末弟の中には兄がいる


65話ベースで、「格好良いよ」と言われたルイスによるモリアーティ三兄弟の話。
おでこ氏があんなにも格好良いのはウィリアムとアルバート兄様のおかげ!

ウィリアムが「最後の事件」と称した計画があったあの日から、ルイスは一人になった。
誰より愛し、誰より信じ、誰よりそばに居たいと願っていたどちらの兄からも、ルイスは求められなかったからだ。
ウィリアムはルイスとともに居ることを望んではくれなくて、アルバートも一人で己の罪と向き合うことを選んでしまった。
自分は誰にも必要とされなかったのだと、ルイスがそう絶望したのはほんの一瞬のことだ。
きっと三兄弟のことを知らない人間からすれば、ルイスは二人の兄から見捨てられたように思うのだろう。
けれど彼らを知る人間が見れば、ルイスはウィリアムからもアルバートからも言葉にしきれないくらいに愛されていたと理解する。
愛していたからこそルイスを連れて行けなかったのがウィリアムだ。
愛していたからこそルイスとともに悔やむ道を遠ざけたのがアルバートだ。
決してルイスが疎ましかったから置いていったのではない。
ルイスは二人に選ばれてしまったがゆえに、二人から求められなかったのだ。
一人きりになったルイスはそれが事実だと確信しているし、ウィリアムとアルバートは少しの否定もなく肯定することだろう。
三人でともに生きてきたあの日々はルイスにそんな自信を与えてくれる。
ウィリアムが陽だまりのような笑みで惜しみなく与えてくれた愛情も、アルバートが慈しむように優しく手を伸ばしてくれた愛情も、ルイスを形成する大きな感情のひとつだ。
二人に愛されていたからこそ、以降のルイスは一人きりになっても真っ直ぐ前を見て歩いていける。
歩いていかなければ二人の想いを捨てることと同義だと思った。
昔も今も、そして未来でさえも永遠に愛している二人に報いるため、ルイスは一人になろうと強く生きていかなければならないのだ。
それが出来るだけの知識と経験を、ルイスはその赤い瞳に散々焼き付けてきた。
ルイスの瞳には前を歩いて導いてくれる強くて優しい、世界一格好良い二人の兄が存在する。
彼らのように強くなりたいと思う。
ウィリアムとアルバートがそれを望んでいるかどうかは分からないけれど、きっと二人の中のルイスは格好良いには程遠い可愛い弟のままなのだろう。
兄の後ろを必死に追いかけていく未熟な末っ子、庇護すべきか弱い存在。
彼らがそんな不名誉極まりないことを考えているのならば絶対にそれを打ち砕かなければならないと、ルイスは今まで自分を守り生きてくれた二人の姿を何度も思い浮かべた。

「ルイスさん、以前と変わりましたね」
「そうでしょうか」
「はい。的確な指示と堂々たる統括はまるで、…」
「ウィリアム兄さんとアルバート兄様のよう、ですか?」
「…はい」

言いづらそうに口を濁したフレッドの言葉を先取りして返してみせれば、どうやら当たりだったらしい。
近く必要になる計画の小道具たる三つの鍵。
この鍵がフレッドとボンド、マネーペニーの手に渡ることにより、ルイスが立案した計画は始まりを告げる。
暗躍に長けた三人をルイスが指名し、代表としてフレッドがその鍵を受け取りにきたタイミングでの雑談は良い意味で緊張感がほぐれていった。
何度経験しても計画の実行前は精神が昂るし、己の計画に万一の穴がないだろうかと気がそぞろになることもある。
だがフレッドはそんなルイスの気持ちなど歯牙にもかけず、その計画が持つ優れた展開は間違いなく成功を導くだろうという自信に満ちていた。
不足の事態に備えた上で、ある程度の余裕を持たせた計画は個々の能力を信頼している結果だ。
過大評価も過小評価もせず、実行人達のスキルを正当に計算した上での答えは理想の結果を得るに違いない。
少しの穴もない計画はまるでウィリアムのようで、それぞれがスムーズに行動出来るよう事前に用意を整える周到性はまるでアルバートのようだった。
今そばにいない二人の名を挙げて良いのか逡巡したフレッドを見て、ルイスは余裕めいて微笑んでいる。

「光栄なことです。僕が目指しているのはあのお二人なので、フレッドの目に兄さんと兄様が思い浮かぶのなら正解と言って良いのでしょう」
「で、でも僕はルイスさんにウィリアムさんやアルバートさんを求めているわけではありません」
「気にしていませんよ、フレッド」
「ただ僕は…ルイスさんの落ち着いた姿が以前と違って見えて良いなと思ったんです」
「そうですか」

