『あい・らぶ・ゆー』


アルバート兄様の前でナチュラルにイチャつくウィルイス。
「月が綺麗ですね」がモチーフ。

貴族の間で奇妙な言葉遊びが流行していることはモリアーティ家の人間の耳にも入っていた。
何でも、異国から来た人間が見せていた奥床しい態度を揶揄しているうちに意味も分からず流行り出したらしい。
強欲で見栄を張ることにその身を賭けている貴族らしいことだと、モリアーティ家の面々はそう評価している。
一時の流行り廃りに呆れは覚えても、嘆くほど時間に余裕があるわけでもない。
社交界で囁かれるその「奥床しい言葉」に、アルバートを始めとした兄弟は皆冷ややかな目を向けるのだった。

「アルバート様、私は貴方にお会いするため生まれてきましたの」
「これはこれは…何とも情熱的なお言葉ですね」

自尊心の高い貴族が自ら愛を紡ぐことなど有り得ない。
愛を紡ぐなど下民のすること、言葉などなくともこの身一つでその愛を勝ち取ってみせる、というのがお貴族様の考えなのだ。
実際はその身ではなく、後ろにあるその家柄が全てを決定することに気付くことはないのだろう。
だが女性としての性分なのか、愛を紡ぎ紡がれることに密かな憧れを抱くものも少なくない。
近頃の御令嬢はいかに回りくどく、それでいて情緒のある言葉で愛を贈ることに情熱を燃やしているらしい。
目の前の彼女も恐らくは足りない知性をフルに駆使して、アルバートのために必死で趣深い愛の言葉を考えたのだろう。
異国の人間が申し伝えたそれは、いつの間にか女性だけでなく男性の間でも流行していた。

「はぁ…」
「随分とお疲れのようですね、兄様」
「ありがとうルイス。…うん、いい香りだ」
「まだ流行っているようですね、例の言葉遊び」
「あぁ。言いたいのであれば素直に伝えればいいものを、わざわざ難解な言葉を考えてくるのだから厄介だ。世の貴族はさぞ暇を持て余しているらしい」

社交界から帰宅したアルバートを出迎えたのは顔立ちのよく似た弟二人だった。
末のルイスが誘導するままソファに腰を下ろし、丁度飲みごろの温度をしたカップに口をつけてようやく人心地付いた気がする。
薔薇の甘い香りと仄かな甘さはアルバートの高ぶった気を優しく鎮めてくれた。
少し前、綺麗に咲きましたと報告に来てくれたときの薔薇を使っているのだろう。
後でフレットにも礼を言っておこうかと、アルバートはこくりとお茶を飲んで喉を鳴らした。

「それで兄さん、今日はどんな愛を受けたのですか?」
「あぁ、どうもセルゲイ家の令嬢は私に会うため生まれてきてくれたらしい。ご苦労なことだな」
「兄様に会うため…随分と傲慢な考えを持つお方のようですね」
「そう目くじらを立てるでないよ、ルイス。私はここを離れるつもりはない」

ティーポットを片手に近くで佇むルイスへ、アルバートは優雅に微笑んでは甘やかすように優しく囁いた。
いつまで経っても兄離れ出来ない末弟を否定するでもなくただ受け入れるその言葉は、ルイスだけでなくウィリアムをも安心させてくれる。
険しい表情をしていたルイスの顔は途端に穏やかな瞳と声に落ち着いた。
ルイスの世界はウィリアムとアルバートの二人で構成されているといっても過言ではない。

「まるでルイスに愛を贈っているようですね、兄さん」
「愛などという綺麗なものでないことくらい、おまえなら分かるだろうウィリアム。私とルイスはただおまえの所有物に過ぎないのだから」
「そんなことはありません。僕たちの計画を除いたとしても、アルバート兄さんは僕たちの兄さんなんですから」
「ならば嫉妬かい?珍しいな」

アルバートの向かいで同じく薔薇のハーブティーを飲んでいたウィリアムは、綺麗に瞳を細めて兄を見る。
愛しい弟と尊敬する兄の戯れは、嫉妬を覚えるよりもまずウィリアムの目を楽しませてくれた。
そもそもウィリアムにはこの二人の仲が懇意であることに嫉妬を覚える理由がない。
アルバートもルイスもそのことを理解しているし、その上でルイスだけがウィリアムの特別ということも伝えている。
本当ならばルイスには美しい英国で生き延びてほしかったのだが、今となっては三人ともが運命共同体だ。
悲願を達成した暁には、三人揃って命を絶つ覚悟も出来ている。
それほど絆を深めている間柄なのだから、この二人のうちどちらかに嫉妬を覚えるはずもない。
ウィリアムは傍で立っていたルイスを呼び寄せ隣に座らせて、彼専用のカップを手に取るよう促した。

