美味しいシェパーズパイはいかが?
料理上手なルイスとルイスが作るご飯がすきな兄さん兄様のお話。
ルイスの料理スキルは努力の甲斐あってバリ高いと思う。
「ルイス、週末にカーティス家で開催される懇談会に招待されている。手土産の用意を頼めるかい?」
「分かりました。流行りの洋菓子か、もしくは僕がお作りしても?」
「懇談会という名のホームパーティーだからな…菓子よりも食事の類がいいかもしれないな。パイか何かを作ってもらえるだろうか」
「お任せください、アルバート兄様」
モリアーティ家の長男と末弟がそんな会話を交わしたのが週初めのことだった。
アルバートにしてみれば街にルイスを使いに出すのも億劫で、かつ気乗りのしないホームパーティーで警戒しながら誰ともしれない人間の作った料理を食べるのも嫌だったから、そこにルイスお手製のパイがあれば気持ちも浮くだろうという考えの元だ。
ルイスには屋敷の管理全般を任せており、ともすればアルバートよりもウィリアムよりも多忙な身の上だ。
外部の人間を使用人として雇うわけにもいかず、計画実行の準備期間である今はまだどの同志とも再会を果たしていない。
ゆえにモリアーティ家における炊事に関しては全てルイスに一任しているのだが、本人はそれを苦とも思わず楽しそうにこなしてくれているのだから頭が下がる。
何度か手伝おうとしたが「これは僕の仕事です」と拒否されてしまうし、それをすり抜けたところで芋を潰したり鍋の中身をかき回したりという、見た目はやりがいがあるけれどさほど難しくもなければ手間もかからない役割しか与えられないのだ。
「アルバート兄様とウィリアム兄さんが食べるものを作るのは僕にとって大切な役割です。僕はお二人の体を作る食材を美味しく調理出来ることを光栄に思っています」
表情を崩さないよう意識しているルイスが僅かに頬を緩め、何よりも誇らしいことを実践しているのだという雰囲気を隠さずにいるのだから幸せなことだと思う。
実際、ウィリアムはルイスが作る食事以外を口にしたがらないし、アルバートも他所で食べる食事は味気ないものだと感じている。
ルイスが手を込めて、何より彼が持つ感情全てを込めて作られた料理以上のものは存在しないだろう。
だからこそ、朝からルイスが張り切って手作りしてくれたシェパーズパイを持ってカーティス家を訪ねたアルバートの機嫌は良かった。
面倒なやり取りの合間でこのパイを口にすればきっと心も楽になるだろうと考えていたのだ。
ゆえにこのパイこそがアルバートの頭痛の原因になるとは、まさか想像もしていなかった。
「む…?モリアーティ卿、このパイは君が持ってきたものだったな?」
「えぇ。当家自慢のシェパーズパイ、お味はいかがですか?」
持ち歩いている間にもう冷めてしまったけれど、それでもルイスならば美味しく食べられるよう工夫の一つや二つしているのだから心配はしていない。
英国では定番に等しいメニューだが、アルバートもウィリアムもルイスが作るこのパイが大好物なのだ。
ボックスの中身を見て始めは気落ちしたような雰囲気すら見せたカーティス家当主、アダム氏はパイを口にした瞬間に目の色を変えた。
「シェパーズパイ、これはなんとも絶品だ!単なる田舎料理と思っていたのに、作り手次第でこうも化けるとは!」
「喜んでいただけたのなら幸いです。私もこのパイが好物でしてね、カーティス伯爵の口にあったのなら光栄です」
「いやはや凄い…じゃがいもと肉だけのシンプルな料理がこうも美味しいとは!」
「ふ…」
感嘆したように皿に乗ったパイを見る伯爵を目に、アルバートは当然だろうと言わんばかりに微笑みながらルイスお手製のパイを口にした。
滑らかなマッシュポテトは冷めてもパサつかず、挽き肉ではなく細かく切った羊肉は食べ応えがある。
肉を和えているソースはロックウェル伯爵家にいたシェフから教わったものを、アルバートとウィリアム好みにアレンジしたルイスのオリジナルだ。
本来ならば上にチーズを乗せてこんがりと焼き目を付けたものが完成品なのだが、手土産として冷めることを前提としているため、マッシュポテトにチーズを練り込んでいるらしい。
細やかな気遣いはさすが我が弟だと、アルバートは続けて二口三口とパイを楽しんでいく。
そうして添えられたワインを味わっていると、他の招待客からもパイを絶賛する声が聞こえてきた。
「本当だ、これは美味い!」
「今までに食べたシェパーズパイで一番美味しいわぁ」
「さすがモリアーティ伯爵、良い人材をお持ちのようだ」