ルイスの影にルイスではない人を見るのは失礼ではないかと気を回したフレッドのことを、ルイスは心地良く思う。
かつてルイスのことをルイスとして見てくれたのはウィリアムとアルバートだけだった。
今はそうではない、と言い切ることもいっそ不可能に近いのだろう。
どうしたって同志達の中でのルイスはモリアーティ家の末弟なのだから、今更それを責めるつもりなど毛頭ない。
むしろルイスとしては嬉しいくらいだった。
ルイスが目指すのはウィリアムとアルバートのような強く優しく格好良い人間なのだから、彼らを彷彿とさせる存在になれているのだと思えばそれこそ浮き足立つほどに嬉しく思う。

「以前の僕から変わることが出来ているのなら嬉しいですね」

あの頃のままの自分ではウィリアムの意思を継ぐこともアルバートの役目を引き継ぐことも出来はしない。
二人の背を追い、二人からの愛情を抱えたまま生きていくためには、ルイス自身が変わっていかなければならないのだ。
長く親しんでいるフレッドの目から見て変われているのならば自信が付くと、ルイスはもう一度淡く綺麗に微笑んでいた。



ルイスはウィリアムとアルバートの愛に応えるため、一人になっても懸命に生きては英国に尽くしてきた。
それが出来るだけの愛を受け取ってきたのだから、多大なる寂しさはあれどそれ以上の誇らしさすら胸に秘めて生きていた。
三人でいようと一人でいようと、ルイスがすべきことは変わらない。
ルイスが為すべきはウィリアムとアルバートのために尽くすことだ。
二人が憂えたこの英国に尽くすことは彼らに尽くすことになるのだから、ルイスが為すべきことになる。
大変ではあるけれど、ルイスは世界で一番強くて優しくて格好良い人達に守られ生きてきたのだ。
彼らのようになりたいと願い行動してきた結果を、いつか二人にも認めてもらえることを夢に見ていた。
そんな小さな、ルイスが持っていた些細な夢。

「格好良いよルイス」

やっとルイスの元に帰ってきてくれたウィリアムに言われたその言葉は、彼にとっては久しぶりに見る弟へのお世辞が混ざっていたのかもしれない。
だが嬉しそうに微笑んでいるその顔には紛れもない本心が滲み出ているように見えて、ルイスは生まれて初めてウィリアムに「格好良い」と言われたことを認識した。
記憶の中のウィリアムはいつだってルイスに「可愛い」としか言わない。

可愛いルイス、僕の弟。

それがウィリアムの口癖のようになっていて、ルイスが「格好良い」と思っているウィリアムともアルバートとも違う評価に落ち込んだことも一度や二度ではない。
兄は弟を可愛がるものだと知ってからはどうしようもないのだと諦めていたけれど、どうやら諦めなくても良かったらしい。
初めての言葉に感極まり詰まった声で礼を言えば、ウィリアムの笑みはますます深くなり綺麗な緋色で見つめられた。

「ルイス、出かける準備は出来たのかい?」
「はい。すぐに帰ってくるので、準備を進めておいてくださいますか?」
「大丈夫だよ、任せておいて」
「ルイス、私ももう出るから途中まで一緒に行こうか」
「アルバート兄さん。えぇ、もちろん」

ルイスが会食に向けてフレッドとの買い出しに行くため部屋で準備していると、ウィリアムとアルバートがそれぞれ訪ねてきてくれた。
急がなければウィリアム達の調理に差し障るし、アルバートも早く出なければ会食の時間に間に合わないだろう。
そんな中でウィリアムがわざわざ見送りに来てくれたこと、アルバートが同行を申し出てくれたことはルイスの心を温かくしてくれた。
ほっとする久々の感覚を懐かしく思いながら目元を緩めていると、ハットをかぶるルイスをウィリアムが感慨深く見つめていることが分かる。
視線を彷徨わせると同じようにアルバートもルイスを見つめていると気付いてしまった。

「…何でしょうか、お二人とも。どこかおかしなところでもありますか?」

着慣れているジャケットと新しく購入したばかりのハットとタイ。
今更スーツに着られているような見苦しい格好をしているとは思わないが、二人が気にするような部分があるのであれば至急直さなければならない。
ルイスは思わず腕を上げて袖口を見てから己の身の回りについて確認してみたが、普段と変わりないいつもの姿だった。

