末っ子、イヤイヤ期を迎える


転生現パロ年の差三兄弟、べびルがイヤイヤ期を迎えて兄さん兄様が翻弄されるお話。
イヤイヤ期のべびル、絶対にかわいい!

モリアーティ家三男、ルイス・ジェームズ・モリアーティ。
二人の兄と両親、屋敷の使用人によって何不自由なく育てられ、特に兄達による上限一杯の愛情を受けてすくすく成長中のニ歳児である。
ルイスは兄達の意向によりナーサリーに通うことはなく、一日の全てを広大な敷地を持つモリアーティ邸で過ごしていた。
朝はウィリアムの部屋で目覚め、ウィリアムとアルバートとともに朝食を食べ、学校へ向かう兄達を渋々見送り、アルバートにもらったぬいぐるみを片手にナニーと遊び、そうして夕方になって帰ってくる兄達を嬉々として出迎え、遊びと入浴と食事を済ませたら絵本を読んでもらいながら眠りにつく。
それがルイスの一日の過ごし方である。
だが悲しいことに、ここ数日はそのルーチンが崩れかけていた。
一体何が悲しいのかと言うと。

「ルイス、そろそろお家に帰ろうか」
「や」
「もう晩御飯の時間だよ。ご飯の前にお風呂に入らないと」
「いーやー」
「今日はルイスのすきな泡の入浴剤を入れよう。あわあわだよ、ルイスすきだろう?」
「や!かえらないの!まだあそぶの!」
「ルイス…」
「かえらないー!」

魔のニ歳児と言われる年頃のルイスによるイヤイヤ期で、心を折られるウィリアムとアルバートが悲しいのである。

「あわわ、や!ルイ、すなのほうがすち!」

ウィリアムとアルバートとともに近くの公園に遊びに来ていたルイスは、帰宅を促す兄達に拒否を示していた。
近頃のルイスは大抵のことに拒絶をする。
今までが恐ろしいほどに聞き分けの良い子だっただけに戸惑ったけれど、言葉も話せない頃には突如泣き出すルイスを散々あやしてきたし、思うように離乳食を食べてくれずに嫌がられたこともあるのだから大したことではないと、始めはそう思っていたのだ。
イヤイヤ期は成長の証、健全な発達をしている証拠だと心の余裕すら抱いていた。
だが実際にイヤイヤ期真っ只中のルイスを目の当たりにすると、そんな余裕などあっという間にどこかへ消え去ってしまうのだ。

「っ、ルイス…」

そう言ってルイスが遊んでいる砂場で膝を付いたのはウィリアムである。
そのまま両手を付いて項垂れるけれどルイスが気付く様子はなく、ぺたぺたと砂を積み重ねては小さな手で整えていた。
何せウィリアムはルイスに拒絶されるということに対して耐性がない。
今世はおろか前世でさえ己を全肯定してくれていたルイスへ、ウィリアムは無自覚に甘えきっていたのだ。
ルイスだけはいつどんなときであろうと、自分を拒否することも否定することもない。
自我のない赤ん坊の頃に泣かれてもあやせば次第に泣き止んでいたし、離乳食のときはあくまでも人ではなく離乳食に対して拒否を示していただけだった。
ウィリアム自身を拒否されたことなど、今まで経験した二度の人生で一度たりともなかったのである。
ゆえに、帰ろう、と差し伸べた手を無視されてしまうといちいち身が捻じ切れるかのように苦しかった。
しかもそんな己に気付かないままのルイスがいることにも衝撃かつ悲しみを覚えてしまう。

「ルイス…そろそろ家に帰らないと、ご飯が冷めてしまうよ。美味しくなくなってしまう」
「ごはんいらないの。ルイ、まだあそぶ」
「…ルイス、帰るよ」
「あ!あぁ〜あーあー!」