「とても美味しいパイね、思わず顔が綻んでしまうわ」
そうだろうそうだろうと、アルバートは顔には出さずに心の中でその称賛を喜び受け入れる。
モリアーティ家自慢の秘蔵っ子であるルイスは容姿も頭脳も持ち合わせているその能力も随一なのだ。
計画の役には立たないが、執務全般を軽々こなす中でも特に料理のスキルが高い。
面倒な虫がつくことを嫌って表には出しておらず称賛を受ける機会こそ少ないけれど、最愛の弟を認められ褒められるのは悪くないと、アルバートは喉を通るワインを心地よく味わった。
そうして耳に届いた言葉に思わず眉を引き攣らせる。
「モリアーティ卿、このパイを作ったのは君の家にいるシェフか?是非とも当家に引き入れたい!」
「…申し訳ありません、伯爵。パイの作り手は我が末の弟でして、雇われのシェフではないのですよ」
「何、末の弟?というと、火事で生き残ったという養子の末弟ですかな?」
「えぇ。末のルイスがこのパイを作りました。お褒めの言葉は有難いのですが、スカウトの申し出はお断りさせていただきたく」
「何故?養子の末弟ならば貴族ではないでしょう。いや、彼を貴族と考えるならば我がカーティス家とモリアーティ家の関係を末長く続かせるためには最適の人材だ。是非当家に迎えさせていただきたい。待遇は最高のものを保証しますぞ」
「はは…」
そこから先の記憶はあまりない。
のらりくらりと伯爵の問答を交わし、あっという間になくなってしまったパイを周りの人間が惜しんだ声だけは覚えている。
アルバートは仮面のように美しい笑みを携えたままカーティス邸を後にして馬車に乗り込み、そのまま愛する弟達が待っている自宅へと帰っていった。
「…っ…」
「アルバート兄様、お帰りなさい…?」
「…お帰りなさい、兄さん」
「……」
バタン、とアルバートらしくなく大きな音を立てて扉が閉められた。
普段であればルイスが扉を開けに来るのだが、それすら待つ時間が惜しくて足早に屋敷へ駆け込んだ結果である。
慌てて彼を出迎えた二人の弟は、いつものように優雅で不敵な笑みを携えてはいないアルバートを見て少しばかり肩を上げた。
いつだって余裕めいた気品を漂わせているアルバートだというのに、一体何があったというのだろうか。
「兄様…?どうされたのですか?」
「ホームパーティーは有意義な時間にならなかったのでしょうか」
「…来月初めの週末、カーティス家の当主が我が家に来る」
「アダム・カーティス氏が?何故」
「手土産に持っていったシェパーズパイを先方が大層気に入ってしまってね、是非我が家で食事を楽しみたいということだよ」
「…!」
「はぁ、そうですか」
では食材の発注を多めに頼んでおかなければなりませんね、と平穏に考えているルイスには危機感が足りない。
ウィリアムとアルバートはそう指摘しそうになったが、指摘したところで状況は何も変わらないため口にすることはなかった。
モリアーティ家での食事会など滅多なことがなければ催されないが、それでも貴族との関係を友好的に保つ意味で月に何度かは実施している。
大勢の人間が押し寄せるお茶会でなければむしろ準備も警戒も楽だと、ルイスはそう考えていた。
だがウィリアムはアルバートが言いたいことの全てを的確に把握している。
ルイスが作るシェパーズパイは絶品だ。
味に好みのないウィリアムはともかく、貴族として生まれ舌の肥えたアルバートでさえも虜にしているのがルイスの料理なのだ。
昔はさほど上手ではなかったが、兄のためだと懸命に腕を磨いた今のルイスの料理スキルはそこらのシェフよりよほど上等である。
まさか気まぐれに持っていったパイ一つで伯爵の胃袋を掴んでしまったのかと思うと、ウィリアムの背筋には嫌な汗が流れていった。
「まさか、カーティス氏の目当てはルイスが作った料理だということですか?」
「あぁ…それどころか、カーティス家お抱えのシェフとして迎えたいとまで言われてしまったよ」
「…随分なことを仰いますね、カーティス家当主も」
「全くだよ、ウィリアム」
味にうるさいだろう貴族の舌をも唸らせるルイスの手腕はさすがだ。
幼い頃から懸命に努力してきたのだから当然である。
だがそれはあくまでもウィリアムとアルバートのため、というのが三兄弟の中での共通認識であるはずなのに、赤の他人にしてみればそんな事情など知らないのだ。
カーティス伯爵が絶賛したパイはウィリアムとアルバートのためのもので、決して彼のためのものではない。
