"紫陽花の君"に相応しい人
モブ令嬢視点のウィルイス。
カプ要素は薄めだけど匂わせ程度にはウィルイス。
ロンドンに敷地を持つモリアーティ伯爵家。
たとえ公爵といえどこの名を聞かない身分の人間はいないだろう。
不幸な火事で先代に先立たれ、たった二人きりの兄弟でありながらも若くして領地と爵位を引き継いだ見目麗しい当主は社交界の花形だ。
当主たりえない次男である男も、スペアとは思えないほどに優れた美貌と類稀なる頭脳を持ち合わせているらしい。
金で買い取った大学教授という役職では、いくつもの論文が認められることなどないだろう。
たった二人きりの兄弟だけでモリアーティ伯爵の名に恥じぬ振る舞いを続けているというのだから、噂好きな貴族の話題にあがるのも無理はない。
美しく有能、それでいて伯爵という地位をひけらかさずに物腰穏やかだというのだから、さぞかしおモテになることだろう。
しがない男爵家の一人娘である私、エマ・レイン・ハワードに、懇々とその魅力という名の権力を射止めるよう父が唆すのも無理はない。
かろうじてピントが合っている写真でしか見たことはないが、モリアーティ家の当主たるアルバート様も、次男たるウィリアム様も、確かにとても聡明で端麗な容姿をしていた。
「良いかい、エマ。今度の社交界、何としてでもモリアーティ伯爵家との繋がりを作るんだ。当主のアルバートは難しいにしろ、大学教授をしているという次男のウィリアムと関係が持てれば我がハワード家は安泰なのだから」
「…分かりましたわ、お父様」
「期待しているよ、可愛い私のエマ」
貴族家に生まれた以上、親が決めた相手と婚姻を結ぶことに抵抗はない。
そもそも抵抗するという考えすらないのだから当然だ。
けれどせめて、その決めた相手くらいは親自らが責任を持って用意して欲しいものである。
どうして私がわざわざモリアーティとの繋がりを作るために奮闘しなければならないのだろうか。
「はぁ…」
交流のある他家の娘達に聞けば、モリアーティ伯爵家の当主と次男は私の想像以上におモテらしい。
どんな美女の誘いであろうとどんな権力を見せびらかそうと、決して二人が靡くことはないという。
そうだというのに、大した美貌も権力もない私なんかに彼らが靡くはずもない。
ハワード家が存続するためには私が婿を取らなければならないことは理解しているが、だからといって父が狙った家のハードルが高過ぎる。
伯爵と男爵。
整った外見と平凡な外見。
彼らの眼鏡に叶うものを、私は何一つ持っていないのだから。
当主たるアルバート様どころか爵位を持たない次男のウィリアム様でさえ、私にとっては高嶺の花なのである。
「失礼。落としましたよ、レディ」
そうして気乗りしないままやってきた、懇意にしている伯爵家主催の社交界。
誰も彼もが着飾った華やかな空間の中、私は一人の男性に目を奪われてしまった。
「あ、ありがとうございます」
「いえ。よくお似合いですね」
「ぇ、あ…ありがとう、ございます」
「では」
写真で見たアルバート様とウィリアム様を探しながら会場を彷徨う私の髪から落ちたリボン。
結びが緩かった覚えはないのだが、今日ヘアメイクをしてくれたのは最近雇い始めた新人だったので技術自体がお粗末だったのかもしれない。
リボンを拾い上げてくれた彼ははらりと落ちる私の髪に触れることなく、濃い薔薇色をしたそれを私の手首に巻いてくれた。
その様子はとても洗練されていて、不用意に女性に触れることを良しとしない紳士の鏡のような人だ。
眼鏡の奥に見える涼しげな目元からは、どうしてだか憂いのような寂しさが感じられた。
「はぁ〜…かっこよ……」
「あら、今の御方…」
「え、ご存知なの、メイジー!」
ふわりとした金髪を舞わせながら去っていった麗しき彼の人を、なんと彼女は知っているという。
幼い頃から親交があったメイジー・ガーネット・アーリントンは、私と違って積極的に社交界に参加してはたくさんの噂話を仕入れてくる情報通だ。
「勿論よ、私を誰だとお思い?」
「麗しきメイジー嬢であります!」
「そうよ、近隣貴族にこのメイジーが知らない男性はいないんだから」
ふふん、と自慢げに笑うその顔は年齢の割に幼く、けれどもミーハーそのものだ。
これで婚約者がいるというのだから呆れてしまう。