アルにぃひどい、め!めー!と叫ぶルイスを無理やり抱き上げたアルバートは、続けて膝を付いているウィリアムの肩を叩いて顔を上げるよう促した。
じたばたともがくルイスを体格差で抑え込み、次第に泣きが混ざる声に心を閉ざしてあやしながら帰路につく。
アルバートはウィリアムよりもルイスからの拒絶に耐性がある。
今世はともかく、来世では懐いてくれるまでに年単位の時間がかかった。
養子に迎え入れるまでのルイスは敵意剥き出しだったし、迎え入れたとしても信用を得るまではひたすら警戒されてばかりの日々だったのだ。
慣れているとまでは言わないが、それでもルイスに拒否されることに対してそこそこの耐性があることも事実だった。
だからといって傷付かない訳ではないので、「やーだーうぁあぁぁん」とぐずり出したルイスを抱えては重苦しい息を吐いてしまう。
つい先日まではきちんと聞き分け良く帰っていたはずなのに、たった数日でこんなにも様変わりしてしまうものなのだろうか。
イヤイヤ期に突入したらしい末っ子の拒絶に、ウィリアムもアルバートも心身をすり減らしつつ困惑していた。



「イヤイヤ期…なんと恐ろしい期間なのでしょうか」
「全く同感だ。あのルイスがこんなにも訳の分からないことを要求するだなんて信じられない」

ルイスが何事にも拒否を示すようになってしばらく経った頃。
ぐずり疲れて泣きながら眠ってしまったルイスの寝顔を見つつ、疲れを滲ませた表情を隠さずにいる二人の兄はひそひそと言葉を交わしていた。
あまりに理不尽かつ無理な要求をしてくる上に、出来ないと言えば癇癪を起こしたように全身で拒否を示す。
夕食のときなど、トマトのスープが食べたいのにトマトが入っているのは嫌だ、という内容の主張をしたかと思えば、塩のかかったポテトは嫌だと一つ一つ除いていってはポテトがなくなったと言って騒いでいた。
全くもって理不尽だと思う。
これは本当に正常なイヤイヤ期なのだろうかと、思わず母とナニーに尋ねてしまったほどだ。
だが母曰く「アルバートもウィリアムもイヤイヤ期がなかったからよく分からないわ」、ナニー曰く「ルイス坊っちゃまのイヤイヤ期など可愛いものですよ。もっと壮絶なお子もいらっしゃいます」とのこと。
この理不尽な要求かつ拒絶はどうやら普通らしい。
これが成長する上で必要な過程だというのだから、人間とは実に不思議な生き物である。

「正直、嫌だと言うルイスへの対応が分からないというよりも、泣きじゃくるルイスを見ていられなくてつらいです…」
「あぁ…理不尽な要求などいくらでも付き合うが、どんな返答をしたとしても結局はぐずってしまうルイスが可哀想で見ていられない」
「ルイス自身もどうして良いか分からないから癇癪を起こしてしまうのでしょう。早くイヤイヤ期が終わればいいのに」

ルイスに拒否されることもつらいが、それ以上にルイス自身が戸惑いながら泣き喚く様子を見ることこそがつらい。
何が正解が分からないのだと言わんばかりに、ウィリアムとアルバートがどんな対応をしても嫌だ違うそうじゃないと訴えるルイス。
きっと、言いたくなくても口から自然に言葉が出てしまうのだろう。
そういう時期なのだから仕方ないとはいえ、幼いルイスが混乱したように泣く姿は見ていられなかった。



ルイスへのそんな思いやりを心に秘めたウィリアムとアルバートだったが、それとは別に、ルイスから拒否されるというのはやはり中々のダメージである。
今日のルイスは朝からご機嫌斜めだった。
お気に入りの友達であるはずのぬいぐるみを抱っこしていたかと思えば、いきなりポイと部屋の隅に放ってしまったのだ。
そうして少し離れた場所に膝を抱えて座り込む。

「ルイス、ねこさんどうしたの?」
「…」
「はい、ねこさんだよ」

ルイスがいつも可愛がっているせいでオフホワイトだった毛並みが少しだけ黄色くなっている、アルバートがデザインした猫のぬいぐるみ。
独特の形状をしたそれは、見たものを一瞬だけ固まらせる不思議な魅力がある。
ウィリアムが初めて目にしたときは思わず首を傾げてしまったが、ルイスはアルバートに与えられたこれを最初からとても可愛がっていた。
起きているときも眠るときも一緒にいるし、お風呂のときでさえ脱衣所に置いているくらい気に入っているぬいぐるみなのだ。
一緒にお風呂に入るのだと言って湯に浸けて、結果萎んでしまったぬいぐるみを見て大泣きしたことも記憶に新しい。
そんな相棒をポイと放り投げるなどあり得なくて、ウィリアムは慌ててそれを拾い上げてはそっと手渡してあげた。

