末っ子の入院には付き添いが必要です
ウィリアムとアルバート兄様はルイスを一人で入院させないだろうなぁ過保護だから…というほのぼの三兄弟のお話。
ルイスの入院生活はきっと微笑ましい。
「体調は良いようですね。聴診も問題ありません」
「ありがとうございます」
「ですが、そろそろ一度正確に心機能を評価しておきましょう。来月に検査入院です」
「え…え?」
「ですから、入院してカテーテル検査を受けましょう」
「…!!!」
ルイスの心臓は完治した。
けれど後遺症含めその後の経過を診ていく必要があるため、定期的な往診は欠かさずに受けている。
それはモリアーティ家当主であるアルバートの指示であり、ウィリアムたっての希望ゆえだ。
ルイス自身はもう何ともないのだから診察など不要と考えているのだが、兄達からのせっかくの厚意なのだからとありがたく受け取っている。
今日はその往診日のため、ルイスは自室で主治医による診察を受けていた。
結果は予想通り順調そのものだったのだから、思わず口元も綻んでしまう。
けれど期待した言葉の次に聞こえてきた言葉に、ルイスは思わず主治医である彼を二度見してしまった。
「に、入院ですか?日帰りでは無理でしょうか?」
「麻酔を使いますし、体への侵襲性もあります。一週間ほどの入院が望ましいですね」
「…どうしても、検査は必要ですか?」
「アルバート様から慎重に経過を診るよう言われておりますし、最後にカテーテル検査をしたのは二年前です。そろそろ頃合いですから」
「…そ、うですか…」
「何か不都合でもありますかな?」
「…いえ…来月ですね、スケジュールを確認してきます。少しお待ちいただいてよろしいでしょうか」
主治医の返事を聞きながらルイスは肩を落として部屋を出た。
ウィリアムとアルバートに入院の必要性と日程調整の相談をするためである。
ルイスの往診日にはその診察が全て終わり次第、主治医による兄達への病状説明が予定されているため二人は必ず在宅しているのだ。
主治医が検査入院が必要だと言えば二人は指示に従うようルイスを諭すだろう。
ルイスとてそれは理解している。
もう何年も前になるのに大きな手術をした証は未だ胸に残っているし、再発や後遺症の早期発見のためには十分な検査が必要になる理由はよく分かっていた。
ただ問題は、一週間もの間この屋敷を離れて病院で過ごすということだった。
「アルバート兄様、ウィリアム兄さん。今、お時間よろしいでしょうか?」
「お疲れ様、ルイス。診察は終わったのかい?」
「はい。問題ないということですが、念のため来月に検査入院をすることになりました」
「そうか、分かった」
「期間はどのくらいだい?」
「一週間ほどだそうです。麻酔を使ったカテーテル検査を予定しています」
「あぁ、二年前に実施した検査だね」
二人はルイスの話を聞いてそれぞれ己の手帳を取り出し、来月のスケジュールを確認する。
そうしてそれぞれの予定と照らし合わせ、ルイスの入院に伴う一週間の都合を付けるべく相談を始めた。
ウィリアムは大学教授、アルバートは陸軍中佐として働いている。
そんな二人が一週間もの都合を付けることがどれほど大変なことか、ルイスはよくよく理解していた。
「…あの、お二人とも。今回は僕一人での入院で問題ないのですが」
「何を言っているんだい、ルイス。ドクターの腕は信用しているけど、何があるか分からないだろう」
「でも、以前経験した検査と同じものです。あのときも大きな後遺症はありませんでした」
「過去は過去だろう。日々医療が発展しているとはいえ、お前を一人にしておくわけにはいかない」
「…はい」
ルイスとしては健康体を自負しているのだが、そう自負していたくせに心臓を悪くした過去があるのだからそういった方面での信用がない。
アルバートはもちろんだが、特にウィリアムからの体調面での信用は一切ないのだ。
本当に大丈夫なのに信じてもらえないことは歯痒いのだが、過去に偽りの「大丈夫」を言い続けてきたルイスの自業自得だからどうしようもない。
だから、ルイスの入院に兄が付き添うこともモリアーティ家では極々当たり前のことだった。
「……」
目の前では綿密に予定を照らし合わせているウィリアムとアルバートがいる。
ルイスの仕事は屋敷及び領地の管理だ。
基本的にいつ入院になろうと大きな支障はない。
だからルイスの入院に付き添う兄達のスケジュールこそが優先される理由はよく分かる。
