風が強い、ルイスをしまえ
新居で三兄弟だけの生活をしていた頃、嵐に見舞われた三兄弟の話。
おでこちゃんは小さいし軽いので嵐の中では簡単に吹き飛ばされちゃう、兄さん兄様に大事にしまわれるべき存在!
ロンドンの一等地に新しく建てられたモリアーティ家の屋敷に、次期当主たるアルバートとともに二人の弟が移り住んできた。
真新しい屋敷は、貴族らしく流行を追いつつもクラシカルな建築となっている。
両親と弟が亡くなった忌まわしい土地に続けて住まうのは、さぞや悲しいことだろう。
業者によるそんな情けゆえ、モリアーティが所有していた土地の中でかつての屋敷から僅かに距離を取った場所に建てられた邸宅には、まだまだ殺風景な温室や花壇が存在していた。
ロックウェル家に居候していた頃にジャックから教えられた通り、屋敷の管理であれば末弟であるルイスが一通りこなすことが出来る。
けれどまだまだ幼く体も小さいルイスでは広い屋敷をカバーしきれず、基本的に庭の管理は専用の人間を通いで雇い、手入れを依頼していた。
「こんにちは。いつもありがとうございます」
「こんにちは、ルイス坊ちゃん。今日は温室の世話をさせていただきますよ」
「お願いします」
朝早くに来て昼前には帰る庭師の人間と接する機会が多いのはルイスだ。
ウィリアムとアルバートによる面接の末に雇われた彼は、庭師としての腕だけでなく人となりも確かだという。
兄がいうのであればそうなのだろうと、ルイスはモリアーティの名に泥を塗らないよう比較的友好的に関わっていた。
資質を見出した兄達の予想通り、両親と同胞を火事で亡くした悲劇の子に対して彼は余計な探りを入れることもなく、ただ純粋に生き生きと庭に緑の命を植え付けている。
見る見るうちに豊かになっていく庭はルイスの心を明るくした。
まだ十分に彩られていない庭は物寂しい様子が残るけれど、たくさんの緑と花で満たされたときにはウィリアムとアルバートとともに散策してみたい。
きっと楽しいはずだと、ルイスは徐々に完成していく庭を見てはほんの少しだけ口角を上げる。
引き連れた右頬の感触に違和感があったけれど、気にせず一面を見渡していけば、まだ手を付けられていない小さな一角に気が付いた。
「あの、あそこにはどんな花を植えるんですか?」
「あぁあそこですか。いずれコスモスを植えようと思っているんです」
「こすもす」
「少し時期は遅いんですけど、種ではなく鉢を植えれば開花の九月には間に合うと思いましてね。長男さんと次男さん、その頃には学校へ行くんでしょう?」
お祝いになれば良いと思ったんですよ。
朗らかに笑いながらそう言った庭師の顔を見て、ルイスはあまり考えないようにしていた現実を思い出す。
ウィリアムは九月からイートン校への入学を控えており、今は試験や貴族らしい立ち振る舞いについて勉強中だ。
アルバートもウィリアムの入学と合わせて復学するようで、様々な手続きや事務処理に追われている最中である。
ルイスだけがひとまずの予定がなく、いつかの計画のために勉強だけはちゃんとしているけれど、現状は二人のサポートや屋敷の管理以外にすることがなかった。
必要なことだと分かっているけれど、二人が離れてしまうのは寂しい。
休暇ごとに帰ってくると言ってくれたし、卒業すればまた一緒に生活出来ると分かっていても、やっぱり寂しいものは寂しいのだ。
行かないでほしいなどと願ってはいけないはずなのに、ついそう望んでしまいそうで目を背けていたことを思い出す。
お祝いだと、庭師の彼は言った。
世間一般から見れば名門校への入学も復学も喜ばしいことなのだろう。
ルイスだって、ウィリアムとアルバートが知識と教養を身につけた上で活躍することは嬉しく思う。
今はまだ受け入れられないけれど、時間が経てばきっと受け入れられるに違いない。
そしてそのとき、ルイスも彼らへ何かお祝いをしたいと思うのだ。
「…あの、こすもすのお花は僕でも育てられますか?」
「ルイス坊ちゃんが?そうですねぇ、丈夫だし育てにくい花ではないので大丈夫だと思いますが」
「では、僕が育てたいです。育て方を教えてください」
