イートン校の問題児


ウィルイスとアルバート兄様によるツッコミ不在のほのぼのコメディ。
ルイス不足で脱寮を繰り返す問題児ウィリアム、やりがいに満ちた生活でお肌ツヤツヤしてそう。

ウィリアムがイートン校に入学してしばらくが経つ。
一足先に復学していた主席であるアルバートの弟というだけで注目の的だというのに、過去に例を見ないほど優れた成績で入試のトップを飾った彼は、教員だけでなく周囲の学生からも一目置かれるようになった。
羨望だけでなく妬み嫉みの眼差しも勿論あるが、人当たりの良さも相まってさほど大きなトラブルを起こしてはいない。
そんな順風満帆な学生生活を謳歌するウィリアムが、伝統あるイートン校に入学したことで気付いたことは三つある。
一つは、伯爵家の子息であるというだけで人並み以上の扱いを受けられるということ。
もう一つは、欲しいだけの知識が欲しい分だけ手に入れられる環境であるということ。
最後の一つは、荘厳たるこの学舎には最愛の弟がいないということ。
予想はしていたけれど、突き詰められた現実に複雑な気持ちがするのも事実だった。

「ルイスがいない空間というのは実に味気ないものですね」
「君にとってはそうだろうね。けれどルイスの戸籍は残っているし、年齢を誤魔化して入学させるには無理がある」
「理解してはいましたが、あの子がいない現実はとてもつまらない」

そういって虚ろな瞳で窓の外を見るウィリアムの緋色には、遠く離れた地に一人置いてきた弟の姿が映っているのだろう。
アルバートは腰掛けた椅子から姿勢を崩さず、その心情を汲むように眉を下げて苦笑した。

「来年にはルイスがここへ入学してくるさ。あの子はこの学舎で学ぶことなど、考えてはいないだろうけどね」

アルバートもロックウェル伯爵家で毎日を過ごしているルイスを思う。
養子という立場であることを踏まえ、ウィリアムとアルバートが帰ってくるまで懸命に勉学と訓練、執務の習得に励んでいるのだろう。
イートン校どころか学校という場所に通うことすら考えていないが、アルバートは始めからルイスをこの学舎に通わせるつもりだった。
ウィリアムの影に埋もれてしまっているが、ルイス個人の性質は異常なほど優れている。
学びを深めることはルイス自身のためになるし、何より今後の計画の助けにもなるとアルバートは確信していた。
養子とはいえ赤の他人であるはずのルイスに向けるそれを、アルバートはさも当然のことだと認識している。
そんなアルバートのことをウィリアムは他の誰より尊敬していた。
ルイスはウィリアム同様、学びを深めたいという知識欲がある貪欲な子だ。
教わることを気に入っているし、たくさんのことを教えれば教えた分だけ吸収してしまうその気質に、ウィリアムは教え導くことに快感を覚えるようになった。
だからもっと多くのことをルイスに教えてあげたいと思っていたし、学校にもちゃんと通わせてあげたいと思っていたのだから、アルバートがウィリアムの意を汲むのではなく彼の本心でルイスの進路を与えてあげていることが何より嬉しいのだ。
ウィリアムはアルバートの言葉に赤い瞳に光を宿し、彼に向けてうっすらと笑みを浮かべた。

「早く来年になれば良いのに」

そうすればルイスがこのイートン校に入学してくるのだから、時間を見つけて会いに行くことが出来る。
こんなにも離れた距離でルイスと過ごしたことなど今まで一度もなかったため、どうにも隣が空寒いような気がしてしまう。
ふと隣を見れば大きな瞳が自分を見上げている空間でなければ、ウィリアムの気持ちは落ち着かない。
読書をしようと思えばすぐ隣にやってきて、一緒に読もうと本を覗き込むふわふわした髪の毛が視界にないのは酷く寂しい。
外へ出たとき袖を引かれ、振り返れば「綺麗なお花が咲いています」と教えてくれる無邪気な声が聞こえないのは、日常の彩りが少しもないように感じてしまう。
イートン校での生活はとても充実している。
人の上に立つことを教える機関だけあって学生同士でも気は抜けないが、それでも油断すれば殺されるような物騒な環境ではないし、何よりここにいることで目標を見失わずに済む。
身分なき者にも平等な社会を作り上げること、ひいては体の弱かったルイスでも安心して生きていけるような国に変えていくこと。
いずれ階級社会を担うであろう同級を見ていると、その志を忘れずに済むのだからありがたいことだ。
ただ一つ不満を言うのであれば、現状ルイスと会えないこと一択のみである。

