末っ子、大きくなる。


モリアーティ三兄弟とモランのほのぼのコメディ。
背が伸びて喜ぶルイスは幼女だし、何だかんだ面倒見が良いからルイスに甘いモランがすき。

「先生、身長計を借りても良いですか?」
「構わないよ。測ってあげようか」
「お願いします」

一昨年アルバートが卒業し、去年はウィリアムが飛び級制度を活用して卒業してしまったこのイートン校で、ルイスはたった一人勉学に励んでいた。
寮制度など無くなってしまえば良いと幾度も呪ったし、何度も学園を辞めてしまおうかと考えたけれど、ここで学んだことはいつかきっと二人の役に立つ。
ルイスはそう自分に言い聞かせ、ロンドンの屋敷から大学に通う二人の兄と手紙を交わしながら一人イートン校で過ごしている。
今週末は久々にウィリアムとアルバートの元へ帰る予定だ。
ルイスはようやく二人に会えると浮き足立つ気持ちを自覚しながら、寮に存在する医務室へと足を運んでいた。

「ふむ…以前よりも3㎝伸びているね」
「本当ですか!?」
「ようやく成長期が来たのかもしれないね」
「…!」

もう健康体になったのだから医務室で世話になることなど早々ない。
けれどルイスは頻繁にこの場所へと訪れ、そして頻繁に身長を測っていた。

「成長期というと、一年で身長が10㎝伸びる時期のことですか?」
「まぁそうだね。そんなに伸びない子もいるけど、グンと伸びる子は多い」

保健医の言葉を聞いてルイスの瞳はきらきらと輝いていく。
今までずっとルイスは小柄で、だいすきなウィリアムとアルバートを脅威から守れるくらい強くなりたいのに、技術はともかく体が出来上がらなかった。
大きな体はその分だけ筋肉量も増え、鍛えた以上の成果が出る。
それなのにルイスはいつまで経っても背が伸びなかった。
アルバートに拾われる前はウィリアムとそう身長差もなかったはずなのに、きちんとした栄養と休息を摂るようになったウィリアムはルイスよりもすくすく成長してしまったのだ。
どうして僕は小さいんだろうとルイスは悲しく思っていたが、「ルイスは体を悪くしていた時期があったんだから、焦らなくて良いんだよ」という言葉にひとまず納得していた。
いつか噂の成長期が来てウィリアム、いやアルバート以上に背が伸びればきっと二人を守ることが出来る。
今はまだ小さいがきっと大きくなるのだと、ルイスはきちんとご飯を食べてしっかり眠るよう心がけていた。
そしてやっとその成果が出たようで、今までは過去の自分とどんぐり程度の身長差しかなかった状況を、なんと3㎝も脱することが出来た。
嬉しくないはずもない。
ルイスは保健医に礼を言ってから駆け足で自室へと帰っていった。



そうして帰省する日のロンドン駅。
ルイスはきょろきょろと辺りを見渡し、自分を迎えに来てくれるだろう兄達を探していた。

「よぉ、ルイス。久しぶりだな」
「…モランさん。どうしてあなたがここに?」
「ウィリアムもアルバートも手が離せないらしくてな。代わりに迎えに行くよう頼まれたんだよ」
「……そうですか。ありがとうございます、モランさん」

焦がれていた蜂蜜色の髪とショコラ色の髪を持つ兄が見当たらず、代わりに大柄でツンツン頭の彼がルイスを迎えに来てくれたらしい。
最後に受け取った手紙にはきちんと、迎えに行けないかもしれない、という文面があったから覚悟はしていた。
けれど実際に最寄り駅に付いて最初に目にするのがモランというのは、ルイスのテンションを著しく下げてしまう。
とあることがきっかけでウィリアムの信念に賛同した彼は、凄腕のスナイパーかつ腕の立つ元軍人だ。
鍛え抜かれた肉体を見るだけでもその経歴が偽りでないことが分かるし、実際モランはとても強い。
けれどどこか軽薄な印象があって、ルイスはあまり彼が得意ではなかった。