さすがに二人ともに一週間もの時間を取れるとは思わないため、適当に日数を区切って入院に付き添ってくれるつもりなのだろう。
ルイスは優しい兄達の気持ちを受け取りつつ、ふと過去の入院歴を思い出していた。
その日、ルイスは心臓の鼓動に僅かな雑音が混ざるということで急遽入院して経過をみることとなった。
特に大きな処置があるわけでもなく、連日の採血やエコー検査、そして感染予防のための抗生剤投与。
その程度しかすることはなかったし、ルイス自身はさほど気になる自覚症状もないため不安になることなく日々を過ごしていた。
当然のように兄であるウィリアムが付き添い入院してくれた影響もあるのだろう。
アルバートの配慮ゆえか広々とした個室にベッドが二つ、時間での検査や検温さえなければウィリアムと二人きりで昔を思い出すように過ごしていたのだから、大きな手術のときに一人きりだったことを思えばむしろ楽しいくらいだった。
そう、手術をする際には前後含め付き添いなどなかったから、今回の入院にウィリアムが付き添ってくれることを不思議には思っていた。
けれどアルバートは当然のようにウィリアムの付き添いを許可していたし、担当してくれる医師も看護婦も疑問を呈することはなかったので、貴族の入院には付き添いが普通なのだとルイスは思ったのだ。
だから、次の入院時にアルバートが付き添ってくれたときにも驚くことはなかった。
緊急の入院ではなく、心臓の運動機能を評価するため予定された簡易的なリハビリ入院。
ウィリアムのときとは違いのんびり過ごすことはなかったけれど、いつも忙しいアルバートがともにリハビリに付き合ってくれたから、ルイスは張り切っていいところを見せようと体を動かしては担当医に褒められたものである。
リハビリ室には他の患者も多くいたが、その誰もが一人きりであったことを少しだけ不思議には思っていた。
今までの経験から、相応の地位を持つ人間ならば付き添いの人間を伴って入院をするのが慣習なのだろうとルイスは考えていたのだ。
けれどすれ違う患者は皆一人であるし、ラウンジに行っても退屈そうに本を読んでいる患者しかいない。
そんな中でルイスはアルバートの腕を引いてリハビリに精を出しており、入院中はずっと一緒に過ごしていたのだから一人きりになることはなかった。
何故周りの患者は一人なのだろうかとアルバートを見るが、特に答えが返ってくることもないため気にせず入院期間を終えたのである。
ルイスがようやくおかしいと気が付いたのは、季節の変わり目に体調を崩して緊急入院したときだった。
我慢に我慢を重ねて隠し続けたせいで肺炎が悪化してしまい、随分と状態が悪くなってしまったために三週間も入院してしまったのだ。
そのときは入院当初からウィリアムが付き添ってくれており、後半にはアルバートも付き添ってくれた。
学校は良いのかと聞いたところ、事情を話して休暇を申請しているから問題ないという。
今までで一番広い個室の中、それでもベッドは二つしかなかった。
体に障らないようルイスは広いベッドで一人眠り、もう一つのベッドでウィリアムとアルバートが眠っていたのだが、回復してきたルイスが夜中に寂しくなって二人のベッドへ潜り込むようになったのは懐かしい記憶である。
二十四時間、片時も離れずウィリアムとアルバートがそばにいる入院生活。
少し体調にも余裕が出来たので一人で行った検査の帰り道に見た他の患者はやっぱり一人で、誰にも付き添いの人間がいる様子はない。
そんなに家族仲が悪いのだろうかと考えていたルイスの耳に、ステーションで話している看護婦の声が届いてきた。
小さな子どもでもないのに付き添いの人間がいる入院は珍しいですね、と。
その言葉を聞いたルイスは衝撃を受けたようにその場で固まってしまった。
看護婦達の会話から察するに、身の回りのことが出来ない子どもでもない限りは身内の付き添いありきの入院はほとんどないらしい。
ましてルイスがいる病棟は小児科ではなく呼吸器内科であり、以前も循環器内科に入院していた。
年齢だけで考えれば小児科になるのだろうが、ルイスの場合ははっきりした病名と診断がつくゆえ該当科での入院になったために、大人に囲まれた入院になっていたのだ。
なるほど、それならば周りの患者に付き添いがいないのも無理はない。
ルイスだって意思も行動も自立しているのだから、よく考えてみれば入院生活において付き添いなど必要なかった。
そもそもウィリアムとアルバートが入院に付き添ってくれているとはいえ、彼らは何をするでもなくルイスのそばにいて励まし支えてくれるのみなのだ。