「決めました」
「何をだい?」
「今日これから、ルイスに会いに行ってこようと思います」

何の違和感もない当然の権利だと言わんばかりに、ウィリアムはすぐさま小さな鞄に荷造りを始めた。
明日は土曜日、全ての授業は休校だ。
一週間の授業を全て終えてウィリアムの私室で二人過ごしていた兄弟は、これから何をするでもなく和やかに団欒していただけに過ぎない。
明日以降の予定がないのであれば自由に行動出来るし、弟に会いに行くというのは兄としての権利であり義務である。
意気揚々と荷物をまとめるウィリアムを見て、アルバートは愉快そうに笑みを深めて可愛い弟達を思う。
かつていたアルバートの家族は血の繋がりしかない赤の他人で、週末に会うどころか長期休暇でさえ会いたいと思ったことはなかった。
息の詰まる屋敷より、規律に絡め取られた寮の方がよほど気楽だったからだ。
けれどウィリアムにとってはそうではないのだろう。
屋敷であろうと寮であろうと孤児院だろうと路地裏だろうと、そこにルイスがいなければ彼の居場所はない。
アルバートもそれを知ってはいたが、改めてウィリアムが持つ弟への執着を目の当たりにするとついつい呆気に取られてしまう。

「随分と急だね。帰省するには時間がかかるだろう?」
「時間だけが会えない理由ならば大した問題ではないですね。きっとルイスも寂しがっていると思います。その寂しさは僕が解消してあげなければならない」
「そうだね、きっとあの子もウィリアムに会いたがっているだろう。けれど、僕にはウィリアムこそが寂しがっているように見える」
「間違ってはいませんね。今の僕にはルイスが足りないので」

軽快な会話を交わしながらウィリアムは簡単な荷造りを終えてしまう。
ルイスの元に帰るのだから基本的に身一つで十分、そもそも大して必要なものはないのだ。
服はルイスに借りれば事足りるし、ベッドの用意が出来ていないのであればルイスのベッドに潜り込めば良い。
一人分の食事が増えたところでロックウェル家の料理長は嫌味を言うことなく増やしてくれるだろう。
ゆえにウィリアムは小さな鞄に道中で読むための本とここで学んだノートを一冊、そしてルイスへの土産を買うための硬貨を入れた財布だけを詰め込んだ。
夕方発の列車にはまだ余裕がある。
それでも一刻も早くルイスの元へと近付くため、ウィリアムはすぐさま着替えて外泊許可証をもらうためにアルバートとともに管理課へと向かっていった。

「外泊許可?長期休暇でないのならば、特別な理由がない限り外出及び外泊の許可は出来ない。集団生活を学ぶための場なのだから、頻回な帰省が認められるはずないだろう」

向かっていった先の職員は、イートン校を主席で入学した優等生のウィリアムの願いを即座に切り捨てた。
よくよく考えればここイートン校は全寮制なのだから、自立心を養う意味でも休みごとの帰省など認められないのは最もだ。
長期休暇でさえ帰省しようとしなかったアルバートがこの規則を知らなかったのも無理はない。
許可が出ないのならばウィリアムはルイスからの自立を目指すべく、この寮に缶詰にされる運命にあるのだろう。
アルバートは凛々しい眉を下げ、ウィリアムを慮るべく視線を向けた。
きっとルイスと会えないことに落ち込んで悲しそうな顔をしているのだろう。
そんなアルバートの予想通りいつも不敵に微笑む芯の強い弟の姿はなく、そこには今にも悲痛さで胸を打たれてしまいそうなほど項垂れている弟がいた。

