人恋しい、兄恋しい


ウィリアムがルイスを寝かしつけてる。
穏やかに眠るウィルイスがだいすき。

何となく寝付けなくて、意味もなく左右交互に寝返りを打つ。
居心地の良い体勢を探しても思うように見つからず、腕を額に乗せて観念したようにルイスは瞳を開けた。
夜目の効いた視界には薄暗い天井が高く見える。
それでも視力の悪いルイスの目にはぼやけて見えており、要領を得ない一点を見つめて眠気が来ないかと期待するが、そんな都合のいいことはなかった。

「…何か飲もうかな」

諦めてベッドサイドに置いていた眼鏡を取り、ランプで照らした時計を見ればベッドに入ってから二時間も経った頃だった。
このまま眠れずに毛布に包まれているより、気分転換がてら動いた方が気が紛れて幾分か楽だろう。
ルイスはそう結論付けて、掛けてあったストールを肩に巻いて寝室のドアを開けた。

「カモミール、ジンジャー、ラベンダーにローズ…どれにしようか」

紅茶やコーヒーには神経を過敏にさせる作用があるから、寝る前に飲むのは向いていないんだ。
以前ウィリアムが何気なく言っていた言葉を思い返しながら、自らが調べた神経を静める安眠作用のあるハーブの瓶を並べてみる。
ウィリアムの言葉を鮮明に覚えているのは勿論、いざ彼が不眠に陥ったときの助けになれれば、という思いからだ。
実際には不眠を良しとして嬉々としながら夜を明かしてしまうため、あまり役に立ったことはない。
むしろ眠気覚ましにと紅茶を頼まれることの方がよほど多い。
ルイスは不摂生を良しとしてしまう兄に小さくため息を付いて、目に付いたカモミールが入った瓶を手に取った。
そうしてふと目に入ったのは、ランプの光に反射して輝く液体の入った瓶だった。

「…蜂蜜」

手に取ったカモミールを置いて蜂蜜の瓶を持ち、少しばかり傾けてとろりと揺れる液体を見る。
あまり甘味を効かせた飲み物は好まないが、蜂蜜を溶かしたミルクならば気を落ち着かせることが出来るだろう。
町の人に頂いたミルクの残りはあっただろうかと、ルイスは保存容器を開けてみる。
思っていた通り残りは少なかったが、丁度カップ一杯分程度には十分足りる量がある。
ルイスは手慣れた様子で棚から小さな鍋を出して、ミルクを入れて火にかけた。
その間に愛用しているカップに蜂蜜をスプーン二掬い分入れて、沸騰する直前まで温めたミルクを上から注いで蜂蜜を溶かす。
昔を思い出すようなほっとする香りが辺りに漂った。
ルイスはほのかに甘い香りのするホットミルクを手に持ち、ここで飲もうか部屋で飲もうか、深夜だというのに冴えている頭で考える。

「…寒い」

何の暖房器具も置いていない調理場は冷え込んでおり、ストールを巻いた肩とカップを持つ手元以外は薄ら寒い。
ルイスは両手でカップを持ち、暖を取りながら寝室で温まろうとランプを腕にかけて足を進めた。
せっかく用意したホットミルクが冷めないうちに足早に部屋へと向かえば、ルイスの寝室の奥にあるウィリアムの書斎から灯りが漏れているのに気付く。
出るときには周りを見ずにすぐ調理場に向かっていたから気付かなかった。
ルイスはまたも小さくため息をついて、見つけてしまったからには注意しなければ、と足音を立てずに書斎まで足を延ばす。

「兄さん、ウィリアム兄さん」
「…ルイス?どうぞ」
「失礼します」

返事を聞いてから静かに扉を開ければ、薄明かりの中で大判の書物を膝に乗せているウィリアムと目が合った。
随分と分厚い本だが、開いているページから察するにもうすぐ読み終えるだろう。
だが机に積まれた数冊の本を見るに、全て今晩中に読み切るつもりなのは明白だった。

「もう夜も遅いですが、まだかかりそうですか?」
「そうだね。せっかくだから今夜中に読み終えてしまおうかと思ってるんだ」
「そうですか…あまり無理はしないでくださいね」