「…良いですよ。兄さん方に立派なコスモスを見せてあげましょう」
「はい」
ルイスの申し出に目を丸くした彼はすぐに顔を綻ばせ、その意図を察したように了解を返す。
お兄さん思いですねぇ、という言葉に思わず照れたように視線を彷徨わせたけれど、元々表情が分かりづらいルイスゆえに気付かれなかったようだ。
コスモスがどんな花か知らないけれど、庭師の彼がわざわざ植えようと考えていたのならばきっと綺麗な花なのだろう。
その花をルイスの手で咲かせて、ウィリアムとアルバートへの祝いにプレゼントするのだ。
育てている最中に二人と離れて暮らす覚悟が出来るかもしれないし、気持ちの整理も付くかもしれない。
一生懸命に育てようと、ルイスは小さな手を握りしめて気合いを入れた。
「よろしくお願いします!」
「はい、お願いします。じゃあまずは土を柔らかくしましょう」
「分かりました!」
翌日、庭師は早速コスモスの鉢を持ってきてくれた。
ルイスが一人で管理できるよう、花壇の広さに比べて数は少なくしているらしい。
庭師のそんな気遣いを知らないまま、ルイスは土で汚れても良いように軍手とエプロンと長靴を装備した姿で張り切っていた。
手に持ったシャベルでザクザクと土を掘り起こしてはペタペタと盛り立て、合間に花用の肥料を撒いていく。
随分昔に泥遊びをしたことがあるけれど、それ以上に懐かしい気持ちがするのは土の匂いのせいだろうか。
適度に水を撒いてからいよいよコスモスの鉢を植えていき、元の土と馴染ませるようにぽんぽんと整えていく。
殺風景だった茶色い土に色鮮やかな緑が加わって、途端に初夏らしい空気を感じさせてくれた。
「コスモスの花は茎が細いんですね」
「えぇ。コスモスは細く長い茎の先に花が咲くんです。だから風には弱いので注意が必要ですね。繊細な花と葉が咲き誇る様子は見事ですよ」
「そうですか…」
いつも通り無表情だというのに、ルイスの顔にははっきりと「楽しみ」だと浮かんでいる。
何度も顔を合わせていれば、淡々とした無表情な子どもであろうとその心根が素直なのはそれとなく伝わってくるものだ。
街では悲劇の三兄弟だと噂されていたが、兄達のために花を育てようとする末の弟を見るに、モリアーティの兄弟に悲劇だけしか存在しないことはありえないだろう。
さぞや柔らかい関係に違いないと、心が温かくなるようだ。
庭師の彼は水で満たしたジョウロを手渡し、ルイスの手で水やりをするよう促していく。
「コスモス、兄さんの入学式までに間に合いますか?」
「きっと咲きますよ、大丈夫です。大事に育ててあげてください」
「頑張ります」
水のあげ過ぎは根腐れを起こすので気をつけて、という声に恐れたルイスは、器用にもチョロチョロとコスモスの茎のように細い水をジョウロから出していた。
「ルイス、最近よく庭に出ているね」
「はい。実は今、花を育てているんです」
「花を?花壇の世話なら庭師の人間がいるだろう?」
朝一番にコスモスへの水やりを済ませたルイスは一通りの家事を済ませ、昼食を用意してから兄達を呼ぶ。
まだ温かいホットサンドを出せば、ウィリアムからは手を付けるよりも先に今朝の行動について確認されてしまった。
隠すことでもないから素直に返事をすれば、ルイスの負担を軽くするため庭師を雇っているのに何故、と怪訝な顔をするアルバートがいた。
もしや職務怠慢かと、庭師に対してあらぬ疑いをかけられる前に訂正する。
「僕が育ててみたいと言ったんです。簡単に育てられるから僕でも大丈夫だって」
「へぇ。何の花が咲くんだい?」
「コスモスの花です。兄さん知ってますか?」
「コスモスか。見たことはないけど知っているよ、ピンクや白の可愛い花だよね」
「そう、そのコスモスです。兄様は見たことがありますか?」
「何度かあるな。華美ではなく、素朴で可愛らしい印象だった」
「そうなんですね」
コスモスの花を知らなかったルイスがどんな花なのかと庭師に尋ねてみたとき、丁寧に描かれた絵を見せられた。
なるほど、これがコスモスか。