「…実は、弟の体調が思わしくなくて…ひと目会って、励まし看病してあげたいのです」
「む…そうなのか?」
「はい…あの子は体が弱く、心臓の手術をしております。今も火事の後遺症で傷跡が疼く日々が続いていることでしょう。日曜の夜には戻ってきます。どうか、今からの外泊を許可していただけないでしょうか?」
「…上の者に確認を取ってくる。しばらく待っていなさい」
「ありがとうございます」
「…………」

規則に厳しいであろう管理課の人間が奥に下がっていったのを機に、今にも涙がこぼれ落ちてきそうだったウィリアムの表情が変わる。
アルバートが見慣れている、余裕を浮かべた強者の笑みだ。
その変わり身の早さにアルバートは思わず目を見開いてしまった。

「ウィリアム」
「特別な理由があれば外泊が許されるのなら、適当な理由をでっちあげてしまえばいいだけの話です。それに多少大袈裟に表現しましたけど、嘘は言っていないので」
「…良い性格をしているな、全く」
「ふふ、そんなことはとっくに存じていたでしょう?」

ルイスは僕に会えなくてきっと心を病んでいるはずだから、体調が思わしくないのは事実だ。
何故ならウィリアムの心が疲れている。
ウィリアムがつらい思いをしているというのはイコールでルイスもつらい思いをしていることになるのだから。
不思議な方程式があるものだとアルバートが感心していると、上の立場の人間を連れてきた管理課の人間が帰ってきた。
何度か目にしたことがある彼はウィリアムとアルバートの顔を見るなり、さも当然のように外泊許可証にサインをしてくれる。

「成績優秀なモリアーティ君なら構わないでしょう。弟思いで何よりだ、急いで帰ってあげなさい」
「ありがとうございます」

入試トップであり日頃の授業態度も模範的なウィリアムは、成績を重んじる教員には受けが良い。
いつの間にか再び悲痛な顔をしていたウィリアムは一筋の希望を見出したかのように表情を明るくさせ、胸に手を当てて優雅に腰を曲げて敬意を表している。
そうしてアルバートはウィリアムを見送るため、ともに正門までの道のりを足早に歩いていった。

「成績が良いと多少の融通が効くものなんですね。助かりました」
「日頃の頑張りが認められている証拠さ、有り難く受け取っておくと良い。ルイスによろしく言っておいてくれ」
「はい。お見送りありがとうございます、アルバート兄さん」

待機している馬車に乗り込んだウィリアムは窓越しにアルバートへと手を振り、入学してひと月も経っていない学舎を後にした。
勉学だけでなく階級社会の在り方や人間関係など多くのことを学べるイートン校は良い空間だと思う。
だがここはウィリアムの居場所ではないのだ。
いきなり帰って驚くだろうルイスの顔を思い浮かべ、ウィリアムは流れる景色を楽しげに見ながら長いようで短い道のりを進んでいった。



帰省した先のルイスはとても驚いていたが、それ以上にとても喜んでくれた。
会いたかったです兄さん、と満面の笑みを見せては抱きついてきたのに、細く小さな肩は僅かに震えていて、やはり寂しい思いをさせていたのだと実感してしまう。
最愛の弟の体を思う存分に抱きしめたウィリアムは、やっと自分の居場所に帰ってくることが出来たのだと心の底から安堵した。
慣れ親しんだ体温と感触に癒され、ふわふわの髪の毛に顔を埋めて思い切り息をする。
可愛いルイスを存分に吸っては気力を満たし、二泊三日の短い期間を一緒に過ごし英気を養ってから、ウィリアムはきちんと寮に戻っていった。
翌日からは明らかに心身ともに調子が良く、やはりルイスが足りなかったのだとしみじみ実感してしまうほどに毎日が充実していた。
けれどそれも長くは続かなくて、ウィリアムは定期的に外泊をしてはルイスを思い切り吸うことで弟のいない空間における己の精神を保っていく。
そのため頻繁に管理課へ外出許可証を出しに行くことになるのだが、しばらくしてウィリアムに言い渡されたのは、外泊の頻度を減らすようにという通告だった。

