いつまで経っても平行線
59話ベース、ウィルイスの再会妄想その2。
あれほどルイスの安寧を願っていたのに、ルイスが自分とアルバート兄様の跡を継いで変わらず危険な場所で生きていると知ったら、ウィリアムはきっと怒るんじゃないかな。
ウィルイスがガチで喧嘩してるシリアスに見せかけた…コント。
愛しい人とそうはでない人間を、かけてはいけない秤にかけた。
あの子がその身を脅かされることなく平穏に生きていくためには、無垢なあの子に相応しい世界こそが必要だと考えたからだ。
あの子が生きていく上で不要な人間、あの子に見せたくない人間社会の闇。
どちらもあの子に相応しくないのだから、全てを排除しては気高く美しい大英帝国を作り上げることを決めて生きてきた。
犠牲になる者達のことを考えなかったわけではない。
ただ彼にとって、そんな人間よりも己の弟の方がよほど大切だったというだけの話だ。
彼の弟があの子でなければ、ルイスが彼の弟として生まれてこなければ、稀代の大犯罪者たる彼はあのような凶行を思い浮かぶことも実行することもなかっただろう。
けれどルイスは彼を一人にしないため、彼にたくさんの感情を教えるため、何より目一杯の愛情を与えて与えられるために生まれてきた。
たった一人、自分だけを信じて生きるルイスのために淀んだ英国を作り替えることなど、彼にとっては当たり前のことだったのだ。
「モリアーティさん、頼まれていた情報持ってきたよ」
「ありがとう、ビリー」
「お安い御用さ」
ビリーは飄々とした笑みを浮かべて一通の封書をウィリアムへと手渡した。
厚みのないそれは数枚程度の文書しか入っていないことが分かる。
けれどこれにはウィリアムが他の何よりも欲しいと願っていた情報が詰まっているのだ。
軽いはずなのに重たく感じるその紙束を、ウィリアムは神妙な面持ちで見下ろしていた。
「随分遅かったね。もっと早く頼まれると思っていたけど」
「…そうだね」
全てを見透かしたように、いやビリーに限ってそんなつもりはないのだろう。
助けた二人の情報を調べていく中で客観的にウィリアムという人物についての理解が深まり、ならば目を覚ました彼がまず最初に何を求めるのかを考えた結果がそうであっただけだ。
ビリーは優秀な人間だ。
人を見る目も十分過ぎるほどにある。
だからこそ、重傷を負ったウィリアムが目覚めたときに真っ先に求めるのは、同志であった人間達の情報だと察しが付く。
けれど実際は目覚めたウィリアムはひたすらに己の過ちを悔いるばかりで、シャーロックに諭され生きて償う道を選んだとはいえ、その姿は見ていて痛々しいほどだった。
まるで何かにせき立てられるように無謀な任務をこなしたかと思えば、ふとした瞬間に手が止まり彼らしくもなく躊躇する。
徹底して調べ上げたウィリアムという人間らしくない姿だとビリーは考えたが、シャーロックがその違和感に気付いていながらも言及しないのだから放置していた。
「みんなのことを知りたいとは思っていたけど、どうにも申し訳が立たなくて」
「今更じゃん、そんなの。大義のためには犠牲も必要だよ、気にするだけ心を病む。せっかく生きるなら役割を全うした上で楽しく生きないとね」
「そうだね、ビリーの言うことも一理あるんだろう」
米国という大きな国の組織で任務をこなすビリーにはあらゆる覚悟が出来ているのだろう。
軽い言葉の裏には文字通り血の滲むような彼の努力が存在しており、勝手なエゴではなく米国の発展のためにその身全てを捧げているのだ。
ゆえに死ぬ覚悟と生きる覚悟のどちらをも備えている。
けれどウィリアムは国のためではなくたった一人の弟のためにあれだけのことをして、死ぬ覚悟といえば聞こえは良いが、あの頃はただ罪深い自分に我慢が出来なかっただけの人間に過ぎない。