ルイスの読み通りの返事がウィリアムの口から出てくる。
知識を得ることはこの兄にとって糧ともいうべき行為なのだから咎めるつもりはないし、いくら説得しても無駄なのはよく理解している。
それでもその体に障ることがないようにと願うのは仕方ないことだろう。
せめて冷えることのないようにと、ルイスは持っていたカップを机に置いて肩にかけていたストールを兄の肩にかけた。

「今夜は冷えます。体調を崩してしまっては元も子もないでしょう」
「ありがとうルイス。ところでこんな時間にどうしたんだい?普段なら寝ている時間だろう」
「少々寝付きが悪くて、何か温かいものでも飲もうとホットミルクを作っていました」
「そう…」

触れた肩が少しばかり冷えていたことに眉を顰めるが、かけたストールは柔らかい毛糸を幾本も編み込んで作られた上質なものだからすぐに温かくなるだろう。
ルイスの言葉を聞いて何か思い当たることがあったようにウィリアムは表情を変えたが、ルイスはそれに気付かない。
せっかくだからと用意したホットミルクを兄に譲ろうとすれば、彼は笑顔でルイスの名前を呼んだ。

「ルイス、おいで」
「え?」
「眠気が来るまでここにいると良い。おいで、ルイス」
「は、はぁ…」

ウィリアムの邪魔をしないようすぐに書斎を出るつもりだったルイスは、兄の言葉に首を傾げて手を伸ばした。
いつの間にか膝の上に置かれていた書物は机の上に移動しており、伸ばした手はウィリアムに引かれてそのまま膝の上に座ることになる。
疑問を浮かべたままルイスがウィリアムを見下ろせば、冷えた首筋に温かい吐息が触れてきた。

「冷えてる。あまり体を冷やすと眠気は来ないよ」
「え、えぇ。だから飲み物を用意してすぐベッドに戻るつもりでした」
「毛布も冷えているだろうし、このまま僕が温めてあげるからここにいなさい」
「…ありがとうございます」

ウィリアムが喋る度にくすぐったい吐息がルイスの首筋にかかる。
じんわりとしたその温かさに、ルイスは思っていた以上に自分の体が冷えていたことを知った。
のんびりホットミルクを作っていたわけではなかったが、元来自分の体は冷えやすい。
そのことを改めて自覚しながら、抱きしめる腕の温かさにようやく人心地付くような気がした。
読書の邪魔をしたくはないが、温かい兄の腕を振り払うのはどうにも惜しい。
どうしたものかとルイスが思案していると、ウィリアムが後ろを向くよう指示したためひとまず大人しくその言葉に従う。
そうしてウィリアムの足の間に腰を下ろして後ろから覆いかぶさるように抱きしめられれば、この場を抜け出す気などなくなってしまった。

「…温かいですね、兄さんは」
「そうかな、ありがとう」
「ふふ、それは僕の言葉ですよ」

居心地の良い居場所に柔らかい声を出すルイスは、自分の背もたれになっているウィリアムへ安心したように体重をかけた。
部屋に戻って休むことは諦めて、兄の言うまま眠気が来るまで書斎に籠るのも良いだろう。
喉でも鳴らしそうなほど機嫌のいい弟の姿を見て、ウィリアムは腕を伸ばして机の上に置かれていたカップを取った。
まだ温かい湯気を立てているホットミルクは優しい香りを纏っている。

「懐かしいね。小さい頃はよく二人で飲んでいたから」
「あの頃は蜂蜜なんて手に入らなくて、ただ温めただけでしたけどね」
「飲まないのかい?せっかく淹れてきたんだろう」
「兄さんが飲んでください。僕はもう温かいので大丈夫です」
「…ルイスがそう言うなら貰おうかな」
「甘めに仕上げてあるので、疲れた頭にもいいかと思います」

こくり、とすぐ近くでミルクを飲みこむ音がする。
続けて、うん美味しい、と優しい声が聞こえてきただけでルイスはもう満足だ。
ウィリアムは二口、三口と飲んだところで半分ほどに減ったホットミルクのカップを机に戻し、先ほどまで読んでいた書物を手に取った。
それをルイスの膝の上に置き、読み進めていたページを探るためぱらぱらと捲りはじめる。
ところどころに見られる写真にはいくつか目にしたことがある絵画の類が写されていた。