だが彼女は彼女なりにひと時の楽しい会話を楽しむだけで、一線を越えることはないことを知っている。
すぐに体を差し出す下卑た女ではないところを、私はとても好ましいと思っているのだ。
「あの御方はね、"紫陽花の君"よ」
「紫陽花の君?」
紫陽花、というと、近年この英国に持ち込まれた花の一種だっただろうか。
夏の間に咲き誇るその花は凛としていながらもどこか儚げで、色とりどりの華やかさとは裏腹に不安定な印象を与えるアンニュイな花だ。
確かに物憂げな様子を見せていた彼の人のイメージには合うような気がする。
だが、"紫陽花の君"とは一体なんなのだ。
「あの御方、花の精霊なの?」
「違うわよ」
呆れたように私を見るメイジーは彼が巻いてくれたリボンを指で遊びながら、ルージュを塗った唇に綺麗な弧を描かせた。
「あの御方はね、モリアーティ伯爵家の三男、ルイス様よ」
「モリアーティ伯爵家…でも、モリアーティ様は二人きりのご兄弟でしょう?」
「ルイス様は養子なのよ。養子の末弟、爵位を持つ権利はないわ」
父に聞かされていたモリアーティ家の家族事情に彼の人、ルイス様の情報など一切なかった。
知らなかったのか、それとも養子であるがゆえに除外していたのだろうか。
後者の方が可能性は高いが、もはやそんなことはどうでも良いことである。
「ねぇメイジー、"紫陽花の君"ってどういう意味なの?」
「見たままよ。ルイス様の美しさはまるで物憂げな紫陽花のようだと、彼に焦がれる令嬢達の間で噂になっているの。エマもそう思ったでしょう?」
「これ以上ないほどに同意出来るわ…"紫陽花の君"、正しくルイス様は紫陽花そのものだもの」
私の手首にリボンを巻くその手付きはとても丁寧で、伏せた瞳を飾る睫毛はとても長かった。
髪と同じ綺麗な金色をした睫毛の奥には、宝石を思わせるように人目を惹く赤い瞳があった。
眼鏡越しに見なければならないことが残念に思えてしまうほど金と赤のコントラストは美しい。
真っ白い肌も私のものよりよほど手入れが行き届いていて、いっそ羨ましいほどである。
醸す雰囲気がどこか危うげで憂いを帯びているのは、きっとあの人が持つ心根を表しているに違いない。
微笑んではいなかったけれど、偽りにまみれたこの会場の中でそれはとても自然な表情にも思えて、美しいその顔と馴染みの良い声で私のことを褒めてくれた。
だから、わたしがかの"紫陽花の君"に興味を持ってしまうのは仕方のないことだと思うのだ。
「る、ルイス様に良い人はいらっしゃるのかしら」
「あら、珍しいじゃないエマ。狙ってるの?」
「そういうわけじゃないけど、でもお近付きになりたいの」
「そう…残念ね」
「え?も、もしかして良い人がいるの?」
そうだ、あれだけ美しい人なのだから浮いた話の一つや二つや三つや四つ、あってもおかしくない。
むしろもう既にどこかの女性と婚約の一つや二つ、交わしているのかもしれない。
あぁもうお父様、どうしてもっと早く私にモリアーティ様の、引いてはルイス様のことを教えてくださらなかったの。
思わず頭を抱えてしまいそうになった私の耳に、メイジーの声が通るように鳴った。
「ルイス様はね、滅多に公の場に出てきてくださらないの。出てきてくださったとして、当主であるアルバート様と兄であるウィリアム様の付き人としての振る舞いしかしてくださらないわ。たまたまルイス様の目の前でリボンを落としたエマは幸運よ」
「そ、そうなの…脈、あったりする?」
「ないわ」
たまたま彼の目の前でリボンを落としたからたまたま拾ってもらえただけよ、調子に乗らないの。
メイじーはきっぱりはっきりそう言った。
幼い頃から何もかも知られている彼女は私に容赦がない。
「ルイス様が社交界に参加しない理由、分かる?」
「知らないわよ…今日初めて彼のことを知ったのに、分かるわけないじゃない」
「ルイス様の右頬、大きな傷があったでしょう」
「あったかしら?」
「エマ、あなたって人は…もう」
記憶を辿ってもルイス様の整ったお顔にメイジーが言うような傷なんて存在しない。
アシンメトリーに上げた前髪で左の頬は露わになっていたし、そこには傷どころかシミひとつないほど滑らかな肌をしていたように思う。
羨ましいと思ったのだから間違いないだろう。
「髪で隠した右頬、屋敷が火事になったときに負った火傷跡が残ってしまっているのよ」
