"This is mine !"
ルイスの火傷を治療するウィリアムのお話。
可愛い顔に真っ白いガーゼを貼るルイスがすきだし、そのガーゼにウィリアムがメッセージを書いていたらいいなと思う。
ぱちりと大きな瞳が現れる。
長い睫毛に縁取られた透明感ある綺麗な赤は、ウィリアムが持つものよりも幾分か色相深く心を落ち着かせる色だった。
寝起きの良いルイスはその赤い瞳に何かを映した瞬間にしっかりと目が覚める。
そうして周りを見渡していき、目当ての人間を見つけると安心したようにほんの少しだけ微笑むのだ。
ウィリアムは弟のそんな姿を見るのが昔からの癒しであり、心の安寧に繋がっている。
「おはよう、ルイス」
「おはようございます、兄さん」
笑った瞬間に動かした頬が痛んだようで、少しだけルイスの眉間に皺が寄る。
アルバートの依頼を遂行したあの日の夜、ルイスは兄の計画に色鮮やかな一筆を加えてより完璧なものにしてみせた。
兄ですら想像していなかった方法で、住民の目を欺くために最も効果的な方法をルイス自らやってのけたのだ。
その代償は白く丸みを帯びた右頬だった。
計画のために躊躇なく自らの顔を焼いてしまったルイスの頬にはあれ以来、保護のために清潔なガーゼが当てられている。
「さぁ顔を洗いに行こうか。その後でガーゼを取り替えてあげるからね」
「ありがとうございます」
ウィリアムは夜通し眺めていたルイスの顔に存在するガーゼに手を当て、思うように表情を出せないルイスの代わりに特別優しい笑みを見せてあげた。
ようやく上層部に至るまでの浸出液による汚染がなくなってきた。
傷自体はとても痛むだろうが、日に日に良くなっているのだと客観的に知れるのはウィリアムにとって安心出来る判断材料の一つだ。
なにせルイスはウィリアムに迷惑をかけることを最も嫌うし、何を聞いても「大丈夫です」の一言で済まそうとしてしまう。
ルイスがウィリアムに本心を見せるなど、我慢出来ないほどにつらく苦しい思いをしているときくらいだ。
いつ落ち着くか分からない発作のときにしか弱さを見せてくれなかったし、それに比べれば先の見える火傷の一つや二つ、いくらでも我慢できてしまうだろう。
だからこそ完璧に治るまで一瞬も目を離せないと、ウィリアムは眠るルイスの顔をぼんやり眺めてからうとうとと眠り、ルイスが起きるよりも前に目を覚ます日々を送っていた。
自分の計画のためにルイスが怪我を負ったのならば、その責任は自分にある。
傷が疼いて眠りながらうなされるルイスを宥めるのは当然の役目であり、日々の治療も自分が担うべきだと、ウィリアムは嫌がるルイスを丸め込んでは丁寧に傷の消毒をしていた。
「っ…」
「痛むかい?ごめんね」
「い、ぇ…大丈夫です」
「ルイス、消毒するから少し沁みるよ」
「はい…ぅ…、ん…」
「…良かった、大分皮膚が出来上がってきている。跡は残ってしまうだろうけど、壊死まではしていないようだ」
「そう、ですか」
目を閉じて歯を食いしばりながらウィリアムからの治療を受けるルイスは、今でこそ素直だ。
けれど最初の頃は「兄さんの手を煩わせたくない」と全て一人でやろうとしていたのだから困ったものである。
煩うどころかルイスのため行動出来ること以上にウィリアムが大切に思うことすらないというのに、ルイスはそれを理解出来ていないのだ。
消毒の痛みで強張っている体の緊張を解きほぐすように、ウィリアムは見えた額に優しくキスをする。
ちゅ、と軽い音を立てたそれに目を開けたルイスへもう一度笑いかけ、消毒しておいた清潔なガーゼをその火傷に当てていく。
真新しいガーゼは真っ白いルイスの肌に負けず劣らず白く綺麗だ。
「はい、終わり。よく頑張ったね、ルイス」
「ありがとうございます、兄さん」
「きっとすぐ良くなるからね」
「はい」
厚めに当てたガーゼ越しにその頬へと触れれば痛みは感じないようで、ルイスは上目にウィリアムを見て礼儀正しく礼を言う。
元々構われることがすきだから、ウィリアムの手を煩わせるのが申し訳ないと思いつつも、毎朝のこの時間が嬉しいのだろう。
ウィリアムは可愛い弟のふわふわした雰囲気を愛おしく思いながら、その手を取って朝食を食べるべくリビングへと向かっていった。
ウィリアムがルイスの怪我の治療を毎朝の日課にしていたところ、その丁寧な処置のおかげで酷い火傷は随分と良くなった。
保護のためにもガーゼはまだ必要だが、しばらくすればそれも必要なくなることだろう。
ウィリアムは愛らしい弟の顔を隠してしまう白いガーゼがあまりすきではない。
外せる日を心待ちにしていたし、ガーゼ越しではないルイスの頬に触れてキスをしたかった。
細い体を思い切り抱きしめて、苦痛なく笑みを見せるルイスを思う存分に堪能したかった。