穢れた手で生きることの重さに耐えきれず、緋色に染まった自分が無垢な弟のそばにいることも気が咎めて出来なかった、哀れで弱い人間でしかない。
ルイスが生きていることを望む以外は死ぬ覚悟も生きる覚悟もなかった薄っぺらいウィリアムにとって、ビリーの言葉は軽薄そうに見えてとても芯のある正論のように思えてしまった。
「ただ僕は怖かったんだよ。僕が巻き込んだみんなの今を知ることが怖かった。僕がみんなを唆したというのに、情けないことだよね」
調べていた犯罪卿の正体があまりにも普通の青年であることに、出会ったばかりのビリーはとても驚いたものだ。
彼はそれこそどこにでもいるような、少しばかり周りより頭の良いごくごく普通の青年だった。
こんなにも己の過ちを悔いることが出来る普通の人間が、どうしてあんなにも激しく道を間違えてしまったのだろうか。
シャーロックの影響で抱いていた思想が変わったことは確かだが、それにしたって今ここにいるウィリアムと紙面で知る犯罪卿との印象はまるで違うのだ。
聡明な人間が道を踏み外すだけの理由が何かあるのではないだろうかと、ビリーは文書に目を落とすウィリアムをじっと観察する。
何も乗せていない表情だったはずのウィリアムは、すぐにその紅い瞳に驚愕の色を見せた。
「っ…ビリー、これは間違いのない情報かい!?」
「あ、あぁ。僕と僕が信頼する面子で調べたことだ、間違いはないよ」
「そんな…っ…!」
ウィリアムは感情を抑えられないとばかりに立ち上がり、焦ったような表情でビリーに問いかける。
目覚めてからは陰の人形のようだったウィリアムが激情を露わにする姿を、出会って三年も経つというのにビリーは今この瞬間に初めて見た。
いつの時代においても情報というものは金よりも武器よりも何倍もの価値がある。
ビリーは情報管理と操作に関しては誰にも負けないという自負があるし、だからこそ水に沈んだウィリアムとシャーロックを警察よりも早く発見することが出来た。
ウィリアムに与えた情報は一点の不備すらもない確かな情報である。
「…ビリー、シャーロックは今どこにいる?彼に頼み事をしたい」
「ポニテ先輩なら今フランスにいるけど」
「彼に急ぎの任務依頼は?」
「うちからは今のところないはずだよ」
「ではしばらくの間、彼に任務を入れないでほしい。僕も今抱えている案件が終わったらしばらくの間はフリーにさせてくれるかい?調べたいことがある」
「んー、うちも人材ギリギリだから厳しいけど、まぁ何とかなるかな。それよりいきなりどうしたのさ?気になる誰かがいるのかな?」
「あぁそうだね、そんなところだよ」
「まぁモリアーティさんのお仲間も大変そうだよね。フランスとの戦争にならないよう最前線で戦わなきゃならないなんて」
「…あぁ、そうだね…」
絞り出すような声はどす黒く淀んでいて、まるで地獄の底から響き渡っているようだった。
脆い青年でしかなかったウィリアムから言い知れない気迫と圧力を感じ、なるほどこれが犯罪卿としての顔かと、ビリーは一人納得する。
一体どれが彼の琴線に触れたのかは分からないが、かつての同志がほぼ全員集うMI6には英仏協商締結記念パーティでの任務が予定されている。
差し詰めキーとなるのはそこだろう。
やはり仲間が危険な目に遭うのはウィリアムにとって許せないことであるらしい。
まぁまぁ実にお優しいことだと、ビリーは生温い友情を呆れたように受け入れている。
けれどウィリアムの緋色は友情という名の使命感に駆られている様子はなく、それでも芯を取り戻したように赤く緋く燃えていた。
実に三年ぶりに見る愛しい人は変わらず綺麗だった。
可愛いとばかり思っていたけれど、こうして見れば周りの評価通りに彼はとても美しい。
