割れて一緒になれたら良いのに
モリミュOp.3の日替わりネタで、モランに兄さん兄様のカップを割られて怒るルイスのお話。
お揃いのカップを選ぶ小さい三兄弟は可愛くて尊いけど、大人になってすれ違ってしまう三兄弟は寂しいなぁ…三兄弟、幸せな過去を生きろ。
「モランさん、御同行を」
モランがそう言うルイスに連れられたのは彼の根城である厨房だった。
つい先ほど、モランは過去に彼の兄であるアルバートとウィリアムのカップを割っていたことがバレてしまった。
フレッドの裏切りとウィリアムの推理により発覚した事実は、兄を敬愛してやまないルイスの怒りに触れたらしい。
それもそうだ、ルイスがウィリアムとアルバートに対し異常なまでの執着を見せているのはよくよく承知なのだから。
ゆえにモランは割った事実を隠していたのだ。
けれど実際はそれほど怒る案件でもないと、モランは懸命に主張する。
「そんなに怒ることねぇだろ。あのカップ、かなり昔のものでほとんど使ったことないじゃねぇか」
「そ、れは…」
「茶ぁ飲むときのカップは無事なんだしよ。ほら、お前ら三人で揃いの奴」
「……」
モランの言葉にルイスは押し黙る。
確かにモランの言う通り、彼が割ったであろうカップはここ数年使われていない古いものだ。
それどころか、与えられたときに使ったきり一度も使われたことはない。
モランとフレッドがこの屋敷に住まうにあたり、食器類について説明した際に今は使われていないが兄達の私物だと、そう言ったのはルイスだった。
アルバートもウィリアムも使っていない二つのカップは、それでも二人の所有物である。
そしてルイスにとってとても大切な物だった。
「…もう良いです。今後一切、食器の類に触るのはやめてくださいね」
「…おい、どうした?」
「何でもありません」
顰めていた顔を悲しそうに変えて、ルイスはモランから背を向けて割られてしまったカップが置いてあった空間を見る。
食器棚の隅、目立たない場所にぽっかりと空いた空間はまるでルイスの心のようだ。
ずっとここを埋めるように保管していたはずなのに、この数日どこを探しても見つからなかったそのカップは本当にもう存在しなくなってしまった。
とうに割られてしまってもうルイスの手元に帰ってこないことを、今ようやく実感してしまう。
あのカップ自体に思い出はないけれど、あのカップはルイスに大切な思い出をくれたのに。
モリアーティ邸を焼いて兄弟が三人きりになってしまった後、懇意にしていたロックウェル伯爵が後見人として名乗り出てくれた。
付かず離れずの関係を保っていたためにモリアーティ家次男の顔については知られていなかったらしく、ウィリアムの成りすましに気付かれることはない。
そうして招かれた広い邸宅での扱いは概ね良好だったとルイスは記憶している。
けれど二人の兄はそうではなくて、引き取られた当初にルイスが受けた扱いに対しとても憤っていた。
次男の顔は知らずとも末のルイスが元孤児の養子という情報は当然知れていたようで、招かれた客として丁寧に接してくれてはいたものの、無意識に滲み出る差別的扱いは確かにあったのだ。
それは例えば、伯爵が用意してくれたティーカップがアルバートとウィリアムの物しかなかったとき、などである。
彼はモリアーティ家子息たる二人には上質な対のカップを用意したというのに、ルイスには埃を被っていたであろう小さなグラスをよこしてきた。
悪意のないその顔にはごく自然に差別と偏見が根付いていることが分かってしまう。
だが、ルイスは別にそれで構わなかった。
今までずっとそうだったのだから、グラスを用意してもらえるだけ上等だとすら思っていた。
けれどルイスに代わってアルバートと、そしてウィリアムが揃って微笑みの下で憤慨していたのだ。
伯爵にそれを伝えては今後の関係にヒビが入るだろうと、かろうじて口から出そうになる文句を押し留め、二人とルイスは差別的なカップとグラスで味のしない紅茶を飲む。
「ウィリアム、ルイス。新しいカップを買いに行こう」
「はい、兄さん。今日すぐにでも行きましょう」
「どうしてですか?」
伯爵夫妻とのお茶を終えた後に提案されたアルバートの言葉にルイスは純粋な疑問を返す。
せっかく新しいカップを用意してもらったばかりだというのに、何故わざわざ買いに行かなければならないのだろうか。
