭そうに笑っていた。
「ありがとうございます、兄様」
「…あ、あぁ。どういたしまして」
髪に葉を付けているなどみっともないと、ルイスは身だしなみにも注意しなければと意識を改めている。
アルバートの手を怖がる様子など一切なかった。
あのときと同じ状況で、事前に声をかけたとはいえ同じように手を伸ばしたはずなのに、怯えるどころかいつもと変わらないままのルイス。
ウィリアムに見せているような無邪気な姿に、アルバートが持つ兄としての自尊心がますます確立されていくようだった。
「そろそろお茶の時間です。ウィリアム兄さんにも声をかけて、お庭で一緒にお茶をしませんか?」
「それは良い提案だね。僕がウィリアムに声をかけてくるから、ルイスはお茶を用意してくれるかい?」
「分かりました」
アルバートが震えるほど感動していることなどいざ知らず、ルイスは極々当たり前の日常を過ごすべく魅力的な提案をする。
張り切って厨房へと向かうルイスを見送り、アルバートは一人その場に佇んでは上向く唇を隠すように手のひらで覆っていた。
気を抜いた瞬間に顔が締まりなくにやけてしまいそうになる。
他に誰もいない空間なのだから気にしなくても良いのだろうが、それでも次期伯爵という立場がそれを許さなかった。
アルバートは呼吸を整え少しだけ興奮が落ち着いた頃を見計らい、ウィリアムに状況を報告すべく彼の元へと足を進める。
珍しく弾んだ声を出すアルバートを見たウィリアムも、安堵ゆえに深い深い息をした。
「そうですか、良かった…あの過去が、ルイスの中で少しずつ薄らいでいるんですね」
「僕も驚いたよ。…少しは自信を持っても良いのかな」
「勿論ですよ、アルバート兄さん」
兄としての先輩であるウィリアムに太鼓判をもらったアルバートは、浮ついた気持ちのまま甘く垂れた瞳を輝かせる。
可愛い弟に懐かれるのは気分が良い。
可愛い弟に頼られるのも気分が良い。
ルイスとウィリアムの兄になれて本当に良かったと、アルバートは心の底から思うのだった。
それから数日後。
ルイスのふわふわ髪に小さな寝癖がついているのを見かけたアルバートが直してあげようと手を伸ばした途端、撫でてくれるのかと勘違いしたルイスがその手に頭を擦り付けてくる事件が発生する。
すり、と控えめに頭を寄せてくる仕草が幼く可愛らしくて、思わず固まってしまったアルバートを見上げるルイスの瞳はあまりにも無垢だった。
まるで小動物のような愛らしい瞳に加え、撫でてくれないの、という幻聴が聞こえてきたアルバートは癖を直すのではなく、ただただ愛でるためにだけルイスの髪を混ぜていく。
その様子を近くでまじまじと眺めていたウィリアムは、さも満たされたように満面の笑みを浮かべるのだった。
(ルイス、髪にくせ、が…)
(ん…)
(…ルイス、)
(…兄様?)
(……いや、何でもないよ。おはよう、よく眠れたかい?)
(はい。たくさん眠れました)
(それは良かったね)
(ふふ、兄様も顔色が良さそうで何よりです)
(僕のルイスと兄さんが可愛い)
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