「……いらない」
「え?」

けれどルイスはぬいぐるみを受け取らず、口でも拒絶を示していた。

「ルイ、ねこさんいらない。わんわん、すちだもん」

そうして聞こえた言葉に、ウィリアムは思わずぬいぐるみを落としてしまった。
ルイスがぬいぐるみをいらないと、しかも犬の方がすきだと言った。
なんという事態だと思わずあわあわと両手を振るが、すぐ近くにいたらしいアルバートにもルイスの声が聞こえていたらしい。

「…ルイス、猫は嫌いなのかい?」
「きらい。わんわん、すち」
「……!!」
「に、兄さん。ルイスの言葉は本心ではないですからね、ルイスは猫もすきですよ」
「ルイ、にゃあにゃよりわんわんすちだもん」
「ル、ルイス!」

ぷい、と顔を逸らして反抗を示すルイスを咎めるようにウィリアムは名前を呼んだけれど、どうやら間に合わなかったようだ。
今のアルバートはよろめいたように膝を曲げたかと思えば、壁を支えにかろうじて立っている状態である。
その顔は衝撃のあまり目を見開いてはいるけれど、変わらずに端正なままだった。

「ルイスはやっぱり犬がすきだったのか…それなのに私は、犬ではなく、猫のぬいぐるみを…!」

片手で口元を覆いながら震えた声で言葉をこぼすアルバートだが、あのぬいぐるみは元々犬を想定して作ったはずである。
ルイスが猫だと言ったから猫になっただけで、作り手のアルバートからすれば立派な犬であるはずなのに、そんな過去はどうやらなかったものになっているらしい。
猫より犬がすきだというルイスに衝撃を受けているアルバートは、気に入ってくれていたはずのぬいぐるみを放られたショックで青褪めていた。

「アルバート兄さん、これは」
「ふ…良いんだ、ウィリアム。ルイスは犬がすきだというのに、勘違いして猫のぬいぐるみをあげてしまったのは私の落ち度だ。捨てられても仕方がないさ」
「兄さん…」

悲しそうな表情を浮かべたアルバートは足を進め、ウィリアムとルイスの間に落ちていた猫(犬)のぬいぐるみを拾い上げる。
一年以上もの長い間、ルイスが可愛がってくれたという過去だけで十分幸せだ。
犬がすきだというルイスにこれは相応しくないし、放られてしまった以上、もうこのぬいぐるみは役目は果たしたのだろう。
今までありがとう、と心の中で語りかけながら、アルバートはルイスに捨てられてしまったそれを持ってその場を去ろうと足を動かす。

「にぃ、どこいくの?」
「ん?あぁ…少し、用事があってね」
「ねこさんは?ねこさんもようじ?」
「あぁ。そうだよ、ねこさんも用があるんだ。今まで大事にしてくれてありがとう、ルイス」
「え…」
「もういらないんだろう?にぃが片付けておくから」

部屋を出ようとしたアルバートの気配を察したのか、そっぽを向いていたルイスが顔を上げてアルバートとぬいぐるみを交互に見る。
そうしてアルバートが手に持ったそれを捨てようとしていることを理解したらしく、慌てて駆け寄ってはぴょんと背伸びをしてぬいぐるみへと手を伸ばす。

「ルイス?どうしたんだい」
「ねこさん、ルイの。ねこさんかえして、にぃ」
「だが、ルイスは猫が嫌いなんだろう?」
「きらいじゃないの、ねこさんすちなの。だからかえして、ねこさん」
「え、そうなのかい?無理しなくて良いんだよ、ルイス」
「や!ねこさん、ルイの!かえして!」

戸惑うアルバートからぬいぐるみを取り返したルイスはそのまま走り出し、遠くの壁に向かいながら膝を抱えて座り込む。
その腕にはお気に入りのぬいぐるみをしっかりと抱いていた。

「ねこさん、ルイのだもん。あげないの」
「ルイス…」
「…難しいですね、イヤイヤ期は」

すきだったものを嫌いと言ってしまう情緒不安定さは、ウィリアムとアルバートからすれば異質にも見える。
だがこういう時期が必要なことは分かっているし、ルイスが本当にぬいぐるみを嫌っている訳ではないことも分かった。
自分でもどうしていいか分からないまま行動するルイスが珍しくて、それでいて幼さの象徴のようで可愛らしい。
ウィリアムが衝撃を忘れて微笑ましく思っていると、アルバートはウィリアム以上に感激した様子で肩を震わせていた。

