僕の手袋、ありますか?
居候時代の三兄弟が手袋を買いに行く話。
おでこちゃん時代のルイスの手は小さいし霜焼けあるし荒れてるんだろうな…兄さん兄様と一緒に温かく過ごしてほしい。
小さな弟の小さな手は、季節を問わずずっと冷たい。
とはいえ冬の寒さが厳しくなる頃にはより一層冷たくなるのだから、それでも夏はまだ良い方なのだろう。
秋の終わりから春の始めまで、ルイスの手は人形のように冷たいのが普通だった。
「ルイス、お疲れ様」
「ウィリアム兄さん、ただいま帰りました」
ロックウェル家で世話になってから初めての冬。
春にはウィリアムと名を変えた兄がこの屋敷を出て就学する。
それまでの時間を惜しみなく共に居たいと考えているけれど、だからと言って居候かつ他貴族家の養子という立場でだらだら過ごすなどあってはならないし、ウィリアムやアルバートに混ざって家庭教師の授業を受けるのも分不相応だ。
必然として、今のルイスは屋敷の雑務を手伝っている。
先程まで料理長に着いて食材の買い出しに行っていたルイスを出迎えたのは、授業を終えたらしいウィリアムだった。
「おや、外にいたのかい?髪が随分と乱れている」
「買い出しに出かけていました。今日は風が強くて、洗濯物がよく乾くと思います」
「そのようだね」
ウィリアムと共にいたアルバートが跳ねていたルイスの髪を撫でて整え、そのウィリアムは窓の外から見える靡いた木々の葉に目をやった。
木枯らしが吹いているらしい。
これはさぞ寒かっただろうとルイスを振り返り、小さく真っ白いのに薄赤い手を取った。
「冷たいね。もうこんな季節になってしまったのか…」
「兄さんの手が温かいので僕は大丈夫ですよ」
ウィリアムの両手でルイスの両手を包み込めば、その手から弱々しく握り返される。
寒さでかじかんで上手く力が入らないのだろう、いつものルイス以上に頼りないそれだ。
一際強く握りしめてから頬へと引き寄せ、己の体温とその冷たさを共有するかのように温めていく。
中々温まらないけれど、毎年のことだ。
だが病が完治した今ならば、もしかすると昔よりも早くに温かくなってくれるかもしれない。
そんな期待を込めてウィリアムがルイスの両手を握りしめていると、その様子を静かに見ていたアルバートがふと声を出す。
「ルイスの指先、赤くなっているね」
「お見苦しくてすみません。冬になるとどうしてもこうなってしまうんです」
「見苦しいなどとは思っていないよ。これではろくに動かせないだろう」
「毎年のことなので、慣れています」
そっとウィリアムがアルバートの視界に入りやすいようルイスの手を見せた。
言葉の通り、三人の中で一番小さなルイスの手は霜焼けで赤く染まっている。
触れてみればその色とは対照的に、まるで雪のように冷たくて驚いてしまった。
「…冷たいな…暖炉に薪を焚べよう。火に当たった方が早く温まるはずだ」
「ありがとうございます、アルバート兄さん」
「だ、大丈夫です。これくらい、僕は平気です」
「平気ではないから言っているんだ。待っていなさい、すぐに用意をしよう」
アルバートが率先して、部屋に備え付けられている暖炉へと向かった。
今月の頭から使われている暖炉だが、一度部屋が温まってしまえば日中に煌々と火を灯している必要はない。
小さな火の中に幾つか薪を焚べてしばらく待てば、徐々に火の勢いが強くなる。
ウィリアムがルイスの手を引いて暖炉の前にしゃがみ込み、その手を暖かくなった空気に当てるように支えてあげた。
「あったかい…」
「良かったね、ルイス。しっかり温まるんだよ」
「はい。ありがとうございます、アルバート兄様」
「気にすることはない。ちょうど僕も寒いと思っていたところだから」
太陽が高くなった今の時間で寒くなることなどないだろうに、聡明なアルバートの分かりやすい嘘。
ウィリアムは気付いたけれど、つい先程まで外にいたルイスにはそれが分からなかったらしい。
恐縮した様子が少しだけ和らぎ、白くなっていた唇から小さく息が溢れていた。
「それにしても、驚くほどに冷えているね。毎年のことと言っていたが、病にかかっていた影響かい?」
「えぇ。ルイスは心臓を悪くしていたので、元々体が冷えやすいんです。特に指先はいつも霜焼けになってしまって」
「僕、慣れてるので平気です」
「だが痛いだろうに」
「平気ですよ」
暖炉の正面にルイス、その左右にウィリアムとアルバートが座り、近くのソファに掛けてあったブランケットで三人まとめて包まっている。
寒空の中で買い出しに行っていたことも忘れてしまうくらいに暖かな空間だ。
外の寒さとの対比でますます心地良い気さえした。
それどころか暖かい上にウィリアムとアルバートが隣にいるこの状況、むしろお得だとさえ思えてしまう。
体が冷え切っていたからこその至福だ。
