憎きもふもふの毛玉
ウィリアムも嫉妬したりするのかなぁと考えた結果のウィルイス。
アルバート兄様に貰ったテディベアを大事にするルイスと毛玉に嫉妬するウィリアムというほのぼの。
このルイス、幼女みが強い。
ルイスはあまり物を持っていない。
自分にとって必要な物はウィリアムとアルバート、そして彼らのためになるものだけだと明確に線引きしているからだ。
だからこそルイスが持つ物は一つ一つが彼にとっての大事な存在で、決して失くさず壊さず、そして崩れてしまうことのないよう丁寧に扱ってきた。
物を持たないルイスが特別大事にしている中で、最も大きく存在を主張している物。
それは幼い頃にアルバートから贈られた大きなテディベアだった。
「………」
「兄さん、そろそろ休憩の時間ですよ」
「…そうだね」
もふん、と陽の光をたっぷり浴びたふわふわの毛玉がウィリアムの背後にいる。
ちらりと視線を向ければ手触りそのままの艶の良い毛並みが見えてきて、ほのかに漂うその匂いはウィリアムが最も愛してやまない弟のものだった。
成長した体に覆い被さるほど大きなこのテディベアは、ルイスの匂いが移るほど彼のすぐ近くにいる。
そう考えると、ウィリアムの眉は僅かばかりに上がっていた。
「その子は?」
「さっきまで天日干ししていたんです。今日は天気が良かったので、ふわふわになりましたよ」
「…そうだね、ふわふわだ」
読んでいた本を閉じて後ろを振り返れば、満足したように自分を見ているルイスがいた。
その腕には先程までウィリアムの背中に懐いていたテディベアがおり、ルイスはもふもふしたそれを抱きしめながら機嫌良さそうに茶色い毛並みに顔を埋めている。
可愛い弟に可愛いテディベア。
兄であるならば見ていてとても癒される光景だろう。
事実、アルバートは自身が贈ったテディベアを抱くルイスを大層気に入っている。
ウィリアムとて気に入っていないわけではないが、かといって気に入るはずもないのだ。
この毛玉がいなければ、ルイスが直接触れて休憩を促してくれたに違いないのだから。
「すぐに紅茶の用意をしてきますね。ダージリンで良いですか?」
「あぁ、よろしく頼むよ」
「ではこの子をお願いします」
そういってルイスは愛玩しているぬいぐるみをウィリアムに渡し、急ぎ足で厨房へと駆けていった。
いつものルイスならばティータイムの用意をした上で声をかけてくるはずだが、今日はふわふわになった大事なテディベアをウィリアムにも見てほしかったのだろう。
大事なものを大事な人にも見てもらいたいと思うその精神は無垢でいたいけだけれども、心に住まう微かな嫉妬心にウィリアムは切れ長の瞳を無意識に鋭くさせている。
物言わぬもふもふの毛玉と目を合わせ、むすくれたように睨みつけた。
ルイスが大事にしているこの大きなテディベアは、幼い頃に初めてアルバートから贈られた物だ。
英国では特権階級に準ずる人間、もしくは貧民街にいる人間は早々に独り立ちを余儀なくされる。
前者はいずれ国を背負う立場にあるため、後者は一日一日を生きるために早々に自立せざるを得ないからだ。
アルバートは両親の愛情を受けることなく機械的に乳母に育てられ、ウィリアムとルイスは孤児ゆえに互いの愛情しか知らなかった。
そんな中、英国では精神の安定目的でぬいぐるみを愛でる習慣が一般的にある。
独り立ちを余儀なくされる子どもの精神安定剤が親ではなくぬいぐるみというのもおかしな話だが、それが一般的なのだから、英国では男女関係なく多くの人間がテディベアを所持していた。
当然アルバートも両親から大きなテディベアを与えられていたが、孤児であるウィリアムとルイスにそれを与える人間は誰もいない。
ウィリアムとルイスにとって互いの存在が精神安定に繋がっているのだから必要性も感じていなかったけれど、出会ってしばらくした頃のアルバートはそのことに気付いていなかったのだ。
せっかくルイスが「兄様」と呼んでくれるほど懐いてくれたことに感激して、アルバートはウィリアムとルイスに揃いのテディベアを贈ってくれたのである。
「大きいくまさん…」
「アルバート兄さん、これは?」
「二人とも、テディベアは持っていなかっただろう?僕からのプレゼントだよ」
小柄な二人の体ほどあるテディベアはさすがに大きすぎただろうかと思ったけれど、大きなぬいぐるみを抱きつくように持ち上げている姿はとても愛らしい。
大きなもふもふの可愛らしいぬいぐるみを持った幼い弟達はアルバートの目を癒してくれた。
「アルバート兄様、良いのですか?こんなに大きなテディベア…」
「あぁ。大事にしてくれると嬉しい」
「ありがとうございます、兄さん」
「…ありがとうございます、兄様」
