「酔ってしまいました」
穏やかなお酒の時間を過ごすウィルイス&アルルイ。
ウィリアムとアルバート兄様に甘えようと思ったら思いがけず甘えられたルイスはきっと可愛いので、後日ますます甘やかされる。
最愛の兄が言うには、自分は酔うと甘え上戸になるらしい。
覚えていないので自覚があるはずもなく、けれどどちらの兄もそう言っていたから間違いはないのだろう。
酒に弱いわけではないし、食事に合わせて嗜む程度のアルコールで酔うことはない。
アルバートやモランのように特別アルコールを好むということもないので、自然と上限以下の摂取量で満足するから記憶を無くすまで酔うことすら滅多にないのだ。
ルイスが羽目を外して酔うことがあるとすれば、ウィリアムとアルバートがいる場で二人に乗せられて飲み過ぎたときくらいだろう。
そもそも二人の兄、もしくはそのどちらかがいる屋敷の中でしか、ルイスは食事以外でのアルコール摂取を許されていない。
過去患っていた心臓に負担をかけることのないよう見張る目的が半分、酔って見境なく誰かに甘えられては困るという名目が半分。
ルイスは後者を知らないが、前者についても相変わらず過保護なお二人だという認識でしかない。
どちらにせよ、どうも二人は普段は滅多に甘えてこないルイスが遠慮なく甘えてくる様子を気に入っているらしく、妙に酒を勧めてくるなと思った日の夜は決まっていつの間にか眠りに落ちているのだ。
起きた先はウィリアムかアルバートの腕の中で、寝落ちた無礼を詫びてもただただ笑顔でルイスを見ては甘やかすだけである。
そんなことが月に一度か二度はあるのだから、ルイスとて二人は自分に甘えてほしいのだろうと察しが付く。
ルイスとしては記憶が飛んでいるのだからどんな甘え方をしているのかすら分からないが、自分の知らない自分が兄達に気に入られているというのも面白くない。
まるで普段の自分では駄目なのだと、そういう気持ちになってしまうのだ。
「アルバート兄様、ウィリアム兄さん。先日、新しい銘柄のワインを手に入れました。味見ついでに晩酌はいかがでしょう?」
「ありがとう、ルイス。頂こうか」
「僕にも頼むよ」
「少々お待ちください」
だから今夜、ルイスはたとえどんなに兄に勧められようと上限以上のアルコールは飲まないと心に決めた。
この日のために仕入れたワインのボトルは三本、ウイスキーのボトルが一本だ。
氷もナッツもサラミもチーズもチョコレートもドライフルーツも、酒が進むためのツマミは抜かりなく用意している。
ウィリアムはともかくアルバートを酔わせるのはほぼ不可能だが、ルイスが酔ったフリをするには十分な量だろう。
ペースを調整しながら途中に水を挟んでいけば泥酔することはないはずだ。
二人の兄は酔って甘え上戸になるルイスを気に入っているようだが、普段のルイスとて甘えたくないわけではないのだ。
ただどうしても理性が働いてしまい、彼らの邪魔になるのではないかと萎縮してしまうだけだ。
どうせ構ってもらうなら記憶が残る方が断然良いし、ウィリアムとアルバートが気にしないのであれば存分に構ってもらおうではないか。
ルイスはワインの用意をするために向かった厨房で、一人拳を握って決意を固めていた。
「兄さん、兄様」
座り心地と大きさにこだわって選んだソファに三人並んで腰掛け、ルイスは二人に酌を注ぎながら兄に挟まれ座っていた。
合間に勧められるワインを飲みながら、適度にペリエを挟んだおかげで酩酊とは程遠く意識もはっきりしている。
多少ぼんやりした感覚はあるので、おそらくここが自分の限界なのだろうとルイスは推察する。
ならばここが勝負を仕掛けるタイミングだと、ルイスはウィリアムの肩に頭を寄せてアルバートの腕を両手に取った。
「酔ってしまいました」
ルイスは鏡のない中で今の自分の姿を的確に思い描く。
頬は火照っているはずだから、いつもよりゆっくり喋れば酔ったように見えるはずだと自信を持つ。
だが、今のルイスは本人の自覚以上にアルコールに伴う酔いを感じさせる風体だった。
真っ白い頬は巡ったアルコールのおかげで仄かに赤らんでいる。
本格的に酔う手前まで来ているせいでワイン色の大きな瞳はたくさんの水分を含み、まるで高級な宝石のようにも見える。
