ひとつだと足りない、半分だと足りるのに


ご飯はずっと半分こしてきたウィルイスの話。
いきなり半分こする必要がなくなった環境に根をあげるのはウィリアムだと思うし、ウィリアムはルイスがそばにいない状況だと段々駄目になっていくと思う。

「はい、これはルイスの分だよ」
「ありがとうございます、兄さん」

美味しいね、と笑いかければ、美味しいです、と笑い返してくれる弟の笑顔がすきだった。
一緒に食べれば冷めたスープも硬いパンも傷んだ野菜も美味しくて、どんな高級料理よりも魅力的なものになる。
兄は頬を膨らませてもぐもぐと口を動かしている弟を見た。
細くて小さいこの子にもっとたくさんの食事を与えたいと思う。
お腹は空いていても健康体な自分より、小柄で病弱なルイスにこそ十分な栄養が必要なのだから。
けれど今の環境では中々難しくて、せめて自分の分までたくさん食べてほしいと思うのに、当のルイス本人が兄の分まで受け取ることを拒否してしまう。
曰く、兄さんと一緒じゃなきゃ僕も食べません、ということらしい。
大事に思っている弟から怒ったようにそう言われてしまうとどうしても弱くて、仕方なく兄は手に入れたパンを半分に割り、兄弟仲良く一緒にそれを食べるのだ。
自分がルイスを思う気持ちと同じくらいにルイスが自分を思う気持ちが伝わってくるようで、残念だけれど嬉しい気持ちも確かにある。
パサパサしているはずのパンなのに、美味しそうに食べるルイスを見ているとやっぱりこの上なく美味しかった。

「もうお腹いっぱいです」
「そう。じゃあもう休もうか。明日は少し遠くまで困っている人を探しに行こうね」
「はい」

小さなパンを半分と水しか飲んでいないのだから、育ち盛りのお腹が満たされるはずもない。
けれどルイスは偽りなく心から満たされたような表情をしている。
そして自分も同じように満たされているのだから不思議なものだ。
ルイスの顔を見ると兄は申し訳ない気持ち以上にとても嬉しくて、この子にもっとたくさん食べさせてあげたいと決意を固めるのだ。
小さな弟を抱き寄せて薄い毛布に包まり、入眠を促すための子守唄を歌ってあげる。
そんな兄の腕の中、もぞもぞと動いて収まりの良い場所を見つけたルイスは安心したように凭れて規則正しい呼吸を立てていた。



食べていくことに必死だった孤児時代、ウィリアムとルイスはいつも何かを半分に分けて生きてきた。
痛いも苦しいも悲しいも嬉しいは勿論、少ない食べ物は全て半分に分けてきたのだ。
ウィリアムからもルイスからもそれが当たり前のように提案されてきたのだから、もはや習慣付いてしまっている。
だからアルバートに拾われて一人に対し一人前の食事を出されたときには少しばかり戸惑ってしまったし、分けようにも同じものを目の前に用意されているのだからどうにも不自然だった。
困惑したルイスより一足先に状況を察したウィリアムは、食べようか、と声をかけて口にしたことのない豪華な食事を食べていく。
それに倣ってルイスもフォークを手に取り、小さな口にちまちまと食事を収めていった。
初めて食べた一人前の、しかもこんなにも豪華な食事は幼い二人の胃には少し多かったようで、ウィリアムとルイスはその夜お腹が膨れた影響ですぐに眠ってしまったものだ。

「兄さん、アルバート兄様がビスケットをくださいました」

悪くしていた心臓を手術して、しっかりした栄養を摂り始めたルイスの体調はすこぶる良い。
アルバートにも少しずつ慣れてきたようで、使用人に内緒でアルバートに貰ったというビスケットを持ってウィリアムを訪ねてくるその表情は子どもらしく可愛かった。
長く夢見ていた健康体のルイスと過ごす日々はまるで夢のようだ。
ウィリアムはルイスの顔を見て優しく微笑んでは近くに来るよう手招きをする。

「兄さん、半分こしましょう。これは兄さんの分です」
「ありがとう、ルイス。アルバート兄さんにお礼は言えたかい?」
「貰ったときにちゃんとお礼を言えました」
「そう、偉いね」