「……」
「なんとも無慈悲な警告だね」

言葉だけの通告ではなく、わざわざ所定の書式を用いてまでウィリアムに警告文を用意してきたのは最初に対応した管理課の人間だ。
彼を仮にAとしよう。
Aはウィリアムがキングス・スカラーの候補生になるほどの成績優良者であることを知りながら、それでも規則は守るべきだと凛として言い放ったのだ。
彼よりも役職が上の人間はそれほど気にしていないウィリアムの行動を、Aだけが問題視している。
頻回に帰省していようとウィリアムの成績は揺るぎないトップであるし、周りの学生ともいざこざを起こしてはいない。
集団生活において不在である時間が長いというだけで、他に何のトラブルも起こしていない模範生であるウィリアムのことを、多くの教員は信用してくれているのだ。
むしろ弟の体調を気遣う心優しい人間だというウィリアムの認識が広まっているほどである。
勉学に支障が出ないのであれば自由にして良いという雰囲気の中、Aはそんなウィリアムを良しとはしなかった。

「…仕方ありませんね」
「おや」

ウィリアムは渡された警告文を見ては重苦しい息を吐く。
真っ向から抗議するのかと思っていたアルバートは、いざというときには加勢してあげようと決めていただけに、その諦めの良い溜め息に思わず驚いてしまった。
ルイスを心の拠り所にしているウィリアムがルイスを諦めてしまうのだろうか。
だが目立った諍いを起こすのは確かにリスクであるし、Aだけがウィリアムの行動に賛同していないとはいえ事を荒立てるのは後が面倒だ。
さすがのウィリアムもこの通告には従うのだろうかと、アルバートが彼への印象を改めようとしたその瞬間。

「脱寮します」
「すまない、もう一度言ってくれるかい?」
「脱寮します」
「あぁ、聞き違いではなかったのか」

ウィリアムは晴れやかな笑顔でアルバートを見上げ、手元の警告文を握りしめた。
皺にまみれたその紙を気にすることなく、ウィリアムはいつものように小さな鞄に荷物を詰めていく。
よく見るその光景は、もしや秘密裏に外泊許可が降りたのだろうかと錯覚させるほどありふれた姿だった。
けれどその手に外泊許可証はないし、そもそもそれを断られた挙句に頻回な帰省を禁止する旨の警告文をもらったのだ。
その文書は皺だらけで机の上に投げ捨てられている。
つまり今のウィリアムに寮を出る許可はなく外泊などもってのほかなのだが、当の本人は何も気にしている様子がない。

「週明けの授業が始まるまでには戻ります。兄さん、良い週末を」
「あぁ。ウィリアムこそ、無理をしないように」
「はい。行ってきます、アルバート兄さん」

にっこりと綺麗な笑みを見せたウィリアムは窓を開けてそこから出ていく。
初期生は一階に部屋が割り当てられるのが幸いし、寮の玄関先にある管理課を通らずとも窓を抜ければ簡単に外へ出ることが可能だ。
それでも勝手な脱寮は重大な違反行為であり、見つかれば厳重注意はおろか何らかの罰則が下ってもおかしくはない。
寮をこっそり抜け出しては下級生の指導にあたる監督生に罰則を与えられる学生は多くいるのだ。
ウィリアムもそれを知っているだろうに、見つかるリスクよりもルイスを取るその潔さと愛にアルバートは感動した。
きっとルイスもウィリアムに会いたがっているし、ウィリアムはルイスがいなければ心身ともに優れないのだ。
あの頭脳を燻らせたままでは世界の損失になるだろう。
間違っているのは弟達の逢瀬を否定する規則の方である。
自立心を養うのは大いに結構だが、自立せずとも支え合うことで正しく生きていける人間もいるのだ。
大事な家族に会いに行くという愛ある行動が咎められるなど、よく考えればおかしな話だろう。
アルバートは可愛い弟達が互いを求め合う姿こそ、何物にも代え難いほどの価値があると認識している。
それを否定する規則などあっても意味はないし、他の誰にも迷惑をかけないのであればいくらだって逢瀬を重ねるべきなのだ。
アルバートは着ているグレイのベストに付いた金ボタンをいじり、監督生としてウィリアムを擁護しようと心に決めた。

