愛はたくさん積み重なる
ひたすらにいちゃいちゃ甘々してるウィルイス。
ウィリアムは過去を引きずって、ルイスは未来を見据えているイメージが強い。
兄であるウィリアムは弟であるルイスを溺愛している。
それはもう、彼ら兄弟の普段の様子を知る人間ならば全員が全員、何の疑いもなく納得してしまう程度には分かりやすく溺愛している。
二人の兄たるアルバートはそんな弟達を美しい兄弟愛に満ちていて尊いと思っているし、古くからの仲間であるモランはもう慣れたことだと気にする様子もない。
適応力と順応力に長けているボンドでさえ、あまりに距離の近いウィリアムとルイスの姿に初めは驚いた。
ウィリアムにとってルイスは己の全てを捧げてしまいたいと思えるほどに大切で愛おしい人間で、ルイスにとってのウィリアムもまた、同じように己の全てを捧げてしまいたいと思えるほどに大切で愛おしい人間だ。
捧げるばかりで受け取るつもりのない二人の擦れ違いについて、誰が言及することもない。
当の本人達ですら気付いていない、受取人のいないウィリアムとルイスによる愛情のやりとり。
一緒にいられる今この瞬間こそが一番幸せな時間なのだと、互いに寄り添い飴色のお茶を飲む兄弟は今日も二人きりの会話を楽しんでいた。
「ルイスにはもう一度経験したいことはあるかい?」
「もう一度経験したいこと?」
「記憶を無くした状態で、もう一度同じ経験をしたいと思ったことはあるのかな」
「…そう、ですね」
聡明なウィリアムは時折謎かけのように不思議なことを尋ねてくる。
最近読んだ本の中にファンタジー小説でも紛れていたのだろうか。
ルイスはそんなことを考えながら隣に座る彼の横顔を見つつ、視線を前に彷徨わせた。
ウィリアムの言葉を思い返しながら考えてみても、あまりはっきりしたイメージが湧いてこない。
元々ルイスは空想の類が得意ではないし、主体的に考え行動すること自体が早々ないのだ。
いつだってルイスはウィリアムの後を追い、ウィリアムに教えられて今までを生きてきたのだから。
ゆえに、もう一度経験したいこと、というイフの世界が想像しにくかった。
「…あまり、これといったことは思い浮かびませんね」
「そう」
「兄さんにはもう一度経験したいことがあるのですか?」
「ふふ」
今歩んでいる人生そのものが茨の道なのだから、やり直すという意味で過去に戻るのはある種の理想かもしれない。
けれどウィリアムがそれを望んでいるのかと考えれば否だった。
優しい人だから心のどこかに後悔を抱えているだろうけれど、それでも今この道をなかったことにする人生など、彼はきっと選ばない。
ルイスはそう確信しながら、ならば他に経験し直したいことがあるのだろうかと問いかけた。
「僕はね、ルイスが僕のことを呼んでくれたあの日を、もう一度だけで良いから経験してみたいと思っているよ」
愛おしそうにルイスを見つめながら、ウィリアムはその真っ白い頬を擽るように指で撫でていく。
ふわりと柔らかい肌は成人した男性とは思えないほどきめ細やかで、触れていてとても心地良い。
その白肌とは対照的に淡く色づいた唇から発せられる声は、世界で一番色鮮やかな音色だった。
「まだ幼いルイスが僕のことを呼んでくれたあの日の感動を、もう一度だけ味わってみたいな」
そうしてウィリアムは優れた記憶力を駆使して思い入れのある幼い過去を脳裏に浮かべていく。
ルイスだけでなくウィリアム自身もとても幼かったあの頃の記憶は、さすがにところどころが薄ぼんやりと儚くなっていた。
けれど小さな弟が必死に口を動かして発した言葉だけは、いつまでも色褪せることなくウィリアムの脳に焼き付いている。
にーに…にぃに!