「相変わらずちんまりしてんなぁ、お前」
「ちんまりしてません!」

モランはいつも小柄なルイスのことを「ちんまりしている」とからかってくる。
実は密かに気にしていることなのに全くデリカシーがないと、ルイスは頭をぐりぐりと撫でてくるモランの手から逃げるように距離を取った。
普段ならば面白そうに見てくるモランを威嚇するように睨みつけるのだが、今日のルイスは一味違う。
何故なら、つい三日前に測定した身長はなんと3㎝も伸びていたのだ。
3㎝分だけ心の余裕があるのだと、ルイスは胸を張ってモランを見上げて自慢げに言った。

「ふふん、もうちんまりしてるなんて言わせませんよ。今の僕は以前会ったときよりも3㎝も大きくなっているんですから」
「お、背が伸びたのか?」
「はい。なんと3㎝も伸びたんです。僕もついに成長期なんですよ」
「へぇ」

二度言ったルイスの中では大事なポイントなのだろう「3㎝」という単語は、モランにしてみれば誤差の範囲だった。
けれど目の前で胸を張って体を大きく見せようとしている小動物のような子どもは誇らしげで、それを否定するのはさすがに可哀想だ。
たかが3㎝、されど3㎝。
聞けばウィリアムとルイスは一つ違いのようだが、居候先で見るウィリアムの身長と今のルイスの身長は大分差があるようにも思う。
今の言葉を聞けば未だルイスは成長期が来ていないのだろう。
ならば今後伸びる可能性は十分にあるし、以前「大きくなるにはどうしたら良いか」という相談に乗ったこともあった。
小さい割にこの子どももちゃんと男なのだと、モランはしみじみ実感する。

「良かったじゃねぇか。あんま分かんねぇけどな」
「3㎝も伸びたのに気付かないんですか?モランさんって鈍いんですね」
「何だと、このやろ!」
「頭押さないでください、縮んじゃいます!」
「いて!お前なぁ!」
「さぁ帰りましょう。早く兄さんと兄様にお会いしたいです」
「ったく…」

ウィリアムとアルバートには従順なくせに、モランに対してはツンとしているルイスはもはや見慣れた姿だ。
モランが生意気なことを言うルイスの頭をぐりぐりと強めに撫でると、ルイスは反撃として周囲に気付かれない速さで脛を蹴ってきた。
身なりの良い子どもを一人で帰すのは危ないと、ウィリアムとアルバートから念押しされてルイスを迎えに来たけれど、これだけ負けん気が強ければ誘拐犯の一人や二人蹴散らすくらいは出来るだろう。
ジャック直々に鍛えられているのだし一般人相手になど負けないはずだ。
だがルイスに過保護な二人の兄は万一の可能性すら潰すべきだと、暇をしているモランを迎えに寄越したのである。
一応護衛としてこの場にいるはずなのに、守られる立場である小さな子どもは周りの人間に悟らせない速度でモランの脛を蹴るような人物だ。
地味に痛い足を自覚しながら、モランは呼んでいた辻馬車に乗るようルイスを促した。

「鈍いモランさんは気付きませんでしたが、きっと兄さんと兄様は僕の背が大きくなったことに気付いてくれるはずです。早く会いたいです」

馬車の中で機嫌良さそうに頬を緩めるルイスは見ているだけでその嬉しさが伝わってくるようだ。
モランは子どものときから体格に恵まれていたため、ルイスの気持ちを理解することは出来ない。
だが戦う上で背が高いに越したことはないと、もう水を差すようなことは言わずにいてやるかと考えを改めた。

「あ、ウィリアム兄さん、アルバート兄様!」
「ルイス!お帰り、待っていたよ」
「迎えに行けなくてすまなかったね。元気そうで何よりだ」
「とても元気です!お二人もお元気そうで嬉しいです」
「モラン、ルイスを迎えに行ってくれてありがとう」
「あぁ、気にすんな」

