可愛いは正義
ルイス可愛い談義をするウィリアムとアルバート兄様。
兄さん兄様が割とあほの人。
可愛いは正義だという格言があるらしい。
らしい、というのはどこかの文献に載っているわけではなく、伝え聞いた話に過ぎない眉唾物に等しいからだ。
私情に満ちている文面からも信憑性が薄いことはよく分かる。
可愛いの定義など曖昧にも程があるし、それを正義だと認めてしまったらそこら中に正義と名の付く何かが散在してしまうことだろう。
だがそれでも、この言葉は間違いなく正しいと判断せざるを得ない。
モリアーティ家の長男と次男はそう確信してしまっていた。
「お帰りなさい、兄様、兄さん。帰りが一緒だったんですね」
「ただいま、ルイス」
「フレッドと一緒に庭木の手入れをしているのかい?ご苦労様」
「いえ…お帰りなさい、お二人とも」
屋敷に向かう馬車の中、道を歩いているウィリアムを拾ったアルバートはともに連れ立って末弟の待つ場所に帰ってきた。
普段は屋敷内の執務を担っている彼が、土で汚れた前掛けをしてフレッドとともに見事な花達を手入れしている。
手が空いたのか何か他に目的があるのかは知らないが、どうやらフレッドの仕事を手伝っているらしい。
美しく咲いた花に囲まれたルイスとフレッドは太陽の光も相まって眩しく見えた。
年も近くあまり口数の多い方ではないこの二人、重視しているポイントが違うだけで似た者同士だとウィリアムは評価している。
譲れない部分を互いに理解し合えば良い関係を築けるだろうと考えていたが、ウィリアムの思惑通り中々良い関係になっているらしい。
仲間同士の関係が良好というのは核を担う役割である立場としても安心出来る。
アルバートに続いてウィリアムも二人の仕事を労い、玄関先へ向けていた足を庭に向けて歩き出した。
「綺麗に咲いているね」
「あぁ、見事なものだな」
「そうでしょう?日頃からフレッドが頑張ってくれているおかげです」
「…そんなことないです」
「水をやって片付けを終えたらすぐにお茶を用意しますので、お二人は屋敷の中でお待ちください」
「ありがとう。急がなくていいよ、ゆっくりね」
「はい」
後で屋敷の中に飾るのであろう小ぶりで白い花を手に持っているルイス。
そんなルイスが認めた仕事ぶりをこなすフレッド。
モリアーティ家が誇る堅実で真面目な仕事をする二人は、同士の中でも年若い方だというのに落ち着いている。
まだまだ未熟なところはあるが、それでも信頼に足りる人物だった。
風に揺れる花を持ちながら嬉しそうに瞳を甘くして見送る末弟を、長男と次男は微笑ましく思いながら屋敷の中に入っていく。
その後ろ姿を見届けてから、ルイスとフレッドは手入れに使っていた道具を片付け始めた。
「…よく似合っていましたね」
「あぁ。清廉な空気を持つルイスには白がよく似合う」
愛用しているソファに腰掛け、ウィリアムとアルバートは互いに視線を交わさず会話を始める。
顔を見ずとも脳裏には同じことを思い浮かべているという確信があるのだから、今更視線を交わす必要などないのだ。
「誰かを手にかけて尚、あれだけ純粋な表情が出来て穢れのない白が似合うなんて…」
「我が弟ながら恐ろしいな」
「えぇ、本当に」
普段は穏やかに、そして優雅に微笑んでいるモリアーティ家の長男と次男は、滅多に見せない真剣な表情を浮かべて顔を上げた。
余裕を感じさせる雰囲気すら今は存在しない。
二人の脳裏に浮かぶのは、咲いたばかりの小さな白い花を抱いて兄の帰宅を喜ぶルイスの姿だけだった。
「ルイスだけでも十分に可愛いのに、小ぶりで真っ白い花とセットになってしまうともう可愛さが止まることを忘れてしまったようです、困る」
「同感だ。ただ普通に出迎えてくれるだけで満たされるというのに、可憐な花と一緒に出迎えられてはもうどうしようもない」
「毎日毎日あの顔を見て過ごしているというのに、一向に慣れる気配がない。瞬間ごとに新鮮な気持ちでルイスを可愛いと思ってしまう自分がいるんです」