まだ上手く喋ることの出来ないルイスに対し、何度も何度も「ぼくはきみのにいさんだよ、に・い・さ・ん」と教えてあげた兄の努力の甲斐あって、小さな弟は楽しそうに口を動かし呼んでくれた。
それがとてもとても嬉しかったのだ。
可愛い弟が初めて自分を求め呼んでくれたその歓喜は、決して生涯忘れることはないだろう。
じょうずだね、ありがとう、と伝えてあげれば、ルイスはますます嬉しそうに自分のことを呼んでくれた。
初めて自分に愛を教えてくれたルイスが、自分のことを愛情一杯に呼んでいる時間は幸せそのものだ。
二人きりで必死に生きている中で感じられたルイスの成長は、他に楽しみのない兄にとって何よりの励みになる。
満面の笑みを乗せたまま、たどたどしい口調で「にぃに」と呼びかけるルイスはとても可愛かった。
「ルイスがようやく僕のことを呼んでくれたとき、僕はとても嬉しかったんだよ。他の誰にも頼れない日々の中で、ルイスの成長だけがあの頃の僕の支えだった。たくさん言葉を教えてあげたらその分だけルイスは言葉を覚えてくれて、日に日に会話が出来るようになって本当に嬉しかったな」
「そう、だったんですね…すみません、覚えていなくて」
「それはそうだよ、ずいぶん昔のことだから。今でこそ兄さんと呼んでくれているけど、初めてルイスが僕のことを呼んでくれたときは「にぃに」だったんだよ」
「にぃに」
「ふふ、今のルイスにそう呼ばれるのはさすがに照れくさいね」
そう指摘すれば真っ白い頬が僅かに染まる。
ウィリアムが照れくさくなることなどないが、きっとルイスは照れくさいはずだ。
先回りしてあげればルイスの気恥ずかしさも減るだろうと、からかいついでに教えてあげれば素直に赤く染まる頬が可愛らしかった。
「今までの人生に不満があるわけじゃないけれど、もう一度あの日を経験出来るのなら経験してみたいんだ」
ウィリアムの記憶の中にしか存在しない、けれど確かにあった過去の思い出。
この子の兄として生まれてきて良かったと、幼心に本気でそう思ったものである。
父にも母にも見捨てられていたウィリアムの希望は、無垢に自分を慕ってくれるルイスしかいなかったのだから。
「ルイスにはそう感じるほどに大切な過去はあるのかな?」
「そういう意味なら…ないとは言えませんね」
「へぇ。どんな過去をもう一度経験してみたいんだい?」
ウィリアムの言葉を聞いて、ようやくルイスの中に具体的なイメージが湧いてきた。
過去をやり直すという意味ではなく、楽しい過去をもう一度経験する、という意味ならばルイスにだってたくさんある。
だいすきな兄と過ごした時間はどれも違いなく大切なもので、そのどれもがもう一度経験したいほどに愛しい記憶だ。
絵本を読んでもらったこと、算数を教えてもらったこと、子守唄を歌ってくれたこと、手を繋いで通りを歩いたこと、道端に咲いている花で冠を作ったこと、パンとスープを分け合ってお腹を満たしたこと。
そうして色々思い浮かべていく中で、どれもが過去に帰らずともまた経験出来ることばかりだとルイスは気付く。
ルイスにとっての愛しい記憶とは何も特別なことではなく、ありふれた日常でしかないらしい。
ウィリアムと一緒ならば全てが大切で、何度でも経験したいほどに尊い過去だった。
「…すみません、兄さん。やっぱり僕にはもう一度経験したい過去はないみたいです」
「そうなのかい?」
「色々考えてみたのですが、兄さんのように二度と経験出来ないことではありませんでした。兄さんがそばにいてくれればいつだって経験出来ることばかりです」
「…そうか、それはありがたいことだね」
「ありがたい?」
「ルイスの過去にも未来にも、いつでも僕がいるということだろう?とてもありがたいし嬉しいことだよ」
至極当たり前のことを喜ぶウィリアムに、ルイスは思わず首を傾げてしまう。
ルイスの人生においてウィリアムのいない時間などあってはならないことだ。
それはウィリアムにとっても同様で、愛しいこの子のいない人生などさぞ味気ないのだろうと断言出来てしまう。
「一緒にいられる今が一番幸せです。このままの時間が長く続いてくれることが、僕の理想ですね」
そう言ったルイスはウィリアムの肩に懐くように顔を擦り寄せる。
長く慣れ親しんできた温もりはルイスの体を温めていき、微かに香る彼愛用の香水の匂いが気持ちを落ち着かせてくれる。
過去は振り返らないなど実にルイスらしいことだと、ウィリアムは思う。
