手を繋いで夢を見る
居候時代のアルルイが一緒に眠るお話。
無垢かつ世間知らずなので常識が偏っているルイスと、ウィリアムを参考に兄になっていくアルバート兄様が、ゆっくりと仲良くなっていくのがすき。
「アルバート兄様。ご迷惑おかけしますが、今夜一晩よろしくお願い致します」
「あぁ、こちらこそ」
一体どこで覚えてきたのか、先日ようやく自分のことを「兄」と呼んでくれるようになった末の弟は、何故かベッドの上でジャパニーズスタイル"土下座"の姿勢で頭を下げていた。
恭しく上半身を伏せるルイスの体はふかふかのマットレスの上だというのに少しも沈んでいない。
視覚的にその体重が軽いことが分かってしまい、アルバートは初めて見た土下座をする弟の頭をそっと撫でた。
不幸な事故だったのだ。
ロックウェル家に居候中のモリアーティ三兄弟は、社会復帰のために少しずつ日常生活を取り戻すべく、それぞれが懸命になすべきことをこなしていた。
アルバートはイートン校への復学のために課題をこなしてはモリアーティ家が管理していた領地に関する手続きを進め、ウィリアムは秋に入学を控えたイートン校の入試及び寮生活においてルイスと離れ離れになることで生じる不都合への各種根回し、ルイスはいずれ任される屋敷の管理方法についてジャックとハウスメイドに学びつつ兄に恥じぬよう勉学へと励む。
それに加えて三兄弟はジャックから教えられた秘密の特訓を日々実践していた。
本当に、それぞれがそれぞれに忙しくしていたのだ。
そんな中、たまたま今日はルイスがロックウェル伯爵家が飼う犬の世話を任され、たまたま寝室で遊ぼうとする犬をルイスが抑えきれずに侵入を許し、たまたまそこで拭き掃除をしていたハウスメイドの足元で犬が戯れついた結果、たまたまハウスメイドがバケツの水を全てベッドへぶちまけてしまったのである。
それがウィリアムの寝室とルイスの寝室、時間差で二度も同じ過ちを犯してはベッドを二つも駄目にしてしまったのは、本当に不幸な事故だった。
学習能力がない犬を責めれば良いのか、危機感の足りないハウスメイドを責めれば良いのか、それとも元気に走り回る犬を抑えられなかったルイスを責めれば良いのか。
あまりにも酷い惨状に執事長であるジャックは額に手を当てて深く深く息をした。
そもそも子ども程もある大型犬の世話を、よりにもよって小柄なルイスに任せる方がいけないのだ。
ならばルイスに犬の世話を任せた当主たるロックウェル伯爵が一番の原因でしかない。
ルイスとて懸命に犬を制御しようとしたのだろうが、犬の扱いに慣れていないルイスが全力で戯れる大型犬を止められるはずもないだろう。
何も考えていない呑気な当主に若干の頭痛を覚え、ジャックは落ち込むルイスとハウスメイドに「気にするな」と声をかけて部屋の掃除を手伝った。
けれど濡れてしまったベッドがすぐに乾くはずもなく、ルイスが今夜眠る場所がなくなってしまった、というわけである。
「ウィル坊は入試の手続きで外泊しているから良いとして、ルイスの寝る場所がないというのは困ったな」
「大丈夫です、先生。僕は毛布があれば床でも寝られます」
「やめておけ。体調を崩したらどうする」
掃除をしながら困ったようにぼやくジャックとは対照的に、ルイスはけろりとしたように元孤児らしい言葉を出す。
己の失態を悔やんではいるけれど、ウィリアムがいないのは幸いだった。
明日には問題なく乾くだろうし、ウィリアムが眠るのに支障がなければルイスは自分のことなどどうだって良いのだ。
本当は泊まりがけの外出などしてほしくなかったけれど、今日ばかりはウィリアムがいなくて良かったと、ルイスは不幸中の幸いに心から感謝していた。
それでも明日ウィリアムが帰ってきたらベッドを駄目にしていたことを謝らなければと、もはやルイスの関心はそこにしかない。
ジャックは本気で床で寝ようとしているちんまりした子どもを見て呆れたように息を吐く。
自分に興味がないルイスの固定観念を正すのは難しいのだ。
「ルイス、ここにいるのかい?」
「アルバート兄様!何か御用ですか?」
「何やら大変なことになっているとメイド達が噂をしていたものだから様子を見にきたんだ。これは…確かになかなか大変そうだね」
「…すみません。僕の不注意で…」
「いや、あの犬はルイスでは制御するに出来ないだろう。全く、伯爵も困ったものだね。たまたまルイスが目についただけで悪気はないのだろうが」
