兄弟こそに価値がある
ルイスとモランのお話に滲み出るブラコン。
ルイスは容姿を誉められても嬉しくないけど、兄を彷彿とさせる頭の良さと気品ある振る舞いを誉められた方がよっぽど嬉しいんじゃないかなと思う。
褒められることがすきだ。
自分を見てくれることへの証明であり、自分の存在を肯定してくれることへの確かな信頼。
自己肯定感が高まるそれを嫌う人間はほとんどいないだろうし、親に捨てられた孤児でさえもが当て嵌まる。
兄にしか見てもらえなかったルイスは、その兄に褒めてもらうことを何より重要に考えていた。
自分が成し遂げたことを我が事のように喜んでくれる兄の顔を見るのが、昔からずっとだいすきだった。
それ以外の賞賛なんて受け取ったこともなければ価値のないものだとルイスは理解している。
絢爛豪華な社交界。
そこはいつだって綺麗なものばかりを綺麗な状態で飾り立てており、醜いものは嘲笑の的となるしか道はない。
ルイスはそれに慣れていたし、元より傷物の自分に媚び諂う人間などモリアーティ家に気に入られようという下心にまみれていると知っている。
自分に取り入ることで兄達に近付こうとする人間になど、ルイスは絶対靡かない。
ウィリアムとアルバートを守るためにも、自分のことを褒めそやす人間は脳内ブラックリストに入れることにしていた。
「今日は一段と魅力的ですわね、ルイス様」
兄譲りの美しい顔に兄譲りの余裕めいた笑み。
社交界に出ることは得意ではないけれど、それでも取り繕うことにも幾分か慣れてきた。
ルイスの傷を醜く蔑む者か、ルイスの美貌を欲する者。
こういった場に限らずたくさんの人の思惑が入り混じる状況において、ルイスはそのどちらかにしか出会ったことがない。
今日この会場ではルイスのことを褒めそやす人間が多いようだ。
「ありがとうございます、ミス・フェリア」
気を損なわせることのないよう、けれど決して懐に立ち入られないよう、ルイスは明確に壁を作りながら婦人の相手をする。
敬愛する兄に似た顔を褒められることは誇らしく思うけれど、養子という立場である以上は似ていることに勘付かれてしまうのは頂けない。
ルイスは誇らしい分だけの厄介さを感じているが、多くの婦人はルイスのバックグラウンドをそこまで重要視していない。
醜い傷を持ちながらも褪せることのない美しさを持つルイスを、ただただ愛でるためだけに持て囃しているのだ。
けれどルイスはそれに気付かない。
己の容姿を褒めるということはイコール兄への執着だ。
自分ではなくウィリアムとアルバートとの接触を視野に入れているのだろうこの褒め言葉、歓喜どころか嫌悪しか感じられなかった。
「そもそも、僕の顔なんてどうでも良いと思いませんか?兄さんや兄様はとても格好良いですが、お二人に近付けないからといって僕に取り入ろうだなんて性格が悪すぎます。そんな人間に僕がお二人を紹介すると思っているのでしょうか?全く、あのような人間をも魅了してしまうウィリアム兄さんとアルバート兄様の美しさも困ったものですね」
「どこぞの婦人を貶してんのか兄貴達を褒めてんのかどっちなんだよ」
「両方です」
ぷりぷりと怒っていたかと思えば誇らしげにドヤ顔を披露するルイスを見て、モランは慣れたように突っ込みながら煙草の火を消した。
心臓は完治したと聞いているが、弟に過保護なウィリアムからルイスの前では煙草を控えるよう指示されている。
換気のために窓でも開けようかと立ち上がるモランを逃すまいと、ルイスはその腕を掴んで自分の話を聞くよう促した。
大方、ウィリアムもアルバートも忙しくて構ってもらえないのだろう。
屋敷の手入れを終えてすることがなく退屈らしいルイスは、先日ようやく社交会デビューしたらしい。
出会ったばかりの頃より随分背も伸びたようだが、それでもモランにとってのルイスはちんまりした子どもの印象ばかりが先立っていた。
「ウィリアム兄さんとアルバート兄様はその頭脳も容姿もとても素晴らしいお人です。弟である僕が兄さん達を誇らしく思うのは当然でしょう」
相変わらずドヤ顔を披露しているルイスの顔は大人びているようで子どもそのものだった。
見た目はともかく、その幼い仕草はとても貴族家子息とは思えない。
