可愛い弟、可愛い笑顔
モラン視点のウィルイス。
モリミュネタの、ルイスの笑顔は可愛いとモランに自慢しようとするウィリアムの話。
ルイスから言いつけられた執務をサボり、モランは応接室で書類に目をやっていたウィリアムの近くで煙草を燻らせていた。
サボっているのがバレたら後は面倒だが、それでもやる気が起きないのだから仕方がない。
せめてバレたときにウィリアムがそばにいれば怒りも半減するだろうと、兄贔屓なルイスの性分を利用するためにここにやってきたのだ。
我ながらいい案だと、モランが瞳を閉じて煙を味わっていると不意にウィリアムの声が聞こえてきた。
「ルイスの笑顔、可愛いよね」
「は?」
成人男性にしては高めで落ち着いたテノールボイスが発した言葉は、意味は分かれど理解は出来ない内容だった。
「何だって?」
「ルイスの笑顔が可愛いって言ったんだけど」
「…可愛いか?」
「うん」
見慣れている穏やかな微笑みを浮かべた顔で、ウィリアムは至極当然のように言い切った。
疑問を抱くこともなく、モランに対してはっきりした同意だけを求めている。
だがモランにとっては同意しかねる意見だったので、躊躇しながらも疑問を口に出せば特に気にせずウィリアムは笑っていた。
モランの中のルイスはいつも淡々とした無表情で、そうでなければ細い眉を釣り上げて怒っているという印象が強い。
前半はともかく後半はモランの行いが原因である。
それでもウィリアムとアルバートとともにいるときはその冷淡さが幾分か和らいでいるようにも感じられるが、少なくともルイスの笑顔が可愛いという印象はない。
弟にはとんと甘いウィリアムだから、その紅い瞳の奥には何重ものフィルターがかかっているのだろうか。
「ルイスは僕と似ている顔を気にしているからね。それを意識しているからこそもう随分と長い間、自主的に笑おうとしないんだ」
ウィリアムのその言葉を聞いて、モランは今までに感じていた違和感の原因に気が付いた。
ルイスの表情がないのは元々の性分なのかと思っていたが、おそらくそれだけが原因ではないのだ。
ウィリアムと似ている顔を周囲に気付かせないため、ルイスは意図して彼と同じ表情を浮かべることを避けている。
モランはウィリアムが本物に成り代わって貴族家の次男になった詳細と、そしてルイスが元孤児の養子という設定のままモリアーティ家の末弟として生きていることを知っていた。
ゆえに表向きはウィリアムとルイスには血の繋がりのない、赤の他人ということになっている。
軍人上がりのモランから見れば二人はあまりに身体的特徴が似通っていて、これで正体がバレないなど周辺貴族の目は節穴にも程があると思っていた程だ。
だが今のウィリアムの言葉から察するに、ルイスは兄と似ている顔を不自然ではない形で隠そうとしているらしい。
表情をコントロールしているというのであれば、もしかするとあのアシンメトリーの前髪と眼鏡、屋敷の外を出れば少しばかり俯いてしまうあの癖も、全てルイスがウィリアムとの関係を隠すための努力の結果なのだろうか。
それが一年や二年ではなく、もっとずっと昔から続けられた習慣になっているのであれば、相変わらず執念すら感じるほどの熱意を感じる。
ルイスはいつだってウィリアムの計画に支障が出る事態を最も嫌うのだから、自分の存在が計画の支障になるなど許せるはずもないだろう。
何年もの間、兄のために自分を隠し通して生きてきたルイス。
一回り下のそんな同志に対し、モランはある種の恐怖を実感していた。
「でもね、そんなルイスでも気が抜けてしまうときはあるんだ。自然と浮かんだ笑顔はとても可愛いんだよ。僕はそんなルイスらしい笑顔がすきなんだ」
心底愛おしそうに、今ここにはいないはずの弟を想いながらウィリアムは笑う。
きっと彼の脳内には思い出そうとしなくても焼き付いているルイスの笑顔が鮮明に浮かんでいるに違いない。
モランにはあまり可愛い笑顔の想像が出来ないけれど、ルイスは元々その姿形はとても整っている人間なのだ。
兄フィルターを取り除いたとしても、きっとルイスの笑顔は可愛いのだろう。