縋る兄達がいない中、同志を率いるため懸命に己を律して生きていただろう真っ直ぐさがよく分かる。
ウィリアムとよく似た顔を隠す意味で掛けていた眼鏡を外し、下ろしていた前髪を幼い頃のように上げている姿は昔を思い出すようでとても懐かしかった。
あどけなさの残る大きな瞳にははっきりした強い意志が感じられるのだから、離れていたこの三年間でルイスは強くなったのだと、ウィリアムはそう確信した。
驚きの中に歓喜と戸惑いが入り混じる赤い瞳を、ずっとずっと夢に見ていたのだ。
会えて嬉しい。
こんな状況でなければ、思う存分に抱きしめて愛を囁いていたことだろう。
けれどそれが叶わないことをウィリアムは知っていた。
「…ルイス!」
「っ!」
夜明け間近の路地裏は薄明るい。
おかげで近寄れば近寄った分だけはっきり愛しい人の顔が見えると、ウィリアムは僅かな喜びを抱きながら最愛の弟の白い頬を叩いた。
鋭く乾いた音が辺りに響き、動揺するメンバーに構わずウィリアムはルイスだけを見つめている。
「う、ウィリアムさん、何を…!ルイスさん、大丈夫ですか!?」
「おいリアム、お前いきなり何して…」
「っどうして!」
叩いたといってもやはり無意識に加減はしていたようで、ルイスの体幹が揺らぐこともなければ口の中を切ることもなかった。
物理的な痛みがあった左頬だけが赤く染まり、竦んだ肩でルイスは静かにウィリアムを見据えている。
歓喜と、戸惑いと、悟らせない隠された感情。
そんな弟の視線を真正面から向け、非難するフレッドとシャーロックの声を遮るように、ウィリアムは険しい顔付きのまま声の限りに怒鳴りつけた。
「どうして君がここにいる!?どうして君が兄さんの後継としてMI6を率いている!?どうして君が"M"として生きているんだ!」
「…ウィリアム兄さんとアルバート兄様が目指した理想を維持するため、この身に受けるべき非難に相応しい償いをするため、ホームズ長官に僕自ら進言いたしました」
「何故そんな生き方を選んだ!?」
「あなたが生きていたとき、あなたとまた会えたとき、あなたに恥じない生き方をしていたいと思ったからです」
「っ、君という子は…!」
真っ直ぐにウィリアムを見て言葉を紡ぐルイスの瞳は一点の曇りもない。
彼の覚悟が透けて見えるようだ。
自分に依存して生きるようウィリアム自らが教え込んだのだから、ルイスが一人で生きるのはきっとつらく苦しいことだろうとは思っていた。
それでもこの国でルイスが安全を約束された状態で生きているのならば、ルイスの意思などウィリアムにはどうでも良かったのだ。
ルイスが生きていればそれで良い、ルイスに危険がないのならそれが良い。
残りの人生全てを費やしたとしても犯した罪を償い切れるはずもないが、いつか自分の生き方に納得がいった暁には、ちゃんとルイスを探しに行くつもりだった。
そうだというのに、あれほどウィリアムが望んでいた「ルイスが美しい世界で安全に生きていく」という願いをルイス本人が捨てていたのだ。
これでは何のために今までこの身を尽くしてきたのか、生きていく彼に相応しくないと自分の存在すらを否定してきたのか分からない。
ルイスはウィリアム最大の願いについて、何も分かっていないのだ。
「君が何を恥じる必要がある!?君は僕が巻き込んだ!善悪の判断すらも付かない君の考えを悪意に染めたのはこの僕だ!だから僕が君の分まで罪を背負うと決めたのに、ルイスだけは平和な世界で暮らしてほしかったのに、どうして今もこんな危険な役割を背負っている!?」
誰よりも身勝手で傲慢なことを言っている自覚はある。
けれど理性よりも本能が、危険を承知で責務を果たそうとしているルイスの姿こそが、ウィリアムが持つ衝動を激しく揺さぶった。
