ひとつふたつ、みっつよっつの条件
すきなものに囲まれて過ごしたいルイスとウィリアム。
限りある日々の中で満足できるよう努力するルイスが可愛いんよな。
テディベアと指輪の話は過去作参照、読まなくても通じます。
すきなものに囲まれた空間はとても素敵な場所だと思う。
少なくともルイスはそう感じていて、この先を考えると短いだろう穏やかな日常の時間を、少しでも快適に過ごすために工夫することは楽しいひとときだった。
広大な敷地面積を誇るモリアーティ邸において、末弟であるルイスの寝室は存在しない。
いや実際には、空いている部屋がいくつもあるのだから用意出来ないはずはないのだ。
ゆえに正しく言うのならば、ルイスの寝室は寝室として機能していないだけである。
形としてベッドは置かれているが、そこへは常に大きなテディベアが二つ並んで置かれており、それらをどかしてまでこのベットは常日頃から使われてはいないのだ。
ルイスは大抵ウィリアムの部屋で寝ているし、そうでなければアルバートの部屋で過ごしている。
ごくたまに一人で眠るときはこのテディベア達の隙間を縫って、広いベッドなのに狭い面積で休むのが習慣になっていた。
それだって頻度は多くなく、もはやこの部屋はルイスの寝室というよりも対のテディベア達のための部屋なのだ。
そのため、モリアーティ邸にルイスの寝室は存在していない。
「〜♪」
鼻歌でも聞こえてきそうなほど上機嫌なルイスの手元には、先ほどまで日光浴させていたテディベア達がいる。
抱き上げればルイスの背丈ほどもあろうかという大きな大きなテディベアは、随分と昔にアルバートがルイスとウィリアムに与えてくれたものだった。
英国では当たり前のように親から子へテディベアが贈られる。
心の拠り所になることで幼い子どもの精神安定を図る、とても愛らしい熊のぬいぐるみ。
孤児であったウィリアムとルイスはそのテディベアを持っていなかった。
与えてくれるような親ではなかったし、与えられることが普通なのだという感覚すらも二人は持ち合わせていなかったけれど、アルバートと家族になったことでそれが一変する。
親から与えられることのなかったテディベアを、新しく兄になってくれたアルバートが二人に与えてくれたのだ。
アルバートにとってはそれが当然のことで、初めての弟達への愛情の分だけ大きなテディベアになってしまったらしい。
ルイスはテディベアを通して目に見える愛情をもらったような心地がして、自分よりも大きなそのぬいぐるみを受け取ったときは嬉しくて毎日のようにもふもふした毛並みに顔を埋めていた。
ウィリアムと一緒でなければ眠れなかったルイスが一人で眠れるようになったのはこのテディベアのおかげである。
アルバートから与えられたウィリアムと揃いのテディベアは、今でもルイスにとって大切な宝物だった。
今日のウィリアムは夜更かしをするという。
注文していた本がまとめて届いたらしく、今後の論文を書き上げる際の参考資料として全て読み込んでおきたいそうだ。
ウィリアムが計画的な徹夜をする場合、基本的にそれはルイスの許可制である。
週に二回まで、連日は不可、徹夜した次の夜は必ず日付が変わるまでにベッドに入ること。
そこまで決めておかなければウィリアムの睡眠は確保出来ないと、ルイスは長年の習慣から既に知ってしまっている。
しかもこうして決まり事を作ったところで、「先に寝ていて、すぐに僕も寝るから」と促されて先に寝付いたルイスが一人で朝を迎えることも多々あるのだ。
朝から小言を言う羽目にはなるが、それでもウィリアムなりに自主的に寝ようとはしているらしく、ならばその知識欲を満たすためにもルイスは事前許可制についての撤廃は考えていない。
あくまでもこれは意識改革のための手段なのだから。
ウィリアムは今夜をその夜更かしの日にしたいと、夕食後すぐにルイスへと申し出ては許可を得た。
「ルイスは何を読むんだい?」
「以前兄さんに勧めていただいた本の続きを読みます。時間が取れず、あれから読めていなかったので」
「そう」
書斎ではなく三人掛けのソファが置かれているプライベートスペースに本を持ち込んだ二人は、そのまま座り心地の良いソファへと腰を下ろした。
ウィリアムが夜更かしを申請する日は大抵、個人作業を主とするデスクチェアーに座ることはない。
隣にルイスを座らせた状態で、二人並んでそれぞれ別々の作業をするのだ。
昔からの習慣なのか、ウィリアムは一人で作業をするよりもルイスの気配を感じて過ごした方がより落ち着きと集中力が増す。