何年も兄のために表情を殺して生きてきた健気な弟は、確かにその精神から考えても可愛いのかもしれない。
モランにはよく分からないが、付き従うと決めた人間が誇らしく称賛しているのだから多少の興味も抱いてしまう。
可愛いかどうかはともかく、あまり見覚えのないルイスの笑顔というものは見ておいても損はないし、珍しいものを見てみたいと思うのは自然な欲求である。
そう考えたモランは俄然やる気が出てきたらしく、寝転んでいたソファから反動を付けて起き上がった。
「ウィリアムがそんなに言うなら見てみたいもんだな!よし、ルイス連れてくるか」
「あぁ、その必要はないよ」
「あ?何でだよ」
「もう来るから」
火の付いた煙草を灰皿に押し付け、モランはウィリアムの言葉に片眉を上げる。
そうして聞こえてきたのは、外から響く控えめなノックの音だった。
「どうぞ」
「ウィリアム兄さん、書類整理中にすみません。モランさんが見当たらないのですが、ご存知ありませんか…って、モランさん!あなたどうしてここにいるんですか!」
「ゲッ」
「モランさん!」
「ふふ」
申し訳なさそうに扉を開けて入ってきたルイスだが、ウィリアムの向かいにあるソファに座る大柄な男を見た瞬間、モランが見慣れている眉を吊り上げて怒った表情を浮かべていた。
突然ルイスについて語り出したウィリアムは、おそらくルイスの訪室を予感していたのだろう。
良い性格をしているなと思うけれど、執務をサボっていることがバレるのは想定内だったのだから仕方がない。
モランは綺麗に眉と目を釣り上げているルイスを見やり、無表情よりはルイスらしい表情だと思いながら小言を右から左へ聞き流す。
「モランさん、浴室の掃除を頼んでいたのにまだ済んでいないのはどういうことですか!今晩は兄様が帰ってきてくださるんです、だからこそ清潔な浴室でなければいけないのに!」
「あー、いつもおまえが丁寧に掃除してるから大して汚れてなかったんだよ」
「そういう問題ではありません!」
癇癪を起こした猫みたいにキーキー言うルイスこそルイスだと思うのだが、ウィリアムにしてみれば笑った顔こそが可愛くルイスらしさに満ちているという。
そんなもんかねぇ、と疑わしげにモランはウィリアムを見ては首を傾げて疑問を呈する。
それがルイスにはウィリアムに助けを求めているように見えたらしく、ウィリアム兄さんを巻き込まないでください!と余計に怒らせてしまった。
「ルイス、その辺にしてあげて」
「ですが兄さん!兄様はもうすぐ帰ってくるんですよ!」
「今からやってもらえれば間に合うだろう?それよりこっちにおいで」
そこでようやくルイスの意識はモランからウィリアムに移ったらしく、若干そわそわしたようにウィリアムの元へと近寄っていく。
モランの思惑通り、ウィリアムのおかげでルイスの怒りは大分薄らいだようだ。
助かったとばかりにモランはソファの背もたれに体を任せ、目の前にいるよく似た兄弟をそっと見る。
横顔しか見えないけれど、ルイスの表情は笑ってはいないだろう。
兄に構ってもらえて嬉しそうな気配は窺えるが、ウィリアムも同じくらいに嬉しそうな笑顔を浮かべているのだから分かりづらいのは確かだ。
貴族の目がない屋敷の中だいうのに徹底したことだとモランが感心していると、ウィリアムはルイスの真っ白い頬に指をかけてふにふにと触り出した。
「兄さん?」
「ルイス、笑って」
「え?」
「モランがルイスの笑顔を見たことがないって言っていたから、一度見せてあげてほしいな」
「…何故」
ウィリアムに頬をいじられながら横目でモランを見るルイスの目は随分と冷ややかである。
元の容姿が整っているだけあって様になるほどの美しさはあれど可愛いとは程遠く、むしろ気迫に満ちた怒りを感じる。
浴室の掃除くらいで大袈裟だなと思うけれど、今までのサボりによる積み重ねが原因だということにモランは気付かなかった。
それでも微笑んだウィリアムから至近距離で頼まれては無碍にも出来なかったようで、ルイスは渋々口角を上げてモランを見る。