ルイスは両手を擦り合わせながらぬくぬく暖を取っていた。
「ルイス、今日の買い出しには何を着て行ったんだい?」
「コートとハットを着て行きましたよ」
「手袋は?」
「持っていませんので」
「そういえばまだ手袋は用意していなかったか…」
ロックウェル家には子息がいない。
アルバートは体格が良く困らないが、ウィリアムもルイスも特別に小柄であるため、屋敷には二人に合う衣服の用意がなかった。
潤沢に、とは言わないが余裕を持って衣服の類は用意されていたはずなのだが、防寒着に関しては不十分だったようだ。
これがアルバートであれば屋敷の誰かのものを借りることも出来たかもしれないが、ルイスならばサイズがないために難しかっただろう。
改めてルイスの小さな手を見下ろし、その指先が未だ赤いことに胸を痛める。
「やっと温まってきたね」
「暖炉も兄さんも兄様も暖かいので、いつもよりポカポカしているくらいです」
「そのくらいで丁度いいんだよ、ルイスの体には」
ウィリアムがまたルイスの手を取り、その温度を確認する。
どうやら納得のいく体温だったようで、ウィリアムは満足した様子で小さな手を自分の手で握りしめた。
アルバートからすればウィリアムの手すらもまだ小さい。
小さい者同士が助け合って生きる姿はアルバートには新鮮で、いっそ尊さすら感じる。
だが必要のない苦痛を抱えたまま、それを仕方がないと割り切っていられるほど、アルバートの生きた血筋は諦めが良くなかった。
「ルイス、午後に時間は取れるかい?一緒に出かけよう」
「外出、ですか?」
「あぁ。ウィリアム、午後の授業はキャンセルだ。君も一緒に出るよ」
「分かりました。…が、どこへ行くのですか?」
「デパートさ」
二人の手袋を用意しなければならないからね。
アルバートはそう言って背中を覆っていたブランケットを脇に抱え、手を繋いだまま戯れているウィリアムとルイスの腕を引っ張り上げた。
「防寒具は二階のようだね。向かおうか」
「はい」
「……」
ロックウェル家が所有する馬車に乗り、着いた先のデパートでの支配人による案内を断ったアルバートは、ウィリアムとルイスを引き連れてのんびりと施設を歩く。
得意ではない人混みに圧倒されているルイスはウィリアムの後ろにぴったりくっついている。
緊張した表情は貴族らしくないのだろうが、慣れない空間で取り繕えるほどの精神力はなかった。
「兄様、僕は手袋がなくても大丈夫ですよ」
「ここまで来たのだからもう手袋を買うことは決定だ。ルイスとウィリアム、ついでに僕のも買っていこう」
「良いのですか?良かったね、ルイス。これで手が温かいまま過ごせるよ」
「手袋…」
貴族の買い物といえば基本的に外商が屋敷に赴き、その人物に合った物かオーダーメイドで済ませるびが一般的だ。
こうして店で買うこともあるが、その大半は娯楽のための時間である。
決してオーダーメイドの高級品でなければ嫌だという訳ではないけれど、わざわざ街まで買いに出かけるという手間をかけるほどのことだろうか。
「頼んでいたら完成までに時間がかかるからな。すぐ手に入れるには買いに来た方が早い」
アルバートはルイスが疑問に思っていたことの答えを先んじて教えてくれる。
聞かずともウィリアムは分かっていたようで、安心したように表情を和らげていた。
「ウィリアム、ルイス。気に入ったものはあるかい?」
「どれも暖かそうですね。僕はなんでも構いませんが、出来ればルイスにはしっかり指先を暖めてくれるものが良いです」
「ルイス、実際に手にはめてごらん」
「はい」
のんびりと歩いた先の空間には季節商品として幾つかの防寒具が置いてある。
その中の見本として展示されている手袋も、素材ごとに多くの種類が販売されていた。
色は黒もしくは紺ばかりで変わり映えないが、暖かさや厚みが違っているようだ。
ルイスは促されるまま近くにあった黒の手袋を恐る恐る取り、その手にはめてみる。
気温がある程度調整された店内では分かりにくいが、おそらく温かいのだろう。
手袋をしていた経験自体がないため、これをした状態で外に出て本当に霜焼けにならないのかは謎だ。
だが、ないよりは良いはずだ。
わざわざこんなところまで買いに出かけさせてしまったことは申し訳ないが、ウィリアムとアルバートとお揃いというのは嬉しい。
大事にしよう、とルイスは考えていたのだが、初めての手袋をはめたその指の先は随分と余ってしまっていた。
「…兄さん、兄様。これ、少し大きいみたいです」
「本当だ。これではすぐに脱げてしまうね…もう少し小さいサイズのものはあるかな」
「こちらはどうだい?置いてある中では一番小さそうだ」
「……大きいです」
置かれている見本は全て大人用で、アルバートならば丁度良いサイズだろう。
だがルイスにはどれもこれもが大きかった。
