おでこちゃんは格好良くなりたい
ロックウェル伯爵家に居候しているほのぼのモリアーティ三兄弟のお話。
おでこちゃんが兄さん兄様に憧れて格好良くなりたいと思ってたら可愛いよね!
「ルイスは可愛いね」
記憶のあるときから、それこそ生まれたときから聞いているかもしれないその言葉は、ルイスにとってはとてもありふれた単語だった。
最愛の兄はルイスのことを可愛いと言う。
さて可愛いとはどういう意味だろうと考える時期もあったけれど、兄はさも幸せそうに自分を見てその言葉を届けてくれるものだから、きっと良い意味なのだろうとルイスは解釈して過ごしていた。
可愛いという言葉の意味をきちんと理解するようになったのは、道端の花やたまたま見かけた猫を愛でるときにも兄がそう声をかけていたのがきっかけである。
なるほど、可愛いとは小さくて守ってあげたくなるような、無条件で大事にしてあげたくなるような愛おしい気持ちのことを指すのだろう。
そしてそんな慈しむべき気持ちとは別に、単純に見た目の美醜を表す意味もあるということは周りの浮浪者から教わった。
幼い兄弟の顔立ちはとても可愛らしく整っていたために、妙な人間を惹きつけることもあったのだ。
全て兄の機転により大事にはなっていないが、ルイスは可愛い・醜いという言葉の意味をそうして理解した。
可愛いは良い意味で、醜いは悪い意味。
その二つ以外にもたくさんの表現があることは、兄に読んでもらう本の中の文章で知る機会を得た。
そして容姿を良い意味で表現する言葉の中で、ルイスは特別気に入っている単語がある。
「兄さんはとっても格好良いですね」
ルイスにとって兄は自分を守ってくれる誰より優しい人で、凛々しい人で、気高い理想を持つ格好良い人だった。
よく似た兄弟だと周りの人間から言われるけれど、ルイスにしてみれば兄の方がよほど格好良くて凄い人なのだ。
似たような顔立ちをしていても自分は可愛くて、兄は格好良い。
いつか自分も兄のように格好良い人になりたいなと、なれたら良いなと、ルイスはずっと昔からぼんやり考えてきた。
心臓を患ってからは大人になれないと覚悟していたので叶わぬ夢だと思っていたけれど、文字通り人生を変えるような出会いと、正しく人生を変える計画のおかげで、叶うのではないかという希望が出てきたのだ。
そこにはルイスにとっての格好良い人が一人増えてしまったことも影響している。
「ふーむ…」
焼いてしまった屋敷の代わりに住まうことになったロックウェル伯爵家。
ルイスは初めて自分だけの個室を充てがわれていたが、広すぎるのと一人で過ごすのに慣れないせいで、結局兄であるウィリアムの部屋で過ごすことが多かった。
新しく兄になってくれたアルバートとともに過ごすことも増え、緊張はするけれど優しく気高い魂を持つ彼のことをルイスは尊敬している。
実の弟を手にかけたのだから心根が冷たい人なのかと思いきや、アルバートはルイスが驚くほどに包容力ある素敵な人だ。
そんな彼はルイスの中のカテゴリーで「格好良い人」に分類されている。
他人の容姿になど興味はないが、多くの人がアルバートを目にしては惚れ惚れ見入っているのだから、きっとルイスの贔屓目なしでもアルバートは格好良いのだろう。
それはウィリアムも同様で、彼は無意識に周りにいた人を惹きつけてやまない魅力の塊だ。
誰かの注目を集めたいわけではないが、ルイスにとってウィリアムとアルバートは憧れである。
その見た目も中身も文句なしに格好良いという言葉が似合う、ルイス自慢の兄さんと兄様。
ルイスはモリアーティ家の一員となり貴族として生きていくために、兄達のように凛とした格好良さを身に付けたいのだ。
「どうしたら兄さんと兄様のように格好良くなれるのでしょうか」
鏡の前でむにむにと頬をいじくりまわし、ルイスはぼやくように呟いた。
今までウィリアムに可愛いとしか言われたことはない。