ぱき、と半分に割られた大きなビスケットを受け取り、ウィリアムは兄と弟の距離が問題なく近付いていることに安堵した。
ウィリアム以外に慣れようとしないルイスがアルバートとちゃんと会話が出来るというのは貴重なことだ。
サクサクとした食感にほのかな甘さのあるビスケットを楽しみながら、二人は束の間の休息を楽しむ。
秋にはイートン校への入学が決まっているウィリアムと、イートン校への復学が決まっているアルバートは、ルイスを一人この屋敷に置いていってしまうことを気にしていた。
けれどそれはどうすることも出来ない現実で、一年遅れでルイスもイートン校への入学を予定しているのだから、今は耐えるしか道はない。
大事な弟と離れて過ごすのは心配で仕方がないし、今まで自分と離れたことのないルイスは大丈夫だろうかと不安になる。
だから今この時間を大切に過ごそうと、ウィリアムはルイスを常にそばに置いて日々を過ごしていた。



「ウィリアム、調子はどうだい?」
「兄さん」

イートン校に入学してしばらくした頃、アルバートはウィリアムとともに昼食を取ろうと誘いをかけに来た。
澄ました顔のウィリアムはアルバートを見ても表情を変えず、けれどどこか張り詰めた空気が和らいでいるのがよく分かる。
入学早々優れた頭脳を評価されたために教員からも学生からも一目置かれるウィリアムは、アルバートの弟という以上の注目を浴びる学生生活を送っていた。
慣れない環境で慣れない注目を浴びて辟易しているだろう弟を労うためにやってきたアルバートだが、要らぬ心配だったかと少しだけ安堵する。

「時間があるのなら一緒に食事でもどうだい?」
「是非。次の授業は休講になってしまったので、時間には余裕があります」
「では行こうか」

手早く教科書とノートをまとめ、クラスメイトに笑みを返してからウィリアムはアルバートの元へと駆け寄った。
元々人当たりが良く、誰に対してもフラットに優しいウィリアムは以前と変わりなく過ごしているのだ。
周囲には階級社会のトップを担うであろう貴族家子息しかいない環境だが、ウィリアムは今のところ大きな問題を抱えることもなくうまくやっていけているという自負があった。
近くにルイスがいないことだけが不満だけれど、いずれまた一緒に過ごす生活になるのだから少しくらいは耐えるべきだろう。
ウィリアムはいかにも「安心した」という表情を浮かべているアルバートを見て苦笑しながら、ありがとうございますとだけ返してから、ともに食堂へと向かっていった。

「Aランチをお願いします」
「分かりました」
「僕にも同じものをお願い出来ますか?」
「えぇ、少々お待ちください」

学食に行けばそれなりに賑わっており、それでもまばらに座席は空いている。
特に食べたいものが思い浮かばなかったウィリアムはアルバートと同じものを頼むことにした。
そうして用意できるまでの短い時間でどの席に座ろうかと食堂内を見渡すアルバートとは違い、ウィリアムは視線を少し横に逸らして目に入ったそれに意識を奪われる。

「…あの、これも一緒にお願いします」
「分かりました」
「ありがとうございます」

ウィリアムがつい手を伸ばしてしまったそれは学食オリジナルのパウンドケーキだった。
風味豊かなりんごを使用したそれはラッピングされた中に二つ入っており、小腹が空いたときにちょうど良いと学生達の間でも人気の品である。
アルバートも何度か手に取ったことがあり、午後にでも食べるのかとさほど気に留めることはなかった。

「…………」
「どうしたんだい、ウィリアム」
「いえ…」

用意されたランチを手に取り、空いた座席に腰を下ろしてモリアーティ兄弟は食事を始める。
下心のある級友からともに食べて良いかという誘いを何度か受けたけれど、兄弟の時間を大切にしたいから、と申し訳なさそうに言うアルバートに引き下がっていく。
それはウィリアム含めた二人の本心で、ソフトで嫌味なく言えた己を褒めたいほどだとアルバートは自賛した。
イートン校でも指折りの成績優秀かつ美形な兄弟が醸す雰囲気は洗練されており、周りの人間から羨望の眼差しを向けられる。
けれどそれを気にせず優雅にランチを楽しんでいたアルバートは、食事を終えてからずっと俯いているウィリアムを訝しげに見つめていた。
俯いた先には先程買ったパウンドケーキの袋が置いてある。

「僕とのランチで気に入らないことでもあったのかな」
「いえ、そういうわけではありません」
「では、意識が疎かな理由は何にあるんだろうね?」
「…アルバート兄さん、このケーキ半分食べませんか?」
「え?」