使えないことはないが、手や指を動かすときにもどかしい思いをするくらいであればない方が良い。
おそらくはウィリアムにも大きいだろう。
これでは買っても意味がないと、ルイスはぶかぶかの手袋をはめた手を悲しげに下ろす。
ウィリアムも同じように肩を落としたが、アルバートは特に気にした様子もなくルイスの手から手袋を外した。
そうして弟二人の手を引いて、チラチラと三兄弟の様子を伺っていた店員の元へと向かっていく。
「すまないが、小さいサイズの手袋はありますか?」
「えぇ勿論。どの程度のサイズをお求めでしょうか」
「ウィリアム、ルイス」
「はい」
「は、はい」
カウンター越しにやりとりするアルバートと店員の会話に気押されることなく、ウィリアムはしっかりと返事をする。
ルイスも続いて返事をしたが、声は幾分か小さかった。
「この二人に合ったサイズのものを頂きたい」
「分かりました。お二人とも、手を見せていただいても宜しいですか?」
「お願いします」
「ど、どうぞ」
アルバートに言葉と視線で促され、ウィリアムとルイスはそれぞれ右手と左手を出す。
僅かにウィリアムの方が大きい手は、それでも揃って小さかった。
「…これはこれは、小さな手ですな。しかも、随分とまた頑張られている手だ」
「ぴったりのサイズは勿論、温かく動かしやすい手袋だと助かります」
「僕はともかく、弟の手に合う手袋は置いていますか?」
二人の、というよりもルイスの手を見た店員は僅かに表情を暗くしたけれど、嫌味のように出た言葉をアルバートとウィリアムが遮った。
貴族らしからぬその手は明らかに労働者のそれだ。
店にも商品にもそぐわない、と悪意に満ちたことを考えているのがよく分かる。
だがそれを一々訂正させても手間がかかる。
何より、無用なトラブルを起こして目的のものを手に入れられなければ本末転倒だ。
それでもこれ以上の暴言は許さないと、その表情で訴えるアルバートとウィリアムからの威圧感を受け取った店員は、気まずそうに視線を逸らしてから渋々もう一度ルイスの手へと目をやった。
白い手の甲と、細く白いはずの指先は真ん中まで薄赤く染まっている。
爪周りは荒れている様子が見て分かり、きっと指の平は一層痛々しいのだろう。
だから暖めてやりたいのだという兄達の気持ちを知ることのないまま、店員はつまらなそうにその手を見ていた。
しばらく無言の時間が続き、沈黙に耐えきれなかったルイスがぽつりと声を出す。
「…僕の手に合う手袋、ありませんか?」
僕の手が小さいからサイズがないのでしょうか。
そう落ち込んだ様子で言うルイスを励ますようにウィリアムがその手を握り、アルバートは垂れた目を釣り上げて店員を睨みつけた。
肩を跳ねらせた店員が慌てて「探してきます」と叫ぶように裏へと下がり、その様子に驚いたルイスはぽかんと誰もいなくなった目の前を見上げている。
「ルイスの手袋、探してきてくれるって。ぴったりのサイズがあると良いね」
「温かいと尚良いな。早く霜焼けを治さなくては」
優しく己に語りかける兄を見て、ルイスは今見たばかりの不思議な店員についてはひとまず忘れることにした。
早く手も体も大きくなればいいのにと考えながら待っていれば、先ほどの店員が慌てた様子で一つの手袋を持ってくる。
どうやらすぐに用意できる在庫がこの一つしかないらしい。
目の合わない店員に構わず、ルイスはその手袋に自分の小さな手を通す。
幸いなことに店員の目測はぴったりだったようで、指先も余らず全体的な緩さもなかった。
「ぴったりです」
「うん、これなら丁度良さそうだ。暖かさはどうだい?」
「すごく温かいと思います」
「ではこれにしようか。これと同じ種類の手袋を僕とこの子にも用意してもらえますか」
「はい、直ちに!」
用意された手袋はそのまま着用しながら帰ることにして、一番大きなものはアルバート、二番目に大きなものはウィリアム、今身につけている最も小さな手袋はルイスのものになった。
店内では気付きにくかったが、外に出た途端に手袋の有り難みがよくよく理解出来る。
「手袋って温かいんですね…!すごいです」
寒空の下なのによく動く指先に感動したルイスは馬車が来るまでの間、手袋を堪能するように小さな手を掲げていた。
(お揃いの手袋、嬉しいです。大事にしますね)
(ありがとうございます、アルバート兄さん。僕も大事にします)
(これからはきちんと温かくして出かけるようにね。それとルイス、帰ったらオイルを分けてあげるから指に塗るといい)
(オイル?なぜですか?)
(霜焼けも痛いだろうが、荒れているのも痛いだろう。オイルを馴染ませれば良くなるから)
(ルイス、僕がマッサージしてあげるよ)
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