写真ではなく絵で、しかも黒いペンで描かれたそれではあまりリアルなイメージが出来なかった。
だから咲いたときの楽しみにしようと思っていたのだが、さすが博識な兄達はコスモスの花を知っていたらしい。
少しだけ残念だけれど、話す限りはコスモスを嫌っている様子はなさそうで一安心だ。
「兄さんと兄様はコスモスの花、おすきですか?」
「ルイスが育てているなら咲くのが待ち遠しいな」
「私も好ましく思っているよ。楽しみだ」
「良かった。九月頃に咲くそうなので、待っていてくださいね。僕、頑張って育てるので」
土を柔らかくするのは大変だったけど楽しかったんですよ、と楽しそうに報告するルイスを二人は愛おしげに見つめている。
毎朝いそいそと庭に出ているのは何故だろうかと思っていたけれど、ルイスが楽しいのならば何よりだ。
どうしてコスモスの花を育てようとしたのかは分からないけれど、入学と復学について話し合った頃から思い詰めたように硬い表情をしていたルイスを思えば、今の方がよほど良い。
ウィリアムははにかむように控えめに笑うルイスの頭を撫でて、コスモスの花についての知識を増やそうと考えた。
ルイスが大事に育てているコスモスの花。
植えたときよりも随分と茎が伸び、葉も豊かに生い茂ってきた。
所々に小さな蕾が付いていることにルイスの心は浮き足立つ。
満開とまではいかずとも、この分なら何とかウィリアムの入学までに開花することだろう。
そうしたらコスモスの花でブーケを作り、ウィリアムとアルバートにプレゼントするのだ。
育てていくうちに、彼らと離れる覚悟は少しだけ出来たように思う。
ウィリアムとアルバートを想いながら水をやったり土を整えたり、時には害虫を取り除いたりするのは、予想通りルイスの気持ちを落ち着けてくれた。
そばに居ることが出来なくても彼らのためにやるべきことはたくさんあるし、それは今も少し先の未来も何も変わらない。
二人のために一人きりだろうとちゃんと備えておくのだと、ルイスはよくよく理解している。
離れて暮らそうと本質は何も変わらないのだと、段々大きくなっていく蕾を見てルイスはほんの少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「嵐?」
「えぇ。今夜から天気が荒れるそうなので、天気が回復するまで休みを貰います」
「それは構いませんが…嵐って、大きい規模のものですか?」
「街の人間は大変な嵐になると言ってましたね。木や花に影響が出ないよう、今日はネットを張っておきます。被害がないと良いのですが」
「はぁ…」
どうやら今夜の天気は荒れるらしい。
昼前の今でさえどんより暗くて雨の気配を漂わせているから、いずれ降るのだろうと予想していたけれど、嵐とは想定外だった。
コスモスの茎は細く長く、風に弱いという。
ルイスはもうじき咲くだろうその花を守るべく、庭師とともにネットで保護していった。
基本的には少し重さのあるネットを被せる程度でいいようだが、あまりにも心配なので釘を持ち出してはネットの端を地面に打ち付け、花が吹き飛ばされないよう頑丈に守っていく。
それでも心配は消えず、これで大丈夫、という庭師の声が右から左へ抜けていった。
「大丈夫でしょうか…もうすぐ咲くはずなのに」
ルイスは整った眉を下げて屋敷の中から花壇を見る。
ちらちらと何度も気にかけていると、夕方には雨とともに風が強まってきた。
「かなり風が強くなってきたな。念のため雨戸を閉めておいた方が良い。ウィリアム、ルイス、手伝ってくれるかい?」
「分かりました。雨も降っていますし、今夜は荒れそうですね」
建てたばかりの新築であるモリアーティ邸は嵐ごときで揺れることはない。
けれど風に飛ばされた何かで窓ガラスが割れてしまう可能性はゼロではないと、三人は手分けして屋敷中の窓を閉めて雨戸で覆い隠していく。
ひっそり暗くなった屋敷の中でランプの炎だけが煌々と煌めいており、けれど外は強風と豪雨で不安を煽る音を立てていた。
顔色の悪いルイスを見て、さぞかしこの嵐が怖いのだろうとアルバートは判断する。