だがそれももうすぐ叶うのだと思えば至極気分が良い。
たくさん用意していたガーゼがあと一巡する頃には全てが不要になるはずだ。
日々の洗濯と消毒も要らなくなるのだと思えば少し寂しいし、これらはルイスの傷を守ってきてくれた影の立役者なのである。
せっかくなら何かに活用出来ないだろうかと、ウィリアムは一人静かに考えていく。
たかが5センチ大の小さな布切れに出来ることなどないだろうが、それでもこれが必要なくなるというのは完治の証だ。
喜ばしいその現実を噛み締めるような何かがあれば良いのに。
ウィリアムはそう思考を巡らせながら、ふと自分が着ているスーツの胸ポケットにある万年筆に目をやった。
このペンでは細いだろうが、マーカーのような太いものならば可能性はあるかもしれない。
「兄さん、アルバート様が呼んでおられますよ」
「あぁありがとう。すぐに行くよ」
「そのガーゼ、僕が片しておきますね」
「頼んだよ、ルイス」
探しに来てくれたルイスに礼を言って、消毒を終えたばかりのガーゼを彼に任せてその場を去る。
名案を思いついたと、ウィリアムは明日の朝を楽しみに思いながらアルバートの元へと訪ねていった。
その夜、ウィリアムはあまり使うことのない太めペンを持ってルイスとともに眠りに就く。
軽い子守唄を歌ってあげれば条件反射のように眠る弟を眺めながら、僅かに明るいランプを頼りに頬を隠すそのガーゼへと指を走らせた。
「おはよう、ルイス」
「おはようございます、兄さん」
「痛みはないかい?ガーゼを交換してあげるから、顔を洗っておいで」
「はい」
目を擦りながらウィリアムに挨拶をしたルイスは、聞いた指示に逆らうことなく洗面室へと足を運ぶ。
いつも通りのそんなルイスの姿を見たウィリアムは、いつもとは違う悪戯めいた笑みを浮かべている。
さて、可愛い弟はウィリアムが仕掛けたサプライズにどんな反応を見せてくれるのだろうか。
「おはよう、ルイス」
「おはようございます、アルバート様」
「…ふふ、今日は随分と可愛らしいね」
「……え?」
「顔を洗ってくるんだろう?今日の水は冷たいから気をつけるんだよ」
「は、はぁ…」
部屋を出てアルバートとすれ違いざま、ルイスは彼にくすくすと笑われてしまった。
嘲笑ではなく穏やかな雰囲気のそれに嫌な気持ちはしないけれど、頬に当てられているガーゼを優しく撫でてくれたから思わず反応が遅れてしまう。
どういう意味だろうかとルイスがアルバートを振り返っても彼は先を行くばかりで、いきなり可愛らしいと褒められた理由はよく分からなかった。
寝癖でも付いていたのかと髪に触れて梳いてみるが、アルバートの雰囲気はいつもよりも優しかったのだから、ルイスも深くは気にしないことを選ぶ。
そして洗面室に行き、鏡を見てようやくアルバートの言葉の意味が分かった。
「に、兄さん!」
「おかえり。顔はちゃんと洗えたかい?」
「は、はい。でもあの、これ」
「反転文字、よく書けていただろう?」
笑うウィリアムの顔を見て、ルイスは自分の手元にあるガーゼを見下ろした。
傷の治りも順調な今は皮膚にガーゼが張り付くこともないため、ルイスは顔を洗うタイミングでガーゼを剥がしてはその後でウィリアムによる治療を受けている。
今日もそのつもりでガーゼを剥がして顔を洗おうとしたのだが、そうして鏡に映る自分の姿に驚いてしまったのだ。
「so cute」と黒いインクで書かれている文字。
アルバートは真っ白いガーゼに残るその文字を見て、可愛らしいとルイスに言ってくれたのだ。
確かに可愛らしい単語であるし、アルバートならばそれを書いたのがウィリアムだとすぐに察することだろう。
可愛い弟達の無邪気なやりとりを微笑ましく感じたアルバートが朝から癒されていることなどいざ知らず、ルイスはウィリアムからのメッセージに驚きを覚えたまま、適当に顔を洗ってすぐさま寝室へと戻ってきたのだ。
「これ、どうして」
「もうガーゼで保護する必要もなくなってきたからね。どうせ捨てるなら、最後にメッセージでも残してから捨てた方が楽しいかと思って」
「…楽しい?」
「ガーゼが必要なくなる頃には完治しているだろうし、そのときが楽しみだろう?可愛い僕のルイス」
「……」
白い頬が赤く色付く様子を近くで見て、ウィリアムは満足げに首を傾げる。
そうしてルイスの右頬に直接触れてみるがもう痛みを感じることはないようで、嬉しそうに自分を見上げる瞳と視線が合うだけだ。
もうひと月近くも治療を施していたけれど、それももうすぐ終わりだ。
それまでの間を楽しく過ごすのも良いだろうと、ウィリアムは我ながら名案だとルイスを見ながら頷いた。
「明日には別のメッセージを書いておくからね」
「…はい」