「ふふ。愉快なことを言いますね、兄さん」
「伯爵としての務めとはいえ、こうも連日パーティー三昧となれば嫌でもユーモアは磨かれてしまうものだよ」
「伯爵としてだけでなく指揮官としてのお勤めもあるというのに…何かお役に立てることがありましたら何でも言ってください、兄様」
「ありがとう」

目の前のカップを手に取るよりも先にアルバートを気遣うルイスに、二人の兄は穏やかに微笑んでいた。
そうして、これ幸いとばかりにアルバートは一つの提案をする。

「では早速頼みがあるんだけれどいいかい?」
「勿論!」
「この言葉遊びに使う、難解な言葉で表す愛を一緒に考えてほしい」
「…それは、アルバート兄様が女性を口説くときに使用する言葉という意味でしょうか?」
「ただの言葉遊びだろうが、立場上いつまでも言葉を濁しておくにも限界があってね。どうせ言葉の裏を読むのは相手なのだから、勘違いさせておいても私に罪はないだろう」
「それはそうでしょうね。直接的な表現でないのならば、向こうが勝手に期待しているだけですから」
「なるほど…そういうことであれば」

アルバートの言葉に渋い顔をしていたルイスは二人の言葉を聞き、納得したように頷いてからようやくカップを手に取った。
少しばかり冷めたハーブティーはそれでも薔薇の香りが芳しく漂っている。
その香りを嗅ぎながら、ルイスはぼんやりと様々な恋愛めいた単語を思い浮かべた。
薔薇という色香漂う美しい花は愛を想像するにはぴったりの花だろう。
そもそも孤児であったルイスとしては、直接的な思いを伝える方がよほど性に合っている。
秘めた思いを消極的だというつもりはないが、感情を表現する方法があるのならばそちらの方が手間も少なくメリットも大きいだろう。
現にウィリアムは幼い頃からルイスへの感情を隠すことなく伝えてくれたし、ルイスも同じように返してきた。
生来の貴族であるアルバートも今では惜しみない言葉を与えてくれるし、所々の感謝の言葉すら欠かさない。
根本的な思考回路が貴族らしくないゆえの順応振りだろうが、だからこそ自尊心ゆえに言葉を紡がない、という貴族の考えはルイスにとって数年経っても理解出来なかった。
あまり情緒があるとも言えないルイスは手間をかけた言葉遊びには向かないのかもしれない。
大体、アルバートが遊びとはいえ誰かを口説くための言葉など、考えていて気分の良いものでもないのだから。
思考を巡らせていたルイスがそう結論付けていると、二人の兄はどう表現するのだろうかとふと興味が湧いた。
正面のアルバートを見ればカップを手に取って瞳を閉じており、ウィリアムを見れば真面目な顔で手元を見ながら思考をまとめているようである。
完璧ともいえるこの二人の兄は、一体どんな言葉に想いを隠すというのだろう。
ルイスは湧き出た好奇心を抑えるように、もう一度カップを手に取ってハーブティーを一口飲んだ。

「何か思いついたかい?ルイス」
「え?僕は…すみません、あまり思い浮かばなくて」
「そう難しく考えなくていいんじゃないかな。結局は相手にどう気持ちを伝えるのか考えればいいんだから」
「ですが兄さん、アルバート兄様が実際に紡ぐかもしれない言葉だと思うと中々思い浮かびません」
「おや、私が言うことを前提にしなくても構わないよ。ルイス、おまえはどんな言葉に想いを隠してウィリアムに伝えたい?」
「ウィリアム兄さんに、ですか?」
「あぁ。おまえからウィリアムへ言葉を贈るとしたらどんな言葉を贈る?」

アルバートの言葉を聞き、もう一度隣に座るウィリアムを見れば、普段通り綺麗に微笑んでいる姿が目に入る。
ウィリアムへの想いなど、過去から現在にかけてそれこそ数えきれないほど紡いできた。
すきも愛してるも誰より大事だとも伝えてきたのだから、今更それを隠すとなると難しい。
一体どんな言葉に想いを隠して伝えればいいのだろうか。
まとまらない思考のままじっと目の前の緋色を見ていると、その瞳に映る自分の姿と目が合った。
自分だけを見て受け止めてくれるウィリアムの存在に、今までどれだけ助けられたか分からない。
ルイスはどくりと高鳴った心臓を労わるように視線を下にずらした。