濡れて艶やかな唇も魅惑的で、とろんとした表情で甘ったるく声を出されてしまえば言葉の意味を疑う余地はないだろう。
ルイスの思惑通り、今のルイスを見れば十人中八人が酔ったのだろうと判断するに違いない。
最大の誤算は、そこに当てはまらない二人が今この場にいたことだった。
「…酔ってしまったのかい?気持ち悪くはないかな?」
「大丈夫です」
「飲みすぎても良くないし、もう止めておこうか」
「もっと飲みます」
「そうか」
耳元で囁かれるウィリアムの言葉に否定を返し、指を絡められたアルバートの言葉にも否定を返す。
このままお開きになってしまっては意味がないのだ。
ルイスは意識がある今この状況で、ウィリアムとアルバートにちゃんと構ってほしいのだから。
さて、酔った自分はどのように最愛の兄達へ甘えているのだろうか。
記憶を探っても見つからないものは見つからないのだから、ひとまずルイスはアルバートの手を握りしめながらウィリアムの首元に自分の頭を擦り付けた。
感じる温もりと清涼感あるハーブの香水と、漂う葡萄とアルコールの匂い。
ふわふわと気持ちが舞うように心地良くて、幸せだなと心から思う。
最愛の兄二人に挟まれて微睡む時間以上の至福などきっとどこにも有りはしないし、ともに過ごせるだけで自分という存在を受け入れ肯定されているようで気分が良い。
ルイスはアルバートの手を握る指に力を込めて、くふん、と安堵ゆえに漏れ出た吐息をウィリアムの首筋にかけていく。
「ルイス、眠たいのかい?」
「眠くないです」
「…今日は随分甘えただね。どうかしたのかな」
「僕はいつもこうです」
「ふふ」
嘘ばっかり。
くすくすと楽しそうなウィリアムの声がルイスの耳に届き、アルバートも同調するように抑えきれない笑い声をこぼす。
思わず目を見開いてウィリアムを見上げれば、色鮮やかな緋色が愉悦の如く煌めいていた。
「え…」
「気持ち良く酔っているなら良いことだ。ワイン、もう一口どうだい?」
「ぁ、はい、いただきます…」
グラスを手渡されたかと思いきやその手は離されず、ルイスはウィリアムに手とグラスを支えられながら濃厚な色をした赤ワインを口に含む。
舌で味わうように、本音はなるべく時間をかけて飲むことで急激な酔いを避けるために、ルイスは口腔内からゆっくりと喉奥へとワインを移動させた。
僅かな渋みよりもフルーティーな爽やかさが際立つこれはウィリアムの好みだろうが、アルバートの好みではなかったかもしれない。
ちらりとアルバートの方を見やれば手元のグラスには少しばかり色味の違うワインが入っていて、少なくとも今味わっているものは別物なのだろうと安心した。
飲みやすくて美味しいワインだね、というウィリアムの賞賛をありがたく受け取りながら、美味しいですね、とルイスは返す。
ウィリアムが気に入ってくれたのなら、ルイスはそれが何よりも嬉しいことだと思う。
「ルイス、ほら」
「ぇ、あ…いただきます、兄様」
「どういたしまして」
ふわりと表情を緩めてウィリアムを見ているとアルバートから小さなチョコレートを差し出される。
ウィリアムに手を支えられたままグラスを持っているせいで受け取ることが出来ず、ルイスは口元まで持ってきてくれたのを良いことにそのまま唇でチョコレートを受け止めた。
ワインを食事と合わせない場合、ルイスはどちらかと言えば甘いものを摘みたいタイプだ。
用意したチョコレートには甘味の少ないものと甘味のあるものの両方を用意していたが、アルバートはルイスの好みに合わせて甘いミルクチョコレートを差し出してくれたらしい。
さりげない優しさにとくんと胸が高鳴ったけれど、上目でアルバートを見れば美しく整った顔と綺麗な翡翠がルイスを見つめていた。
ルイスはその視線から目を逸らして口に広がるカカオとミルクの風味を味わいながら、パウダーで汚れたアルバートの指を軽く舐めては綺麗にしていく。
柔らかい舌の感触に満足したようで、アルバートはルイスの唇へ指で軽く触れてから手を離していった。
「あの、兄さん、さっきの言葉は」
「ねぇルイス。君と違って、僕は酔ってしまったみたいなんだ。少し休もうと思うんだけど、こちらに来てもらっても良いかな?」
「え、は、はぁ」
「ん、ありがとう」
グラスを取られたかと思えばそのまま手を引かれ、ルイスはウィリアムの腕の中に抵抗なく収まる。