シェフとして迎え入れるなどという思い上がりも大したことだが、ルイスが自分のためにその腕を披露すると思っているところが浅はかにも程がある。
そもそもカーティス家と繋がりを持つ必要性もなければ人質のように差し出せなどという無神経な態度こそが気に障る。
疲弊と苛立ちにまみれているアルバートの心理を正しく理解したウィリアムは、彼同様に綺麗な顔に険しい表情を浮かべていた。
けれどそんな兄達のことなどいざ知らず、ルイスはアルバートの役に立てたのでは、と赤い瞳を生き生きさせている。
「それはつまり、僕が作ったパイはアルバート兄様やモリアーティ家の名に泥を塗らなかったということですよね?」
「そういうことになるが…」
「安心しました。兄様が持っていく手土産なのだから、伯爵に気に入っていただけなのなら何よりです」
「ルイス…」
「そうだね、ルイスの料理はとても美味しいから」
「良かったです」
兄達の心配をよそにルイスは一人安堵している。
料理の味はウィリアムにもアルバートにも太鼓判を押されてはいるが、何せ彼らはルイスに甘い。
長い時間を共に生きる中で薄々実感していたその現実はルイスの判断を鈍らせていた。
しかし、何の関係もない他者からも好評というのならば一安心だ。
贔屓目なしに自分が作る料理は美味しいのだろうという自信が付く。
アルバートに恥をかかせずに済んだと、ルイスは兄達とは対照的に穏やかな表情を浮かべていた。
「腕によりをかけて作った甲斐がありました。来月の食事会もお任せくださいね、アルバート兄様」
「いやルイス、そこまで気合いを入れなくても構わない」
「むしろ出来合いのものを買ってきても良いんじゃないかな。ルイスも忙しいだろう?」
「ですが、それでは先方への無礼に当たるのでは?モリアーティの名に恥じない料理をお出しした方が良いと思うのですが」
「いいかい、ルイス。この世にはモリアーティの名前よりも大切なものがあるんだ」
「ウィリアムの言う通りだ。日々忙しいのだから、急な予定ごときで手間をかけるようなことはしなくて良い」
「…そうですか」
アルバートとウィリアムのためにも腕によりをかけて会食のための食事を用意しようとするルイスと、それを阻止すべく言いくるめようとする二人の兄。
兄にとってモリアーティ家の威厳やプライドよりも、他者の胃袋を掴むことなど雑作もないルイスこそが大切なのだ。
何気ない手土産という一つでその価値を知ってしまったアルバートは今後の手土産にルイス手作りのものを用意することはないし、ウィリアムも他人にルイスの料理を食べさせることのないよう細心の注意を払うだろう。
だが相変わらずそんな兄達の思惑を知らないルイスは渋々出来合わせのものを用意し、けれどそれをそのまま出すのでは味気ないだろうとルイスなりのアレンジをしてしまう。
その結果、大変素晴らしい料理の数々に感動したカーティス伯爵による熱烈なアピールを受けることになった。
鬱陶しいなと思いつつもアルバートの顔を立てて静かに受け応えていたルイスだが、兄達のおかげで勧誘は無事に破断する。
惜しむカーティス氏を三兄弟は冷ややかに見送ったが、後日カーティス家のシェフ宛にかつてルイスが愛読していた料理本と同じものが大量に届くことを知るのは、長男と次男のみだった。
(ルイス、これは…)
(あ、兄さん。これは今日の昼食会に出す料理です。そのままでは流石に味気ないので、僕なりにアレンジしてみました)
(…そう。少し味見して良いかな)
(どうぞ)
(ありがとう。…ハンバーグステーキにかかっているソース、付け合わせの野菜ソテー、スープに入ったきのことハーブ、マリネに加えられたオイルとレモン、チョコレートと蜂蜜でコーティングされたドーナツボール、パンに添えられたジャムとパテ…もしかして全てルイスのアレンジかな?)
(さすが兄さん、よくお気付きですね。そちらの方が美味しいと思い工夫してみました。いかがですか?)
(とても美味しいよ、とても…)
(それは良かった。カーティス伯爵との昼食会には気乗りしませんが、食事は楽しんでくださいね)
(勿論だよ、ルイス。楽しみにしているね。…まさかこうなるとは…ルイスの懸命さが仇になるなんて)
(兄さん、何か仰いましたか?)
(何でもないよ、ルイス。僕はアルバート兄さんに少し話すことがあるから、また後でね)
(いってらっしゃい)
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