わふ!と大きな声が遠くで聞こえてきた。
ジャックに怒られて落ち込んでいた素振りを見せていたのにもう復活したらしい犬は、今頃他の使用人と遊んでいるのだろう。
床の掃除を終えている様子を見たアルバートは、すぐにベッドが台無しになっていることに気が付いた。
そうしてゆっくりベッドへと近付き、軽く触れてはぐっしょりと湿っているマットレスに不快感を露わにする。
「これではすぐに使えないだろう。ウィリアムの部屋のベッドも同じ状態ですか?」
「あぁ。ルイスのベッドと似たような惨状だろうし、現状すぐの回復は無理だな」
「他に部屋は余っていたでしょうか?」
「あるにはあるが、あくまでもゲスト用だ。寝心地は保証出来んし、鍵もかけられん」
「そうですか…ルイス」
「はい、兄様」
「今夜、僕の部屋へおいで」
寝心地はともかく、防犯において不備がある場所にルイスを一人で置いておくわけにはいかない。
ジャックもそう考えた上でルイスの寝床をどうするべきか考えていたのだが、最悪自分のベッドを貸そうかと考えていたところだ。
何せウィリアムが大事にしている幼い子ども、何かあってからではウィリアムの精神安定に大変よろしくないことは、ここしばらくの様子でよくよく理解していたのだ。
ゆえにアルバートの申し出には安堵しかない。
ウィリアムもルイスもその方がよほど安心出来るだろう。
だがルイスは己の失態でアルバートに迷惑をかけるわけにはいかないと、オロオロしたまま視線を彷徨わせてはどう応えれば良いのか悩んでいた。
「君のベッドもウィリアムのベッドも使えないのなら眠る場所がないだろう?泊めてあげるから、今夜は僕の部屋に来なさい」
「で、でも…兄様にご迷惑をかけるわけにはいきません。僕、床でも寝られます」
「ルイス、来るんだ。良いね?」
「…お世話になります、アルバート兄様」
有無を言わせない迫力めいた笑みに、ルイスは簡単に屈してしまった。
それもそうだろう。
元最強の軍人であったジャックでさえ、「良い気迫だな」と感心してしまうほどの圧がアルバートから滲み出ている。
彼の琴線にかかったのは「床でも寝られる」というワードであることは明白だ。
ルイスに床で寝るという選択肢があること自体アルバートには許し難いことなのだが、当のルイスは気付いてすらいない。
アルバートも弟には随分甘いなと、ジャックは子ども同士の微笑ましい光景を前に話は片付いたとばかりに会話を終わらせた。
「アルバートの部屋ならウィル坊も安心だろう。ルイス、もう床で寝るなどということは言うなよ。ウィル坊に知られたら今のアルバート以上に怖いぞ」
「…でも、僕のせいなのに」
「あの犬を制御出来ないのは仕方ないだろう。僕でも手を焼くのだからルイスが気にやむことはない」
「…はい」
申し訳なさそうに、けれどもルイスは僅かな期待を滲ませてアルバートの顔を見る。
新しく兄になってくれた、誇り高く潔癖で優しい人。
始めは裏があるだろう彼を警戒していたけれど、アルバートの素顔から感じられる気質はとてもとても穏やかだった。
躊躇うことなく実母を手にかけていた姿は狂気に満ちていたけれど、今のアルバートこそが本当の彼なのだろうとルイスは思う。
優しいアルバートに狂気を抱かせたあの家族こそが悪なのだ。
それでもあの人達がああでなければルイスもウィリアムもアルバートに拾われることはなかったのだから、世の中は上手いこと巡り巡っているものである。
「では…アルバート兄様、今夜はお世話になります」
「あぁ」
ルイスはやっと普段通りの優しい笑みを見せてくれたアルバートを見て、はにかむように口元を緩める。
生まれたときからウィリアムと生きてきたせいで、ルイスは一人の時間に慣れていない。
ウィリアムのいない空間で眠るのはとても苦手だけれど、今日はアルバートがそばにいてくれるのだと思えば、自ずと気持ちが明るくなるのだった。
そうして話は冒頭に戻る。
ルイスは以前ウィリアムに教えられた、東の小さな島国での慣習を何故か今この瞬間に披露していた。
「ルイス、顔を上げて」
「はい、兄様」
「…どうして土下座をしたんだい?」
「とある国での最大の敬意を表す姿勢だと聞きました」
「そうか。ルイスは物知りだね」
そういった文化があることはアルバートも認識しているが、実際に目の当たりにするとあまり気分が良いものではなかった。
