ウィリアム兄さん成りすまし作戦
32話でルイスがお茶会の最中に登場しなかった理由。
ルイスに対して過保護な兄さん兄様こそ至上。
外では雨が降り注ぎ、雷鳴が轟々と鳴り響いている。
だがそんな轟音をものともせず、モリアーティ家では住人全員が揃い週末に執り行われるティーパーティについての会議を続けていた。
アルバートによりのらりくらりと躱されてきた、持ち回りによる貴族同士での茶会。
それがついに躱しきれなくなったのは先日のことだった。
ならばとせめて期間をおいての開催を提案するも、気が逸った貴族にその提案は却下され、なんと今週末の開催を強行されてしまったのだ。
あのときのことを思うとアルバートの頭は痛くなるが、面倒なことは早くに済ませてしまった方が良いのも事実だと気を持ち直す。
視界に入れるのは左右に位置する驚くほどよく似た綺麗な弟達である。
「当日は監視の目を休ませるわけにはいきませんね」
「はい。ですがアルバート兄様とウィリアム兄さんの身の安全も第一に考えなければなりません」
「ありがとう、ルイス。でも大丈夫だよ」
モリアーティ家の屋敷で実施されるティーパーティともなれば、見目麗しい当主と次男目当てに相当数の貴婦人がやってくるのは想像に容易い。
誰が流したのかも分からないが、使用人含め屋敷に住まう全ての人間の容姿が整っていると巷で噂されているモリアーティ家は、彼女らにとってまさに禁断の楽園だ。
この機会を逃すまいと息巻いてやってくる貴婦人たちの顔が目に浮かぶ。
かつて社交界で目にした女性の顔を何人か思い浮かべ、アルバートは諦めたように息を吐いた。
若くして数学教授に就いているウィリアムは勿論、日頃表に出ようとしない使用人然としたルイスに妙な虫がついてしまっては困るのだ。
幸いルイスは「元孤児の傷物の三男」として周知されており、よほどのことがなければ肩書ゆえに彼女らの目には留まらないだろう。
ルイス本人に相手をさせなければその整った容姿に気付かれることもないはずだ。
下手に相手をさせて、頬に目立つ傷がありながらも美しい顔をしていると勘付かれては困る。
淑女とは名ばかりの飢えた貴婦人の毒牙に可愛い末弟を差し出すようなもので、それだけは絶対に避けなければならない。
結婚の目的がなくともつまみ食いされるくらいのことは十分に想像出来てしまう。
ウィリアムは顔が知れていて避けられないにしても、ルイスは表に出さなければそれでアルバートの懸念は一つ晴れる。
そう考えていたところ、当のルイスから一つの申し出があった。
「アルバート兄様、ウィリアム兄さん。僕に一つ提案があります」
「何だい?」
「少し時間を頂いても良いでしょうか?一時間ほどで戻ってきますので」
「あぁ、いいよ」
「ありがとうございます。フレッド、ボンドさん、一緒に来てくださいますか?」
ルイスに声をかけられた二人は目を見開くが、何か策があるのだろうと特に問いかけることなくルイスに続いて部屋を出て行った。
残るのはアルバートとウィリアム、モラン、ジャックである。
人数の減った空間、アルバートはソファに腰をかけてジャックにも楽にするよう視線だけで合図した。
「しかし、提案とは何のことだろうな。モラン、おまえは聞いてないのか?」
「知らねぇな。俺よりおまえらの方が知ってんじゃねぇのか?アルバート、ウィリアム」
「いや、特に思い当たることはない」
「ルイスのことだからおかしな提案はしないんじゃないかな」
あまり意見をすることも提案することも少ない弟の、珍しい行動と言動に新鮮な気持ちでウィリアムは扉の方へ目を向けた。
何やら自信ありげにフレッドとボンドを連れていったのだから、きっと相応の策が彼にはあるのだろう。
さてどんな作戦を持ってくるのか、ウィリアムとしては楽しみで仕方ない。
どんな形であれ計画に組み込んであげようかと思うくらいには微笑ましく思っていた。
そう、思っていたのが一時間前である。
今のウィリアム、ついでに言えばアルバートの機嫌は中々いい具合に下降していた。
「待たせたね、みんな」
ルイスが出て行ってきっちり一時間経過した頃、広間に入ってきたのは鮮やかな金髪と紅い瞳を持つ柔和な笑顔を浮かべた一人の青年だった。
特徴だけで言うならこの屋敷には当てはまる人物が二人いるし、そのうち一人は既にソファに腰掛けている。
そうなると残るは当然、出て行ったはずのルイス以外にこの特徴を持つ者はいないのだが、問題はその顔だった。