「え、火傷なんてあったかしら」
「エマが気付いていないならルイス様の思惑も成功でしょうね」
またも呆れたように言うメイジーの声を聞きながら、ルイス様が歩いていった方向を見る。
その少し先にはルイス様ともう二人、おそらくはアルバート様とウィリアム様らしき美しい男性がいた。
写真で見るより噂で聞くよりはるかに美形だ。
これは数多の令嬢が夢中になるのも納得してしまう。
私だってルイス様と間近で出会わなければ素直に堕ちていたことだろう。
「エマは気にしないかもしれないけど、顔に傷があるなんて他の貴族のいい嘲笑の的だわ。余計な非難を浴びないために、ルイス様はこういった場には滅多に参加してくださらないんだと思うの」
「そうなの…あんなに魅力的な方なのに、悲しいわね」
まるで探偵のように推理するメイジーの目は鋭い。
情報通である彼女はそれをほとんど正確に処理してみせるのだから、生まれた性別を間違えていなければ世に名を残していたのではないかと思うのだ。
「けれど、私はもっと別の意図があると思っているわ」
「別の意図?」
「さっきも言ったように、ルイス様はたまにしか参加しない社交界で"紫陽花の君"と噂されるほどの御方よ。嘲笑されることはあっても、それ以上に彼と繋がりを持ちたいと思う人間はたくさんいるのよ。エマ、あなたみたいにね」
「そうね。正直、見ているだけで目の保養だから繋がらなくてもお姿だけを見ていたいわ」
「私、あなたのそういう正直なところ好きよ」
グラスを片手に兄弟三人で穏やかに会話している様子を遠くから見る。
ルイス様は私に見せた感情を乗せていない顔ではなく、少しだけ表情が柔らかいように見えた。
じっと目を凝らせば確かに髪の下には白い肌とは違う色が見えるから、あれが火傷の跡だと分かる。
さぞ傷ましい火事だったのだろうと、あの物憂げな空気はその後遺症なのだろうかと考えていると、ルイス様が持ったグラスを似たような色合いの髪を持つ彼が奪い取った。
事前に見た写真から察するに、彼こそが次男であるウィリアム様なのだろう。
自分のものとルイス様のもの、二つのグラスを器用に片手に持ったウィリアム様は、空いた手でルイス様の頬を撫でてはその耳元に顔を寄せていた。
「あら、仲が良いのね、あのお二人」
「エマ。ルイス様のお兄様であるウィリアム様とアルバート様はね、ルイス様にとてもお優しいのよ」
「え、優しい?養子相手に?」
「そうよ」
養子というからにはノブレス・オブリージュの制度がルイス様を今の立場に押し上げたのだろう。
つまりルイス様は伯爵家の生まれではなく、身分卑しい孤児だったということだ。
認めたくはないが、貴族が血の繋がりのない人間を養子に迎え入れた先に良い未来はない。
食べるのに困らないという点では救われるのだろうが、精々が奴隷のように生涯こき使われるのが関の山だ。
そうだというのに、今のルイス様とウィリアム様はまるでそんな気配を見せていない。
とても穏やかで、優しさに満ち溢れているように私の目には映るのだ。
ルイス様が醸す儚げな様子が、ウィリアム様の優しさの琴線に触れているのだろうか。
「特にウィリアム様はこういった場所にルイス様がいらっしゃった場合、絶対にルイス様のそばを離れることはないわ。常に二人ペアで行動されるのよ」
「へぇ、そうなの」
「ルイス様を一人にして、彼が直接中傷されることのないための配慮だと思うわ」
「なるほど。ルイス様は私達よりよほど儚げなお顔立ちをしているもの、きっと繊細な御方だからウィリアム様もさぞ心配なのでしょうね」
まるで内緒話をするようにウィリアム様がルイス様の耳に顔を寄せて何かを囁く。
当然その声が聞こえることはないけれど、ルイス様の肩が驚いたように跳ねては赤い瞳を見開いている。
価値付けることを戸惑うほどに美しい宝石のようだと、もう一度そう思いながら見ているとルイス様の表情が変わった。
人形のように表情を乗せず無機質なお顔だったのに、今ははにかむように微笑んでいる。
それはまるで、人見知りの子どもが信頼できる相手にだけ見せる安心を描いたようだった。
ルイス様はすぐにまた人形に戻ってしまったけれど、一瞬だけでもこの目で見たのだから気のせいではない。