ルイスとモランがモリアーティ邸に着くと同時に、ウィリアムとアルバートが別の馬車で帰宅した。
なるほど、外出の用事が重なっていたのであれば迎えに来れなかったのも仕方がない。
ルイスは二人の手を取るように間に収まり、ますます笑みを深めて左右にいる兄を交互に見た。
ぎゅう、と繋いでくれた手が温かくて安心する。
三兄弟とモランは揃って屋敷の中へと入り、まずはリビングで近況報告を兼ねてお茶を楽しむことにした。

「僕が淹れても構わなかったのですが」
「ルイスは帰ってきたばかりだろう?少し休まないといけないよ」
「昨夜のうちから水出しのアイスティーを用意しておいた。ルイスが淹れる紅茶には敵わないが、少しの時間を楽しむには十分だろう」
「モランにはウイスキーを用意しているけど、飲みすぎないようにね」
「あぁそれと、ルイスの前では煙草は控えてくださいね」
「分かってるよ」

カラン、と氷の入ったカップが揺れる。
一口飲めば上質な茶葉に瑞々しい果実のフレーバーが合わさっていてとても美味しかった。
喉が渇いている自覚はなかったけれどごくごくと飲めてしまう美味しさだ。
ルイスはカップの半分ほどを一気に飲み、ソワソワした様子で目の前に座るウィリアムとアルバートを見た。
いつもなら二人の隣に座るのだが、今日は気付いてほしいことがあるから真正面に座ってみたのだ。
隣にモランがいる状況には慣れないけれど、ウィリアムとアルバートの姿をずっと見ていられるのは良いものである。
記憶の中の二人よりもやはり本物は何倍も格好良くて、そして優しい眼差しでルイスを見てくれる。
目が合えばにっこりと笑ってくれる二人を目に収め、ルイスはようやく心から安心した。
やはり自分の居場所はこの二人のそばなのだ。
ようやく息が出来る心地がする。

「あの、兄さん」
「何だい?」
「兄様」
「どうかしたのかな?」

安心したルイスはそわそわと期待に満ちた瞳でウィリアムとアルバートを見上げる。
元気そうな姿を見れて嬉しい限りだが、今のルイスはなんと以前会ったときよりも3㎝身長が伸びているのだ。
先ほど隣に立ったときに見上げた角度はあまり変わらなかったから、おそらく二人も伸びているのだろう。
もしかするとルイス以上に伸びているのかもしれないけれど、それでもルイスの身長が伸びたことは間違いない事実である。
早く気付いてくれないだろうかと、ルイスはそわそわしながら二人を見て褒めてほしそうに甘えを見せた。

「今の僕は以前とは違うんですよ」
「へぇ、どこだろう。今日のルイスは以前にも増して可愛いけれど、他にも何か違うのかな?」
「違います、もっと大きいところが変わったんです」
「それは気になるね」

お遊びめいた問いかけを微笑ましく思いながら、ウィリアムとアルバートはルイスをじっと観察する。
少しの間離れただけで随分と懐かしく感じてしまう。
記憶の中にいたルイスよりも、兄弟三人で撮った写真の頃よりも、今のルイスはぐんと生き生きしていてとても楽しそうだった。
それが自分達に会えた影響なのだと思えば二人の兄心は心地良くくすぐられる。
会えない間にも可愛らしさが増していたのは間違いないけれど、他に変わったところというと一体どこだろうか。
目の前にちょこんと小さく座る弟をつむじから足先まで見ていって、ウィリアムとアルバートは揃って心の中で疑問符を浮かべた。

「あの…」

真剣な表情で見つめられ、ルイスは僅かにたじろいだ。
しっかり自分を見てくれているのは嬉しいが、まだ気付いてくれないのだろうかと思うと中々複雑である。
でもウィリアムとアルバートならきっと分かってくれるはずだと、ルイスは体を大きく見せるべく両手を広げてアピールした。
広げた手にモランの腕が当たったのは気にしないことにする。