まるで隷従させているような、服従を意味しているような、そんな嫌な意味でのわだかまりすら覚えてしまう。
ウィリアムもただの雑学としてルイスに教えたのだろうが、まさかルイスが実践するとは思ってもいなかったはずだ。
ルイスは敬意を表すという部分のみを受け取り、ならばアルバートにするべきだと結びつけてしまっただけに過ぎない。
それが意味する上下関係や命を差し出すような目的、ある意味での恥辱を意味するという闇の部分など、ウィリアムは教えていなかったのだろう。
無垢で疑うことを知らないルイスは純粋に敬意を表しているのだろうが、知識豊富なアルバートにしてみれば、可愛らしい弟の顔を見ることも出来ないこの姿勢に気分の良さを覚えることもなかった。
「でも、もうしてはいけないよ。ルイスの顔が見られなくなるのは悲しいから」
「分かりました、兄様」
言い聞かせるようにルイスの顔を見れば、承知したとばかりにルイスは強く頷いている。
何かがズレているように思うのは、まだまだアルバートがルイスのことを知らないからなのだろうか。
ひとまずはルイスの腕を引いて抱き寄せた後、小さな背中をポンポンと撫でながらその緊張を解きほぐすように微笑みかけた。
慣れている作り笑いとは違う、少しばかり変わった弟に抱く呆れも混じった愛しさが見せる笑顔だ。
長いまつげに縁取られた大きな瞳が薄明かりの中でも煌めいていた。
「一緒に眠るのは二度目だね。そう緊張しなくても、悪いようにはしないよ」
「に、兄様にそんな不安なんて…!ただ、その…緊張しないというのはやっぱり、難しくて…」
「どうして?」
「……わ、分かりません」
「そうか」
狼狽えたように視線を彷徨わせるルイスを腕に抱き、逃さないようその体を強く抱きしめる。
僅かに色付いているように見える頬や目元は錯覚ではないだろう。
照れているんだなと、アルバートは瞬時に察してしまった。
こうして逃げることなく腕に抱くようになるまでに時間はかかったし、抱きしめてからも緊張で肩を強張らせて微動だにしない頃を思えば、今は随分と進歩したものだ。
そろそろとアルバートの背に腕を回してガウンを摘む指先が愛おしかった。
「では、理由が分かったら教えてくれるかい?」
「は、はい、是非」
もう少しからかうのも面白いかもしれないが、距離感を間違えてしまってはこの子は怯えて逃げてしまうかもしれない。
アルバートとて初めて抱く慈愛の気持ちをどう処理して良いのか探り探りなのだから、今は深く追求せずにいる方がお互いにとって良いだろう。
まだ少しばかりぎこちない二人は毛布をめくってベッドに収まり、アルバートが夜灯り用のランプを消そうと腕を伸ばす。
「灯りはついていた方が良いかい?それとも暗い方が眠れるかな」
「どちらでも構いません。でも、兄さんはいつも少し灯りを付けていました」
「では同じように今夜も灯りを落として付けていようか」
「ありがとうございます、アルバート兄様」
なるべく普段と変わらずに眠れるよう配慮する彼の姿に、ルイスは密かに感動してはアルバートへの尊敬を大きくする。
実の所、ルイスは暗闇があまり得意ではない。
けれどルイス本人はそのことに気付いておらず、ウィリアムがルイスの恐怖を和らげるためいつも習慣のようにランプを灯したまま眠っていたのだ。
だから眠るときはランプが付いているものだとルイスは認識しており、アルバートがわざわざそれに合わせてくれることが嬉しかった。
こんなにも優しい人が自分の兄になってくれたのだから本当に恵まれていると思う。
アルバートが愛用する香水と彼の匂いに包まれたこのベッドはとても温かくて、床よりよほど寝心地が良い。
ランプの灯りを暗くしてから隣にやってきたアルバートの気配を感じながら、ルイスはそわそわと彼の方へと意識を集中させる。
「では寝ようか」
「はい。おやすみなさい、アルバート兄様」
「おやすみ、ルイス。良い夢を」
互いにベッドに並び言葉を交わしてから、アルバートはすぐに瞳を閉じた。
元々広いベッドは小柄なルイスがいたところで窮屈に感じることもなく、十分に手足を伸ばせるだけのスペースがある。
誰かと眠るのは得意ではないが、それがルイスならば不眠の原因になるはずもない。
今日も適度に疲れたのだからすぐに眠れることだろう。
