煮詰まるほどに美しくなる金色
居候時代のしょたウィルイスとアルバート兄様のほのぼの。
ウィリアムは思考が煮詰まったときにおでこちゃんの髪をいじって集中力を高める習性があるんじゃないかな、というお話。
モリアーティ家の次男となったウィリアムには、幼い頃からの癖がある。
自分一人で出来ることではない、愛すべき弟がいてこそ成立する、彼独特かつ彼らしい変わった習性だ。
「おや、ルイス。可愛い姿をしているね」
「あ、アルバート、兄様」
部屋を出て広い廊下を歩いていたルイスは向かいからやってきたアルバートとすれ違う。
ルイスは少し前、これからは彼の弟として生きて良いのだとようやく認識できたばかりだ。
まだウィリアム以外を兄と呼ぶことには慣れないけれど、咄嗟に声を掛けられてもきちんと「兄様」と呼べるようにはなっている。
少しだけつかえたルイスに気を悪くするでもなく、アルバートは穏やかに垂れた瞳を興味深く見開きながらルイスを見下ろした。
まだ幼さが先立つルイスの髪は、普段見せている飾り気のないものとは随分と違う華やかなスタイルとなっている。
「綺麗に編み込まれている。見事なものだね」
「これは、兄さんが」
「ウィリアムが?」
朝まではふわふわと風に靡いていたはずの金髪は、珍しくも丁寧かつ美しくその頭に沿って編み込まれていた。
社交界の如く綺麗にセットされたその出来栄えに思わず、ほう、と息を吐いたアルバートはゆっくりと手指を伸ばしては触れていく。
短い髪を器用に編み込んだそのヘアースタイルからは、愛嬌のようにところどころから髪が跳ねていて可愛らしかった。
「兄さんがやってくれました。集中したいのに行き詰まってしまったとき、触るものがあると集中できるからって」
可愛らしい髪をしたルイスからの返答を聞いた瞬間、アルバートはまたも興味深げに、ほう、と息を吐いた。
何かに触れていると安定感が出て集中力が増すというのは覚えがある。
アルバートも課題をこなしているときに意味もなくペン軸を指で回していることがあるから、それと似たような感覚なのだろう。
さすがにこれほど大胆に何かに触れることはないし、ましてや芸術的なまでの編み込みを作ることはないけれど、これはこれでウィリアムらしい。
「ウィリアムにも集中できないときがあるのか」
「僕にはそう見えないのですが、兄さんはそう言ってました。そんなときはいつも僕の髪をいじっているのですが…」
「うん?」
「最近は、昔よりもずっと凝っているように思います」
恥ずかしがりながらも戸惑うように、ルイスは首を傾げてアルバートを見上げた。
伸ばした手は一房だけ頬に向けて垂らされた髪の毛に伸びており、くるりと指に巻きつけている。
慣れないヘアアレンジに照れているのだろう頬はうっすら染まっているけれど、ウィリアム作のヘアースタイルはルイスにとても良く似合っていた。
アルバートは改めて正面からサイド、そしてバックスタイルを確認するように見つめてみるが、どの角度から見ても実に整っている。
「昔は軽く結ったり、少しだけ三つ編みをするくらいだったのに」
「きっと社交界での婦人達を見て覚えたんだろう。ルイスは素材が良いから張り切ってしまったんだろうね」
ふわりとこぼれる跳ねた髪は柔らかくて可愛らしいけれど、セオリー通りにワックスで撫でつけてしまうのもきっと似合う。
ウィリアムにやってもらったのだから、と解くような真似をしないルイスの髪を軽く撫でたアルバートはそう思った。
同時に集中力の塊だと思っていたウィリアムには独特の癖があるのだと知って、どこか愉快な気持ちになる。
ルイスは自覚していないけれど、ルイスという存在が確かな安心感と揺るぎない安定を与えているからこそ、ウィリアムは無心になって物事を考えることが出来るのだろう。
「ルイスがいるから、ウィリアムはあんなにも深く広い視野を持てるんだね」
「でも僕、何もしていません」
「それで良いんだろう。ルイスが手の届く位置にいて、そうやって不思議な顔をしているだけで、十分ウィリアムの力になる」
「…?」
ウィリアムにとってルイスが唯一無二の存在であることは、二人の兄であるアルバートにとっても喜ばしいことだ。
実に美しく尊い兄弟である。
そんな二人の兄になれたことが喜ばしいのだと、アルバートはルイスの髪を崩さないように撫でていった。
「ルイス、こちらにおいで」
何となしに気難しい顔をしたウィリアムにそう呼びかけられ、ルイスは戸惑うことなく兄が座るソファへと駆け寄った。
ぽんぽんと叩かれている膝を見るが、これはそこに座るための合図ではない。