あの人は私に見せた他所行きの人形の皮を、ウィリアム様の前では脱ぎ捨てて一人の人間としてそこにいた。
「えぇ、きっとそうね。ルイス様がウィリアム様に尽くすのは当たり前のことだけど、ウィリアム様もルイス様にとても気を許していると思うのよ」
「そうなの」
「お二人はまるで本当の兄弟みたいに仲が良いのよ。ウィリアム様の優しさは、ルイス様に過保護だとも言えるから」
「過保護?」
「エマ。私が考えるにね、ルイス様がこういった華やかな場に滅多に来てくださらないのは、ルイス様本人のご意向というよりもウィリアム様のご意向だと思うの」
「ウィリアム様の?どうして?」
「見なさい」
会話のためにメイジーに向けていた視線をもう一度ルイス様、ひいてはウィリアム様へと向ける。
視線の先にはウィリアム様とアルバート様が他家の方々とお話ししていて、ルイス様は彼らの背後で静かに佇んでいた。
お顔は変わらず人形のように美しく、いっそ会場に用意された調度品のようにも見える。
「ウィリアム様とアルバート様がどなたかと話していらっしゃるわ」
「養子かつ末弟のルイス様が相手をされないのは当然ね。でもこのまま見ていなさい、私が何を言いたいのか分かるはずよ」
言葉の通り彼らの様子を見つめながら、あわよくば次のタイミングで彼らに近寄ることが出来ないだろうかと欲を出す。
けれどそんな浅はかな考えは、三度目にもなるメイジーの呆れた視線によって諦めざるを得なかった。
仕方なしにシャンパンを口に含む私の目に映ったのは、相手にしていた他家の人間達をアルバート様が別のテーブルに誘導する姿である。
背も高く体格の良いアルバート様は、その立ち振る舞いだけで会場の視線を集めてしまう選ばれし強者だ。
人の上に立つ人間に相応しい貴族然としたそれには惚れ惚れしてしまうほどである。
私がルイス様と出会っていなければ、間違いなく彼に熱を上げていたことだろう。
背筋を伸ばして歩くアルバート様を横目に、私はその場に残されたルイス様とウィリアム様を見る。
先程の様子だけで二人の仲が良いことは理解出来たし、メイジーの言葉にも納得がいく。
だがウィリアム様のご意向というのは一体どういう意味なのだろうか。
少しばかり首を傾げながら私が見たのは、ルイス様の背を支えるウィリアム様のお姿だった。
それはとてもあたたかで、当たり前を体現化したようなお姿だ。
「ねぇ、メイジー」
「何かしら?」
「あなたほど上手く表現出来ないけれど、ルイス様とウィリアム様はとても美しいのね」
「ふふ。なんとなく分かるわ、エマの言いたいこと」
さすが親友、私が感じた思いを共感してくれるメイジーには感謝しかない。
私達の少し先にいるルイス様とウィリアム様の二人はとても自然体で、彼らの間にははっきりとした絆があった。
こういった場に慣れていないだろうルイス様を気遣うウィリアム様のお姿はとても慈愛に満ちていて、それでいて他者を寄せ付けない空気を周囲に振りまいている。
アルバート様が連れていった他家の人間をルイス様が相手にしなかったのは、彼の立場というだけでなく、兄二人による牽制が入っていたのではないだろうか。
そう思ってしまうほどに今のルイス様はあどけない表情を浮かべている。
きっと他の人間がいる場所ではあんな表情を見せてくれることはないし、見せることを良しとするウィリアム様もいないのだろう。
離れた距離、賑やかなパーティ会場の中でも、お二人の姿はとてもとても美しく見えた。
二人の間に割って入ることが許される人間なんて、この世界にいないのではないだろうかと思うほどに美しい。
あぁ、だからアルバート様は他家の人間の相手を引き受けて、あの場に二人を残し離れていったのだ。
ルイス様とウィリアム様は二人きりでいることが何より美しいのだから。
「…メイジー」
「何かしら?」
「"紫陽花の君"を射止めるためにはきっと、彼を一番大切にしている人の許しを得なければならないのね」
「そうね。あの人の許しがなければ、"紫陽花の君"の手を取ることは出来ないのよ」
「私にそれが出来るかしら?」
「難しいわ。"紫陽花の君"が心を許しているのは、世界中探してもきっとあの人しかいないと思うから」
「そうかぁ…」
今日、思いがけず初めて出会った"紫陽花の君"。
儚くも凛とした美しさと、たゆたうような物憂げな雰囲気がとても魅力的な彼の人。