ルイスは二人に贈られた金と銀で紋様が描かれた陶器製のカップを思い浮かべる。
「デザインが好みに合わなかったのですか?」
華美すぎない、けれど上品なデザインはルイスにしてみればとても素敵なカップだったように思う。
けれどアルバートとウィリアムの趣味には合わなかったのかも知れない。
そう考えて尋ねてみたけれど、二人からは不満げな視線を返されるだけだった。
「ルイス、本気で言っているのかい?」
「ティーカップとも言えない粗末なグラスを充てがわれて、何も思わなかったわけじゃないだろう?」
「別に…僕は養子ですし、専用でなくてもグラスを用意してもらえただけ有り難いです」
「…ウィリアム、この場合はどうするのが正しい?」
「ルイスの意見を聞くだけ時間の無駄です。早く出かけましょう」
「なるほど。さぁ行こうか、二人とも」
「はい」
「え、あ…分かりました」
あからさまな差別をルイスが気にしなくても、ウィリアムとアルバートは良しとしないのだ。
大事な弟が粗末な扱いを受けることに憤りを覚えないほど、二人にとってのルイスは軽い存在ではない。
貴族が養子に入れ込みすぎるのも不自然かもしれないが、三人きりの家族になってしまったのだから多少の依存は許容範囲内だろう。
ウィリアムは身支度を整えてルイスの手を引き、アルバートの後を付いて馬車に乗り込んでいった。
「せっかくだから三人同じものを揃えようか」
「ルイス、どのカップが良い?気に入ったものはあるかな」
「どれも綺麗ですね。僕は何でも良いので、兄さんと兄様が気に入ったカップを選んでください」
伯爵家御用達の店でいくつものカップを見ては幼い子ども達があれでもないこれでもないと声に出す。
見るからに高級品なそれが一脚いくらするのかルイスには想像もつかなくて、手に取るのも緊張するため見るだけで済ませていた。
そうして選ばれたカップは三人とも同じ種類のイマリ型の新製品だ。
金と赤の紋様がとても美しく、くすみのない白はさぞ紅茶の色が映えることだろう。
三人分のカップとソーサー、ポットも合わせて購入したアルバートは誰に運ばせるでもなく自ら荷物を持って馬車に乗り込んだ。
「良い買い物をしたね。早くこのカップを使って三人でお茶をしたいものだ」
「アルバート兄さん、ありがとうございました。おかげでもうあのカップを見なくて済みます」
「ですが、せっかくいただいたカップを使わないというのも失礼ではないですか?」
「問題ないさ。どうせ今後夫妻と一緒にお茶をする機会などない。それほど暇であるならば伯爵は出来ていないからね」
「そう、なのですか」
元々政界や社交会でのやり取りに多忙な伯爵なのだから、初めのうちはともかく、両親に先立たれた子どもにかまけている時間など多く取るはずもない。
アルバートはそう判断し、その判断にウィリアムも同意するように頷いた。
ロックウェル夫妻は確かに善人に分類される人ではあるけれど、悪意がないのに無意識にルイスを差別している。
それがウィリアムの心に影を落とし、アルバートの心に苛立ちを与えるのだ。
彼らは貴族としてそういうふうに生きてきたのだから、何もない中で今更自覚しろというのも無理な話である。
その認識を変えるためにこれからを生きていくのだし嘆いていても仕方がないと、アルバートは早々に夫妻のことを切り捨てて手に入れたばかりのカップを手にしていた。
触れたことでひんやりしたカップがじんわり温まっていく。
「せっかく揃いなのだから、長く使えるよう大事にしなければならないな」
「えぇ、とても素敵なカップです。ルイス、明日にでもこのカップをつかってお茶を楽しみたいね」
「はい」
ウィリアムもカップを手に取りルイスへと微笑みかける。
三つ並んだ綺麗なティーカップはまるで兄弟のようで、自分達だけのお揃いだと思えばルイスの気分も上向いていく。
初めて三人でのお揃いを持ったのだから嬉しくないはずがない。
だいすきなウィリアムと、これからだいすきになっていくアルバートとのお揃いだ。
自分だけ二人と違うグラスを貰ったことに何も思わなかったはずなのに、こうして三人揃いのカップを見ると心の奥底では寂しかったのだと思い知らされる。
ルイスが無意識に押し殺していた寂しさを解消してくれたウィリアムとアルバートに、ルイスは改めて礼を言う。