冷えないようにと持ち出したブランケットでウィリアムとルイスを揃って包み込み、長男らしくそのまま正面からふわりと二人を抱きしめた。
「大丈夫だよ、ルイス。ウィリアムもいるし、私もいる。朝には嵐も通り過ぎるさ」
「兄様」
「そうだよ、ルイス。僕と兄さんが付いているから怖くないよ、大丈夫」
「兄さん…」
ウィリアムもルイスの落ち込んだ表情を恐怖ゆえだと捉えたのだろう。
実際、聞こえてくる音はとても大きく恐ろしい。
自分とて不安に思うのだからルイスはさぞかし怖いはずだと、ウィリアムは恐怖を煽らないよう努めて笑顔でルイスを見た。
ブランケットに包まれ、ウィリアムとアルバートの体温を分け与えられたルイスは思い詰めたように顔を上げて声を出す。
「嵐は一晩続くのでしょうか?」
「予報では明日の午前中には天気が回復するとなっていたよ」
「じゃあ、今夜はずっとこんな大雨と強い風が続くのですか?」
「おそらくは」
「そんな…」
どうしよう、と焦るルイスを慰めるように、ウィリアムとアルバートは軽い夕食を済ませてすぐに休もうと提案した。
夜遅くまで起きていても不安を煽るだけだ。
こんな日にはさっさと寝て朝を待つに限る。
寝て起きれば嵐など過ぎ去っているだろうと、アルバートは二人の背中を押して厨房へと向かっていった。
「…よし」
食事を済ませ、交代でシャワーを浴びてから休もうと言われた言葉を否定することなく、ルイスは浴室へ向かっていくアルバートを見送った。
その後でウィリアム、ルイスの順にシャワーを浴びる予定だ。
タオルと着替えを用意しているウィリアムに、お手洗いに行ってきます、と行ってそばを離れたルイスは今、レインコートと長靴を履いて玄関先に立っていた。
当然トイレにもシャワーにも行くスタイルではなく、目的地は大事に育てているコスモスの花壇である。
ルイスは少し大きいコートの袖をくしゃりと折り曲げ、フードを被ってから轟音を響かせる玄関の向こうへと足を踏み出した。
「っ!?…わっ」
外は思っていた以上に横殴りの雨が降っていた。
雨粒も大きければ風も強い。
一歩足を踏み出すだけでも抵抗が強く、元より体重が軽いルイスは踏ん張らなければ吹き飛ばされてしまいそうになる。
それでも薄暗い中で目を慣らしてゆっくりと庭へと向かえば、木や花は張り巡らせたネットのおかげでしなりつつも無事だった。
ルイスが頑丈に守ろうと釘で打ちつけたネットも、しっかりコスモスを守っている。
「良かった…!倒れてない」
他の植物に比べて細く長い茎を持つコスモスは、ネットのおかげでかろうじて倒れることなくその場にいた。
けれど、まだ日付の変わらない今でさえこの状態なのだ。
少し強い風が吹けばネットごと斜めになってしまうコスモスの様子を見たルイスは、途端に不安が強くなった。
ウィリアムもアルバートも嵐はまだ続くと言っていたし、朝には通り過ぎると言っていたけれどそれまでが長すぎる。
せっかくもうすぐ咲くタイミングまで育ててきたコスモスの花を、ここで駄目にするわけにはいかないのだ。
ルイスは花壇の花を守るべく、小さな体が精一杯に大きくなるよう両手を広げて花の上に覆い被さった。
小さな体では隠し切れないけれど、大きめのレインコートを着てきたおかげで面積が増している。
自分のものではなくアルバートのものを借りてきて良かったと、ルイスは己の判断を密かに誉めた。
勿論、嵐が過ぎた後に無断で借りたことはきちんと謝るつもりである。
「ぅ…本当に風強い…雨も、こんなに降ったら根腐れしてしまう…傘、傘…」
でもこんな天気で傘を差しても壊れてしまう、どうしよう。
今にも折れてしまいそうなコスモスを体を張って守りつつ、ルイスは濡れて開けづらい目を懸命に見開いて考える。
昼間のうちに屋根を作っておけば良かった、とどうにもならない結論を出しつつ、こうなったら嵐が止むまでこのままコスモスを守ろうとルイスが覚悟を決めた瞬間。
一際強い突風が真横から吹き付け、足を取られて転んでしまった。
ルイスの体はそのままコロリと地面を転がっていく。
「っ、わぁ!?あ、あー!」
こ、コスモスが!