「美術史の本ですか?」
「あぁ。芸術家と呼ばれる人間の思想は中々興味深くて、読み進めていたらこんな時間になっていたんだ」
「この絵、以前出席した社交界で見かけた覚えがあります」
「あの家のものは贋作だろうね、細部が所々違う」
「へぇ」

丁寧に解説をして本を読み進めるウィリアムと、それを熱心に聞いているルイスは昔と何ら変わりない様子である。
拾った本を読み聞かせたり、読んだ本の内容を楽しげに話してくれるウィリアムがルイスは昔からすきだった。
ウィリアムも元々の性分として教え導くことが身に付いていたし、自分の知識をルイスに教え込むのがすきだった。
今も昔も変わらない習慣が二人の気持ちを穏やかなものにさせてくれるのだ。
時折ルイスが質問をして、それにウィリアムが答えながら至極のんびりと本は読み進められる。
それをしばらく繰り返していると、段々とルイスの反応が乏しくなってきた。
船を漕ぐように頭が上下し、ウィリアムが静かに見守っているとついに俯いたまま小さな寝息が聞こえてくる。
ふわりと流れるルイスの髪を見下ろして、ウィリアムはその髪にそっとキスを落とした。

「…おやすみ、ルイス」

俯いたままでは首を痛めてしまうからと、優しく顎に手を添えて持ち上げた。
自分の肩に弟の頭を乗せて、落ちてしまわないように自らの首元へ寄せてみれば、無防備な寝顔が目に入る。
ウィリアムは自分の腕の中で安心しきったように寝ているルイスを見て満足気に微笑んだ。

「昔から君は変わらないね」

ルイスの寝付きが悪いときは決まって人恋しいときだと、ウィリアムは知っている。
孤児だった頃やモリアーティ家に拾われて部屋を共にしていた頃、ルイスの寝付きが悪かったことなど一度もない。
成長するにつれて部屋を分けることになってから、極々たまに寝付きの悪い日が出てくるようになったのだ。
それを知ったウィリアムが、どうせ眠れないなら本でも読んであげる、と一緒に過ごしていると、決まってルイスはすぐに寝入ってしまう。
最初は偶然かと思っていたが、何度試してもルイスはウィリアムかアルバートが傍にいるならば眠れないことなどなかったのだ。
きっとほとんど無意識に、自分ではない誰かの気配を求めて寝付けないのだろう。
だが他人の気配には敏感で、信用できない人間が隣の部屋にいるだけでも気を張って睡眠が浅くなるルイスのことだから、傍にいるのが二人の兄以外では意味がない。
ルイス本人は気にも止めていないし、数日も我慢すれば眠れるようになるのだから気付いてすらいないはずだ。
だが可愛い弟がウィリアムかアルバートを無意識に求めていると知りながら、敢えて無視するなど兄として適切な方法ではないだろう。
人恋しい、というよりも兄恋しい、と表現した方が的確かもしれない。
不器用な甘え方だなと、アルバートが愉快そうに言っていた言葉の通りだとウィリアムは思う。
昔から弟は不器用で甘え方を知らない子だと、だからこそ愛おしいと思うのだ。

「せっかくだし、僕も少し休もうかな」

ウィリアムは小さく独り呟いてから少しだけ背を浮かせ、肩にかけていたストールをルイスの胸と自分の腕にかけた。
そうして居心地の良い場所に腰を落ち着けてから、ルイスの頭を支えに凭れ掛かって目を閉じる。
今夜は眠るつもりなどなかったが、温かいルイスの体と馴染みのある香りに思いのほか良く眠れそうだと、喜んで意識を落としていった。


(…ん、まぶしい…)
(おはよう、ルイス)
(え、兄さん?どうして…)
(うん)
(あ、…す、すみません、せっかく説明してくれていたのに寝てしまったみたいで)
(いいんだよ。寝付けなくてうろうろしてたんだし、眠れて良かったじゃないか)
(それはそうですが…起こしてくれてよかったのに)
(気持ちよさそうに寝ていたからどうにも起こせなくてね。おかげで僕も温かく過ごせたから助かったよ。ありがとう、ルイス)
(いえ、こちらこそありがとうございます、兄さん)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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