そう言って差し出されたのはウィリアムが熱心に見つめていたりんごのパウンドケーキだった。
午後のおやつにでもするのかと思っていたのだが違うのだろうか。
アルバートは首を傾げてウィリアムの手元にあるラッピングされたパウンドケーキを見る。

「今ここで食べるのかい?てっきり午後、授業の合間に食べるのかと思っていたけれど」
「あぁ、そういう食べ方もあるんですね」

想像もしていなかった、と言わんばかりのウィリアムの様子に、アルバートの方が呆気に取られてしまう。
ランチを食べたばかりの今、デザートとして食べられないこともないが、あまり食指は引かれない。
元々食後に食べるつもりで手にしたのなら躊躇う理由はどこにあるのだろうか。

「…全て自分で食べるほどお腹は空いていないので」
「今ここで一つ食べて、後でもう一つ食べるのはどうだい?」
「…そう、ですね」

あまりはっきりしない様子のウィリアムを見て、アルバートは近くにいるスタッフに紅茶のおかわりを要求してからパウンドケーキを一つ奪う。
ハッとしたように瞳を輝かせるウィリアムに笑みを返し、しっとりしたそれに口を付けては強烈な甘味を味わうことにした。

「ありがとうございます、アルバート兄さん」
「こちらこそ馳走様」

アルバートに続いてウィリアムもパウンドケーキに口を付ける。
りんごの風味が感じられるそれはとても美味しいはずなのに、どこか物足りないように感じられるのは気のせいではないのだろう。
お腹は満たされているし、口直しのデザートとして食べるそれは十分なくらいだ。
それでも満足していない様子のウィリアムに気付いたアルバートは、紅茶で喉を潤しながら雑談がてら会話を続けた。

「どこか不満そうだね。何か足りないものでもあるのかい?」
「…足りないもの」
「あぁ。特製のランチでお腹は満たされた。それに加えてデザートとしてこのパウンドケーキと紅茶を食べているはずなのに、君は飢えや渇きがまるで解消されていないようだ」
「…飢え…渇き…」
「っ!?」

アルバートが言った言葉を繰り返すように口を動かしたウィリアムは、綺麗な緋色の瞳からぽろりと大きな雫をこぼしていた。
何の予兆もなく、しかも本人はその事実に気付いていないように真っ直ぐケーキを見ているだけだ。
アルバートの方が驚いて肩を跳ね上げてしまった。

「ウ、ウィリアム!?どうしたんだ、一体」
「え?何がですか?」
「…ウィリアム…」

大きな雫がこぼれたかと思えばそれは一度きりのことで、続くことはなかった。
慌てた様子で自分を呼ぶアルバートを、ウィリアムは普段と変わりない姿で見上げている。
机に落ちた雫はそのままそこを濡らしているのに、それを落とした本人は気付いていないらしい。
アルバートは状況を理解できず、けれどウィリアムの中では何か大きな出来事が起きているのだと確信した。
今まで過ごしていた環境とガラリと変わってしまったこのイートン校という空間が原因だろうか。
本人の自覚なくストレスを感じているのであれば事態は事だと、アルバートはウィリアムの手を引いて外の広場にあるベンチへ向かっていった。
まだ人が多くいた食堂では落ち着いて話をすることは難しいし、衆人環視の的になってしまうだろう。
けれどここなら人気は少ないし、存分に話が出来るはずだ。
アルバートに引きずられるまま移動したウィリアムは未だぼんやりと手元のケーキを見ている。
頬を濡らした涙はもう乾いてしまったようで、尚のことウィリアムは自分が涙を流した事実に気付く要素など無くなってしまった。

「ウィリアム、何か思うことがあるんだろう?僕では頼りないかもしれないが、話を聞くことは出来る。相談してみてくれないかい?」
「…思うこと…そう、ですね…」
「何かストレスがあるんだろう?」
「……このパウンドケーキ、りんごが使われているでしょう?」
「あぁ」
「りんごはルイスの好物なんです」
「…そうだったのか」
「だからつい手を伸ばしてしまったのですが、いつもお菓子の類はルイスと半分に分け合っていたので…全てを自分で食べるという状況に慣れなくて」
「ウィリアム…」

そうして明かされたウィリアムの心情は、一人ロックウェル家に置いてきたルイスのことでいっぱいだったらしい。
アルバートもルイスの気質を考えるとおそらくあの子も現状に堪えているだろうと予想はしていたが、ウィリアムは大丈夫だろうとたかを括ってしまっていたことに気がついた。
ウィリアムは器用で順応性が高く、人当たりも良い。
どんな環境でも適応出来るだろうと思っていたのだが、それはただ単にアルバートの予想が甘かっただけのことだ。