そもそも養子ではあるが貴族家に住まう子息が16歳での社交会デビューなど、大事に大事に囲っている深窓の令嬢並みに破格の扱いだろう。
事実、兄達にとってのルイスは隠しておきたい秘密であることをモランは知っている。
モランの目から見ても行き過ぎた仲の良さを持つ兄弟なのだから、決して意地が悪いからルイスを社交界に出さなかったわけではない。
あまり公の場に出ることを得意としてないルイスを気遣う気持ちが半分、可愛い弟を不特定多数の人間の目に触れさせることを嫌った私欲が半分、といったところだろうか。
初めての社交会は上手くその場を切り抜けられず、結局アルバートとウィリアムの手を煩わせてしまったと聞いている。
そこから期間を空けて二度目を経験し、三度目がつい一昨日のことだった。
兄を真似てやっと婦人をあしらうことが出来たとルイスは喜んでいたし、弟の成長ぶりにウィリアムとアルバートも大層喜んでいた。
それでもルイスが社交界に参加することは滅多にないのだろうが、最低限、自分の身を守る術を身に付けたことに安心していることが目に見えてよく分かったのだ。
「おまえが兄貴達をすきなのはよーく分かった。でもせっかく褒められたんなら素直に受け取っておけば良いじゃねぇか」
醜美になど興味のないモランから見てもルイスの顔は綺麗に整っている。
ウィリアムによく似ているから美しいのではなく、ルイス単体でもその傷を含めて十二分に美しい。
本人は誤解しているようだが、きっとルイスを褒めそやす人間のほとんどが兄ではなくルイス自身に取り入ろうとしているのだろう。
おそらく、ウィリアムとアルバートもそれに気付いているはずだ。
自分に価値を見出せていないルイスだけが、周りの人間は自分の先に兄を見ていると勘違いしている。
確かにそんな人間も一定数いるかもしれない。
けれどほとんどの貴族家御令嬢は自分を飾るため見目良い男を侍らすことに御執心なのだから、ルイス本人が持つその美貌自体を求めているはずだ。
二人の兄がそれを言及しないのはルイスの考えを改めることが難しいのか、それとも自分が持つ魅力に気付かせないことが狙いなのかもしれない。
無邪気なルイスを囲おうとしている歪んだ兄弟愛は、歳の離れたモランが見てもぞくりとするほど狂気に満ちていた。
「顔を褒められたところで、何を喜べば良いのですか?」
「何ってそりゃー…」
「兄さんと兄様に褒められるのならともかく、知らない人間に僕の容姿を褒められたところで嬉しくも何ともありませんね」
まだまだガキのくせに生意気なことを言う。
だが真理を突いているといえばそうなのだろう。
見知った人間に認められてこそ、人は自分を信じられる。
それでも他人からの賞賛はそれはそれで心地良いと思うのだが、ルイスはそうではないのだろう。
大体、モランも顔を褒められたところで嬉しくも何ともない。
自らが鍛え上げた肉体や技術を認められた方がよほど嬉しく思うのだから、つまりはそういうことなのだろう。
「…それに」
「あ?」
「見てくれしか見ようとしない人間に顔を認められたところで、結局僕は空っぽです。僕自身は見てもらえていない」
「……」
「…僕の顔を褒める人がいるたびに、僕ではない兄さん達のことを考えているのだと思い知らされます。この顔を通して兄さんを見ているのかもしれないと思うと吐き気がする。僕に取り入ろうとしたお世辞ばかりの嘘に嫌気が差す。僕のことを見てくれる人は、兄さんと兄様以外に誰もいない」
「ルイス、」
「でも、それで僕は満足です」
兄さんと兄様は僕のことを見てくれて、僕のことを認めた上で褒めてくれるから、大満足です。
儚げな表情を浮かべたかと思えば、途端に普段見せないようなはにかんだ笑みを浮かべてみせる。
十代の子どもが見せる表情にしてはあまりに深みと奥行きがあった。
モランとて、ルイスをルイス個人として見ているのかと問われれば口を噤む。
あのウィリアムの弟である、という認識をなしにルイスだけを見たことはない。
本人に自覚はないのだろうが、ルイスはそんなモランに気付いているのだろう。
異様な鋭さと勘の良さを見せつけられたようで、一回りも年下の子どもに圧倒される自分が信じられなかった。
「ルイス、おまえ…」
「何ですか?」
「…いや、何でもねぇ」
「?変な人ですね」
