この子の名前はパンケーキ
兄様に美味しいお菓子をたくさん教えてもらうウィリアムとルイスのお話。
教えてもらったお菓子で炸裂するルイスの名付けセンス、将来的にはモランに馬鹿にされると思う。
登場するあらゆるお菓子は19世紀末英国ではなくわたし基準で存在している。
モリアーティ家の三兄弟がロックウェル伯爵家に居候していた頃の話だ。
ウィリアムがアルバートを同志と認め、ルイスがアルバートを兄と受け入れたときからようやく、三人は気の休まらない日々からひと時とはいえ解放されることとなった。
人の良いロックウェル伯爵家の人間は三兄弟に対しとても友好的に接してくれたし、何より裏でコソコソと人を貶めるような真似をすることもない。
私室に鍵をかけて過ごせば周りの目を気にすることなく、落ち着いた気持ちで過ごすことが出来る。
最も幸いしたのは、ウィリアムとルイスにとって今までとは違い、しっかり食事を摂ることが約束されている毎日だった。
美味しい食事は幸せな気持ちになるし、空腹を誤魔化して無理矢理に眠るような悲しいことをする必要もない。
大切な弟に満足な食事をさせることも出来なかった兄ウィリアムは、ついに手に入れた生活に心の底から感謝した。
「さぁ二人とも。今日はプリンを作ってもらったよ」
「美味しそうですね。ねぇ、ルイス」
「…ぷりん」
アルバートが手で示した先には黄色い本体の上に茶色いソースがかかっている、見た目の色合いが不可思議なお菓子があった。
オウムのように繰り返したルイスは大きな瞳を瞬かせず、じっとプリンという名のお菓子を見つめている。
「遠慮せずお食べ、ウィリアム、ルイス」
「はい。いただこうか、ルイス」
「…いただきます、アルバート兄様」
スプーンを手に取ったウィリアムに倣うように、ルイスもスプーンでプリンというお菓子をすくうようにして口へと運ぶ。
慎重に、何より味わうように飲み込んだルイスは先ほどとは違って大きな瞳を何度か瞬かせてから、綺麗な赤をより一層煌めかせてはもう一度プリンを見た。
初めて見るお菓子、初めて食べるお菓子、いやそれ以前に、初めて知るお菓子である。
ほろ苦いソースととびきり甘い本体は、ルイスの舌の上で余韻を残しながらもとろけるように消えていった。
「…美味しい」
「そうだね、美味しいね、ルイス」
「ぷりん、とっても美味しいです。苦いけど甘くて、すぐになくなってしまうくらいなめらかです」
「気に入ってくれたのなら良かった。さぁ、残りもたんと食べなさい」
「はい」
ルイスは美味しいという気持ちをその表情に乗せたまま、もう一口二口とプリンを運んでいく。
その頬はうっすら染まっていて、喜びに満ちているのがよく分かる。
甘くて美味しいプリンがよほど気に入ったのだろう、嬉しそうに食べてはその都度「美味しいです、ぷりん」と兄達へと伝えていた。
ルイスは元来、食が細い子どもである。
孤児だった頃もアルバートに拾われてから数年の間も、満足に食べられない時期が続いていたのだから、そもそもの胃が小さくなっているのだろう。
だからこそウィリアム含め年齢の割に小柄なのだと、アルバートは理解していた。
ただ計画の同志というだけではない。
彼らの家族であり兄となった以上、衣食住で困らせるような真似は決してしまいと決めていたアルバートだが、思いの外ルイスが手強かった。
ウィリアムは出された食事をしっかり食べて順調に顔色が良くなっていったというのに、ルイスは少しの食事を摂るのにも時間がかかる。
残すまいと必死に食べてはいるものの、厨房を手伝うようになってからはこっそり自分の食事を少なく盛るようになってしまった。
それに気付いたウィリアムはひとまず食べているのなら良いとルイスを信じて静観していたのだが、あるときにアルバートが貰い物のお菓子を与えてみたところ、驚くほどにルイスの食が進んだのだ。
「このきゃらめるというお菓子、美味しいですね」