ルイスも一人過ごすよりウィリアムと過ごした方が断然良い。
依存しあって生きてきた兄弟にとって、互いがすぐ手の届く範囲にいることは精神安定の第一条件だった。
そしてその精神安定の第二条件として、ルイスはアルバートから贈られたテディベアを挙げている。
「今日も日光浴させてきました」
「…そう、良かったね」
ウィリアムの隣にはルイスがおり、ルイスの向こうにはもふもふした茶色い毛玉がいる。
背もたれではなくルイスに寄りかかっているそのテディベアはルイスにとっての大切な相棒だ。
可愛らしいルイスに可愛らしいテディベアの組み合わせを、ウィリアムはもう何度も何度も目にしてきた。
その度に複雑な心情を自覚しつつ、けれどルイスにそれを悟らせるような迂闊な真似はしていない。
それがアルバートからの愛情の形で、ウィリアムと揃いのぬいぐるみであることは、ルイスの気を良くして当然なのだから。
「僕は0時頃に寝ますが、兄さんもちゃんと休憩を挟んでくださいね」
「分かっているよ、大丈夫。ルイスが淹れてくれる紅茶は冷めても美味しいからね」
すきなものに囲まれた空間はとても居心地が良い。
ルイスはすきなものが極端に少なく、今この空間に大体揃ってしまっているのだ。
だいすきなウィリアムと、お気に入りのテディベアと、ウィリアムが勧めてくれた本。
本当ならここにアルバートがいれば完璧になるのだが、生憎と彼は現在ロンドンの屋敷にいるため呼ぶことが出来ない。
それでもまぁ十分過ぎるほどにこの空間はルイスにとって居心地が良かった。
ルイスが左隣から感じる温もりにそろりと体重をかければ同じだけの圧を返される。
支え合って座っているような感覚に思わず頬が緩めば、右隣にいるテディベアがルイスの頬をくすぐってきた。
大きい分だけ重量感のあるぬいぐるみの体重はルイスを安心させてくれる。
「ーー……」
上機嫌で本のページを開いていくルイスを横目に、ウィリアムも待ち望んでいた本を手に取った。
そうして事前に淹れてくれていた紅茶のカップから香り高い飴色のそれで喉を潤していく。
いつからかウィリアムの夜更かしがルイスの許可制になり、ルイスもそのときは遅くまで隣で本を読んだり繕い物をしたりして過ごすことが習慣になっていた。
そうしていく中でルイスは憩いの時間を少しでも心地良いものにしようと考えたらしく、ある日突然見慣れたテディベアを連れてやってくるようになったのだ。
物欲のないルイスが唯一大切にしているだろうそのぬいぐるみは、自分こそルイスの唯一だと自負しているウィリアムにとって少しだけ、ほんの少しだけ疎ましい存在である。
言葉にも表情にも出さないけれど、せっかくルイスと二人きりの空間だと言うのに水を注されたような心地だった。
ウィリアムにとって居心地の良い空間とはルイスがいて、ルイスが淹れた紅茶があって、興味深い本が多く存在する場所だ。
そのどれにも当てはまるここは居心地がいいはずなのに、もふもふした無機物ひとつで何となく心にモヤがかかるようだった。
すきなものに囲まれた空間の居心地が良いのは当然だが、ウィリアムとルイスのすきなものが違う、というのもまた当然のことなのだ。
「……はぁ」
「…兄さん?どうされました?」
「あぁいや、何でもないよルイス」
ついついため息をついてしまったけれど、気付かせてしまった後ろめたさよりも自分の器の小ささに呆れてしまった。
ルイスが居心地良く穏やかに過ごせるのならばそれが一番だ。
最愛の弟が自分との時間を過ごすために張り切って紅茶を淹れ、テディベアを抱きかかえながらやってくる姿は何度見ても可愛らしくて胸が躍るのだから。
毛玉ごときに心乱されるのはいい加減にやめようと、ウィリアムはそう決意してルイスを見る。
そうして気付いたのは、夕食後まではしていなかったはずの指輪の存在だ。
本を持つルイスの右手は、彼の左にいるウィリアムからは死角になる。
彼がこの部屋にやってきたときにはテディベアを抱えていたし、気付くのが遅れても無理はないだろう。
「ルイス、その指輪」
「久々に付けてみました。いつまでも箱の中では勿体無いでしょう?」
「…うん、そうだね」
まだルイスの火傷跡が生々しかった頃、ウィリアムが彼を励ますために送った右手小指を飾る銀色の細いリング。
幼かった子ども時代に用意したもののため、今では第二関節の部分で止まってしまっている。
サイズが合わなくなってからは失くさないようケースにしまっておいたはずのそれを、今日のルイスはサイズ違いを承知で身に付けていた。