「あのぬいぐるみは、ちゃんと大事にされているんだな…」
「ルイスがいつも可愛がっているじゃありませんか。嫌いだなんて嘘ですよ」

そうならば嬉しいと、アルバートはうずくまる小さな背中を見てはほっと胸を撫で下ろす。
一度は放られてしまったけれど、ルイスのために作ったぬいぐるみは今はまたルイスの腕の中にある。
アルバートとルイスの絆を見ているようで気分が良くなったウィリアムは笑みを浮かべ、バツの悪そうな顔を浮かべているであろう弟の元へ向かっていった。



あくる日のことである。
その日は祝日だったため、一日ずっとウィリアムとアルバートがそばにいてルイスはご機嫌だった。
赤と黄のコントラストが美しいオムライスを食べた後、兄弟三人はプレイルームでブロック遊びをしていたのだが、どうやらルイスは飽きてしまったらしい。
行儀良く一つ一つのブロックをカゴの中に戻したところで、ウィリアムがルイスの体を膝の上に乗せて互いの顔を見合わせた。

「ルイス、次は何して遊ぼうか」
「うー…」
「ルイス?」

ふくふくした頬をより膨らませて、ルイスは何やら不満そうに手足を動かす。
ウィリアムの腕の中から抜け出そうとしているようにも思えて、思わず抱きしめる腕にも力が入ってしまった。
だがそれが気に入らなかったのだろう、ルイスは大きな赤い瞳を半分ほど閉じてはジト目でウィリアムを見上げてくる。

「にぃにじゃやなの。にぃがいいの」
「え?」
「にぃに、やなの!」

ぷい、と顔を逸らして言葉だけでなく行動でも拒絶を示す。
逸らした先にアルバートがいたことに満足したのか、一瞬だけ緩んだ腕の中を抜け出すべくルイスは体を捩って床に足を下ろしてしまった。

「にぃ、だっこ」
「え?あ、あぁ、おいで」
「んふふ」

ウィリアムがルイスを抱く腕の力を緩めるなどあり得ない、とアルバートは思ったけれど、そうなるだけの出来事が確かにあった。
腕の中にやってきた小さい温もりを抱きしめつつ、アルバートは恐る恐るもう一人の弟の顔色を見るべく視線を動かす。
目に入った弟の姿は微動だにしておらず、長い前髪に隠れていたせいでその表情はよく見えなかった。
アルバートは視線をゆっくりと腕の中のルイスに戻し、聞き間違いであってくれと祈るように喉を震わせる。

「…ルイス、今、なんて言ったんだい?」
「あぅ?」
「ウィリアムに、その」
「んー…にぃに、いや?」

三度目の「いや」を聞いた瞬間、アルバートの隣から何かが崩れ落ちる音がした。

「ウィ、ウィリアム、誤解するな。今のルイスは絶賛イヤイヤ期なんだ、ルイスが本心ではないことを言ってしまう可能性があることは分かっているだろう」
「…えぇ、分かっていますよ」
「……どこへ行こうとしている?」
「少し、外の空気を吸ってこようかと」
「…………そうか」

崩れ落ちる音は立ち上がろうとしたウィリアムがその場に潰れた音で、それでもめげずに這うようにして扉へと向かう姿に、アルバートはそれ以上の言葉を告げられなかった。
腕の中にいるルイスがきょとんとした顔でウィリアムの後ろ姿を見つめているのが余計に焦燥感を掻き立てる。
ウィリアムはルイスに拒絶されることに耐性がない。
嫌などと、言われたことすらないだろう。
かつての人生でルイスに嫌いと言われたときは、ルイスとともに死ぬことを選ぼうとしたほどの脆弱メンタルの持ち主である。
平穏な今世では死を選ぶことはないだろうが、放っておいては何をしでかすか不安しかないのも事実なのだ。
だがフォローしようにも今のウィリアムの血の気が引いた最悪な顔色をしており、呼吸も細く早かった。
緋色の瞳は瞬きを忘れたかのように見開かれ、小さな瞳孔がはっきり見える。
たとえイヤイヤ期であろうと、ルイスに己の存在を拒絶されたことが本能的にショックだったことは明らかだ。
下手に刺激するよりもまずは冷静になる時間を取ることが優先だと、アルバートはウィリアムを引き止めることをやめた。