「ほら、何か気付きませんか」
「うーん…」
「あぁ、随分髪の毛が伸びたね。少し切ってあげようか」
「…違います。伸ばしてるので切らなくて良いです」

アルバートが気付いてくれた変化も間違いではないのだが、ルイスが求めていた回答ではなかった。
もしかすると座っているから背が伸びたことに気付かないのかもしれない。
ルイスはそう考えて立ち上がり、ついでに少しだけ背伸びをして目の前にいる二人の兄を見下ろした。
これならきっと分かってくれるはずだろう。

「…あぁ、なるほど」
「はい!」
「ルイス、少し筋肉が付いたんだね」
「…はい…!付きました…付きましたけど…!」

寮にいても教えられた訓練を極秘でこなしているため、うっすらと筋肉が付いているのは間違いない。
きっとウィリアムは薄かったルイスの体が僅かに厚みを増していたことに気付いてくれたのだろう。
だがルイス自身はそれを気にしていなかったし、ウィリアムがそう言うのならきっと筋肉が付いているはずだ。
実に嬉しい限りである。
けれど、今求めていた答えではなかった。
末っ子の残念がる様子に困惑した顔を浮かべる兄達は、懸命にルイスが求める答えを当てるべく観察を続ける。
そうして分かったことは、久々に会う末っ子は以前にも増して可愛いという事実だけだった。

「…僕、背が大きくなったんですよ」

最愛の兄達を困らせていると感じたルイスは自ら正解を口に出す。
もじもじと恥ずかしそうに、それでもちゃんと届く声でルイスは思い悩む兄達へ答えを明かしたのだ。
大きく広げていた両手は胸の前で組まれていて、居心地悪そうに動かしていた。

「え?」
「……3㎝も大きくなったんです」
「…3㎝も」
「はい。3㎝も」

告げられた真実にウィリアムはその緋色を大きく見開き、アルバートは形の良い唇をうっすらと開けることでその衝撃の大きさを伝えていた。
なるほど、言われてみれば背がスラリと伸びているようだ。
けれどウィリアムもアルバートも成長期真っ只中のため、ルイスが伸ばした3㎝よりもはるかに身長が伸びており、ゆえにルイスが伸びたことにも気付かなかった。
なんと迂闊だったのだろうかと後悔するのも一瞬のこと、二人はルイスからその隣で窮屈そうにソファに収まっているモランを見る。
一連のやりとりを黙って見ていたモランの表情は実に気の毒そうだった。
おそらくルイスに向けた表情だということは簡単に窺い知れるが、それに勘付くと同時に小柄な末っ子と大柄な元軍人の体格差を目の当たりにする。
背が伸びたというルイスの隣にモランがいるなど、無意識の比較対象が間違っていたことは明白だった。
そして兄達の視線が自分ではなくモランに、いやその瞳に自分とモランを交互に映していることに気付いたルイスは悲しみで眉を下げていく。

「が、頑張って大きくなったのに…!兄さんも兄様もいないのにちゃんとご飯食べて、ちゃんと眠って、ちゃんとミルクを飲んで大きくなるために頑張ったのに…!3㎝も伸びて、先生にも成長期が来たねって言われたのに…!」
「まぁ3㎝なんて誤差の範囲だしな」
「っモランさんのせいです!」
「あぁ?何でだよ」
「モランさんが大きいから隣にいると僕が小さく見えてしまうんです!僕は大きくなったのに!モランさんの馬鹿、もっと小さくなってください!モランさんの身長、僕にください!」