汚れたガーゼを握りしめて、ルイスはウィリアムから贈られた文字を喜んでいる。
治療を頑張った証のようなこれは紛れもないご褒美だ。
ルイスの身勝手で負った傷なのにウィリアムが治療を買って出てくれて、しかもその完治を祝うイベントまで用意してくれるなんて想像もしていなかった。
ウィリアムの計画のためにした行動を、ウィリアムが気に病んでいたことは知っている。
けれどこれはルイスの覚悟なのだから絶対に後悔しないと決めていたというのに、ウィリアムが悲しそうに自分を見るたび心が挫けてしまいそうだった。
だから治療も一人でやりたかったのにそれを許してはくれなくて、本当は怒っているのだろうと思っていた。
勝手な行動をして勝手な怪我をした自分をウィリアムは怒っていると思っていたのに、そうではなくただひたすらに自分の完治を待ち望んでいたのだということが伝わってくる。
それが何よりルイスは嬉しい。
本当は可愛いより格好良いと言われたいけれど、これはこれでウィリアムの愛が感じられてとても幸せだ。
「…ふふ。勿体無くて捨てられないです」
「こら、駄目だよ。ずっと取っておくなんて不衛生だろう?ちゃんとゴミに出しておくようにね」
「…む…」
「約束だからね、ルイス」
「…はぁい」
ルイスは今まで傷を守ってくれたガーゼを握りしめ、渋々返事をしては名残惜しそうにウィリアムが書いた文字を見る。
だいすきな兄からの愛がこもったメッセージを捨てなければならないなんて納得がいかないけれど、汚いのだからと言われてしまえば確かにそうだ。
けれどこれはこのガーゼに書かれているからこそ意味があるのだし、明日から毎朝の楽しみが出来たのだと思えば了解するしかない。
せめて目に焼き付けておこうとじっとガーゼを見るルイスの髪を撫で、ウィリアムは自分も顔を洗うため部屋を出て行った。
その日からルイスはソワソワとした気持ちで眠り、目が覚めるといの一番に洗面室へ駆け込んではウィリアムからのメッセージが書かれたガーゼを大切に剥がすようになった。
白いガーゼの下からは歪だけれど再生している皮膚が存在しており、疎いルイスにも完治が近いのだと明確に教えてくれる。
鏡越しに見る文字は毎日違っていて、ルイスの心が擽られるような気持ちのこもった言葉ばかりが綴られているのだ。
「my sweet」「love you」といった愛そのものの言葉や、「good boy」「proud of you」とルイスを褒め称える言葉だけでなく、ルイスが気に入っている猫や花の絵が描かれていることもある。
アルバートはルイスを見るたびに、小さな面積に器用なことをする、とウィリアムに感心していた。
秋にはイートン校入学を控えており、日々の勉学や訓練で忙しいであろうウィリアムに構ってもらえることがルイスは嬉しくて、傷が痛まなくなったことよりもよほど毎日が充実している。
何より、勝手なことをした自分を嫌ってはいないのだという兄からの愛情は、ルイスの心を優しく救ってくれるのだ。
以前は発作が起きることが怖くて眠るのが怖かったのに、今では早く眠って朝が来てほしいと願うばかりの日々である。
「おはようございます、兄さん」
「おはよう、ルイス。今日も早起きだね」
「はい。僕、顔を洗ってきます」
「いってらっしゃい。帰ってきたらガーぜを交換してあげるね」
ルイスが発作を起こすこともほとんどなくなり、傷が疼いてうなされることも無くなった。
それに伴いウィリアムが眠る時間も長くなったけれど、毎晩ルイスのガーゼにメッセージを残すことだけは忘れずにいる。
最近ではルイスの方が早く起きることも増え、ウィリアムの方が寝過ごすようになっているほどだ。
それだけ安心して体と頭を休めることが出来ているのだと思えば面映い感情がウィリアムを襲う。
さて、昨夜書いたメッセージは何だっただろうか。
眠気がある中で書いているものだから、あまり深く考えず本能赴くままに書いてしまったせいでよく覚えていないのだ。
それでも偽りはないし、本心からの言葉しか書かない自信があるから気に留めることもない。
嬉しそうに帰ってくるルイスにガーゼを見せてもらえば、書いたときの自分が思い出されて中々に面白いのだ。
ウィリアムは楽しそうに駆けて行ったルイスの後ろ姿を思い出しながら、まずは毛布に包まれて束の間の二度寝を楽しむことにした。
(おはよう、ルイス)
(おはようございます、アルバート様)
(ふ…今日はまた熱烈な愛を背負っているね)
(え、そ、そうですか?)
(あぁ。早く顔を洗ってウィリアムのところに帰っておいで)
(わ、わかりました)
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