ビリーから同志達の情報を教えられ、ずっと抱いていた懸念が現実として英国に存在しているのだと知ったときの感情はとても言葉に表せない。
ウィリアムはずっとルイスが平穏な世界で生きていくことを望んでいたのに、それが少しも叶っていないのだ。
悔しいし悲しいし、何より目の前で凛とした表情で自分の生き方に納得しているルイスが眩しくて仕方がなかった。
ウィリアムは前に進みきれず立ち竦む時間が長かったけれど、ルイスはちゃんと一人でも正しく前に進んでいる。
善にも悪にも染まれるルイスを悪に染めてしまった自分の愚かさが強調されるほど、今のルイスは強く格好良かった。
だからこそ自分のことばかりを喚くことが恥ずかしいとすら思う。
それでも、ウィリアムは己の意志を継いで"M"として生きるルイスが受け入れられなかった。
「どうして、僕の言うことを聞いてくれなかったの…!」
ただルイスが長く生きていてくれればそれで良かった。
そのためだけに多くの人間を犠牲にしてきた。
社会的弱者を救うという名目も嘘ではないし、救うことで自分の存在意義を確認していたのも事実だ。
けれどやっぱり、ウィリアムはルイスのためにこの国を正したかった。
ルイスの手が血に染まっていることなど百も承知だ。
だからその分を自分が背負うことでルイスには日の当たる場所を歩いてほしかったのに、どうしてルイスは分かってくれないのだろう。
ルイスはいつだってウィリアムの感情に気付かないふりをする。
心臓を患っていた頃は最初から大人になるつもりなどなかったし、ウィリアムの思想を知ってからは何よりも守りたいその命を捧げるとすら言ってきた。
ウィリアムの気持ちではなく自分の気持ちを優先する最愛の弟を前に、かつて感じたことのない憤りすら感じてしまう。
「僕がいない場所でルイスが危険な目に遭うなんて、僕は絶対に嫌だった!君が危ない目に遭うなら僕が守りたかったのに、こんな場所で僕を待つなんて絶対にしてほしくなかったのにっ」
怒鳴りつけるように叫んでは息荒くルイスを見据えるウィリアムの瞳は狂気に満ちている。
狂気と、自分を理解してくれないルイスへの怒りだけで染まっている。
ルイスはウィリアムのことを遠い人のようだと、自分の気持ちを分かってくれないと言っていたが、ルイスだって大概だ。
ウィリアムの気持ちを分かってくれないのは他ならぬルイス本人なのだから。
「…兄さん、泣かないで」
「っ…!」
感情が昂るあまり落としていた涙に、ウィリアムは気付かなかった。
ルイスの指がウィリアムの頬に触れた瞬間、ようやく自分が泣いていたことを自覚する。
涙を流すなどいつぶりだろうか。
泣くほど感情が揺らぐことなど、己が犯した罪以外では存在しない。
大切な人達に会えない孤独も、胸が潰れそうな罪悪感も、どれだけ善行を積もうと虚無しか残らない感情も、ウィリアムに泣くことを許してくれなかった。
枯れてしまったのかとすら思っていたのに、ルイスにかかればこんなにもウィリアムは人間らしく在れるらしい。
「…ルイス」
「兄さん」
あふれた涙を指で拭い、ウィリアムの緋色から何も落ちてこないことを確認するまでルイスは静かにその肩を抱いていた。
短い時間だったけれど、確かな触れ合いは兄弟にとっての励みになる。
未だ険しい顔をしているウィリアムを見て、ルイスは赤くなった左頬に構うことなくふわりと笑ってみせた。
ウィリアムが焦がれるほどに願っていた、とても穏やかなルイスの笑顔だ。
思わず奥歯を噛み締めてその笑みを見る。
けれどすぐさまその笑みはウィリアム同様、いやそれ以上に険しい表情へと変わっていった。
「勝手なことばかり言わないでくださいっ!!」
ウィリアムに負けない声量で怒鳴りつけるルイスの声は、静かな朝によく響いていった。