褒められることに慣れていないどころか、本当に自分を褒めてくれる人間はこの世界にたった二人しかいないのだとルイスは知っている。
ウィリアムとアルバート以外の言葉は信じたくない、信じられない。
容姿を褒められたところで嬉しいどころか何の価値もないのだとはっきり言った目の前の子どもに、モランは言い知れない不安定さを感じる。
だが、それがウィリアムの狙いなのだろう。
自分ともう一人の兄にだけ依存するよう明確な意思を持ってルイスを支配している。
ルイスはそれに気付いていないし、気付いていたとしてもむしろ喜んでしまうのだろう。
何とも厄介な兄弟だ。
モランはシャツの胸ポケットを探り煙草を探したが、ルイスの顔を見ては諦めた。
「そろそろお茶の時間ですね」
「二人は何してるんだ?」
「ウィリアム兄さんは読書、アルバート兄様は課題を仕上げると言っていました。休憩にはいい頃合いです。モランさんの分も用意しますか?」
「そんじゃマクビティとセットで頼むわ。ここに運んできてくれ」
「分かりました」
時計を見てソワソワしながら部屋を出ていくルイスを見送り、モランは今度こそ愛用している煙草に火をつける。
勝手に押しかけてきたくせに話すだけ話して勝手に去っていく。
ルイスは礼儀正しいけれど、兄以外には案外身勝手であることをモランはよく知っていた。
正しくは兄以外ではなくモランに対して身勝手なのだが、それをモランが知る由はない。
今頃張り切って兄のために紅茶の用意をしているのだろう。
歪んだ価値観を植え込まれているルイスはさぞ幸せなのだろうなと、そう考えながら深く息を吐き出した。
「モランさんモランさん!」
「あ?何だよ、騒々しいな」
大して騒々しくはないが、いつも物静かなルイスにしては落ち着きがない足音がした。
これはまた兄貴自慢に巻き込まれるなとモランは覚悟する。
今までの経験がそう簡単に外れることはなく、ルイスは賄賂のように持ってきたボトルとグラスを差し出しては話を聞くよう促してきた。
「この前プライマリーの子ども達に勉強を教えてきたのですが、そこで嬉しい言葉をもらったんです」
「あぁ?」
成績優秀なイートン校の学生は、周辺に存在するいくつかのプライマリースクールでの講師を担当することがある。
人に教えることで学びを深めるという目的の元、アルバートもウィリアムも経験したことを、今年はルイスが経験したらしい。
様子から察するに教えた授業が上手くいったのだろうが、そんなに喜ぶようなことがあったのだろうか。
ルイスにとって嬉しい言葉など、ウィリアムとアルバート以外がかけられるとは想像も出来ない。
休暇に併せて帰省したルイスは留守を任せていたモランを捕まえ、学内では誰にも話せなかった思いの丈を吐き出していく。
「担当の教員に教え方が上手いと褒められました。イートン校主席だけのことはあると、僕のことを頭脳明晰な人間だと、そうはっきり言ってくれたんです」
「…それ、嬉しいのか?」
「勿論です」
目の前にはふふん、といつぞやのドヤ顔を披露しているルイスがいる。
彼が話す内容はどう聞いても己に対しての賞賛であり、兄以外の言葉など信用できないし必要ないと言っていたルイスらしくない言葉だった。
思わずモランが問いかけてみても、そこには嬉しそうにはにかむルイスがいるだけだ。
整った外見を褒められることと頭の良さを褒められることの、一体何が違うというのだろうか。
「僕の頭脳を褒められたということはウィリアム兄さんを褒められたことと同義です。僕の知識は全て兄さんに教えてもらったものなんですから。兄さんが褒められて喜ぶのは弟として当然のことです」
「あー…そう、なるのか?」
「はい」
イートン校で主席を誇るルイスの頭脳は贔屓目なしにしても間違いなく良いだろう。
元々頭の回転も速いのだから、勉強だけが出来るというわけでもない。
だがそれはルイスが生来持つ個性だと思うのだが、ルイス自身はウィリアムのおかげだと認識しているらしい。
己を褒められたというのにそうとは受け取らず、間接的に兄を褒められたのだと嬉しそうに語るその姿は随分と健気でいたいけだ。
ルイスにしてみれば、自分を認められるよりもウィリアムの偉大さを認めてくれることの方がよほど価値があるらしい。