そうしてウィリアムは初めての脱寮をした。
特に罪悪感はない。
最愛の人に会いに行ける距離にいて都合もつくというのに、それでも会うことを許さない規則こそが悪なのだ。
脱寮を実行した以外はイートン校が掲げる理念に相応しい学生であるという自負もあるし、ウィリアムにとって溢れんばかりの知識欲を満たした先にあるのは今も昔もルイス一人きりなのだ。
ルイスにたくさんのことを教えてあげて、ルイスのためにより良い社会を築き上げることこそがウィリアムの掲げる目標なのだから、そのウィリアムからルイスを奪うことなどあってはならない。
けれど、個人の振る舞い一つで集団生活の輪を乱すなど許されないというAの言い分もよくよく理解出来る。
個々に一々応じていてはいくら人手があっても足りないだろうし、その結果として学生の素行不良が乱立してしまうのは確かに問題だ。
ゆえにウィリアムは脱寮を選んだ。
バレなければ良いのだし、バレたらバレたで丸め込めば良い。
優れた頭脳はこういうときに活用すべきだと、ウィリアムは間違った認識を抱きながらルイスの元へと急いでいった。

「兄さんお帰りなさい!お元気でしたか?会いたかったです!」
「ただいまルイス。僕も会いたかったよ、顔色が良さそうで何よりだ」

自分を見つけては駆け寄って抱きついてくる可愛い弟の体をしかと受け止め、ウィリアムは枯渇したルイス成分を補充するべく白く柔らかい頬に己のそれを重ね合わせる。
くすぐったい、とくすくす笑うルイスに癒されながら英気を養い、道中買っておいたチョコレートを渡してルイスが淹れた紅茶とともに一緒に味わう。
ただ一緒に過ごすだけの時間が何より大切なのに、イートン校にいてはそれを実現させられないのだから困ったものだ。
早く時間が経ってルイスが入学してきてくれれば良いのに。
自分との再会を無邪気に喜ぶルイスの髪を撫で、ウィリアムは家庭教師の代わりに勉強を見てあげるべく使い込まれた教本を手に取った。



そうしてウィリアムは定期的に寮から脱走するようになった。
頻度はおよそ月に一回から二回、ルイスに会いたいと思ったときが行動のチャンスだと言わんばかりに、休日のほとんど全てを費やして彼の居場所であるルイスの元へと帰っていく。
授業を疎かにすることは決してなく、むしろ日々の授業に意欲的に取り組んでは優秀な成績を収めているのだから、周囲の学生はますますウィリアムに一目置くことになる。
ウィリアムが脱寮していることに、近しい人間は気付いていた。
「弟に会いに行ってきます」という堂々たる書き置きを残して教室から去るのだから気付かない方がおかしいのだが、勉学に障らないのであればと教員からは暗黙の了解で認められ、同級からは変わった人間だという認識を受けている。
そもそも指導する立場にある監督生のアルバートが容認しているのだから、他の人間がとやかく言う謂れはないのだ。
ウィリアムはアルバートに感謝しつつ、普段の素行の大切さを実感しながら今日も悠々と窓から寮を脱走していった。

「アルバート・ジェームズ・モリアーティ。君の弟のことで話がある」

教員からも学生からも容認されているウィリアムの脱寮だが、個々に一人それを認められない人間がいた。
Aである。
彼はいくら模範生であろうと規則を守らないことなどあり得ないという考えのようで、隙を見てはウィリアムの脱寮を阻止しようとしているのだ。
けれどウィリアムに隙などなく、結果として一度も脱寮を阻止出来たことはない。
間違いなく校舎で授業を受けてから寮に戻っているはずなのに、気付けば寮から姿を消しているのだ。
何かのイリュージョンかと思うほどあっという間にウィリアムは姿を消す。
そうしてルイスという弟の元へと帰っていくのだ。
先日の脱寮でついに二十回目という大台に乗ったことをきっかけに、Aはウィリアムの兄であるアルバートに目を付けた。