今までの状況を息を呑みながらその行く末を見守っていた同志達が驚きで後ずさるのは当然として、ウィリアムでさえもこの怒声には気後れしてしまう。
「僕の人生は僕のものです、兄さんのものじゃない!兄さんは僕の命なんて要らないと、だから置いていったんじゃありませんか!僕に生きていてほしいと望む兄さんの気持ちを汲んで僕はこうして生きてきたのに、どうして僕だけが安全圏で一人ぬくぬくと生きていなければならないんですか!?兄さんも兄様もご自分の罪と向き合ってきたでしょう!?僕がそうしない理由はどこにもないじゃないですか!」
「っだから、僕は君に危険な真似をしてほしくなかったと言っているだろう!?」
「僕が犯した罪は僕が償うべきです!僕の分を背負うなんて出来ないことくらい、兄さんなら分かっているでしょう!いつまで僕を守ろうだなんて幻想を持ってるんですか!?僕はもう兄さんに守られるような子どもじゃない!」
「君は僕の弟だろう!僕は兄として君を守る義務がある!」
「そんな義務とっとと捨ててください!僕はもう守られるほど弱くないっ!」
「ルイスっ!」
互いのエゴとエゴのぶつけ合い、どちらの言い分も相手ではなく自分だけを優先している。
まだ理解に容易いのはルイスの言い分だろうか。
己の罪を誰のせいにするでもなくしかと受け止め、兄に恥じぬよう、いつかまた兄に会えると信じ、モリアーティ家が背負う業を一心に引き受けてきた。
その罪をその有能さで有耶無耶にしたことを除けば立派に誇れる人生を歩んでいる。
それに比べてウィリアムはあまりにも傲慢で、けれどその傲慢さこそがかつての計画の発端なのだと思えばあまりにも凄まじい執念だ。
拗れに拗れた執念を元に戻すのはもはや不可能だろう。
唯一その可能性があるだろうルイスはあの通りだし、シャーロックはウィリアムの感情にまでは関与していない。
兄であるアルバートには久しく会っていないのだから、ウィリアムがすぐにその執念を無くすことはもう無理だった。
あれほど理知的なウィリアムが己の欲望のままルイスの安全だけを懇願している現状は異様でしかないけれど、ずっと昔からそれだけを願っていたのだからこうなるのも当然なのだろうか。
「おいリアム、そこまで言うことないんじゃないか?ルイスはお前の代わりに頑張ってたんだぜ」
「そんなこと僕は望んでいない!シャーロックは黙っておいてくれ!」
「る、ルイスさん、せっかくウィリアムさんが帰ってきてくれたんだからそのくらいにしても良いのでは」
「いいえフレッド、今ここで兄さんの考えを改めさせないと後々面倒なことになる気がします!あなたは黙っていてください!」
決死の覚悟で口を挟んだシャーロックとフレッドはすぐさま兄弟に潰される。
あの二人で駄目なら誰が何を言っても無駄だろうと、他のメンバーは口を開けることなく現状を見守り続けることにした。
己を導いてくれた恩人が死ぬことなく生きていたというのに、少しの感動も覚えないことにいっそ感動してしまう。
シャーロックがウィリアムの生存を明かしたとき、それはもう感動の再会が約束されているに違いないと考えていたメンバー数名は、現実はそう甘くはないことを突きつけられた気分だった。
「僕が何のためにこの国を変えようとしたのか、ルイスは知っているだろう!?君が生きやすい世界を作るためだったのに、いつまでこんな危険なことをしているつもりだい!?」
「僕は一人で平穏に生きるよりも兄さんと一緒に生きたかったんです!僕が生きやすい世界は兄さんの隣以外にありませんし、兄さんが危険なことをするなら僕だって同じ生き方をしたい!」
「ルイスは僕が望む通りに生きていればそれで良かったのに、"M"として生きていると知ったときの僕の気持ちが君に分かるかい!?まさか安全が確保されていない環境で生きているだなんて、怒りで頭がどうにかなりそうだった!」