ルイスはソファに腰掛けるでもなくウィリアムの膝に乗るでもなく、その足元にちょこんと腰を下ろして両手で両膝を抱えるように座り込んだ。
ウィリアムが柔らかな笑みではない考え込んだような難しい顔をしていて、己の膝を叩いてこちらへ来るようルイスへ命令するとき。
それは昔からある、「集中したいから手伝って」という合図だった。
すぐ目の前にある机には何冊もの本と一応はまとめられた紙束が散乱している。
「休憩なら、お茶とお菓子を持ってきましょうか?」
「いや、大丈夫だよ。ルイスはここにいて」
「分かりました」
集中力が切れたか、もしくは疲れて頭が回らなくなってきたか。
そんなときにウィリアムはルイスを呼びつけ、こうして前に腰を下ろした弟の頭をぐるぐると撫で回すのだ。
丸い後頭部の形を確かめるように、そして柔らかな髪の感触を楽しむように、何より自らの指でふわふわ逃げていく髪を捕まえるように。
ウィリアムはひとしきりルイスの頭を撫で回し、そうして髪を梳いてはヘアアレンジをしていくのだ。
もっと物理的に休憩を取った方がいいのでは、というルイスの気遣いは無用だと言わんばかりに、ウィリアムは己の足でルイスの体が逃げないよう固定する。
ルイスは左右の腕に触れる足に少しだけ口元を緩め、そうして天井を見るように少しだけ首を上げて、時折視界に映るウィリアムの指先をじっと見ていた。
「この前、兄さんにやってもらった髪をアルバート兄様に見られてしまいました」
「そう。兄さんはなんて言っていた?」
「綺麗に編み込まれていると言っていました。あと、…可愛い姿をしていると言われました」
「ルイスによく似合っていたからね。兄さんにそう言ってもらえたなら僕も自信がつくよ」
ウィリアムに作ってもらったヘアースタイルをアルバートに褒めてもらえたのは嬉しい。
自分ではよく見えないからどんな仕上がりなのは分からなかったけれど、ウィリアムに飾られた自分を認めてもらえるのはルイスにとって嬉しいことなのだ。
兄さん凄いでしょう、と自慢したかったけれど、それは自分の容姿を誇示しているようで出来なかった。
けれどアルバートは出会ってすぐに可愛いと言ってくれた上、丁寧に作り込まれたヘアースタイルにもきちんと言及してくれたのだから、自分を通してウィリアムを褒められたようなものである。
「可愛い」と表現されたのは少しだけ残念で気恥ずかしいけれど、それでもとても嬉しかった。
優しく笑ってくれたし、髪も撫でてもらえたし、あの日はとても良い一日だったと記憶している。
ルイスはそんなことを思い返しながら、慎重に髪へと触れてくるウィリアムの手つきを堪能する。
神経は通っていないはずなのに、振動で根本に伝わってくる感覚がとても心地良くて暖かだ。
ふと会話をやめてみればウィリアムからは「うーん」だの、「いや、でも」だの、「こっちよりもあっちの方がいいかな」だの、ぶつぶつとした独り言が聞こえてきた。
「……」
ウィリアムがルイスを呼びつけその髪をいじるときはいつもこうだ。
最初に申し訳程度の会話をした後、ウィリアムは己の思考の海に沈んで一人きりの世界に入る。
そうしてひたすらに気の赴くまま、ルイスの髪をいじり倒すのだ。
無論、ルイスが声を掛ければすぐに返事をしてくれる。
けれどウィリアムから話しかけられることはほとんどなくて、その膨大な思考が溢れ出るように小さな声が届くのだ。
昔はただ遊んでくれているだけだと思っていたからたくさん話しかけていたけれど、ふと仰ぎ見た彼の表情はルイスを見つつもルイスを見ていなくて、代わりにその頭の中でたくさんのことを考えているのだと察してからは、そうすることも無くなった。
ルイスはじっと、ウィリアムにその頭と髪をいじられるのを静かに待つ。
それが嫌でもなければ退屈でもないのだから、ルイスにとってもウィリアムにとっても大切な時間のひとときになっている。
「……あぁ、ルイス。今日は兄さんからワックスを借りたから、少し髪を撫でつけるよ」
「え?あ、どうぞ」
幼い頃は撫でたり梳いたりするだけだったのが、今ではいつの間にか髪を結ったり編んだりすることも増えた。
可愛らしい女の子にするようなアレンジを初めてされたときは驚いたけれど、これでウィリアムの考え事が進むのなら、喜んでルイスは己の髪など差し出してしまう。
今日も今日とてどんなヘアアレンジをされるのだろうかと少しだけ楽しみにしていたのだが、ふいに漂ってきた香りと珍しくもウィリアムの方から声を掛けられたことにルイスは驚いた。