「お揃いのカップ、とても嬉しいです。ありがとうございます、お二人とも」
いつか自分がこのカップに相応しい紅茶を淹れてティーパーティーをしたいと、ルイスもおそるおそる今し方自分のものになったそれを手に持った。
その後、伯爵から贈られたアルバートとウィリアムのための一対のカップは屋敷の隅へと追いやられた。
新居に越す際も壊さないよう丁寧に運び出したのはルイスだ。
初めて夫妻とお茶会をしたとき以外は使われたことのないこのカップを、何故ルイスが大切にしまっていたのかといえば答えは単純、二人が知らない間に何度か使っていたのである。
一度しか使われていないとはいえ二人の私物、正真正銘ウィリアムとアルバートのものなのだ。
これを使って紅茶を飲んだ二人をルイスはしかと覚えているし、ウィリアムとアルバートが必要としていなくてもこれが二人の物なのは間違いない事実である。
今後のことを考えてウィリアムもアルバートも、そしてルイスも多くの物を持つことはない。
彼らの近くにあるものは選りすぐりの一級品かつ、長く使っている物ばかりだ。
消耗品は別として、それでも大切に扱っているからこそ初めて三人揃いで用意したカップも現役で使用できている。
けれど愛用している三人揃いのカップはもはやどれが誰の物か分からなくなっているし、しかしそれで良いとルイスは考えていた。
きっとウィリアムとアルバートも同じだろう。
だからアルバート専用だと分かる金の紋様、ウィリアム専用だと分かる銀の紋様の入ったあのカップは、ルイスにとって特別だった。
二人の気配を感じられるそれを、イートン校で一人だったルイスはこっそりと持ち出すこともあった。
ウィリアムとアルバートから贈られるものはいくつかあったけれど、ルイスはウィリアムとアルバートが愛用している物を手元に置いてきたかったのだ。
二人の私物を持っていく訳にはいかなかったから、一度しか使っていないあのカップを二人の私物だと言葉狩りのように認定したのが数年前のことである。
二人のいない学園生活で二人の気配を感じるため自室に置き、卒業してからは食器棚に保管しては時折拝借して水分補給していたというのに、いつしか二つともなくなってしまったのだからショックだった。
それがモランの仕業だと分かった瞬間は怒りが込み上げたけれど、確かに彼の言う通りこれはもう公には使われていないカップだ。
ウィリアムだってアルバートだって、ルイスが二人の気配を感じるためにこっそり使っていたことなど知らないだろう。
だから壊れたしても何も支障はない。
ただ少し寂しいだけで過ごす上では問題ないはずなのに、この胸の不安なざわめきは何だというのだろうか。
「おいルイス、大丈夫か?」
「…えぇ、問題ありません。もう割ったりしないでくださいね」
「それは気を付けるが…」
「気にしないでください。兄さんも兄様もあのカップを使っていませんでしたし、むしろ嫌っていたくらいなので」
ウィリアムもアルバートも、ルイスが差別的扱いをされた象徴であるあのカップを嫌っていた。
今考えれば二人の優しさと思いやりを感じられるようでとても嬉しいことだ。
おかげで三人揃いのカップを手に入れたし、今でもそのカップを使って兄弟三人でお茶を楽しむのがルイスにとっての至福である。
兄弟で揃いのカップがあるのだからあのカップがなくなっても二人は困らないし、ルイスが少し寂しいくらいの弊害しかない。
むしろアルバートとウィリアムが一度しか使っていないカップに執着する自分が滑稽で、それでもあの頃のルイスは二人の私物である一対のカップに確かに救われていた。
ウィリアムもアルバートも嫌っていたかもしれないけれど、ルイスは一人大切にしていたのだ。
見るからに落ち込んだ様子のルイスを見てバツの悪い顔をしたモランは、けれどこれ以上踏み込んだところでルイスがその心情を吐き出すことはないと知っている。
「…悪かったな」
「別に。もう少しその粗野でガサツな行動を改めてもらえると助かるのですが」
「分かったよ、気を付ける」
「お願いしますね」
「ルイス、モラン」
「二人とも、話は終わったかい?」
「ウィリアム兄さん、アルバート兄様」
「よぉ、お前らも来たのか」
なくなったものにいつまでもくよくよしていられないと、ルイスは一度だけ目を瞑って普段のように嫌味めいた言葉を返す。