「ルイス…」

パウンドケーキを見ては悲しそうな顔を浮かべるウィリアムは、今この場にそれを分ける相手がいないという現実に打ちひしがれている。
ルイスがいればきっと半分に分けられたケーキを喜んだし、その具材にりんごが使われていることにますます喜んで瞳を輝かせてくれただろうし、美味しいですねとウィリアムに笑いかけてくれたはずだ。
そんな何気ない時間をともに過ごすことで十分に満たされるはずだったのに、今のウィリアムは何にも満たされることがない。
アルバートが言っていたように飢えて渇いたままなのだ。
一人で食べることに違和感があったからアルバートに声をかけてみたけれど、それでは足りなかったのだろう。
ウィリアムが求めていたのはケーキでもなくそれを分ける誰かでもなく、ルイスという弟ただ一人なのだから。
その事実にようやく気付いたウィリアムは、今この瞬間にルイスがいないという現実がとてつもない悪夢のように感じられてしまった。

「…ルイスは今、どうしているでしょうか…」
「先生がいるから悪いようにはなっていないだろうが…君と同じく、寂しく思っているんじゃないかな」
「ルイス…ルイス…!」

本格的に落ち込んだ様子でケーキを握りしめるウィリアムの背を、アルバートは優しく撫でさすっていく。
この兄弟の愛情が深いのはよくよく理解していたが、まさかウィリアムが根を上げるとは思っていなかった。
思えばその片鱗を滲ませていただろう場面を目にしていたはずなのに、それでもウィリアムは大丈夫だと思ってしまったのだ。
実際には少しも大丈夫じゃなかった。
ウィリアムが持つ強固な精神はルイスがいてこそ成り立つものだったのだろう。
こういう場合、どうしたら良いのだろうか。
今すぐにルイスを連れてくることは出来ないし、かといってこんなにも情緒不安定なウィリアムを放っていくわけにもいかない。
ウィリアムとルイスを通して兄になったアルバートにとって、弟であるウィリアムを支えるのは紛れもなく自分の役割なのだ。
鬱々としたようにケーキを抱きしめてルイスの名を呟くウィリアムを、おろおろしたようにアルバートは慰める。
しばらくウィリアムがルイスの名前を呟く声だけが辺りに響いていたけれど、アルバートはふと思い出したように顔を上げて着ていたジャケットの内ポケットから愛用の手帳を取り出した。

「ウィリアム、ほら」
「…これは」

アルバートが手帳から取り出したのは以前三人で撮影した記念写真だった。
同じものがウィリアムの部屋とルイスの部屋にも置いてあるが、アルバートは初めての家族というものに半ば浮かれていた影響で常に持ち歩いていたのだ。
まさかこんな形で役に立つとは思っていなかったが、写真の中のルイスを見たウィリアムは幾分か気持ちが落ち着いたらしい。
見慣れているはずの家族写真を見たウィリアムは、鬱々とした気分が晴れていく心地を実感していた。
その表情変化を目の当たりにしたアルバートは安心したように肩を下ろす。

「今度の週末、ルイスの元へ帰ろう。きっとルイスも君に会いたがっているだろうから」
「はい…!」

写真の中では外面の良い笑みを浮かべるアルバートとウィリアム、そして緊張した面持ちのまま大きな瞳でカメラを睨みつけているルイスがいた。
本人はあんなに可愛らしいのに、慣れていないせいか写真写りはあまり良くない。
それでもその仏頂面は紛れもなく他人に向ける表情なのだからある意味ルイスらしくて、ルイス不足のウィリアムには十分効果があったようだ。

「ルイス…!」

ケーキを放って写真を愛おしそうに見つめるウィリアムを見て、帰省した際にはルイスの写真を撮れるだけ撮っておこうとアルバートは決意した。



(……)
(どうしましたかな、ルイス坊ちゃん)
(先生…いえ、執事長)
(その茶菓子は口に合いませんでしたかな?)
(いえ、とても美味しいです)
(では何故?あまり食が進んでいないようだ)
(…あの、もし良ければ半分食べませんか?)
(おや、どうして?)
(いつも兄さんと半分こしていたので、何となく一つ丸々は食べる気にならなくて)
(…なるほど。だがそれはルイスのものだ、ちゃんと食べないとウィリアムも心配する。しっかり食べろ、ルイス)
(…はい)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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