「危険な行為は決してしないように。いいな、ウィリアム」

言葉を聞いたウィリアムがこくりと頷く姿を見届けてから、アルバートは神妙な顔をして閉まる扉を見る。
本心ではないと分かっていても、ルイスの口から「いや」などと聞いたウィリアムの心情はさぞや荒れているはずだ。
一刻も早く立ち直らせるためには原因であるこの幼い末っ子の存在が必要不可欠である。
そのために己は尽力しなければならないと、アルバートは決意したように深く頷いてから、何も分かっていないルイスを見下ろした。

「ルイス、どうしてあんなことを言ったんだ?」
「う?ルイ、にぃとあそぶの」
「…それは嬉しいが」
「にぃ、えほんよんで。おかしのいえのはなし」
「……あぁ、いいよ」

今のルイスの興味はアルバートに絵本を読んでもらうことに向いているようで、部屋を出て行ったウィリアムを気にかける様子はない。
イヤイヤ期に入ってからのルイスは多少大らかになったというべきか、自分の身の回りは安全かつ快適と自覚しているようで、細かいことには頓着しなくなった。
自分を守り育ててくれる人の愛情を確かめるための期間だと言われることもあるイヤイヤ期。
今のルイスには、ウィリアムならば何をしようと決して自分を見放さないという自信があるのかもしれない。
だからこその余裕だろうかと、アルバートはルイスが持ってきた絵本を読みながらどう行動するのが最善か思考を巡らせた。

「…兄妹は幸せに暮らしました。おしまい」
「おもしろかったねぇ。にぃ、ありあとう」
「どういたしまして」

読み聞かせにも随分慣れたもので、アルバートは腕の中で体を揺すりながら全身で楽しんでいたルイスの髪を一撫でする。
今のルイスは先ほどとは違ってにこにこしており機嫌が良さそうだ。
ウィリアムが去ってからまだ三十分程度しか経っていないが彼は大丈夫だろうかと、アルバートがいっそルイスを抱えて探しに行こうかとした瞬間。

「…あれ、にぃには?にぃにどこ?」
「ウィリアムは部屋を出て行ってしまったよ」
「え」

きょろきょろと辺りを見渡したルイスは目的の人物がいないことに気付き、当然のようにアルバートへと尋ねてきた。
先ほど部屋を出て行った姿を見ているはずなのに、上手く認識できていなかったのだろう。
アルバートの言葉を聞いた途端、ルイスは瞳を見開いては悲しそうに顔を歪めてしまった。

「にぃにいないの?なんで?どこいったの?」
「ルイスが嫌だと言ったんだろう?ウィリアムは悲しくて出て行ってしまったんだよ」
「い、いってないもん」
「言っただろう?嘘はいけないと教えたじゃないか」
「……いった…」
「そうだ。ウィリアムはルイスに嫌と言われたのが悲しくて、きっと今頃泣いているよ」
「…ぅ…」

今のウィリアムはおそらく五割の確率で泣いていて、五割の確率で絶望の海に沈んだ顔をしているに違いない。
どちらにせよ、長い時間一人にしておくのは危険だ。
幸いにも今のルイスはウィリアムに意識が向いており、先ほどの言葉を後悔している様子がある。
根は素直で分かりやすいルイスなのだから今がチャンスだと、アルバートは膝に乗せたルイスを己と向き合わせるように抱え直して互いの顔を見合わせた。

「ルイス、ウィリアムのことが本当に嫌なのかい?」
「やじゃない…ルイ、にぃにのことすち」
「そうだろう?ルイスはウィリアムに嫌いと言われたらどう思う?」
「ぅ…うぅ〜…」
「泣かなくて良い、ウィリアムはルイスのことがだいすきだよ。でも、嘘を言われたら悲しいだろう?ウィリアムも、ルイスの言葉が嘘だと分かっているけれど悲しくなっているんだよ」
「ごめ、ごめんなさい〜」