ウィリアムに教わったことをしっかりと自分のものにしているのはルイスだというのに、自分ではなくウィリアムこそが凄いのだと、ルイスは純粋にそう思っているのだ。
それはそれでどうなのだろうかと思わなくもないが、ルイスが満足しているのならそれが正解なのだろう。
「それに、養子とは思えない伯爵家らしい気品があるとも言われました。嫌味ではなく本心からそう言ってくれたようなので、凄く嬉しかったんです」
「嬉しいことなのか」
「僕に貴族としての立ち振る舞いを教えてくださったのはアルバート兄様です。孤児だった僕がちゃんと貴族家子息であれるよう、兄様がたくさんのことを教えてくださいました。僕が貴族であると認められることは、すなわちアルバート兄様を認めていただいたことと同義です」
アルバートに教わったことを日頃から体現しているルイスこそが優れていると思うのだが、それはモランの感覚がおかしいのだろうか。
今のルイスは自らの振る舞いが貴族らしいと褒められたことを、アルバートのおかげでありアルバートこそが素晴らしいのだと認識している。
モランは孤児だった頃のルイスを知らないが、今のルイスを見ていると粗野な振る舞いをしていたとは思えないほど気品ある仕草が目立つ。
アルバートに教わり、アルバートを真似たのだろうが、優雅で気品ある行動はとても元孤児だったとは思えない。
過去を聞いていなければ三兄弟全員がモリアーティ家の実子だと確信してしまうほどの振る舞いだ。
ルイスは懸命に身に付けたそれらを褒められても、自分ではなくアルバートを褒められたと思いながら喜んでしまう。
自己肯定感があまりにも低いように思う。
けれどルイスは己よりも兄を称賛されて認められる方が嬉しいのだ。
変わった子どもだと、モランは改めてルイスのことをそう評価した。
「僕という存在を通してウィリアム兄さんとアルバート兄様を褒められたのですから、嬉しくないはずがありません。お二人に相応しい弟だと自信をもらった心地です」
「ま、良かったんじゃねぇか。ウィリアムとアルバートも喜ぶだろ」
「早く兄さんと兄様にもお伝えしたいです。きっと喜んでくださいます」
「そりゃな」
最愛の弟に教えたことが他人にも正しく評価されたのならば、きっと二人はルイスの成長ぶりを喜ぶだろう。
さすがルイスだと、全力で喜び褒めるに違いない。
おそらくルイスが意図している喜びとは若干ずれるが、結果が変わらないのであれば大差はないだろう。
ウィリアム譲りの頭脳とアルバート譲りの気品を携えたモリアーティ家の秘蔵っ子。
誰に何を誉められようと自分のことだとは受け止めないが、それ以上に二人の兄が目一杯にルイスを褒めては受け入れてくれるのだから、バランスは取れているに違いない。
明日帰宅する予定の兄達を今からそわそわと待ちながら、ルイスは機嫌良くモランの部屋を出て行った。
(…全くもって煩わしいな…はぁ)
(なんだよアルバート、機嫌悪いな。何見てんだ?)
(大佐。これはウィリアムとルイスへの見合いの申し出ですよ)
(げ、こんなに来てんのか?)
(えぇ。あの通り、ウィルもルイスも魅力しかない弟達ですからね。大事な弟をそこらの女にくれてやる義理はないというのに、何度断っても蛆のようにわいてくる)
(大変だな、伯爵家っていうのも)
(まぁ見る目はあると思いますがね。私ではなく二人を選ぶところはさすがとしか言いようがない)
(…ブラコンかよ)
(おーおーさすが天才数学者さんは人気者だな)
(モラン、迎えに来てくれたのかい?ありがとう)
(ルイスの都合が付かないらしくてな。良い発表だったんだろ?みんなおまえのこと噂してるぜ)
(そうみたいだね)
(ん?あまり嬉しそうじゃねぇな)
(そういうわけじゃないけど…でもまぁ、自分を誉められたところであまり気にすることはないかな)
(どうしてだ?)
(僕にとって数学を論じることは呼吸に等しい行為だからね。今更認められても何を喜べば良いのか分からないかな。それよりも、ルイスやアルバート兄さんの功績が認められていることの方が嬉しいと思うよ)
(あー…)
(こいつら全員、自分よりも兄弟を誉められた方が嬉しいタイプか)
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