「そうか。奇遇だな、ウィリアム。私も同じだよ」
「生まれたときから一緒にいて可愛いことなんて分かりきっているのに、昨日より今日のルイスの方が明らかに可愛く見えて仕方ないんです。いつになったら慣れるというんでしょう、兄さん」
「私に聞かれても困る。ルイスが生まれてから二十三年、ずっと傍にいるおまえがそうなのであれば、まだ十数年しかともにいない私の方が慣れていないのは道理だろう。一体どうすればルイスに慣れるというんだ」
「分かりません…ルイスが可愛いことなんて、この世に彼が生まれ落ちたときから分かりきっているというのに…!」
ウィリアムはついに額に手を当てて呻くように声を出した。
それを見てアルバートは同意を返すように深いため息を付いて腕を組んだ。
脳裏に過ぎるのはやはり互いの弟の顔である。
「顔が可愛いのはもうどうしようもないことなんです。ルイスの顔が可愛いのは事実ですから。そうだというのに、その顔に見合った表情や仕草をされてはいつまで経っても可愛さに慣れることが出来ない」
「会うたび嬉しそうに表情を変えられてはどうしても心を擽られる」
「何かある度に澄ました表情を甘くされては慣れるどころの話じゃありません」
「ただ傍にいるだけでどうしようもなく可愛い」
「えぇ、何もせずそこに存在しているだけでルイスは可愛い」
向かい合ったソファに座り、机を挟みながらモリアーティ家の長男と次男は末弟について会話を続ける。
可愛いが正義だというのなら、ウィリアムとアルバートにとっての正義は間違いなくルイスだろう。
ルイス以上の正義は存在し得ないし、ウィリアムに至ってはルイスのために不平等な英国社会を正そうとまでしている。
可愛い弟に似合うのは美しい英国以外にありえない。
そんな弟至上のウィリアムの目的を、アルバートは我が事のようによく理解してくれた。
詰まるところ、二人は似た者同士なのである。
「日々そんなに可愛くなるのかという疑問は愚か、一体どこまで可愛くなっていくんだという恐怖すら感じます」
「あぁ…何をされても許せるのに、完璧な仕事しか見せないから余計に愛しさが増す。もう少し気を抜いてもいいが、あそこまで非の打ちどころがないとなるともうどうにも出来ない。何故ルイスはあんなにも健気で可愛いんだろうか、不思議でならない」
「モランやフレッドの前ではあれだけ凛として気を張りながら過ごしているのに、僕や兄さんがいると途端に顔に可愛さが増す…僕らしかいない場所になったときの様子はもう手に負えません、可愛いの過剰摂取でしかない」
「少しくらい可愛くない部分や瞬間があるかと思いきや、もはや何を見てもルイスだと思うと全てが愛おしく可愛くしか映らない。抜け落ちた髪の毛すら可愛い」
「重症ですね」
「おまえには言われたくないな」
重厚な響きで言い切ったアルバートの声に顔を上げてさぞ重病だと伝えてみても、返される通りウィリアムの方がよほど重症なのは間違いない。
何せルイスと過ごした時間はアルバートよりも倍ほど長い。
日頃の行動を顧みても、酷く拗らせているのはウィリアムに相違ないだろう。
ルイスであるならば彼を構成するパーツは全て可愛いものだし、驚くなかれ、可愛くないと思った瞬間が二十三年間一度もなかった。
いつも全力でウィリアムが持つ可愛いという心の部分を刺激してくるのがルイスである。
おかげでウィリアムがルイス以外のものを可愛いと思うことはないし、世間一般の愛くるしいものに対しての認識が恐ろしいほどに厳しかった。
社交界に参加する令嬢はさぞ気の毒なことだろう。
「そもそもウィル、おまえがルイスをああなるよう育ててきたんだろう。おまえの責任じゃないのか?」
「そ、それは…」
アルバートの最もな指摘に、ウィリアムは珍しく言葉を濁らせ狼狽えた。
父と母に捨てられた自分達にとって、互いが唯一の家族であり支えに他ならない。
弱々しく泣いている弟を見て、自分の後を見つめ追いかけようとしてくれて、自分のことを「にいに」と呼んでくれて、そうして初めて笑いかけてくれたときの感動はウィリアムにしか理解できないだろう。