きっと何か重大な局面に差し掛かったときも、ルイスはこうして前だけを向いて歩いていくのだろう。
けれど芯の強さを感じさせるルイスの仕草は甘えに満ちた弟そのもので、とてもとても可愛らしい。
普段見せている甘えたな様子はウィリアムが持つ兄心を擽っている。
「ルイスらしいね。僕もルイスと同じ、この時間が一秒でも長く続くことを何よりも願っているよ」
「でも、兄さんが過去をもう一度経験したいことを否定しているわけではありませんよ。兄さんの中に僕がいるのはとても嬉しいです」
「僕の中にルイスがいるのは当然だろう?君以外の誰を心の中に入れておくというのかな」
「…兄様、とか」
「ふふ、確かにいるね。でもそれはルイスがいる前提の話になるね」
「兄さん」
ウィリアムの心にはまず自分がいるのだと、そう教えられたルイスは思わず口角が上がって喜んでしまう。
大勢の人に慕われるウィリアムなのだからウィリアムの中にもたくさんの人がいる。
けれどその全てはルイスがいる前提の人間なのだと、最愛の兄から教えられて嬉しく思わない弟はいないだろう。
ウィリアムにとってルイスがいることはあまりにも最低限の要素なのだ。
ルイス以外に優先することはないと断言出来る。
「…にぃにと呼んでいたあの日の僕に会いたいですか?」
「叶うことならね」
「今の僕が兄さんをにぃにと呼ぶのは、やはり照れくさいものでしょうか?」
「僕よりもルイスの方が照れてしまうだろう」
ウィリアムを示しているのではない「にぃに」という単語を繰り返すルイスは昔のようにどこか幼かった。
可愛いなと、そう思いながらふわりと流れる髪を掻き上げて普段は隠されているその顔をしっかりと見る。
自然と上目遣いになるのはルイスの癖なのだろうと、見えた額にそっとキスをした。
「…でも、昔の僕よりも今の僕の方がずっと兄さんのことをすきですよ」
「ん?」
「小さい僕も兄さんのことがすきでたくさんにぃにと呼んでいたんだと思います。でも、今の僕の方がもっと兄さんのことがすきです」
「ルイス」
「…にぃに、すきですよ」
「…!」
「にぃに、だいすき」
照れているというよりも悪戯めいているような表情だった。
確かにウィリアムがもう一度経験したいあの日のルイスは、たくさんの愛を込めて兄のことを呼んでいた。
それに感動して、初めて自分のことを呼んでくれた衝撃以上にその幼い愛が嬉しかったのだ。
けれど今のルイスはあの頃のルイスよりもずっとずっとウィリアムのことがすきだという。
ウィリアムだって、昔よりも今の方がよほどルイスのことがだいすきだ。
愛してるなんかでは言い表せないくらいに、途方もなくルイスのことを愛している。
褪せることのない愛情は全てを携え、積み重なったまま互いの体を構成する要素になっているのだから。
「過去より今の方が良いだろう」をいとも容易く実践してしまうなんて、我が弟ながらさすがとしか言いようがない。
実の弟であろうと負けを認めざるを得ない姿に、ウィリアムはいっそ惚れ惚れしてしまった。
「ありがとう、ルイス。僕もルイスがだいすきだよ」
にぃに、と可愛く呟くその唇を美味しく食べてしまってから、ウィリアムは自分よりも幾分か細身の体を抱きしめてはその髪に顔を埋める。
柔らかな感触はあの頃と何も変わっていなくて、それならば確かによりすきになった、そしてすきになってもらえた今の方が良いのだろう。
愛しい過去はこのまま記憶に残しておくとして、過去に固執するよりも今はこの大切な時間を思う存分に堪能すべきだ。
可愛い可愛い、世界で一番可愛い弟。
ウィリアムはそんな弟を腕に抱きながら、他の誰より英国一幸せな時間を過ごしていた。
(ねぇルイス。もしかして昔の自分に嫉妬でもしたのかな?)
(…まさか。僕相手に嫉妬するなんて不毛な真似、するはずないじゃありませんか)
(そう…ねぇルイス、僕の目を見てもう一度同じことが言えるかい?)
(兄さん、僕は過去よりもこれから先の未来こそが大切だと思うんです)
(ルイス、僕は過去あってこその未来だと思うんだ。過去を踏まえなければ未来は作れないよ)
(さすが兄さん、僕もそう思います)
(そうだろう?さぁルイス、僕の目を見て同じ言葉を言ってくれるかな)
(……僕、アルバート兄様に御用がありますので失礼します)
(ルイス、嫉妬は恥ずかしいことではないんだよ)
(違います!)
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