わーん、と自棄になったようにモランに殴りかかるルイスだが、本人も八つ当たりだと自覚しているようで迫力がない。
言うなれば子どもが大人に戯れているような、子猫が虎に戯れているような、そんな感覚に近かった。
ウィリアムはまさかルイスに関することで遅れを取るなど不覚だったと険しい顔をしたのも束の間、目の前で繰り広げられる珍しい弟の姿に目を奪われる。
アルバートにしても、いつも聞き分けの良かったルイスがあんなにも子どものように癇癪を起こす姿は初めて見た。
可愛いものだと、思わず自らの失態を忘れて癒されてしまう。
だが八つ当たりされているモランとしては堪ったものではない。
痛くも痒くもないが鬱陶しいのだ。
子どもは得意ではないし、まして兄以外には興味を持たないルイスの扱いは思っている以上に気難しいのである。
現に今も、伸びた身長に気付かなかった兄達を責めるのではなくモランに怒っている時点で厄介だった。
ここはこの八つ当たりを甘んじて受け入れ、ルイスの怒りが去るのを待つ他ない。
そう考えたが、五分以上もわーわー言ってぽかぽか殴り付けてくるのを看過出来るほど、モランの気は長くなかった。

「ったく、仕方ねぇな!」
「っえ?わ、わ!」
「ほら、これで良いだろ!俺以上にデカくなった!」
「わ、わぁ…!」
「「…………」」

モランはぽかぽかと頭を殴ってくる小さな手を取り、3㎝伸びたとはいえまだまだ小さな体を抱き上げてそのまま肩に乗せる。
いわゆる肩車の姿勢で立ち上がって見せれば、モランに乗り上げるルイスの視界はゆうに3m近いはずだ。
新居であるモリアーティ邸の天井が高くて助かったと安心してしまうほどに、今のルイスは床から遠く離れた位置にいる。
初めて見る目線と、視線を下げれば随分と低い位置でこちらを見上げるウィリアムとアルバートがいて、それを認識したルイスの心は高揚していく。
この高さならば二人が立ってもルイスの方が彼らを見下ろすくらいに背が高くなっている。
思わず感動したようにルイスはきらきらと瞳を輝かせ、落ちないようにトサカのようなモランの髪ごとその頭を抱きかかえた。

「凄いです、これがモランさん以上の視界なんですね!」
「これで満足かよ」
「はい!」

肩車など初めてしてもらったし、屋敷の中でこんなに高い位置にいることも初めてだ。
ルイスは少し離れた場所にいるウィリアムとアルバートに手を振って、モランに乗ることで大きくなった自分に大満足だった。
いつかこれくらいに大きくなれれば、きっとウィリアムとアルバートを脅威から守ることも容易いに違いない。
そうすればルイスの手で二人を守ることが出来て、二人に守られてばかりのお荷物な自分とはおさらばである。
ようやく成長期を迎えたのだから今後ますます背が伸びることは確実であり、モラン以上になることも夢ではないはずだ。
ルイスはわくわくする気持ちを抑えずに、モランの頭越しにウィリアムとアルバートへ声をかける。
何やらその顔が渋いような気がするのはルイスの勘違いなのだろう。

「ウィリアム兄さん、アルバート兄様!僕、このくらい大きくなりますね!そしたらもっと強くなって、兄さんと兄様をお守り出来ます!」
「ルイス…!」
「なんて良い子なんだ…!」

無邪気に言うルイスは神々しいほどに可愛くて、いとも簡単に兄二人の心を射抜いてみせた。
守りたい弟に守られるのは複雑だが、その気持ちが何より嬉しいのだ。
愛すべき弟に愛されている実感は兄としてこの上ない誉れである。
だがそんな感動も束の間、その可愛い可愛い末っ子が自分ではない人間に担がれていることが兄達の琴線に触れた。
自分ではない、そしてルイスのもう一人の兄でもない人間が、ルイスを抱え上げては肩車しているのだ。
いくら信用に足りる人間とはいえ、大事な弟の体を預けるほど心を許してはいない。
ルイスに見せた感激の表情をすぐさま消し去り、ウィリアムとアルバートは氷のように凍てついた瞳でモランを見る。
天井のシャンデリアを間近で見てはしゃいでいるルイスは二人の表情変化に気付いておらず、モランだけが頬を引き攣らせていた。