血の繋がった弟は守るべき対象だという感覚はこの英国において常識ではないし、ウィリアムも事実そうだったに違いない。
だが構ってもらえない母の愛情を奪う存在であるはずの弟が、いつしかウィリアムの支えになっていたのだ。
小さな弟の愛らしいその表情と仕草に、荒んでいたウィリアムの心はとても癒された。
誰からも与えられることのなかった愛情をルイスからもらい、同じだけのものを返してともに生きたいと、そう思った。
この無邪気で純粋な弟は絶対にこの手で守ってみせると、ウィリアムは幼いながらに決心したものである。
父でもなく母でもなく、自分を兄と認識して縋ってくれるルイスだけがウィリアムの唯一だった。
だから父と母からルイスを庇い、守りながら生きていくことは当然だったし、気付いたときにはルイスと二人だけで生きていた。
自分だけを慕ってくれる、世界で一番大切な弟。
その彼を可愛いと思わないはずがないし、事実その顔も中身も可愛いとしか表現できない。
ルイスがそうなるようウィリアムが育ててきたのだと聞かれればその通りだった。
自分だけを慕うよう、家族に甘える子ども心を上手く利用して依存的に在るよう教え込んできた。
だがまさかそれが、ここまで彼の可愛さを助長するとはウィリアムも思っていなかったのだ。
万人に可愛さを押し付けるのではなく、気を許したウィリアムとアルバートにだけ溢れんばかりの可愛さを見せつける存在になるとは想像もしていなかった。
計算が違ったといえばそれまでだし、単純にウィリアムの想像の範疇を軽々超えてしまったルイスのポテンシャルが凄まじいのかもしれない。
今となってはどちらが正しいのかもどうでもいいことだった。
「…幼い頃のルイスは子どもらしくなく甘えることが苦手で、でも状況が状況だったのでそのまま我慢を強いてきました。成長するにつれて感情を露わにすることも増えたのですが、精々その程度だと思っていたんです。まさか綺麗に成長した今になっても可愛いが収まらないなんて想定外でした…それに自分が一切慣れていないことも完全に想定外です」
「…そうか。おまえも間違うことがあるんだな」
「お恥ずかしいことに、その通りです」
深く深く息をついたウィリアムは、自分を見ているアルバートに構わずそろそろやってくるであろう弟を想う。
毎秒可愛さを更新している記録的な弟は、きっと次の瞬間もウィリアムの中の可愛いランキングを軽々と更新していくのだろう。
昨日よりも今日、今日よりも明日、明日よりも未来。
絶えず先を見据えてウィリアムとアルバートを狙い撃ちにしながら日々可愛くなるルイスに、そのような自覚はないのだろう。
その無自覚さがまた可愛いのだと、もうどうしようもない思考回路でウィリアムは覚悟を決めて顔を上げた。
可愛いは正義。
ならばルイスはウィリアムにとって唯一無二の正義であり、その正義を守るためには早くこの英国を正さなければならないのだ。
そう覚悟を決めたはいいものの、扉からルイスが切り分けられた白い花束を持って入る姿を見た瞬間。
やはり花とルイスのコンビは反側だろう、とソファに凭れて天を仰ぐのだった。
(あれだけ可愛いを更新し続けているというのに、過去のルイスを思い浮かべてもそれはそれで可愛いんですよね)
(あぁ。過去のルイスが今に劣っているわけではない。一体どういうことなのか我ながら理解出来ないが、とにかく今も昔も関係なくルイスは可愛い)
(その通りです。ルイスに時間の概念は関係なく、常にただただ可愛い。一体どういうことなのか僕にも理解出来ませんが、真理とはそういうものなのでしょう)
(なるほど、真理か)
(可愛いは正義。ならばルイスは正義に他ならないでしょう、真理そのものです)
(さすがウィリアムだな。いや、ルイスこそさすがというべきか)
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