「ルイス?」

自分を呼ぶウィリアムの声と、くつくつと笑い始めたアルバートの声が耳に届いた。
二人の声に反応せず視線を固定していると、ウィリアムの右手が目に入る。
長い指と形の良い爪先は、念入りに手入れをしている女性にも引けを取らないくらいに整っていた。
筋張ったその手で自らの手を引かれた結果、ルイスは今この時間を過ごすことが出来ている。
胸が痛んだとき、呼吸が苦しくなったとき、お腹がすいて動けなくなったとき、目の前で誰かが殴られて心が荒んだとき。
いつだってルイスはこの手に支えられて生きてきた。
つらいときは勿論のこと、僅かばかりの嬉しいことを経験したときもこの手が頭を撫でてくれた。
ルイスにとってウィリアムの手は安心を与えてくれる魔法の手だ。
記憶のない頃からルイスをあやしてくれた優しいその手に、ルイスは今でも逆らえない。
それこそ、美しい英国を完成させて自ら命を落とすその瞬間まで、差し伸べられた優しい手を離したくないと思う。
そう思った瞬間、ルイスは目の前の手に自分の手を伸ばしていた。

「手…」
「手?手がどうかしたのかい?」
「…手を、繋いでいてもいいですか」
「…勿論」

ウィリアムの手に向けていた視線を上げて、もう一度その緋色をまっすぐと見る。
すきも愛してるも誰より大事だとも伝えてきた今、ルイスがその想いを隠して言葉を紡ぐならこれしかないと思った。
いつだって自分を守ってくれたこの手を離さずにいたい。
ルイスは繋いだ手と紡いだ言葉に在るだけの想いを込めて、ただ静かにウィリアムを見た。
そんな弟の想いに気付いたのか、繋がれた手に力を込めてウィリアムは答えを返す。
澄んだ瞳でウィリアムを見るルイスの顔は、手元から伝わる力強さに安堵した様子で綻んでいた。

「もう離さないよ、ルイス」

首を傾げてさらりと流れる前髪を気にせず、ウィリアムは丁寧に愛を伝えてくれた弟の想いを噛みしめる。
何もない世界で自分を必要としてくれた、たった一人の可愛い弟。
ウィリアムはルイスがいたから今の自分があると知っている。
生きる目的であり精神的な拠り所でもある彼は、ウィリアムにとって何より大事な存在だ。
握りしめた手の指を絡ませて、隙間なく密着させてはその肌を感じてルイスを想う。
ウィリアムの溢れんばかりの想いを乗せた微笑みはルイスだけでなく、アルバートの顔にも移っていった。

「おまえたちらしい言葉だね。実に情緒ある言葉選びだった」
「ありがとうございます、兄さん」
「兄様の社交界での参考になるでしょうか?」
「さぁどうだろう。ルイスとウィリアムの関係あってこその言葉だから、私には使えないだろうな」
「では他の言葉を考えましょう」
「いや、もう大丈夫だ。そもそも何とも思っていない人間に愛を紡ぐなど、適当に飾ったことを言っていればそれで十分すぎるほどだ。頭を使うほどのことでもない」
「確かに…兄さんならその場で上手く切り抜けられそうですね」
「今までは面倒で誤魔化していたが、そろそろ適当に返していくとしよう」
「適当でも兄様の言葉ならおつりがくるほどです。兄様の愛の言葉なんて僕たちにとっても貴重ですから」

ウィリアムと手を繋ぎながら、ルイスが息巻いて「そもそも兄様なら何を言うでもなくそこに居るだけで十分だというのに、何を贅沢なことを」と、どこぞの令嬢への不満をぼやいている。
それに同調するように苦笑したアルバートは、彼らだけの絆を持つ弟が名実ともに本当の弟になったあの日のことを思い返した。
きっとアルバートにとっての愛は、大切なものが増えたあの日に芽生えたのだろうと思う。
大事な弟たちとともに築く未来を視野に入れ、アルバートはすっかり冷めたハーブティーを飲みきった。


(結局兄様の奥床しい言葉がどんなものか分かりませんでしたね)
(もし兄さんが本気で考えたなら、きっと彼らしいロマンのある言葉なんだろう)
(そういえば、ウィリアム兄さんはどんな言葉を考えたのですか?)
(僕かい?)
(はい。先ほどは僕しか発表していませんでしたし、気になります)
(そうだね…ルイス)
(はい)
(少し目を閉じてくれるかな)
(…?はい)
(そのまま僕のことだけを考えて)
(…はい)
(君の視界を遮って尚ルイスの中に僕がいてくれるなら、これ以上の愛しさはきっと存在しない)
(…はい)
(ルイスが僕の指示に従ってくれることが、僕にとっての愛なんだろうね)
(そう、ですか)
(ルイスがいてくれて、本当に良かった)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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