親に捨てられたウィリアムとルイスがテディベアを貰うことはなかったけれど、孤児院には親が亡くなったために入所する子どもも大勢いた。
その子達の大半はテディベアを抱いていて、幼心に「羨ましいな」と思ったことがあるのだ。
ルイスだけでなくウィリアムも何となく羨ましく思っていたのだから、まさか今この立場になって憧れのテディベアを贈られるとは想像もしていなかった。
大きな瞳を輝かせながらルイスは自分と同じくらいに大きいテディベアを抱き、アルバートとウィリアムを交互に見ては嬉しそうに顔を緩ませている。
アルバートからの初めてのプレゼントが昔憧れていたテディベアで、しかもウィリアムと二人でお揃いの物なのだ。
嬉しくないはずもないし、ルイスだけでなくウィリアムもむず痒いような幸福感に全身を覆われている。
大きさに見合って重たいはずなのに、ルイスはそれを苦とも思わずテディベアを掲げてにこにこと笑っていた。
「とっても嬉しいです、兄様!大事にしますね」
テディベアに顔を埋めながらもう一人の兄に礼を言ったルイスの姿はとても愛らしく、成長した未来でもウィリアムとアルバートの心に焼き付いている。
敬愛する兄からの贈り物をとても喜んだルイスはそれからというもの、時間さえあればお気に入りのテディベアに抱きついてはその毛並みに癒される日々を送っていた。
今までであればウィリアムもアルバートも多忙を極めていて、中々ルイスに構う時間が取れなかった。
目指す目的のためにはそれで良いのだと誰もが理解していたし、ルイスも二人の邪魔になってはいけないと懸命に勉学や屋敷の管理について学んでいたのだ。
けれども元々依存めいてウィリアムを慕っていたルイスであり、アルバートにも似たような感情を向け始めたルイスのことだ、どうしたって埋められない寂しさが胸に存在してしまう。
構ってほしいけれど、邪魔になるような真似はしたくない。
そんなルイスにとって、アルバートから贈られたテディベアは寂しさを解消するにはぴったりだったのだ。
大きなもふもふのぬいぐるみはルイスの寂しさを隙間なくしっかりと埋めてくれた。
「アルバート兄様、お休みなさい」
「お休み、ルイス。良い夢を」
「はい。兄様もあまり遅くならないうちに休んでくださいね」
テディベアを抱いて、というよりもはや引きずった状態で、ルイスはアルバートへと眠前の挨拶をする。
今日も課題があると言っていたから眠るのは大分先になるのだろう。
体を壊さなければ良いけれど、と願いながら、ルイスは隣にいるウィリアムを見上げて同じように声をかけた。
「ウィリアム兄さんもお休みなさい」
「え?」
「今日も遅くまで本を読むのでしょう?僕はこの子と一緒に寝るので大丈夫です」
「ちょ、ルイス」
「でも、あまり遅くならないでくださいね」
ルイスは一人では寝られないし、ウィリアムもルイスと一緒に眠った方が寝付きが良い。
けれどウィリアムは宵っ張りであるため、中々二人の就寝時間が合うことはなかった。
昔はルイスに合わせてウィリアムも早くに眠ろうとしていたけれど、兄の邪魔になりたくないと、ルイスは完全に眠たくなるまでウィリアムの読書に付き合うのが常だったのだ。
今日もそうだと思っていたのに、自分よりも少しだけ小柄な弟は一人で眠るのだと言っている。
いや、正確には一人ではない。
腕に抱えたテディベアと共に眠ると言っていた。
昨日までのルイスならばテディベアに顔を埋めたままウィリアムの読書を待っていたのに、一体どういうことなのだろうか。
ウィリアムは緋色の瞳を見開きながらルイスを見やり、慌てたように口を開いた。
「ルイス、でも」
「アルバート兄様から貰ったこの子がいればきっと眠れます。ウィリアム兄さんともお揃いですし、寂しくないです」
「え、あ…そう…」
「お休みなさい、兄さん」
少しだけ背伸びをしてからウィリアムの頬にキスをして、ルイスは名残惜しむ様子もなくお気に入りのテディベアを抱いて滅多に使われない自分の寝室へと向かっていった。
小さな後ろ姿から目を離せず、ウィリアムは呆然とその姿を追っている。
そんな弟の様子を誰よりも近くで見ていたアルバートは、しくじっただろうかと内心冷や汗をかいていた。
自分が贈ったテディベアを大事にしてくれているのは素直に嬉しい。
ウィリアムとて、常に連れているわけではないけれど部屋で大事にしてくれていることを知っているのだ。
贈って良かったと思っているのだが、まさかここまでルイスがあのぬいぐるみに入れ込むとはアルバートも予想していなかった。
思いがけず、ウィリアムの迷惑にならないよう我慢しているルイスの支えになってしまったらしい。
「…ウィリアム」
「……何でしょう、アルバート兄さん」