ウィリアムがアルバートに頼んで選ばせてもらった、ルイス初めての装飾品。
「サイズが合わなくて懐かしいです。僕も手が小さかったんですね」
右手を掲げて懐かしそうに笑うルイスはとても安らかな表情だった。
ウィリアムと過ごす時間をより良いものにしようとテディベアを持ち込んだルイスは、さらに高みを目指して過去の贈り物に目をつけたらしい。
居心地の良い空間にするための努力を惜しまない、向上心あふれる弟だ。
その言葉を確かめるようにウィリアムはルイスの指に触れ、細いはずの指よりもますます小さな指輪を爪先でつつく。
昔はぴったりだったのにいつの間にかキツくなっていき、白い指が青白くなっているのを発見して無理矢理に奪い取ると「せっかく兄さんにもらったのに」とぐずぐずしていたのが昨日のことのようだ。
それ以来失くさないようケースに入れてしまっていると知ってはいたけれど、こうして目の前でそれを見せられると感慨深いものがある。
大切にしているのだと、今でも宝物なのだと言われているようだった。
「これはウィリアム兄さんから初めてもらった物です。この子はアルバート兄様から初めてもらいました。一緒にいると落ち着きます」
ウィリアムが幼い頃にルイスへ贈ったものは大抵が朽ちてしまった。
道端の花だったり、糸を合わせて作った腕輪だったり、貯めたお金で買ったほんの少しだけ上等な服だったり。
だからルイスの言う通り、ウィリアムが贈ったものの中で物として形に残るのはこの指輪が初めてだった。
近頃はあまり目にすることはなかったから存在すら忘れかけていたというのに、ルイス自身はこのテディベアと同等にちゃんと大切にしてくれていたという。
「そうだったんだね、ありがとう。嬉しいよ、ルイス」
ルイスに大切にされるテディベアに良い気持ちを抱いていなかったけれど、それよりもよほどルイスに近い部分で自分が贈った指輪が存在を主張しているのだ。
嬉しくないはずがない。
こう言っては何だが、物言わぬテディベアに「勝った」とすら思えてくるから不思議である。
ウィリアムは先ほど捨てようとしたはずの己の小さい器の上に座り込んでは毛玉を見下ろしている気分だった。
最愛の人がいて、宝物のテディベアがいて、宝物の指輪を身に付けて、兄に勧められた本がある。
きっと今この空間はルイスにとってさぞ居心地が良いのだろう。
それがウィリアムには嬉しいし、ならばウィリアムにとってもここが一番居心地の良い空間だ。
ルイスのすきなものならばウィリアムもすきなのだから当然である。
ウィリアムとルイスは互いの半身のような存在なのだから。
「ルイス、今日の夜更かしはここではなく、ベッドでしようか」
「!」
ルイスの指を手に取り小さな指輪を咥えて上目で誘えば、彼は言葉の真意を正確に汲んでくれたらしい。
真っ白い頬を綺麗に染め上げたルイスは小さく頷いて、ウィリアムではなくテディベアを手に取った。
「…その子も連れていくのかい?」
「今夜は一緒に過ごすと決めたので」
「そう…」
「何か問題がありますか?」
「いやないよ。ないけどね…ううん、大丈夫」
どうやらすきなものに囲まれた居心地の良い空間を放棄するつもりはルイスにないらしく、ウィリアムは苦笑しながら弟の腰を抱いてソファから立ち上がった。
ずっしり重たいテディベアを抱えているルイスの肩に腕を添え、もはや二人の寝室になっている部屋へと足を運ぶ。
そしてテディベアをベッドに乗せようとするルイスを止めてからソファにそれを座らせて、小指から外れそうになっている指輪がどこかへいかないよう強く握り締めていく。
外して近くに置いておくのでは興が冷めるし、今夜はこの指輪ごとルイスを抱きしめたい気分だった。
最愛の弟と、最愛の弟が大切にしている自分からの指輪。
この二つがあれば十分にここは居心地が良く幸せな空間だと、ウィリアムは笑みを浮かべながらルイスの唇へとキスを落とした。
(居心地の良い空間?ルイスがいればそれで十分ですね)
(兄さんと兄様がいて、兄さんからもらった指輪と兄様からもらったテディベアがあって、余計な邪魔が入らない空間が良いです)
(全く、我が弟は二人とも謙虚が過ぎるな。もっと欲張っても良いだろうに)
(いや謙虚っつーか…謙虚なのか?これ)
(謙虚でしょう?)
(…とりあえず謙虚ってことにしておくか)
(おかしな人ですね、大佐は)
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