基本的にウィリアムとルイスはよく似ているが、今入ってきた人物はウィリアムと似ているどころか全く同じ顔をしている。
髪や瞳の色の違いなど気にならないくらいにはそっくり同じだった。
「ウィリアムっ…!?って、おまえ、ルイスか!?」
「ふふ、良い反応だね、モラン」
「ほぅ、これは凄いな。元々よく似ていたが、似せようと思えばここまで似るのか」
「先生の目から見てもそう言っていただけるなら安心ですね」
ふわりと靡く髪をそのままに、ウィリアムの顔をした彼は颯爽と歩いてアルバートの隣にある一人掛け用のソファに腰掛けた。
口調は愚か、その仕草と表情は正しくウィリアムそのものだ。
「そういやおまえ、いつだったか傷を消して反対側に付けてたことあったな」
「元々化粧で隠すくらいのことは出来たからね。フレッドとボンドの力を借りれば本物に近づけられると思ったんだ」
「なるほどな。ウィルとルイなら顔だけじゃなく体格も似ているし声も似ている。当日はルイ、おまえがウィルに成りすまして婦人らの相手をするということか?」
「えぇ。これなら本物に危害が及ぶこともないし、良い案でしょう?」
ウィリアムとルイスは実の兄弟ゆえ元より似た顔立ちだし、体格にもほとんど差がない。
目立つ頬の傷は持ち前の技術を駆使し、更にフレッドとボンドの力を借りて近くで見ても分からないほど巧妙に隠してみせた。
多少色味の違う瞳はそのままだが、穏やかな笑みを浮かべていればよほどのことがない限り瞳の色と大きさが違うことには気付かれないだろう。
髪質の違いは整髪料で誤魔化して、手先の器用なボンドの手によりウィリアムと同じ髪型にしてもらった。
今は前髪を下ろしていて多少長さに違和感があるけれど、当日はおそらく髪を上げてセットすることを考えればこれで十分だろう。
いざとなればより本物に近づくため人工毛を使用したウィッグでも付ければいい。
そうしてフレッドとボンドの力を借りてウィリアムになりきったルイスは、驚き感嘆するモランとレンフィールドに向けて兄譲りの笑みを見せた。
本物に比べると幾分か威圧感が足りない気もするが、その方が婦人受けは良いだろう。
「凄いね、ルイス君。まるで本物のウィル君みたいに振舞ってるよ」
「変装させるときに言ってた、自信があるという言葉は本当だったみたいですね」
「さすが兄弟、お互いの癖も仕草もお手の物ってわけか」
「…少し悔しいですね」
「…同感」
フレッドもボンドも、己の変装技術には抜群の自信を持っている。
それでも誰か特定の人物そっくりに成りすますというのは難しいし、特別に神経を使うことでもあるのだ。
ルイスが変装できるのはウィリアムだけだし、総合的に見ればフレッドとボンドに軍配が上がるのは間違いない。
だが、ウィリアムに変装することに関して言えばルイスの右に出る者はいないだろう。
フレッドとボンドの技術を持ってしても絶対に敵うことはないし、素直に負けを認めるほかない。
すぐ近くに腰を下ろしているウィリアムの顔をしたルイスと、その向かいにいる本物のウィリアムを交互に見て、変装術に長けた二人は僅かばかりの嫉妬を覚えた。
「なぁルイス、おまえちょっとウィリアムの隣に行ってみろよ」
「あぁ、いいよ」
「わぁ凄いね、まるで双子みたいだ」
「これはワシらの目でも見抜けるか怪しいレベルだな。貴族の目くらい簡単に誤魔化せるだろう」
「凄いですね、ルイスさん」
モランの言葉通り、ルイスはウィリアムの座るソファに足を向けてその傍らに立つ。
隣に並んでもよく似ている二人のウィリアムは、片方がルイスだと言われても半ば信じ切るのは難しいだろう。
そのあまりの完成度の高さに、先ほど嫉妬を覚えたフレッドとボンドは俄然誇らしくもなった。
今のルイスは二人による完璧な自信作でもあるのだから。
「あれ?ウィル君もアル君も反応が薄いね」
「どこか気になる部分でもあるのでしょうか?」
「兄さん?兄様?」
ルイス一人の企みが三人の企みとなり、モランとジャックの賞賛も貰えた今、ルイスの考えた「ウィリアム兄さん成りすまし作戦」の実施は決定事項だろう。
壮大な計画の中心でもあるウィリアムに危害が及ぶ可能性がある以上、それを看過できる程ルイスは兄離れできていないし、他の仲間も万一のことを考えるとルイスの作戦には同意するはずだ。
ウィリアムは計画の要、なくてはならない存在なのだ。
当日はアルバートとウィリアムに扮したルイスが婦人の相手をして、ウィリアムは地下に籠って状況を確認していればそれでいい。