ぱぁ、と普段見せる大人しい顔付きが嘘のように明るい表情で感動を伝えるものだから、与えたアルバートどころかウィリアムすらも驚いてしまった。
いつもゆっくり少量ずつのご飯を食べていたはずのルイスが、ウィリアムよりも早くキャラメルを食べ切ったのだ。
ウィリアムはそれがとても嬉しくて、アルバートは滅多に見ない嬉しそうなルイスの表情を引き出せたことに感動した。
思えば甘いものなど食べられる環境ではなかったし、ウィリアムも食にこだわりがないから意識していなかったけれど、子どもは基本的に舌に優しい甘いお菓子がだいすきだ。
ルイスも例に倣い、舌にお菓子が合うのだろう。
それ以来、ルイスは年相応に甘いものがすき、というのが二人の中の共通認識となったのである。
「今日はクレープだよ。クリームとフルーツがたくさん入っている」
「くれーぷ」
「これはバウムクーヘンだ。木の年輪をイメージした層が特徴のケーキだよ」
「ばうむくーへん」
「このワッフルには何をつける?木苺と洋梨のジャム、どちらも合うはずだ」
「わっふる」
食事は変わらず少ししか食べないけれど、それでもお菓子はしっかり食べてくれる。
あまり褒められたことではないが食べないよりはよほど良いと、アルバートが様々なお菓子を教えては食べさせてくれるのをウィリアムも許容していた。
何より、初めて目にするお菓子を見たときのルイスはお菓子以上にキラキラとしていてとても可愛いのだ。
それを見たいがためにアルバートは立場を駆使して物珍しいお菓子を用意してきたし、ウィリアムもそんなルイスを見ながら食べるお菓子に舌鼓を打っていた。
可愛い弟には可愛いお菓子がよく似合う。
今日も今日とてルイスはアルバートに与えられたスフレを食べながら、ふわふわのしゅわしゅわです、と美味しさを伝えるのだった。
ウィリアムとルイスにお菓子を与える、アルバートのティーパーティ。
さて今度はどんなお菓子を用意しようかと、思い当たる幾つかのそれを脳裏に浮かべながら、アルバートは弟達とともに屋敷の近くを散策していた。
どうやらこの近くに二人が可愛がっている猫や犬がたくさん住み着いているようなのだ。
居候の身の上、飼うことは考えていないけれど、とても可愛いから是非見てほしいのだと腕を引かれ連れてこられたのである。
愛玩されるべき小動物を可愛くないとは思わないが、かといって特別すきという訳でもない。
それでも弟達がアルバートに見せたいというのならば見ないわけにはいかないと、足取り軽く歩いていけば、早速ルイスが声をあげた。
「兄様、見てください。あそこにマカロンがいます」
「なんて?」
「ほら、あそこ。マカロンです」
「……」
ルイスが指を指す方向に目をやれば、そこには一匹の猫がいた。
その猫に近寄ろうともう一匹、別の猫も歩いている。
「あぁ、ココアもいますね」
「マカロンとココアはいつも仲良しなんですよ。兄弟なんでしょうか」
「どうだろう。わからないけど、もしかしたら兄弟なのかもしれないね」
「……マカロンとココア」
ルイスの言葉へ反射的に質問をしたというのに、明確な返答は得られなかった。
それどころかルイスだけではなくウィリアムまでもが参戦して、二人揃ってお菓子の名前にまみれた可愛い会話を繰り広げている。
「マカロンはいつも寝ています。それで、ココアはマカロンに構ってほしくてくっついていくんですよ」
「ココアがどんなに昼寝の邪魔をしても、マカロンは怒らず相手をしてあげるんです。優しいですよね」
「兄様、向こうにいるのがクラッカーとゼリービーンズです。あ、奥にはショコラもいますね」
「ショコラはいつも元気で、よくワンワンと鳴いているんですよ」
「…そうか。なるほどな」
猫を見た後は犬の集まりを見るよう促され、すると今度はお菓子の名前が増えた。
アルバートにはどれがどれだか分からないが、ウィリアムとルイスの中ではしっかりと区別されているらしい。
聞き覚えのあるお菓子はどれもアルバートが教えたもので、間違いなくそこから名前を取っているのだろう。