二人の間にさほど身長差はないけれど体格には差があるために、割合収まりよくルイスはウィリアムに抱きしめられた。
彼の膝の間に腰を据え、ルイスは後ろからウィリアムに抱きしめられた体勢のまま横目に兄を見ようと顔を動かす。
けれど休むと宣言したウィリアムは言葉の通り、ルイスの肩に顔を埋めて瞳を閉じてしまっていた。
ルイスが観察した限り、ウィリアムは酔うほどワインを飲んではいない。
体調が悪ければ酔いが回るのも早いかもしれないが、今朝から先程までの様子を思い出すにその可能性はないだろう。
ならばウィリアムが酔ってしまったという言葉自体が嘘で、君と違って、という前置きから察するにルイスの思惑は当に知れてしまっているのだ。
抑えきれない笑いをこぼしていたアルバートにも、おそらくは。
「ルイス、私も少し酔ってしまったようなんだ」
「え…兄様が、ですか?」
「あぁ」
アルバートが酔う姿など、ともに生きてきて十数年の間で一度たりとも見たことがない。
彼が今見せている顔もあからさまに素面に等しくて、目元が多少赤くなっているように見えるか見えないか、そこでしかアルコールを嗜んでいた痕跡が窺えないほどなのだ。
嘘ばっかり、というウィリアムの声がルイスの脳内に響いては口から出そうになった。
「ルイスの手は冷たくて気持ちが良いね」
「そう、ですか」
「あぁ。火照った体には心地良い」
「兄様…」
手を取られてそのままアルバートの頬に当てられる。
アルコールが回ったおかげで普段よりは温かいはずのルイスの手は、それでも彼の体温に比べたらはっきりと低いらしい。
触れた頬は温かく、冷たくて気持ちが良いというのは本当なのだろうとぼんやり思った。
軽く撫でるように凹凸のない滑らかな肌に触れていると、後ろから腹部に回されていたウィリアムの腕に力が込められる。
休むと言ってはいたが、眠る演技をするつもりはないようだ。
首筋に当てられていた彼の頭がぐりぐりと押し付けられるように動き、細い髪の毛が顎や頬を擽ってこそばゆい。
可愛らしいなと、そう思いながらルイスは一瞬だけウィリアムに気を取られていたが、アルバートはその間もルイスの手に触れながら指を絡めてはその冷たさを堪能している。
長く節ばった指が自分のそれと絡む様子はどうしてだか官能的で、思わず唇を噛み締めてただ静かに見つめてしまう。
「(これ、は…)」
機嫌良さそうに後ろから自分を抱きしめているウィリアムと、満足そうに自分と指を絡めて頬に手を押し当てているアルバートを見て、ルイスはおよその見当が付いた。
甘えているのだ、きっと。
ルイスが酔っていないことを察した二人は、ルイスを甘やかすのではなくルイスに甘えようと行動しているに違いない。
甘えるように抱きしめられ、甘えるように手を取られ、そうしてルイスの胸に生まれるのは堪らなく甘美な優越感だった。
ウィリアムもアルバートも常に余裕を見せては隙のない振る舞いをしているのだから、他の誰も二人が幼子のように甘える姿など見たことがないはずだ。
だが今ルイスの目の前には、ルイスに対して甘える二人がいる。
冗談混じりではあるかもしれないが、そうだとしてもそんな姿を見せてもらえるくらいに気を許されているのだと思えば優越感しか得るものはない。
いや、優越感以外にも止めどない歓喜をも得られてはいるが、いずれにせよルイスを喜ばせるものでしかないのだ。
甘やかされた経験はあれど、甘やかした経験はない。
酒に呑まれることなく存分に甘えて構ってもらおうとしたけれど、今の状況にはそれ以上の価値がある。
ルイスは隠しきれない笑みを浮かべ、ウィリアムに背を預けたままアルバートの頬を擽るように撫でていった。
「酔ってしまったのなら仕方ありませんね!悪酔いされないよう少しペースを落としましょう、兄様」
「あぁ、そうするとしよう」
「兄様、何か僕にしてほしいことはありますか?」
「では、しばらく手を貸していてもらおうか」
自分の手に懐くアルバートの様子が新鮮で、それでいて甘えているのだと思えばどうしようもなく愛おしい。
ルイスは喜んで両手をアルバートの頬に添えて精悍な顔を包み込み、そのまま手を滑らせて髪の生え際に指をやって擽っていく。