そう考えていたルイスだが、せっかくの自信作ともいえる変装に対して兄二人の反応が全くないことにようやく気が付いた。
それどころか二人から醸し出される空気があまり良くないことにも気が付いて、何か不都合があるだろうかと咄嗟に眉を寄せる。
「どうされましたか、お二人とも」
「…マスクではないね、あくまでも化粧と表情を工夫しているだけか」
「え、えぇ。元々似ているのだから下手に弄るよりもこの方がナチュラルだと、フレッドとボンドさんに言われましたので」
「なるほど…」
ウィリアムがソファから腰を上げ、己に扮した弟と向かい合うように立ち上がる。
二人以外からすれば同じ顔をした人間が向き合う不思議な光景で、ウィリアムからすれば自分と同じ顔をした人間が目の前にいる不気味な光景だった。
先ほど、ルイスではない顔で「兄さん」と呼ばれた違和感といったら表現できるものではなかった。
それはアルバートも同様で、例えルイスがどんな姿になろうと大事な弟であることに変わりはないし、これだけ似せた変装もその技術と労力を考えれば労うべきものだろう。
だが、ウィリアムの姿をしたルイスが婦人を相手にする、というのはいかがだろうか。
紅い瞳をアルバートに向け、二人の兄は静かにアイコンタクトで意思を交わした。
「兄さん、どう思います?」
「却下だな」
「僕も同感です」
「え、え?」
ウィリアムとアルバートが交わした言葉の中で、ルイスは己の提案が不採用になったことを知る。
絶対に採用される自信があったのだからその衝撃は計り知れない。
動揺のあまり完璧に乗せていたウィリアムと同じ笑みを崩し、普段通り自分らしい表情を浮かべてしまった。
ウィリアム本人は動揺など決して見せないし、悟られることもない。
「な、何故ですか?この変装、似ていないでしょうか?」
「いやそっくりだよ。凄いね、フレッドとボンドの力を借りたとはいえさすがルイスだ」
「よく似ている。慣れない人間が見たらウィルにしか見えないだろうな」
「ではどうして…もしや、当日僕が何か下手を打つと心配しているのですか?ご安心ください。ウィリアム兄さんの顔に泥を塗るような真似はせず、完璧に演じてみせます。アルバート兄様のサポートにも上手く立ち回れる自信があります」
「いや、そこは別に心配していないよ」
「とにかく却下だ。ルイス、おまえには当日の会の進行管理をお願いしたい」
「な、何故…!」
納得できません、と食い下がるルイス、いや外見はウィリアムを見て、使用人の立場である仲間たちは面白そうに眺めていた。
この先どれだけ過ごしていても、アルバート&ウィリアム対ルイス(見た目はウィリアム)という構図を見ることはないだろう。
口調を元に戻したため、ウィリアムに扮するルイスに違和感が出てきたのも面白かった。
「ルイスが僕の振りをするとなると、本物のルイスがいなくなってしまう。それはどうするつもりだい?」
「三男がいなくとも気にする人間はいないでしょう。どちらにせよ僕はメインで貴族を相手にすることはありませんし、それならば兄さんの代わりになった方が有意義です」
「ルイス、おまえに興奮した婦人をやり過ごすことが出来るのか?」
「…出来ます。自信があります」
「だが万一何かあっては大変だろう。この案は採用できない」
「兄さんに何かあったときの方が問題です!」
「僕は自分の身は自分で守れるよ。ルイスに案じられることでもない」
「…では、僕も進行管理ではなく伯爵家三男として、兄さんたちのお傍にいて貴族の相手をします!それなら良いでしょう?」
「「却下」」
「…!」
ウィリアムとアルバートの言い分の中には、公の場に慣れていないルイスを出して何かあっては困る、という兄特有の過保護さから来ている。
傷のある三男を見た女がどんな誹謗中傷を投げかけるか分からないし、もしその傷を見て尚美しい容姿に気付かれてしまっても厄介だ。
きっとルイスならば完璧にウィリアムに成りすまし、婦人の相手をすることくらい雑作もないだろう。
雑作もないだろうから、彼女らによる相応の接触は許してしまうに違いない。
そんなことがあっては困るのだ。
モリアーティ伯爵家の末弟は、アルバートとウィリアムにとって公には出したくない秘めたる可愛い存在である。
見せびらかすような迂闊な真似はしないし、許した人間以外に接触することも許せない。
元々ルイスには茶会の出迎え程度でしか顔を出させないつもりだったのだ。