随分とメルヘンなことをするものだとアルバートが考えていると、一匹の真白い猫の元へルイスが駆け寄っていった。
しばらくしてたどり着いたらしく、ルイスはその場にしゃがみ込んでは何やら語りかけている。
小さいルイスが小さい猫と会話しているシーンは可愛らしい限りだ。
思わず呆けたようにそれを見ていると、ルイスがその猫を連れてきてはアルバートへと見せつけるように抱き上げてきた。
「アルバート兄様、この子は僕と一番仲良しのポップコーンです。いつもなでなでさせてくれるんです」
「へぇ、この猫はポップコーンという名前なのか。ルイスが付けたのかい?」
「はい。ポップコーンみたいに白くてもこもこしているから、ぴったりだと思ったんです」
「この子だけじゃないですよ。他の子もみんなルイスが名前を付けたんです」
「そうだったのか」
あの子はショコラみたいな茶色い毛色をしているからショコラ、あの子はツヤツヤした毛並みが綺麗だからゼリービーンズ、らしい。
他にもルイスなりのこだわりポイントがあるようで、それが全てアルバートが教えたお菓子由来というのがなんとも面映い。
どれを食べても美味しいと笑ってくれていたが、たまに世話する程度の猫や犬の名前に付けるほど気に入ってくれたのかと思えば気分が良い。
それはウィリアムも同じようで、ポップコーンなる白猫に頬を寄せて遊んでいるルイスを見ては穏やかに微笑んでいた。
「…本当は、情が移るからいけないんでしょうけどね」
「ん?」
「飼うことも出来ないし、ずっと通いで世話ができるわけでもない。命の責任を取れないなら可愛がるだけ無責任だと思っていたんですけど…ルイスが初めて名前を付けたので」
「初めてなのかい?随分慣れたように呼んでいたから、昔からの習慣なのかと思ったんだが」
「いいえ。今までのルイスだったら、猫は猫としか呼ばなかったし、犬は犬と呼んでいました。名前というより種族として区別していただけです」
アルバートは苦笑するように笑ったウィリアムを見下ろし、そうしてすぐ近くで猫と戯れているルイスを見る。
ポップコーンは今日ももこもこですね、というルイスが、以前ならば猫としか呼ばないまま愛でていたとは信じ難い。
お菓子の名前で呼ぶというのもセンスがあるのかないのか分からないが、少なくとも種族名で呼ぶよりは健全だろう。
「でも今のルイスはああしてお菓子の名前を付けています。きっと、すきなものにはすきな名前を付けてあげたいと思ったんでしょうね」
ルイスのすきなものを増やしてくれてありがとうございます、アルバート兄さん。
そう続けたウィリアムは紛れもない"兄"の顔をしていて、アルバートが信用している唯一の人間の顔だった。
意図してすきなものを増やそうとした訳ではない。
ただ、お菓子を食べて喜ぶルイスの顔が見たかったのと、それを見て嬉しそうにするウィリアムが見たかっただけだ。
けれどそれがルイスの情緒を育てるきっかけになっているのならば、こんなに嬉しいことはない。
これこそまさに兄冥利に尽きるというものだろう。
「…ウィリアムがそう言ってくれるのならば僕も嬉しいよ。お菓子の名前で会話をしている二人を見たときは何事かと思ったけれど」
「ふふ。あのとき見せた兄さんの顔、格好良かったですよ」
「からかわないでくれ、ウィリアム」
肩をすくめるようにして咎めたアルバートと、小さな笑い声をあげたまま彼から弟へと視線を移すウィリアム。
すぐ近くでは気ままに遊んでいる猫や犬に紛れて、まだまだ小柄で甘党な末っ子が一緒になって遊んでいた。
(ルイス、あの子はなんていう名前なんだい?)
(あの子は煮干しです)
(なんて?)
(煮干しみたいな渋い色をしているから煮干しです。あっちの子は小麦粉、向こうの子はフィッシュアンドチップスです)
(……ウィリアム)
(可愛いでしょう、ルイスのセンス)
(……そうだな、可愛いセンスだな)
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