反論しないモランに軽く笑ってから振り返るとそこには最愛の兄が二人揃っていて、その気配ばかりに執着していた自分の愚かさが分かってしまった。
昔のように長い間離れているわけでもないのだし、少し足を伸ばせばすぐ会える距離に二人はいるのだ。
ならばこの先のことも考えて、彼らの気配ではなく彼ら自身を感じる方が絶対に良い。
「どうされましたか?何か御用でしょうか?」
「いつまで経っても帰ってこないから気になってね。モランが割ってしまったカップ、あまり使っていない物だから僕は気にしていないよ」
「私も気にしていない。むしろまだ取ってあったことに驚いたくらいだ」
「お二人の物なので大切に取っておいたんです。僕達のティーカップはあのカップをきっかけに購入した物なので、少し懐かしい気持ちが込み上げてきてしまいました」
偽ることなく、けれど事実は全て明かさずにルイスが伝えれば、ウィリアムもアルバートも苦笑したように表情を変える。
あのカップと粗末なグラスを贈られたときのルイスを思い出しているのだろう。
ルイスは本当に何も気にしておらず、むしろに自分に対して物を贈られたことに心からの礼を言っていた。
それが哀れで悲しくて、ルイスの中にも階級社会が根付いてしまっているのだと思い知らされた。
今でこそ改善されてはいるものの、未だルイスは自分に興味がない。
これだけはもうこの先ずっと、改善することはないのだろう。
「思っていた以上に時間が経っていたんですね。モランさんと問答していたつもりはないのですが、少し思い出に耽っていたようです。ウィリアム兄さんとアルバート兄様も疲れがあるようですが大丈夫ですか?」
「…あぁ、大丈夫だよ」
「ルイスは何も気にしなくて良い」
「…そう、ですか…」
つい三十分ほど前に会ったときと比べて、ウィリアムの表情はどこか暗いしアルバートの表情も硬いように思う。
気のせいではないはずだが、きっとルイスが何を尋ねても二人は何も教えてくれないのだ。
いつだってウィリアムとアルバートはルイスを除け者にする。
それがルイスのためを思ってのことだと分かってはいても、未だ二人の間には入れないのだということを実感してしまう。
ルイスは息を呑んで言葉を隠し、先ほどのような明るい日常を取り戻すために提案をした。
「では、今から紅茶とお菓子を用意するので全員でお茶にしませんか?アルバート兄様が気に入っているパイの用意があります。きっとお二人とも、喉が乾いているでしょう?」
「じゃあお願いしようかな」
「美味しい紅茶を期待しているよ」
「お任せください。モランさん、手伝ってもらえますか?」
「俺が?ついさっき、食器には触んなって言ったじゃねぇか」
「僕がモランさんにお茶の用意を手伝えと言うはずがないでしょう。フレッドと先生、ボンドさんをリビングに呼んで来てください」
「あぁ、そっちか。分かったよ、呼んでくる」
たった三十分の間で喉が乾くような何かを、二人は経験したのだろう。
ルイスはそう確信して、今後起こりうる未来の出来事から目を背けるように愛用のポットとカップを手に取った。
始めにルイスのグラスがなくなった。
次にアルバートのカップがなくなり、ウィリアムのカップも欠けてなくなってしまった。
なくなった先で一緒にいるのか、それともバラバラになったままなのか。
まさかそんなはずはないと思いながらも、どこか薄寒い空想がルイスの胸に溢れては消えていった。
(お待たせしました。ダージリンと、マーマレードとチョコレートのパイです)
(ほぅ、美味そうなパイだな)
(これ、もしかしてルイス君の手作り?)
(はい。兄様が気に入ってくれている僕の自信作です)
(美味しいので僕も気に入ってます)
(…おいルイス。あからさまにパイの大きさに差があるんじゃねぇか?)
(そうですか?モランさんの気のせいではないでしょうか)
(いや俺とアルバートのパイは2倍くらい違うだろ)
(残念だね、モラン。これは2倍じゃなくて1.5倍だろうね)
(妙なところで数学教授を出すんじゃねぇよウィリアム)
(私のためにありがとう、ルイス。有り難くいただくよ)
(どうぞ、美味しくお召し上がり下さい)
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