「君の弟であるウィリアム・ジェームズ・モリアーティだが、目に余る素行不良ぶりだ。君から言って聞かせてあげてくれないか?」
「お言葉ですが、我が弟ウィリアムはもう一人の弟であるルイスのために行動しているだけのことです。家族に会いに行くことのどこが素行不良なのか、ご説明いただけますか?」
「周りの学生に示しがつかないだろう。成績が優秀でも自立心を養えず、集団の輪を乱すというのは良くないはずだ」
「ふむ」
「説得出来ないというのなら、せめて教えてほしいことがある」

Aの言うことも正しいが、アルバートは己の考えとウィリアムの行動が間違っているとも思わない。
ウィリアムはただルイスに会いに行っているだけで、それをきっかけに日々の生活をこなすだけの気力を得ているのだ。
執着するものの一つや二つあった方が人生は潤うだろうし、それがたまたま寮の規則にそぐわなかっただけで、ウィリアムがルイスに会うというのは自然の摂理、在って然るべき事象に過ぎない。
だがこのAという人間は至極真面目のようで、あまり我を通すのも些か分が悪いように思う。
アルバートは仕方なく彼の話に乗るふりをした。

「それで、私に何を聞きたいのですか?」
「ウィリアム・ジェームズ・モリアーティの行動パターンを教えてほしい。寮に帰ってきたところを見たはずなのに、次の瞬間には寮から消えているんだ」

さすがウィリアムだなと、アルバートは密かに感心した。
金曜の夜から日曜の夜にかけてウィリアムが脱寮してルイスに会いに行っていることはとうに知っており、彼に用があるときにはその日を避けて部屋を訪ねるようにしているのだが、まさか煙に巻くように消えているとは知らなかった。
暗黙の了解とはいえ違反行為であると認識しているため、目立つ形で寮から出てはいないのだろう。
聞けばこのA、ウィリアムが寮に帰ってくるのを見計らって正門で見張っているらしい。
それなのに正門を通ることなくウィリアムが寮から脱走しているというのだから、アルバートにしてみれば完全に遊ばれているようにしか見えなかった。

「そうですね…ウィリアムがどうやって寮を抜け出しているのかは知りませんが、あの子はとても勉強家です。道中に本を読むことが多いので、図書館に寄ってから帰ることが多いかと思いますね。図書館で見張ってみるのはどうでしょう?」
「なるほど!それは名案だ、アルバート・ジェームズ・モリアーティ!早速、今週末に試してみるとしよう」
「お役に立てたのなら良かった。健闘を祈ります」
「あぁ、今度こそあの問題児の脱走を捕まえて見せよう!」

まさかウィリアムが問題児と称される日が来るとは思ってもみなかったが、彼にしてみれば規則を守らない学生は問題児に他ならないのだろう。
間違ってはいないが検討外れなアドバイスをしたアルバートは、今週末は図書館に近寄らないようウィリアムに伝えておこうと決意した。



それからルイスが入学してくるまでの間、ウィリアムは寮とルイスの元を往復しながら勉学に励むという、文字通り忙しい日々を送ることになる。
肉体的にさぞ大変かと思いきや、親愛なるルイスと密な時間を過ごすことで移動による疲労など帳消しになるという。
愛しいルイスが無垢に慕ってくれる姿を目に焼き付けることで、ウィリアムの精神は強く保たれるのだ。
そんな至極穏やかで充実した日々を過ごすウィリアムとは対照的に、一度もその脱寮を現行犯逮捕出来ていないAは己の不甲斐なさに膝をつく日々が増えたらしい。
哀れなことだとアルバートが心にもない労いの言葉をかけている隣、心労が溜まっているようですね、と心労の原因であるウィリアムはAに心ない言葉を投げかけていた。



(き、君がルイス・ジェームズ・モリアーティか…!?)
(…はい。何か御用でしょうか?)
(あのウィリアム・ジェームズ・モリアーティの弟で、病弱で火傷の残るモリアーティ家の養子の三男だな!?)
(そ、そうですが)
(よくぞ入学してきてくれた!君がいればあのウィリアム・ジェームズ・モリアーティの脱走癖もなくなることだろう!イートン校への入学、誠におめでとう!待っていたよ、ルイス・ジェームズ・モリアーティ!)
(は、ぁ…?)

(兄さんの脱走癖とは一体何のことでしょうか)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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