癖は強いけれどふわふわと触り心地の良い髪を梳くように混ぜるのは、いつもアルバートがルイスの髪を撫でてくれる仕草と全く同じだ。
優しく撫でてくれるアルバートの手がルイスはだいすきで、同じように感じてくれれば良いといつも彼が自分を甘やかしてくれるように甘やかす。
低い体温で触れられるのは心地良くて、しかもその手付きに覚えがあるのだからアルバートの機嫌も上々だ。
嬉しそうに構おうとしてくれるルイスの顔を優しく見つめては赤らんだ頬にキスを落とす。
さすがに顔はある程度の体温が保たれているようで、手元ほどひんやり感じることはなかった。
「ふふ、お酒に酔ってしまった兄様は甘えたですね」
「あぁそのようだ。酔った私は、ルイスに構ってもらえないとひどく退屈らしい」
互いに酔っていないことを承知のくせに、言葉遊びのように会話する。
ルイスはアルバートの後ろ髪に触れていた腕を引き寄せ、就寝前で無造作に下されている髪の間から見えている額に唇を近付ける。
そうして何度も何度もキスを落としていると、心地良く気持ちを埋めるそれにアルバートも満足したらしい。
ルイスが持つ形の良い艶やかな唇を視界に収めてから、深いけれど親密さだけを表したキスを返してあげた。
互いのキスにはそれぞれの個性が出ていたけれど、今の心情にはよく似合っていたらしい。
ルイスとアルバートが至極楽しそうに戯れ合っていると、不意にウィリアムが顔を上げて二人を見る。
長男と末弟が甘えて甘やかす様子を薄く開けた瞳で見ていたウィリアムだったが、あまりに可愛い状況だけどもう我慢できない、というようにルイスの体を掻き抱いていく。
「ルイス、兄さんにばかりずるい」
「ウィリアム兄さんも酔うと甘えたなんですか?」
「そうみたいだね。僕にも構ってほしいな、ルイス」
狭い視界と感じる空気で愛しい弟と敬愛する兄の様子を堪能するのも良いけれど、アルバートばかりルイスに構われるのは羨ましい。
せっかくルイスが何かの意図を持ってして酔ったフリなどしていたのだから、からかって遊ぶには絶好の機会なのだ。
最も、遊ぶというより普段見られないルイスを存分に目に焼き付ける、と言った方が正しいかもしれない。
「ふふ。今夜の兄様と兄さんはとても甘えん坊ですね」
自分を見て、という幼子のようなウィリアムの言葉はルイスのお気に召したらしく、張り切ってウィリアムを甘やかそうと体を捩る。
そして彼の膝の上に横抱きされる姿勢でウィリアムの頭を抱きしめたかと思えば、さらりと流れる金色の髪を緩く優しく撫でていった。
細い猫っ毛をしているルイスのものより幾分か芯の強いその髪は、アルバートのものとは違うベクトルをしていて触ると心地が良い。
そういえばアルバートの髪もウィリアムの髪も撫でたことは滅多にないなと、ルイスは改めてその優越感に浸っては上目に自分を見るウィリアムに笑みを返した。
いつも凛々しく頼りになるウィリアムが、その凛々しさを払ってルイスだけを甘く見上げる様は堪らなく可愛いし愛おしい。
額に掛かる前髪を指で避けながら、何にも遮られることのない状態で高い鼻筋にキスをする。
そうして互いの額を合わせて至近距離で視線を交わしては微笑んでいた。
「(甘えられるのは凄く嬉しいものなんですね…兄さんと兄様が僕を酔わせたいと思う気持ちが少し分かる)」
思い描いていた結果ではないけれど、思いがけず甘えられる側の気持ちがよく理解出来てしまった。
演技じみた甘えでもこれほど嬉しいのだから、普段からもっと甘えてくれても良いのに。
だがそれはお互い様なんだろうなと思いながら、ルイスは珍しく自分に甘えようとする二人の兄を構うために細い腕を伸ばしていった。
(おはようございます、ウィリアム兄さん、アルバート兄様)
(おはよう、ルイス。二日酔いはないのかい?)
(問題ありません、兄さん。兄さんこそお気分は大丈夫ですか?)
(あぁ。とても気持ちの良い寝覚めだよ)
(昨夜は私も珍しく酔ってしまったが、君に迷惑はかけていなかったかな)
(迷惑なんてとんでもない。酔った兄様と兄さんと過ごす時間は幸せでした)
(それは良かった)
(…また、酔いたいときには教えてくださいね、お二人とも)
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