だが瞳は一切笑っておらず、可愛いとは程遠いそれは笑顔にしては凶悪だった。
「これで満足ですか」
「ルイス、いつもはそうじゃないだろう。いつもの君の笑顔を見せてほしいな」
「いつもと同じつもりなのですが」
怖いな、と思ったことは口には出さず、モランはただ静かに二人のやりとりを見ている。
変に口を出してはルイスの癪に触るだろうことが分かっているからだ。
ウィリアムと戯れあっていれば自然と機嫌も良くなり、浴室の掃除も見逃してくれるかもしれない。
そんな計算をしながらモランは煙草に手が伸びそうになるのを何とか押し留め、あくまでも空気に徹しつつウィリアムお気に入りのルイスの可愛い笑顔とやらを見ようとしていた。
「ルイス」
「ん」
「僕の前ではそんな顔しないだろう?いつも可愛く笑っているのに」
「か、…わいくはないと思いますが」
「ルイスの可愛い顔、見たいな」
「に、兄さん」
空気に徹するモランの前にはルイスと額を合わせて彼を口説き落とそうとするウィリアムがいた。
額に、瞼に、頬に、鼻先に、そして耳に唇を落としながら甘く囁く姿は至極楽しそうで、愛おしい気持ちが全面に溢れ出ているようだ。
ルイスに甘いウィリアムは見慣れているし、目のやり場に困るようなこともない。
二人にとってはこれが日常茶飯事と言って良いのだから、今更モランも取り乱すようなことはないのである。
いつもはただの背景に過ぎない二人だけれど、今日ばかりは意識してルイスの表情を観察してみれば、戸惑う姿は確かに可愛いと言えなくもないかもしれない。
兄に翻弄される姿はきっとルイスらしいのだろう。
「ね、見せて?」
「で、でも、自分ではよく分からないのですが…」
「うーん。これでも駄目かな?」
「ん、兄さん…んん」
ウィリアムがルイスの体を抱きしめてその髪を撫でて甘やかしていると、僅かにルイスの表情が緩んだように思う。
いつも冷静で淡々としたルイスにしては珍しく、柔らかく幼いその表情。
笑っているのかは分からないが、それでも気が抜けたように表情を変える姿を、モランは初めて見た。
「(…これか)」
見ているこちらの方が緊張してしまうほど気を張り詰めて生きているルイスの、本来彼が隠す必要のない偽らざる姿。
モランは今それを目の当たりにしたような気がした。
過酷な運命を背負っていなければ、きっとこんな表情を浮かべる毎日を過ごしていたのだろう。
今となっては叶わぬ現実になってしまったが、それでも今この生活の中でもルイスはこの姿を見せられるくらいにはウィリアムの存在に救われている。
彼の彼らしさはウィリアムによって保たれているのだとモランは解釈したし、今までに自分が見てきたルイスという人間は彼が巧みに隠していた上辺の姿に過ぎなかったということに驚いた。
偽りではない。
けれど本質でもない。
そんなルイスをモランは同志として好ましく思っていたけれど、思いがけず知ってしまったルイスという人間の中身。
これはきっと、ウィリアムだけが見ることを許されているのだろう。
ウィリアムはモランにも知ってもらいたいと思っているのかもしれないが、モランが見て良い類のものではない。
そもそも意識して見せられるものではないのだし、ウィリアムの前でしかルイスはルイスらしくいられないのだから、可愛い笑顔というものはウィリアムだけの秘密にしておくべきだ。
モランは目の前で抱き合う二人を置いて、静かに応接室を出る。
その気配にウィリアムもルイスも気付いていたけれど特に言及することはなく、二人だけの抱擁を堪能していた。
(ルイスの可愛い顔を自慢したかったんだけどな)
(…兄さん?)
(ううん、何でもないよ。ルイスの笑顔は僕だけのものにしておいた方が良いみたいだ)
(はぁ…でも、僕を可愛いというのは兄さんくらいだと思いますが)
(アルバート兄さんもそう思っているはずだけど)
(兄様は別です。お二人が特別なんですよ、僕に甘い)
(そんなつもりはないんだけど)
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