アルバートが静かに呼吸していると、隣からもぞもぞ落ち着かない気配がした。
「え、あの…」
「…どうかしたかい?」
「え、いや…その…なんでも、ないです」
「ルイス?」
アルバートが瞳を閉じて数分後、ルイスは戸惑ったようになるべく身動きを立てないよう静かに首を兄へと向けていた。
その様子を横目で見ていたアルバートは、大きな目を見開いては細い眉を下げて困っている弟の顔を目に収める。
ランプのおかげでその表情がよく分かってしまった。
「どうかしたのかい?話してくれないと分からないが」
「ぁ…あの…ね、寝るんですよね?」
「明日も早いからね。あぁ、夜更かしでもしたいのかな?」
「そうじゃなくて…えっと…」
「うん」
「……ね、寝ないんですか?」
「…うん?」
賢いルイスらしからぬ要領を得ない言葉に純粋な疑問が浮かぶ。
眠ろうとしたからこそアルバートは目を閉じたのだが、何かおかしかっただろうか。
体は既に心地よい疲労に包まれていて、隣には可愛い弟がいるのだから癒しも抜群だ。
もうすぐにでもアルバートは眠れるというのに、ルイスには看過出来ない何かがあるのだろう。
アルバートは眠気を飛ばすため首を動かし、横目ではなくしっかりとルイスの顔を見た。
「何か気になることがあるのかい?」
我ながら信じられないほど丁寧に接していると思う。
何か言いたいことがあればはっきり言うべきだと、言えないのなら興味はないと振る舞うことの方が多かったはずなのに、相手がルイスならばいくらでも根気強く待ててしまうのだ。
それもこれも、アルバートにとって兄の手本であるウィリアムがルイスに甘いのだから仕方がない。
ウィリアムが弟のルイスにとんと優しく甘いのだから、かつての弟を弟とは思えないまま兄として破綻していたアルバートにとっての参考がウィリアムならば、まずは彼と同じようにルイスに接するのが道理なのだ。
ウィリアムならばルイスを急かすような真似をするはずもなく、その言葉を予想して発言を奪ってしまうようなこともしない。
きちんとルイスの出方を窺って、最善の方法となるよう精一杯を尽くすのだ。
考えるだに手間しかないけれど、何故かルイス相手ならば出来てしまうのだから不思議なものである。
「…あの、兄様」
「うん」
おずおずとこちらを向いてアルバートを見るルイスはゆっくりと、そしてしっかりとその目を見て声を出す。
深夜のために控えめな声だが、すぐ近くにいるアルバートには問題なく聞こえてきた。
互いの肩と肩が触れ合いそうな距離に何故か安心してしまう。
人肌は苦手だと思っていたが、実はそうではなかったのだろうか。
アルバートがそんな他愛もないことを考えながらルイスの言葉を待っていると、ゆっくりとルイスは語り出してくれた。
「眠るとき、さっきみたいなハグはしないんですか?」
「…ん?」
「兄さんはいつも寝るとき、ギュッてしてくれます…」
「……」
服の袖が引っ張られるような気がしたが、おそらくルイスが控えめに指で摘んでいるのだろう。
予想だにしない発言はアルバートの思考を一瞬どころかたっぷりと五秒は止めてしまった。
「…そうだったね。忘れていたね、すまない。おいで、ルイス」
「はい!」
弟どころか父とも母とも一緒に眠った記憶のないアルバートにとって、誰かと眠るときに抱き合うというのが常識とは知らなかった。
いや、おそらくは世間一般でも常識ではないだろう。
愛し合う恋人同士でさえ、抱き合う姿勢では窮屈でろくに眠ることも出来やしないはずだ。
だがルイスの小さな世界ではウィリアムしかおらず、そのウィリアムと一緒に眠るときには常に抱き合って眠っていたというのなら、ルイスの中では誰かと眠るときの姿勢は互いに抱きしめ合うのが常識ということなのだろう。
そうして以前、ルイスが寝ぼけてアルバートの部屋に迷い込んできて初めて一緒に眠ったときのことを思い出した。
あのときのルイスは毛布に入り込むなりアルバートの腕の中に自然と潜り込んできたのだから、違和感を覚える間もなくそのまま抱いて眠ってしまった。
可愛い弟に甘えられて悪い気はしないと、兄としての優越感に浸りながら眠りに就いたことをよく覚えている。
てっきりあれはあのときだけの偶然だと思っていたのだが、ルイスにしてみればそうではなかったのだ。