「兄さんだって、ホームズさんから兄さんが生きていると知ったときの僕の絶望を知らないでしょう!ずっと兄さんを待っていたのに、そのためだけに必死に頑張ってきたのに、兄さんよりもホームズさんが先に現れた絶望はこの先も一生存在しません!ずっと会いたかったのに!」
「僕だってルイスに会いたかった!会いに行くために自分がどうすべきかずっと考えて生きてきた!ルイスがこんな危険に身を置いていると知っていたら、もっと早く帰ってきたのに…!」
「な、何ですかそれは…僕では役不足だと言いたいんですか!?」
「ルイスを一人危険な目に遭わせたくなかった!君を守るのは兄である僕の役目だと言っただろう!」
「だから、守られなくても大丈夫だと言っているでしょう!」
よくもまぁ息が続くことだとメンバーに感心されていることに気付かないまま、ウィリアムとルイスは声を荒げて心からの本音を伝え合う。
けれどいくら言い合ったとして平行線もいいところだ。
ウィリアムのエゴはルイスに拒否されているし、ルイスのエゴがウィリアムに理解されることもない。
昔も今もすれ違ってばかりの兄弟は、きっとこの先の未来でもすれ違ったまま生きるのだろう。
「もう、兄さんの分からずや!石頭!」
「分からずやはルイスの方だろう!僕がこんなに言っているのに、少しも分かってくれないなんて!」
ルイスが語彙も攻撃力もない罵倒をしたタイミングで、周辺住民が活動し始める気配がした。
これ以上長くこの場にいるのは組織の立場として喜ばしくないだろう。
MI6のトップであるルイスはそれにいち早く気付き、目の前のウィリアムではなく己の部下であるメンバーに目をやって退避するよう指示を出す。
すぐさま行動に移し地下通路へと身を隠すメンバーの後を追いながら、ルイスは今回の作戦の功労者であるシャーロックと突然のゲストであるウィリアムを見た。
このまま二人をここに置いておくわけにもいくまい。
特にウィリアムとはまだまだ話したいことがあるのだし、ともに居ることが出来なかった期間のことをたくさん知りたいと思う。
それはウィリアムも同様で、何の合図もなく彼はルイスの後ろを付いていく。
三年ぶりだというのに息の通じ合った兄弟の後を追いながら、シャーロックは今しがた見た激しい兄弟喧嘩について振り返った。
「…何だよ、ちゃんと生きてんじゃん」
まるで陰の気持ちだけを詰め込んだ人形のようだったウィリアムが、ある意味で生き生きと動く姿をようやく見た気がする。
シャーロックにとってはちょっとした衝撃で、やっとこの友人が息をして世界に存在しているのだと認識することが出来た。
「何か言いましたか?」
「急いでくださいホームズさん。あと数分で自動的に鍵がかかってしまいます」
「お前らがゴチャゴチャしてたから遅れたんだろ、ったく」
ふいに足を止めたシャーロックを振り返る兄弟の顔はそっくりで、どこからどう見ても血の繋がりを感じさせるものだった。
(…美味しい)
(ふふ。僕が兄さんに紅茶を淹れるのも久々ですね)
(そうだね…本当に帰ってきたんだと実感する心地だよ)
(それは何より。僕も紅茶を淹れること自体が久しぶりなのですが、案外手は覚えているものなんですね)
(長年身についた習慣はそう簡単には消えないそうだから)
(身をもって知りました)
(そう。…ところで、ルイス)
(はい)
(君はもうMI6を辞めなさい。僕がモリアーティ家が背負う業を全て引き受ける)
(お断りします。ここで生きると決めたのは僕です。兄さんに左右されることではありません)
(ルイス!)
(絶対に嫌です!)
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