先日はアルバートにも可愛いと言われてしまったのだから、多分自分は格好良くはないのだろうとルイスは察している。
だがウィリアムはとても格好良いのだから、弟である自分もいつか兄のように格好良くなれるはず。
ルイスは孤児だった頃から健気にそう信じていたのだが、事情が変わった今、いつかではなく今すぐ格好良くなりたいのである。
アルバートとウィリアムとともに生きていくのだから二人と一緒でなければ寂しいし、何よりルイスは二人のことを敬愛しているのだから、彼らとお揃いになりたかった。
格好良い兄達と同じように格好良くなりたい。
ルイスは格好良さとは程遠いことを考えながら頬から髪へと手を動かした。
「おでこは出さない方が格好良いのかな」
血の繋がりを如実に示してしまうので今でこそ複雑だが、基本的にウィリアムとルイスの顔立ちはそっくり同じだ。
見せる表情と目元が少し違う程度の差異しかない。
ウィリアムは格好良いのだから彼のように前髪を下ろせば格好良くなれるのだろうかと、ルイスは上げている前髪を下ろして額を隠してみる。
視界の端に映る髪の毛が気になるけれど、これはそのうち慣れるはずだ。
つるんとした丸い額を淡い金髪で隠し、ルイスは鏡の中の自分をじっと見た。
「うーん…」
想像していたよりも格好良くない。
可愛いかどうかはよく分からないが、いつもとほとんど変わらないのではないだろうか。
ウィリアムは格好良いのにどうしてだろうと、ルイスは首を傾げながら唇を尖らせる。
いくら不満に思っても目の前にいるのはウィリアムではなくルイスで、つまり格好良くはなかった。
「兄様はおでこ出してるけど格好良いのに」
いつもと同じように前髪を上げておでこを出してみるが、そこにはただのルイスがいるだけで、アルバートのような格好良い人間はいなかった。
格好良いとは中々難しいものだとルイスは肩を落としながら、表情を工夫してみれば良いのかもしれないと二人の顔を思い浮かべてみる。
ルイスが知る二人は穏やかに笑っていることが多い。
ウィリアムの笑顔はもう何度も見てきており、とても格好良いなとルイスは思っている。
アルバートは少し前まで険しい顔ばかりを見せていたが、今は憑き物でも落ちたようにただただ優しく笑う姿を見るようになった。
それがウィリアムとルイスのおかげなのだということは知らぬまま、ルイスはひとまず笑ってみようと指先で両の口角をきゅうと上げてみることにした。
思えばモリアーティ家に引き取られてからは笑っていられるほどの余裕はなかったし、三人きりの兄弟になってからは人前でウィリアムと似た顔で同じ表情をするわけにもいかないと、ルイスはめっきり笑うことが少なくなっている。
自然に浮かんだのならともかく、意識して笑うというのは中々難しいものだ。
頬が攣ってしまいそうだと、ルイスは鏡の中で不恰好な笑みを浮かべる自分を見た。
「…あ、少し良いかもしれない」
目の前にいるのは幼い顔に不自然な作り笑いを載せている子供である。
見慣れないという意味で新鮮な気持ちを抱くせいか、ルイスはそれを格好良いのでは、と勘違いをし始めた。
なるほど、ウィリアムとアルバートがあんなにも魅力的で格好良いのはその造形だけでなく、笑顔が要因の一つになっていたのだ。
そう結論付けたルイスはウィリアムとアルバートのような笑みをマスターすることにした。
ルイスがいつも見る二人の笑みは愛情めいて優しいが、他者に向ける笑みは一線を画してとても美しく格好良い。
言い知れない迫力すら感じるのだから、ルイスもあんな笑みを身に付ければきっと二人のようになれるはずだ。
そうと分かれば特訓あるのみだと、拳を握って己を奮い立たせる。
そんなルイスの元に所用で出ていた兄達が帰ってきた。
「ただいま、ルイス」
「遅くなってしまったね、変わりなかったかい?」