「ねぇモラン。誰の許可を得てルイスを肩車しているのかな?」
「大佐、大事なルイスを落とされては敵わない。早く降ろしていただけますか?」
「お、おう」

一回り近く下の、しかもまだ成人していない子どもが持つ威圧感ではない。
モランは良かれと思ってしたルイスへの肩車を後悔した。
ウィリアムとアルバートが抱くルイスへの執着をまだまだ甘く見ていた自分が圧倒的に愚かだったのだ。
ルイスに下心はおろかウィリアムの弟という以上の感想はないというのに、しかもそれをこの二人は知っているだろうに、それでも我慢ならないのだろう。
重苦しい兄弟愛だと、モランはルイスを懇切丁寧に降ろそうと腰をかがめようとする。
すると頷くウィリアムとアルバートとは対照的に、ルイスから不満げな声が聞こえてきた。

「え、僕もう少しこのままが良いです。もう少し背が伸びたときのイメージトレーニングをしていたいです」
「ルイス、いくらモランとはいえ危ないよ」
「ウィリアムの言うとおりだ。早く降りてきなさい」
「でも…」

ウィリアムとアルバートを見下ろし、ルイスはもう少しだけ、と懇願する。
モランではなく兄達に許しを乞うところが実にルイスらしい。
目の前には長男と次男、肩の上には末っ子を乗せたモランは、三兄弟に挟まれながら静かにそのやりとりを聞いていた。
下手に口を出して話が長くなっても面倒だし、もう少ししたら問答無用でルイスを降ろしてしまえば良いだろう。
そう考えていたのだが、ルイスがぺちぺちとモランの額を叩いてくるのだから嫌でも意識を集中させなければならなかった。

「何だよ、ルイス」
「モランさん、応接室に行ってほしいです。ゴーです、ゴー」
「お前、俺を乗り物扱いしてんじゃねぇよ」
「どうせモランさんは応接室のシャンデリア磨きをサボっているのでしょう?僕がやるので連れてってください」
「ルイス、せっかく帰ってきたんだからそんなことしなくても良いよ」
「学校であったことを教えてくれる約束だっただろう?早く降りておいで」
「…モランさん、ゴーです」
「良いのかよ」
「……良いんです」

ウィリアムとアルバートの言葉にあからさまに後ろ髪を引かれているくせに、せっかく得た高い目線を離したがらない姿ははっきりと子どもだった。
だが実際にモランはシャンデリアを磨いたことはないし、ルイスの希望と己の不始末を片付けるには一石二鳥だ。
このリビングにあるシャンデリアを選ばなかったのは、少しでも距離のある場所まで行くのが目的だろう。
モランはどうするべきか思案しながら、少なくともルイスを落とすような真似はまず間違いなくしない自信があるため、ならばからかった償いとしてルイスの希望を叶えることにした。
のそのそと歩き出し、部屋を出るため扉へと向かう。
後ろには慌てたように付いてくるウィリアムとアルバートがおり、そして肩には嬉しそうな声をこぼすルイスがいた。
怪獣に乗ってるみたい、と失礼な言葉が聞こえてきたが聞こえないふりをしておく。
そうしていつものように扉を開けて出ようとしたところ、それが天井よりも低いということを失念していたことに気付く。
なぜ気付いたかというと、肩に乗せているルイスから大きな音と悶絶した声が聞こえてきたからである。
ガンっ、という固いものに固いものが当たったような音と、苦しみ悶える声。

「ぅぐっ」
「ルイス!」
「大丈夫かい!?」
「あん?何だよ」
「うぅ、う~…」
「…あ、悪い」

バランスが崩れそうになったけれど問題なく耐えて、ふと上に視線をやればルイスが額を抑えている姿が目に入った。
抱えていた足もじたばたと動かしており、全身でその苦痛を表現している。
大柄なモランでもつかえることなく通れるこの扉、ルイスを乗せた状態では明らかに低かったのだ。
そのことを失念していたモランはいつものように通ろうとして、そしてルイスは避けきれずに壁に額をぶつけてしまったのだろう。
推理するまでもなく明白な事実は心配そうにルイスを見上げているウィリアムとアルバートの表情を見れば一発で分かってしまった。
やってしまったと、モランが後悔するのは当然である。
ルイスを落とさない自信はあったけれど、ルイスを壁にぶつけない自信はなかったのだ。