頬に残る醜い傷跡なんて、彼の魅力を底上げする以外の効果を持たないわ。
他の令嬢と同じように私もあの人に恋をしてしまったのに、この恋が実ることはないのだろう。
麗しき"紫陽花の君"の心を射止めるには、その彼を最も大切に思う兄に認められなければならないんだもの。
それはとても難易度が高くて、私なんかでは解決出来そうもない。
「きっとウィリアム様は、本当にルイス様に相応しい人間じゃないと許可を出してくださらないわ」
「そうね、私もそう思う」
「でもウィリアム様はどんなに優れた方でも許可を出さないと思うの」
「そうね」
「"紫陽花の君"たるルイス様の太陽であり雨になれるのはウィリアム様だけなのよ」
「メイジー、あなた詩人にも程があるわね」
「ウィリアム様の過保護を乗り越えて"紫陽花の君"を奪い取れるほど気骨のある女性が、果たしてこの英国に何人いるかしら?」
「一人もいないんじゃないかしら」
「それもそうね、ウィリアム様以上の人間じゃないとルイス様には相応しくないもの」
メイジーはくすくすと笑いながら核心めいたことを言う。
ウィリアム様以上の人間を探し出すくらいなら、ウィリアム様がルイス様の相手になってしまった方がよほど手っ取り早いだろう。
ルイス様はウィリアム様に囲まれたまま、誰とも契りを結ぶことはない。
そう思ってしまう私は間違ってはいないはずだ。
「ねぇエマ。"紫陽花の君"に焦がれるより、もっと他の良い人を見つけるべきよ」
「お父様にはアルバート様かウィリアム様を射止めろと言われているわ」
「あら難しいわね。ウィリアム様はルイス様一筋だし、アルバート様も二人の弟を溺愛していらっしゃるわ。あなたにルイス様以上の価値があるかしら?」
「あるわけないじゃない、お父様の馬鹿!」
「ふふ。もっと良い縁談を見つけてもらうべきね」
「あぁもう、何のためにわざわざここまで来たんだか」
私はルイス様に結んでいただいた薔薇色のリボンを手に取り、一瞬で散ってしまった恋を想う。
あんなにも美しい兄弟愛を見せつけられて、私が叶うはずないじゃない。
でも"紫陽花の君"たるルイス様が誰のものにもならないのならそれはそれで好都合だ。
ウィリアム様に大事にされているルイス様こそがきっと一番美しい。
「…エマ、エマ!」
「何よ、メイジー」
「あれ…!」
「何よもう…え」
私とメイジーの視線の先には、ウィリアム様がルイス様の腰を抱いてエスコートしているお姿があった。
男性同士だというのにお二人とも線が細く美しいせいか、密着していても暑苦しいことなくいっそ空気が洗練されている。
そうしてルイス様の顔に頬を寄せたウィリアム様が持つ燃えるように鮮やかな瞳は私達二人を貫いた。
不適に微笑む表情は妖しく綺麗で、迫力ゆえに恐怖すらあった。
距離があるはずの私達の視線に気付いた上での牽制だと、気付かないはずもない。
「…ねぇメイジー。私、ルイス様に相応しい誰かを探すより、ウィリアム様がルイス様の相手になった方が手っ取り早いと思ったの」
「…エマにしては賢いことを言うじゃない」
「やっぱり?私、とても賢いことを考えたわよね?」
「そうね。ウィリアム様以上の方を見つけるより、ウィリアム様本人さえいればきっと"紫陽花の君"も満足するはずだもの」
メイジーお墨付きの私の考えは、近い将来きっと現実になる。
いやむしろ、もう既に現実のものになっているのかもしれない。
滅多に姿を現さない麗しき"紫陽花の君"。
その姿は今後も公の場に現れることはないのだろう。
今日出会うことが出来て、私は本当に運が良かった。
(ウィリアム兄さん、どうされました?)
(何でもないよ、ルイス。少し酔ってしまったから、支えになってくれるかい?)
(それは構いませんが、水を貰ってきましょうか?)
(いや大丈夫だよ)
(珍しいですね、あまり飲んでいないのに…体調でも悪いのですか?アルバート兄様を呼んで、もう屋敷に帰りましょうか?)
(ふふ、少し悪酔いしてしまったのかな。兄さんの挨拶回りが終わったら早々に帰ろう)
(分かりました。今夜は早く休みましょう)
(あぁ。余計な虫に見つかる前に、早くこの場を去りたいものだね)
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