ウィリアムに成りすまして貴族の相手をさせるなど以ての外、完全にアウト事項である。
「…おいモラン、アルとウィル坊はまだルイに過保護なのか?」
「見て分かんだろ…つーか過保護を脱するきっかけなんてどこにもねぇよ、あいつらには」
「あ~あ。せっかく僕とフレッドとルイス君の自信作だったのになぁ、あの変装。もう陽の目をみることはないのかな」
「…多分。あの二人が許可を出すとは思えませんし、ルイスさんが彼らを言いくるめられるとも思えません。…よく考えたらウィリアムさんの変装をする必要があるということは、ウィリアムさんに何かの危険があるということですからね。そんな状況をルイスさんに任せるなんて、お二人が許すはずありません」
フレッドの言葉に他三人が、なるほど、といったように頷いた。
言われてみれば確かにそうだ。
ルイスを庇護下に置こうと意識して作戦に組み込まなかったウィリアムなのだから、みすみす彼一人に危険を背負わせるような真似は考えにくい。
当のルイスの意見はまるで無視しているのが何ともウィリアムらしいし、それに全面協力しているアルバートも彼らしい。
昔と最近の彼らをよく知るモランとフレッドは納得したように同じタイミングで息を吐いた。
「またの機会があったらそのときは君の変装を役立ててほしいな」
「ルイス、今回のおまえには会の進行管理を任せる。当日は滞りなく会が終わるよう全力を尽くしてくれ」
「…はい。分かりました」
不思議なことに、完璧なまでにウィリアムに扮したはずだというのに今のルイスはただのルイスにしか見えなかった。
予想通り二人の兄に言いくるめられた弟の姿に、モラン及び他の三人は静かに瞳を伏せる。
中々の作戦だとは思ったのだが、極力人前に出さずにいた末弟を、姿形を変えたからといってアルバートとウィリアムが人前に出すはずもなかったのだ。
ルイスの提案を何らかの形で採用しようと考えていたウィリアムは過去の記憶を抹消して、アルバートは茶会の最中には一切姿を見せないようありとあらゆる役割をルイスに与えようと画策する。
せっかく役に立てると思ったのに、と呟くルイスの声は誰かしらに届いたが、誰も反応することはなかった。
そうして迎えた当日。
ルイスは扉はおろか窓すらない個室で、モニターに映る監視カメラの映像を徹底的に監視していた。
庭と薔薇園、そして屋敷内に設置されたカメラの映像を随時チェックし、来客は当然のこと臨時で雇い入れた人間の監視も怠らない。
同時に茶会が滞りなく済むよう無線で仲間とやりとりし、何か気になることがあればルイスの判断で指示を出した。
ウィリアムの私室に侵入した人間に気付いたのもルイスが早かったけれど、丁度そのときはマネーペニーに侵入者についての指示を出していたため、モランとボンドに遅れを取ってしまったのだ。
大勢の人間を監視し、仲間に指示を出しながら会の進行を管理するという膨大な役割を卒なくこなすルイス。
その心情はアルバートに任された仕事へのやりがいを感じてはいたが、一つの懸念が拭いきれなかった。
モニターに怪しい人物が映っていないことを確認し、短時間だけ机に頭を伏せてついつい本音を呟いてしまう。
「…やっぱり僕は、兄さんたちに役立たずだと思われているのでしょうか…」
ぽつりと呟いたそれを聞いた人間は誰もおらず、ルイスが兄二人の考えに気付くこともなかった。
(茶会当日、ウィリアム兄さんに成りすまして貴族の相手をしようと思います。変装を手伝ってくれますか?)
(ルイス君がウィル君に変装するのかい?へぇ、面白そうだね)
(元々よく似てますし、変装自体はさほど難しいこともないと思いますが…)
(分かっています。誰かに成りすます上で問題になるのは表情や行動です。でも僕には自信があります)
(ルイス君がそう言うなら、僕の力を貸してあげようかな)
(僕も頑張ります)
(ありがとうございます、二人とも)
(どうかな、彼と似ているかい?)
(お、どろいた…ルイス君、変装の才能あるよ)
(凄い…ウィリアムさんそっくりだ)
(ふふ。ありがとう、ボンド、フレッド)
(声も喋り方も似てるね、さすが兄弟)
(というより、ルイスさんの観察眼が凄いんだと思います)
(これなら当日、御婦人の相手をしても僕がルイスだとは思われないはずだ。モリアーティ家としてミスのないようにしないとね)
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