うわあぁぁん、と泣きじゃくるルイスの背をあやすように撫で、きちんと自分に非があるのだと理解してくれた弟へ、アルバートは安堵したように息を吐く。
嫌だと言ったからウィリアムは悲しくなって、自分の元を離れてしまったのだ。
アルバートの言葉できちんとそれを理解したルイスは、そんなつもりはなくても言ってはいけないことを言ってしまったのだとようやく気付いた。
深い理由はないけれど、あのときはウィリアムに抱っこされるよりもアルバートが良かったのだ。
上手くそれを伝えられなくて、つい嫌だと言ってしまった。
だいすきなウィリアムを傷付けてしまったのだと知ったルイスは、ぐずぐずと泣きながらアルバートの胸に顔を埋める。

「ぅああぁぁん、あぅー…にぃに、あいたいよぅ、にぃに〜…」
「ちゃんとウィリアムにごめんなさい出来るかい?」
「ごめんなさい〜…!」
「よし。ではウィリアムを探しに行こう。ほら、もう泣き止みなさい」
「うっ、うぅ…う〜」

しゃくり上げながらウィリアムを求めるルイスの健気な様子に胸を打たれたアルバートは、生まれたときよりも随分重たくなった弟を抱えて立ち上がる。
泣き止めと言ってすぐに泣き止むはずもなく、ルイスは綺麗な赤が溶け出してしまいそうなほど大きな瞳を潤ませていた。
ルイスが意地っ張りな性質でなくて良かったと思う。
これならすぐに仲直りできるだろうと、アルバートが扉を開けてふと横を見た瞬間、驚きのあまり腕に抱いたルイスを強く抱きしめてしまった。
てっきり庭にでも出ているのかと思っていたというのに、ウィリアムは部屋を出たすぐそこに膝を抱えてしゃがみ込んでいる。

「ウ、ウィリアム…!?そこにいたのか」
「にぃに!」
「…兄さん…ルイス…」

あからさまに落ち込んでいるウィリアムの表情は暗雲が立ち込めているかのように薄暗い。
声をかけてようやく視線だけを上げてくれたけれど、いつも凛々しい瞳には覇気がなかった。

「にぃに、ウィルにぃに!」
「ルイス…?」

ルイスがアルバートの腕の中から足を伸ばして床に降りようとするため、抵抗することなくその場に下ろしてやった。
そうして小さな手でウィリアムの体に抱きついたルイスは、可愛い顔をぐずぐずにさせたまま必死に声を出す。

「にぃに、ごめんなさい!ルイ、うそいったの。いやじゃないよ、にぃにだいすちなの。いじわるいって、ごめんなさい」
「ルイス…」
「ウィルにぃに、だいすち」
「ルイス…!」

泣きながら言うルイスなりの「だいすき」は、死にかけていたウィリアムをすぐさま甦らせるほどの効果があった。
見る見るうちに顔色が良くなっていくウィリアムを見たアルバートはある種の感動を覚えてしまう。
ウィリアムの中でのルイスの立ち位置があまりにも特殊すぎるし、言葉一つでウィリアムの命を操れるルイスが末恐ろしくなる。
そうは言ってもアルバートとて、ルイスに「嫌い」と言われようものなら数日寝込む自信があるけれど。

「ふぇ、うぅ…にぃに、ごめんなさい〜」
「良いんだよ、ルイス!謝ってくれてありがとう、だいすきだよルイス!」
「ルイもすち〜、ぅああぁあん」
「仲直り出来て良かったな、二人とも」

笑ったり泣いたり忙しいことこの上ない。
イヤイヤ期はもうしばらく続くだろうし、終わったとしてもルイスの言葉と行動で振り回される日々は変わらないのだろう。
そんな確信を抱きつつ、アルバートは仲睦まじい弟達の抱擁に混ざるべく腕を伸ばした。



(にぃに、ルイももたべたい)
(良いよ、切ってあげるね)
(きらないの、まるいままがいいの)
(え、このままだと食べにくいだろう?)
(いいの。…ん、むぐ)
(あぁもう。ほら、口を拭いてあげるからこっち向いて)
(や!ふかないの、たべるの!あむ、む)
(ルイス…)

(今日も苦戦しているようだね、ウィリアム)
(兄さん)
(にぃ)
(桃は美味しいかい?ルイス)
(ん、あまいの)
(にぃも桃を食べたいから、半分分けてくれるかい?)
(…あぃ)
(じゃあ半分こに切ろうか)
(や!まるいままがいいの!まるいままたべて!)
(そ、そうか…)
(難しいですね、イヤイヤ期って…)

(もも、おいちいねぇ)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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