「お帰りなさい、ウィリアム兄さん、アルバート兄様。特に変わりありませんでした。することもなく時間があったので、少しゆっくりしていました」
三人きりの部屋の中、警戒心をなくして柔らかな表情をするウィリアムとアルバートはルイスの目から見てやっぱり格好良い。
目指すはこの人達だと、ルイスは二人の前でその顔を見上げて尊敬の眼差しを送る。
そうして憧憬を滲ませた視線のまま、彼らのような格好良さを目指した笑顔を表情に載せてみた。
この二人の前ならば不恰好ではない自然な笑みが浮かんでくるから、中々格好良いのでは、という自信が湧いてくる。
「どうでしょう?」
「何がだい?」
「格好良いですか?」
「誰が?」
「…僕が」
「ルイスはいつも可愛いよ」
「そうだね、可愛いよ」
「……」
思ってたのと違う、とルイスは見せていた笑みを隠してしょんぼりと眉を下げては肩を落とす。
可愛いじゃなくて格好良いが良かったのに、ルイスはまだまだウィリアムやアルバートのように格好良くはなれていないらしい。
今の笑顔は自信があっただけに悲しさ以上に悔しさが滲んでくる。
「どうしたんだい、ルイス」
「留守中、何か落ち込むことがあったのかな?」
「いえ…そういうわけではなくて」
二人のように格好良くなりきれないモリアーティ家の末っ子は、目の前に正解の姿があるというのに辿り着く方法が分からないことに気落ちする。
落ち込みながら思い悩むルイスの姿は、兄の目から見れば庇護欲をそそられるものでしかなかった。
守ってあげなければ、といういたいけで可愛い姿でしかないのだ。
そもそも兄は弟を可愛いと思う生き物であり、弟は兄を格好良いと思う生き物であることをルイスは知らない。
ルイスがどれだけ周囲から格好良いと評価されようが、ウィリアムとアルバートの目に映るルイスは可愛い弟という補正がかかってしまうのだ。
きっとこの先、ルイスがウィリアムとアルバートから格好良いと思われることはない。
「僕、兄さんや兄様みたいに格好良くなりたいんです」
「…ルイス」
「なるほど、可愛いという言葉は気に障ってしまったのかな」
「障るというほどでもないのですが、出来れば格好良いときは格好良いと言ってほしいです」
「ふふ、分かったよ」
「ルイスも年頃だからね」
何やら可愛いことを言っている弟の額にキスをして、ウィリアムは了解の意を返す。
アルバートも微笑ましい末っ子の姿に胸を温かくさせながら心内で可愛いを連呼した。
ルイスほどの年齢であれば身近な人間に憧れるのも無理はないし、その理由が格好良いからというのも納得だ。
一つしか変わらないはずのウィリアムはともかく、無性に格好良さに憧れた時代に覚えがあるアルバートはルイスの気持ちがよく分かる。
その対象に自分が挙げられているというのはむず痒いような感覚があるけれど、確実に嬉しい気持ちがあった。
「早く格好良くなりたいです」
「ルイスなら大丈夫だよ。焦らなくて良いんじゃないかな」
「ウィリアムの言う通りだ。まだ子どもなのだから焦る必要はないさ」
ウィリアムとアルバートは格好良くなりたいと願うルイスの髪を撫でる。
淡い金髪に真っ白い肌、真っ赤な瞳、熟れた唇。
きっと格好良くなれるよと願いを込めて、ウィリアムは白く滑らかなルイスの額に頬を寄せて抱きしめた。
(格好良くなりたいと言う割に可愛いことを言うので矛盾が過ぎるなと思いました)
(そうだね。見た目だけならルイスが格好良くなるのは確実だろうが、それでも格好良いとは思えないだろうな)
(本人が知ったら怒りそうですね…話を合わせるためにも、これからは可愛いではなく格好良いと言ってあげることにしましょうか)
(大丈夫かい、ウィリアム。君はすぐにボロが出そうだが)
(善処します、大丈夫)
(あまり当てにはならないが…今は信用しておこうか)
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