「…その…、すまない」
「何故兄さんが謝るんです?…ルイスが寂しくないのならそれが一番です」
いつも明朗な発音を繰り返す声の面影などないくらい、絞り出すようなか細い声がアルバートの耳に届いた。
ルイスは寂しさを解消したようだけれど、それに伴いウィリアムの寂しさは増したらしい。
アルバートはもう何も言わない方が良いだろうとそっと視線を逸らし、その場から逃げるように自室へ向かっていった。
それからというもの、ルイスはウィリアムの邪魔をしないよう時間さえあればテディベアと過ごすようになり、寂しさが軽減したのか目に見えて機嫌が良くなった。
そしてそんなルイスと反比例するようにウィリアムの機嫌は徐々に下降し、朗らかに笑っていた日々が嘘のように緋色の瞳が冷たい。
見兼ねたアルバートが励まそうとするけれどウィリアムが求めているのはルイスなのだから結局解決することはなく、当の本人であるルイスの前であればウィリアムの機嫌は良くなってしまう。
ゆえにウィリアムの目が冷たいということにルイス自身が気付くことはなかった。
「ルイス、おいで」
「ウィリアム兄さん」
そうしてそれぞれの忙しさが少し落ち着いた頃。
ルイスがテディベアと共に過ごす時間よりも、ウィリアムと共に過ごす時間の方が増えてきた。
大事な弟がそばにいることで目に見えてウィリアムの機嫌は良くなっており、埋められなかった隙間をルイスでいっぱいにするように構い倒すようになる。
細く頼りない体を抱きしめて、清潔なシャボンの香りがする髪の毛に顔を埋めてルイスを堪能する。
それだけでウィリアムの気持ちは随分と上向きになり、ルイスも満たされたように笑うことが増えた。
大事な大事なテディベアではあるが、やはりルイスにとってのウィリアム以上にはなり得ないのだろう。
それを実感したウィリアムはますますルイスを強く抱きしめる。
いっそこのままひとつになってしまえれば良いのにと願いながら、視線の先で仲良く座っている揃いのテディベア達を複雑な気持ちで見つめていた。
そんな過去があって以来、ウィリアムはルイスお気に入りのテディベアがあまり得意ではない。
大事な兄が贈ってくれた、揃いの可愛いぬいぐるみ。
間違いなく宝物だと断言出来るし、ルイスの寂しさを無くしてくれた感謝すべき存在だ。
だが、それとこれとは話が別なのである。
ウィリアムはルイスに今しがた渡されたこのもふもふの毛玉が、少しばかり憎いのだ。
他の誰にもルイスは渡さないし、他の誰にもルイスが靡くことはないと知っている。
そうなるようにウィリアム自らがルイスに教え込んだのだから、これから先の未来に至るまで違えることなど絶対にない。
けれど、アルバートから贈られた自分と揃いのテディベアという無機物にはルイスが気を許してしまっている。
その成り立ちを知る限り、ウィリアムはそれを拒絶することも出来ない。
ただただ僅かに心を刺す感情を抱えているしかないのだ。
「これが嫉妬だなんて思いたくないけれど、僕は君のことが嫌いだな」
ルイスが大事にしているテディベアに向かって、ウィリアムは苦々しく口を開いては諦めたようにため息を吐く。
まさか自分が何かに嫉妬するだなんて思いもしなかったし、その対象がたかがぬいぐるみだとも思わなかった。
けれど実際にウィリアムはルイスに大事にされているこの毛玉を好ましく思っていないのだ。
大事だと心から感じているし、ルイスの気持ちを救ってくれたのだから感謝もしている。
だが、やはりそれとこれとは話が別なのだ。
陽の光に混ざってルイスの匂いがするもふもふの毛並みに顔を埋めて大きなそれを抱きしめる。
柔らかくて抱き心地は良いけれど、ウィリアムが求めているのは細く頼りない抱き心地なのに胸をいっぱいにしてくれるルイスだけなのだ。
早く紅茶を淹れてここに来ないだろうかと時計を見やり、たった数分の時間すらもひたすら長く感じられる自分に嫌気が差した。
(お待たせしました、兄さん)
(おかえり。ありがとう、ルイス)
(蜜はどうしますか?いつものように蜂蜜を入れましょうか?)
(そうだね、お願い出来るかい?)
(はい。熱いので気をつけてくださいね)
(うん。それよりルイス、おいで)
(…?はい。あ、この子を見てくださりありがとうございました)
(はは…どういたしまして)
(ふわふわだから抱いていて気持ち良かったでしょう?)
(どうかな。ルイスの方が抱き心地は良いから、よく分からないな)
(…それは、どうも…)
(ルイス…)
(ん…兄さん、どうかしましたか?)
(…何でもないよ、うん)
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