豊かな水を思わせるこの香りの正体はアルバートが好んで使っている香水だ。
海を見たことはないからいまいちピンと来ないけれど、母なる大海原をイメージした香水らしい。
アルバートの香りがウィリアムから漂い、かつそれを自分が身に付けるというのは不思議な心地だが、嫌な気分ではなかった。
「…ワックスまで借りるなんて、今日は随分と凝っているのですね」
「兄さんが貸してくれたんだ。ルイスを可愛く整えてあげるようにって」
「!」
梳かれ分けられまとめられ、ゴムやピンで留められた髪を撫でるように触れられる。
いつもと違う動作をしているのだから、今まさにアルバートから借りたワックスを塗っているのだろう。
可愛く整えるとはどういう意味だろう。
ウィリアムとアルバートにとって自分は可愛い弟になれているのだろうかと、ルイスはドキドキしながら頬を染める。
出来れば二人のように格好良い弟になりたいのだが、今はまだ可愛いでも十分だろう。
ルイスはウィリアムとアルバートの弟なのだから、きっといつかは格好良くなるはずだ。
焦らなくても大丈夫なはずである。
そう考えたルイスが歓喜と期待を混ぜ込んだ気持ちのまま彷徨わせていた視線をまっすぐ前に固定すると、両サイドから垂らした髪がふわりと視界に入り込んできた。
見慣れた自分の髪色は心を落ち着けてくれたけれど、それでもまだ少しだけ気持ちはざわざわしていて、ルイスは机の上へ無造作に置かれた本と紙束をじっと見る。
「…兄さんは、僕の髪を触ると集中できるんですよね?」
「んー?そうだよ、ルイスに触れているとモヤが掛かった頭の中が晴れていくんだ。考えがまとまっていく」
「凝ったアレンジをして集中力が切れたりはしないんですか?」
「ないかな。ルイスがそばにいると気持ちが落ち着くし、ルイスに似合う髪型を整えるのは楽しいから」
「……」
そういうものなのだろうか。
出来ればウィリアムの考えをより良くするための助けになりたいけれど、ルイスの頭脳ではその役割を担うのはまだまだ難しい。
それでもウィリアムが自分の考えをまとめるための助けになれているのならば、それは素直に嬉しいことだと思う。
何より、ルイスはウィリアムに触れられるのがすきなのだ。
ウィリアムが機嫌良く髪を整えてくれて、しかも躓いていた思考がより良く晴れていくのならば、これ以上ない幸せなことである。
「よし、できた。ルイス、こちらを見てごらん」
「はい。どうですか?似合っていますか?」
「うん、とても良く似合ってるよ。可愛いね、ルイス」
ウィリアムの声に体ごと振り返り、ソファに座る兄を見上げる。
鏡がないから分からないけれど、どうやらいつも上げている前髪を左右に垂らしているらしい。
残りの髪はまた編み込んだのか、それとも髪質を活かして柔らかくアップにしているだけなのか。
ルイスには分からないけれど、見上げたウィリアムの顔はとても満足そうに笑っていたから、きっと上手くアレンジしてくれたのだろうと確信する。
「おかげで読んでいた論文の筋が通ったよ。矛盾があるように見えて、納得できなくて悩んでいたんだ」
「それは良かったです」
「ルイスのおかげだね。ありがとう」
「ふふ、僕の髪も凄いんですね」
「そうだね、ルイスの髪は凄いよ。僕の集中力を高めてくれる」
いつものスタイルも良いけど、こうして華やかにまとめるのもよく似合っているよ。
ウィリアムは悩み事が晴れてスッキリした表情をしつつ、思考の傍ら自らの手で整えた可愛い弟の可愛いヘアースタイルを満足そうに見てはその体を抱き上げる。
抵抗なく持ち上げられたルイスを膝に乗せてから間近でふわふわした金髪を見てはもう一度、満たされたように笑みを深めていた。
(ルイス、今日も見事な仕上がりだね。さぞウィリアムが煮詰まっていたと見える超大作だ)
(…今日は二時間ほどいじっていましたね。先ほど、嬉々として論文の続きを書き始めておりました)
(ほう、もしや髪の手入れからやっていたのかい?随分と潤っているように見えるが)
(そうですね。今日は一通りのケアをされてから整えられました。かなり煮詰まっていたようです)
(ならばよほどスッキリした気持ちで執筆しているんだろうな。よく似合っているよ、ルイス)
(僕としてはさすがにこの髪で執務に精を出すのはいささか抵抗があるので、そろそろ控えていただきたいところなんですが)
(我慢しておやり。ウィリアムはルイスの髪をいじることで心身のバランスを取りつつ、思考を巡らせているのだから)
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