なんともまぁウィリアムに愛され甘やかされている子どもだといっそ感心してしまうし、そこまで溺愛するのもどうだろうかという疑問すら浮かんできてしまう。
けれどアルバートは可愛い弟の可愛い常識を否定しないよう、うっかり忘れていたという設定でその体を抱き寄せた。
ルイスはこれで良いのだ。
今までそうだったのだからこれから先もこのまま、荒んだ道を歩く兄の癒しであってほしいと思う。
アルバートは少しだけ体をルイス側へと傾け、腕を伸ばして真横を向いていた弟の肩を抱きしめる。
もう片手は既にルイスの両腕に抱きしめられていた。
「今度こそおやすみ、ルイス。良い夢を」
「おやすみなさい、兄様。夢の中でも兄様に会えたら嬉しいです」
「ん"んっ」
「兄様?」
「何でもないよ。僕も夢でルイスに会えるよう楽しみにしている」
「…ふふ」
露骨に可愛いことを言われて思わず咽せた。
かろうじてそれを誤魔化したアルバートは、会いたいなと小さく呟いているルイスの額に唇を寄せてもう一度「おやすみ」と囁き、弟に抱きしめられた腕を動かしてその手を握る。
アルバートの意図が分かったのか、ルイスも手を動かして指を絡め合わせながら握ってくれた。
思っていた通りルイスの手はアルバートに比べたら随分と小さくて、軽い体といい幼い顔付きといい、もはや弟というよりも庇護欲をそそる小動物でしかない。
自分のものより低いはずの体温は、同じ毛布に包まっていればとても温かく感じられることを知った。
「……ルイス、もう寝たかい?」
しばらく手を握り合いながら瞳を閉じていたが、段々とルイスの指に力が抜けていく。
けれどアルバートの目はどうにも冴えてしまったようで、僅かな期待を込めてルイスに声をかけても、返ってくるのは小さな寝息だけだった。
「…よく寝ている…」
すよすよと寝顔を晒すルイスに、初めて会ったときのような面影はない。
まるで警戒心の強い野良猫が野生を無くして家猫になったようだ。
随分懐かれたと思う。
そしてそれに少しも嫌悪を抱かないのだから、アルバート自身も不思議に思うくらいだった。
弟とはこんなにも愛しいだけの存在なのだろうか。
ならばかつていたあの子にはどうしてこんな感情を抱けなかったのだろう。
ぼんやりそんなことを考えるが、答えなど分かりきっていた。
あの子はアルバートと瓜二つだ。
あの子はアルバートが生きるべき道を、いや、周りが望んでいた"モリアーティ家第一長子"が生きる道を真っ直ぐに歩んでいた子だからこそ、愛することが出来なかったのだ。
そして「弟ならばきっと自分と同じ考えを持っている」と期待したアルバートのことを、あの子はいとも簡単に裏切った。
何も出来なかったアルバートを嘲笑うように嫌っていた貴族そのものとして成長する弟は、まるで別世界の自分を見ているようで気分が悪い。
軽薄で傲慢な弟を愛せるはずもなく、ゆえに純粋で無垢なルイスという弟がいるなど、始めはとても信じられなかった。
だが今隣にいるルイスは紛れもなくアルバートの弟で、初めてアルバートを兄にしてくれた大切な存在だ。
「…ルイス」
呼びかけても返事はなく、けれど絡んだ指を動かそうとするとルイスの指に力がこもる。
無意識なのに離すまいとするルイスが無性に愛おしくて、アルバートは消え入りそうな声で二度三度とその名を呼んだ。
「…ありがとう、ルイス。おやすみ」
僕の家族になってくれてありがとう。
そんな意味を込めて見える額と鼻先にキスを落として、もう一度繋いだ指を握りしめる。
ここ数日で一番よく眠れそうな夜だった。
(おはようございます、アルバート兄様)
(おはよう、ルイス。今日も早起きだね)
(昨夜は兄様のおかげでよく眠れました。兄様の夢も見れましたよ!)
(それは嬉しいね。どんな夢だったのかな?)
(兄様よりも兄さんよりも背が大きくなって、お二人と一緒に紅茶を飲む夢でした!)
(ほう、それはまた楽しい夢だったんだね。今はこんなに小さい手をしているけれど、いつか大きくなれると良いね)
(大丈夫です。すぐに兄様よりも大きくなります)
(ふ、それは楽しみだ。大きくなったルイスに会うのを心待ちにしているよ)
(…兄様、信じていないでしょう)
(そんなことはないさ。僕よりも大きくなったルイスはさぞかし可愛いだろうね)
(む…やっぱり信じてない)
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