「ルイス!大丈夫?痛くない?」
「…痛い…うぅ…」
「おでこを見せてごらん。…あぁ、赤くなっているね。これから腫れてくるかもしれない」
「軽い擦り傷になっているね。すぐに手当てしてあげよう」
「…ありがとうございます、兄様、兄さん」

慌ててモランがルイスを降ろし、そのままウィリアムへとその体を手渡した。
悶絶するルイスは涙目になりながらも泣いてはおらず我慢強い気質が見て取れるが、それでもウィリアムとアルバートの前で気が緩んでいるようだ。
意地を張らずに痛いと訴える姿が子どもらしかった。
赤くなった額を優しく撫でるアルバートはキツい視線をモランに見せている。

「大佐、だから早く降ろすように言ったでしょう」
「モランなら大丈夫だと信じていたのに」
「悪い、これは完全に俺のミスだ。弁解のしようもねぇ。悪かったな、ルイス」
「いえ大丈夫です、モランさん。兄様も兄さんも心配しないでください」
「だがルイス」
「痛かっただろう?」
「良いんです。僕があれくらい大きくなったらこういうこともあると分かったので、良い予行練習になりました」
「…予行練習」
「はい。僕、モランさんより大きくなりたいので」
「…そう、楽しみだね」

素直に非を詫びるモランよりも、割合ぶっ飛んだことを話すルイスに話題が持っていかれた。
3㎝伸びただけで成長期が来たと喜び、兄さんと兄様のために大きくなって強くなりたいと望むモリアーティ家の末っ子は、今後すくすくと成長することになるだろう。
だが、仮にそうだとしてもモラン以上を望むのは無謀という他ない。
モランは以前もルイスにそんなことを言ったけれど、ルイスはそれを信じず夢を抱き続けているのだろう。
健気なことだと、モランは思わず呆れてしまったけれど、ウィリアムとアルバートも少しばかり呆れているようで安心してしまった。

「僕、3㎝も大きくなったんですよ」
「凄いね、ルイス。気付かなくてごめんね、確かに大きくなっているよ」
「兄さんも兄様も背が伸びていたので気付かなくても仕方ありません。次に会うときはもっと大きくなっているので楽しみにしていてください」
「あぁ、今からとても楽しみにしている。離れて過ごすのが惜しいくらいだ」

ぶつけて赤くなった額の部分にガーゼを貼り、ルイスは機嫌よくウィリアムとアルバートと話している。
大きくなって嬉しいのだと全身で表現する末っ子はとても可愛くて、癒しの象徴のようだった。



(まさかモランにルイス初めての肩車を奪われるとは思いもしませんでした。この僕がルイスに関して遅れをとるなんて…ルイスが寮に行ってしまった今、トレーニング量を増やすべきでしょう)
(私も賛成だ。それにルイスも成長期とはいえ、我々も成長期真っ只中。もう少し身長差があれば肩車も容易いだろうし、背を伸ばすことも意識した方が良い)
(目指すはルイスを肩車出来るだけの肉体ですね)
(あぁ。ルイスの背がこれ以上伸びてしまう前に何とかしないとな)

(モランさん、最近兄さんと兄様の様子がおかしいのですが何かご存知ですか?)
(どう変なんだ?)
(肩車がどうとか、僕の背がどうとか言ってます)
(…兄貴としての野望が叶わなかったんだよ、触れてやるな)
(はぁ?)
(お前も大きくなったもんだよな…)
(何をしみじみ言ってるんですか。モランさんより大きくなれなかった僕への嫌味ですか?)
(違うっつーの)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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