「あぁいや、そうじゃないよ。ただ、格好良くなったなと思って」
「そうだな。ルイスはとても格好良くなったね」

だが、ルイスが懸念したことはどうやら杞憂だったらしい。
ウィリアムもアルバートもルイスの姿を感嘆するように見ながら、離れていた間に成長した弟の様子を目に焼き付けていた。
体格が良くなったのは当然のこと、揺るぎない信念と何にも動じない精神力がその顔に滲み出ている。
ウィリアムとアルバートが最後に会ったときのルイスはどこか儚げで危うい印象が強かったのに、今ではそんな様子がすっかり隠れてしまっているのだ。
そうなってしまうほどに長い月日を一人きりにしてしまったこと、その成長をそばで見届けられなかったことを惜しむ気持ちはあるが、可愛い弟が格好良くなったことは素直に喜んでしまう。
兄としての性だろうかとぼんやり考えながら、二人はルイスをひたすらに見つめていた。

「…僕は格好良くなりましたか?」
「とても格好良いよ、ルイス」
「あぁ。兄として嬉しくもあり悔しくもなるくらいに格好良いな」
「……」

格好良いとはウィリアムとアルバートのための賞賛の言葉だと思っていた。
ルイスは二人のことをそう認識していたし、自分は二人からそう認識されていないことを知っていたから、弟である以上仕方のないことなのだと諦めていた。
けれどがむしゃらに"M"として生きてきたこの三年間、ずっと目指していたのは己を導いてくれたウィリアムとアルバートだった。
ルイスを守り支えてくれた、強くて優しくて格好良いその姿。
その彼らに少しでも近づけているのならばこんなに嬉しいことはない。
ウィリアムとアルバートに己の変化を認めてもらえることはルイスにとっての励みになるのだ。

「…僕が格好良く見えるのはウィリアム兄さんとアルバート兄さんのおかげですよ。僕は世界一格好良いお二人を誰よりも近くで見てきましたから」
「ルイス」
「僕の中にはお二人がいます。離れていた間も、お二人はずっと僕の支えになっていました。格好良くなれたのならお二人に近付けたようでとても嬉しいです。ウィリアム兄さん、アルバート兄さん」
「…ルイス」

艶やかに微笑むルイスの顔には儚さも危うさもない、凛とした気高い美しさだけがある。
格好良い、という陳腐な言葉で表現するのは難しいほど魅力的な存在に成長していた。
たかが三年、されど三年。
三年という長くも短い時間にどうすればここまで強く在れるのだと疑問になってしまうほどなのに、当のルイスは心の底からウィリアムとアルバートのおかげだと言ってしまうのだろう。
そんなはずないのに、と言ったところで聞き入れるはずもない。
どれほど成長しようとルイスは二人の弟で、兄を指標に頑張ってきたのだから。
その健気な姿に途方もない愛おしさと罪悪感に押し潰されるのを実感しながら、ウィリアムは露わになっているその右頬に指を伸ばした。

「(…違うよ、ルイス。君が憧れてくれた格好良い僕なんて、もうどこにもいないんだ)」

ウィリアムの指を受け入れるように首を傾げたルイスの髪に、アルバートはそっと指を通して柔らかく梳いていく。

「(お前を裏切ってしまう形で再会してすまない。…ルイスは遥か先を歩いていたのに、私は惨めに立ち竦んでいただなんて)」

ウィリアムに触れられ、アルバートに触れられ、ルイスは戸惑ったように唇を引き締める。
どうしたのだろうかと問いかけられるような雰囲気ではない。
悲しそうに瞳の色を変えている二人が何を考えているのか、今のルイスには手に取るように分かってしまった。

「…お二人が帰ってきてくださって、僕はとても嬉しいですよ」

ルイスにしてみれば今のウィリアムだってアルバートだってとても格好良く見える。
長く立ち止まってしまったのは、それだけ多くのことを抱えていたから。
長く帰って来れなかったのは、真摯な二人にはたくさんの時間が必要だったから。
ずっと昔から傷付き悔やんでいた二人なのに、それでもルイスの前を歩き導いてくれたのは間違いのない事実だ。
過去の二人の気持ちに寄り添えなかった分、今の彼らには寄り添い支えてあげたいと思う。
ウィリアムとアルバートが今の自分を惨めに感じているのならば、二人のおかげで変わることが出来たルイスが道標になれば良いのだ。

「今度こそ、"三人でモリアーティ"を完遂しましょう」

二人がまた以前のように強く在れるまで、今度は僕が前を歩いて支えるから。
ルイスはそう強く心に念じ、想いが伝わるよう二人の手を握りしめた。



(さぁ、会食まであまり時間がありません。他のみんなも待たせていますし、急いで準備してしまいましょう。兄さんは僕達に話したいことがあるのでしょう?)
(…あぁ。話さなければならないことがあるんだ。急いで準備をしてくるよ。ルイス、気を付けて買い出しに行っておいで)
(ルイス、もう出よう。どうやらフレッドが外で待っているようだ)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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