ルイスは検査を嫌がらないし、治療の妨げになるような行動もしない。
身の回りの世話も基本的には必要ないが、ウィリアムとアルバートが手伝ってくれるのだから厚意をそのまま受け取っていた。
だいすきな二人を独占して過ごせるのが嬉しくて深く考えていなかったが、どう考えてもルイスの入院生活においてウィリアムもアルバートも不要である。
それなのに何故ウィリアムとアルバートはルイスの入院に付き添い、一緒になって病院生活を過ごしてくれているのか。
ルイスはウィリアムの真似をして顎に手をやり静かに考えていると、一つの可能性に行きあたった。
「…僕、もしかして兄さんと兄様に子ども扱いされてる…!?」
ショックを受けたように、いや事実ショックを受けた状態で、ルイスは大きな瞳がこぼれ落ちそうなほどに目を見開いた。
そうして顔を青くさせたかと思えば、まだ無理は禁物だと理解しているのに走って部屋へと戻っていく。
中ではウィリアムとアルバートが学校に出された課題をこなしていたが、ルイスの姿を見てすぐにその手を止めてノートも閉じてしまった。
「ルイス、まだ走るのは駄目じゃないか」
「そうでなくても院内では静かにしないといけないよ」
「は、はい…すみません…」
己を咎めるウィリアムとアルバートに逆らうことなく素直に謝り、ルイスは少しだけ苦しい胸を誤魔化すように深く息をする。
そうして背中を摩ってくれるウィリアムに手を引かれたまま、シーツが綺麗に整えられているベッドへと座った。
ルイスは呼吸が落ち着いた頃を見計らって二人と向き合い、先程聞いた話を確かめるべく声を出す。
「あ、あの…普通、入院には付き添いが必要ないというのは本当ですか?」
「…そうだね。自分で身の回りのことが出来なかったり、意思決定が難しい場合じゃなければ付き添いは必要ないね」
「じゃ、じゃあどうして僕の入院にはお二人が付いてくださるのですか?僕、一人でも大丈夫なのに」
「それは…」
落ち込んだようにルイスがウィリアムとアルバートを見上げれば、二人は真っ直ぐに自分を見つめてくる大きな瞳から視線を逸らしてしまった。
その様子に気付いたルイスは自分の予想が当たっていたのだと確信し、頬を膨らませて不満を全面にアピールしては二人の兄を鋭く見据える。
やっぱり子ども扱いされていたのだ、自分は。
二人より小さいけれど、ちゃんともう一人前になったつもりなのに子ども扱いするだなんて酷い。
「…僕、もう子どもじゃありません。一人でも大丈夫です」
「ルイス、そうじゃないよ。君を子ども扱いしているんじゃなくて、僕はルイスが心配なんだ」
「……心配?」
「あぁ」
ウィリアムはルイスの左頬に手を添えて、いつも見せる余裕めいた笑みではなく少しだけ苦しそうな歪な笑みを浮かべていた。
視界の端には穏やかに瞳を伏せたアルバートもいる。
嘘ではないのだろうなと、ルイスは思った。
「ルイスはいつだって我慢してしまうだろう?今回の入院も、君が隠し続けてしまったから随分と状態が悪化してしまった…僕はそれに気付けなかったことがとても悲しい」
「……」
「本当なら僕がルイスの変化に気付けるようになるのが一番なんだろうけど、僕の気付きよりもルイスが隠し上手になる方が早いみたいだから」
「…それは…」
「だからね、せめて入院しているときくらいはずっとそばにいたいんだ。これはルイスのためというよりも、僕自身がルイスのそばにいたいからしていることなんだよ。子ども扱いしているわけじゃない」
「…はい」
左頬だけでなく両頬に手を添えられ、美しい深紅色をした瞳に覗き込まれるように諭された。
一つしか違わないのに大人びて落ち着いた声はルイスの耳に心地良く響き、その内容も兄が自分を思う気持ちがひしひしと伝わってくるのだから堪らない。
子どもじゃないとゴネている自分こそがやっぱり子どものようだと、ルイスは申し訳なく思う。
隠してしまうのはもうルイスの悪癖で、確かにそれが原因でウィリアムにたくさんの心配をかけているのだろう。
ならばウィリアムが自分を心配する気持ちは素直に受け入れるべきだと、ルイスは兄の顔を見上げて口を開く。
「…兄さんとの入院、子ども扱いされてるのかと思って嫌だったんですけど…でも、一緒にいられるのはすごく嬉しいんです」
「良かった」
「アルバート兄様も、一緒に入院してくれたから少しも寂しくなりませんでした。ずっと楽しい入院生活でした」
「そう言ってもらえて嬉しいよ、ルイス」
子ども扱いされているわけではなかったのだと分かり、ルイスは決して付き添いでの入院が嫌ではないのだと兄に伝える。
初めての入院のときはずっと一人きりで寂しくて不安で仕方がなかったのに、他の入院ではウィリアムかアルバートが一緒にいてくれたのだから一瞬の寂しさも覚える暇がなかった。
むしろ屋敷にいるときよりも寮にいるときよりも二人とともに過ごす時間が増え、構われたがりなルイスは大満足だったのだ。
アルバートに髪を撫でられ、ルイスはふんわり笑って兄達を見る。
彼らの付き添いの元、入院できるのはとても嬉しいし心強い。
けれど、現実問題それは改善しなければならないだろう。
ウィリアムとアルバートは忙しい身の上なのだから、ルイスに付きっきりで構っていられるほど時間に余裕があるはずもない。
ルイスは優しく自分に触れてくれる二人の手を取り、自分の希望を押し殺して兄へと懇願する。
「ウィリアム兄さん、アルバート兄様。お気持ちは嬉しいのですが、今後はもう僕一人の入院で大丈夫です。お二人は忙しいのですから、僕に構っていては他のことが疎かになってしまいます。どうぞ、ご自分の成すべきことをなさってください」
「うん、だから僕の成すべきことはルイスのそばにいることだよ」
「そうだな。家族以上に優先することはないのだから」
「え、」
ルイスが意を決して提案したことを、ウィリアムとアルバートはいともあっさり却下した。
ウィリアムはルイス以上に大切なものを持っていないし、アルバートは新しく出来た家族という絆を大事にしている。
そんな二人がルイスの入院を一人きりにするはずもないのだ。
「え、でも僕、本当に一人でも大丈夫です。もう嘘を吐いたり我慢したりしません。お二人の手を煩わせるわけには…」
「申し訳ないけど、信用ないかな」
「座学などどこでも出来る。ルイスが気にすることではないよ」
「え、あの…え」
それから毎日懸命にルイスが帰宅を促したけれど、結局二人はルイスの退院までともに入院してしまった。
兄を独占できる時間があんなに嬉しかったはずなのに、日にちが経つにつれて嬉しさよりも申し訳ない気持ちの方が勝ってしまう。
一緒に寮へと帰ったとき、「無理しないでね」と別れを告げられて部屋で一人になった瞬間、これで兄の邪魔をしなくて済むと少しだけ安堵してしまったのだ。
以降も何度か入院する機会があったけれど、ルイスは一度もウィリアムとアルバートを説得できた試しがない。
ルイスが入院する際には予定でも緊急でも常に兄同伴になるのだから、病院側は何を言われるまでもなく事前に特上個室を用意してくれるようになった。
もう年齢的にも子どもを脱していい大人になったというのに、未だに兄の付き添いでなければ入院できないというのもどこか気恥ずかしい。
けれどそれを伝えたところで、ウィリアムにもアルバートにものらりくらりと躱されてしまうのだ。
良いお兄さんですね、と言ってくれる看護婦の視線が恥ずかしかった。
そんな過去を思い出しながら、ルイスは目の前で入院日程を決めたらしい兄を見る。
どうやら前半の五日間はウィリアムが付き添い、後半の五日間はアルバートが付き添ってくれるらしい。
つまり間の三日間は二人同伴での入院となるようだ。
最近はそれだけ長い時間を二人を独占することもなかったし、一週間もの時間をともに過ごせるというのは想像ですら貴重である。
検査に伴う苦痛など、一切感じえない自信があった。
けれど、兄を思うルイスの弟心は複雑なのである。
本当に仕事は良いのだろうかと、ルイスがもう一度控えめに問いかけてみれば、穏やかな笑みで予想通りの言葉を返されてしまうのだった。
(では来月の第二週に入院ということでよろしいですかな?)
(はい。入院初日からは私が、後半からは兄のアルバートが付き添いますのでよろしくお願いします)
(分かりました。いつもの部屋を用意しておきますのでご安心ください)
(ドクター、本当に今回の検査に危険はないのでしょうか?)
(侵襲性はありますが、万全に準備をした上で管理させていただきます。ご希望とあれば手術室の中へご案内しましょうか?)
(良いのですか?ではそのようにお願いします)
(ウィリアム、私は当日、庁舎でデスクワークをしている予定だ。何かあればすぐに連絡を頼む)
(はい、勿論)
(……僕の検査入院、で良いんですよね…?)
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