吹き飛ばされた衝撃に驚いて、強風にも負ける小さな悲鳴を上げながら吹き飛ばされたルイスは、地面に這いつくばってから元いた場所の花壇を見る。
暗くてよく見えないけれど、ルイスが負けてしまったほどの風なのだから、花であるコスモスが耐えられるはずもない。
早く守らないと、と泥で汚れた頬を拭うこともせず、ルイスは起き上がろうとした。
「る、ルイス!?」
「大丈夫かい、ルイス!」
「え?に、兄さんと、兄様?」
けれど自ら起き上がるよりも前に、レインコートを着たウィリアムと両手で傘を支えているアルバートに抱え起こされた。
フードが取れてしまっているウィリアムの顔は濡れており、もはや傘の意味がないアルバートは全身ずぶ濡れだ。
ずぶ濡れになった理由がすぐに分かったルイスはすぐに顔を青くさせ、慌ててコートを脱ごうとした。
「ご、ごめんなさい兄様!兄様のコートは僕が着ていて…すぐにお返しします」
「何を言っている!良いから早く屋敷に入らなくては!」
「で、でも」
「兄さんの言う通りだよ、ルイス!早く帰らないと熱を出してしまうよ!」
「でも、花が」
ずぶ濡れの兄達を見て申し訳ない気持ちばかりが心に浮かんでくるが、それでもルイスは大事に育てたコスモスを見捨てられない。
あの花はウィリアムの入学とアルバートの復学を祝う、ルイスの気持ちなのだ。
雨と風に負けてしまう前にルイスが守ってあげなければ、きっと咲くことも出来ずに駄目になってしまう。
「花?…もしかして、コスモスの花かい?」
「コスモスは茎が細いから風に弱くて、水もあげ過ぎると根腐れしちゃうって…このままだと、コスモスが駄目になってしまいます」
「…ルイス、コスモスより君の方がよほど大切だ。花はまた育てれば良いだろう。今は早く部屋に戻らないと」
「ウィリアムの言う通りだ、ルイス。風に吹き飛ばされる君を見たときの私とウィリアムの気持ちがどれほどだったか…」
「ぅ…」
夜遅く、しかも大荒れの嵐の中で吹き飛ばされていたルイスを見つけた瞬間の衝撃は計り知れない。
ウィリアムはドサリと音がした方に目を向けた瞬間に心臓が止まりそうになったし、一足遅れてルイスに気付いたアルバートはそれでも起き上がってどこかに向かおうとする姿を見て肝が冷えた。
夕食後にいきなりルイスがいなくなり、慌てて屋敷中を探したけれどどこにもいないから外に出てみればこうだったのだ。
安全なはずの室内にいたはずのルイスが、何故か嵐の中でアルバートのレインコートを着て吹き飛ばされている。
謎しかない状況だったけれど、答えはルイス自ら教えてくれた。
大切に育てていたコスモスを、その小さな体で雨と風から守ろうとしていたらしい。
なんとも融通の効かない、一途で頑固な弟である。
雨に吹き付けられながら説得されたルイスは落ち込んだ様子で一度だけ花壇に目を向け、そのままウィリアムとアルバートに連れられて屋敷へと戻っていった。
「さぁ何か言うことがあるよね、ルイス」
「…アルバート兄様のコートを勝手に借りてすみません。大きいコートの方が面積が広くて、雨を避けられると思って」
「違う、そうじゃない。コートを借りたことはどうでも良いんだよ、ルイス」
「……嵐が来ているのに、勝手に外に出てすみません…」
ウィリアムとアルバートにより浴室に放り込まれたルイスは熱いシャワーを浴びせられ、雨と風で冷えた体を温められた。
泥で薄汚れていた肌も元通りの白さを取り戻している。
そうして十分に温まり髪も乾かされてほこほこになったところで、リビングのソファに座らされていた。
目の前には仁王立ちするウィリアムとアルバートがおり、圧をかけて見下ろされている。
普段はいつだってルイスに優しい兄であるため、あまり見ないどころかほとんど初めて見る二人の怒り顔はとても怖かった。
素直に謝って見せれば呆れたように大きなため息を吐かれてしまう。
「全く…嵐の日は大人でも避難するのに、まだ子どものルイスが外に出るなんて危ないじゃないか。実際、吹き飛ばされていただろう?」
「あんなに強いと思っていなくて…それに」
「コスモスが心配だったんだろう?だが、コスモスを守るあまり君が怪我をしては元も子もない」
「…はい」
アルバートの手がルイスの額に伸び、優しく触れられたはずなのにほんの僅かに痛みが過ぎる。
自覚はなかったけれど、どうやら擦り剥いているらしい。
いつの間にか用意されていた救急箱から小さなガーゼが取り出され、痛みを覚えた部分に貼ってもらった。
確かにルイスではあのコスモスを守り切れなかっただろうが、それでもルイスは守りたかったのだ。
だってあれは、あの花は。
「…兄さんと兄様にプレゼントしたかったのに」
「プレゼント?」
「コスモスをかい?」
「もうすぐ咲くはずだったから、そうしたら兄さんの入学と兄様の復学のお祝いに渡すはずだったんです」
コスモスの花でブーケを作ってお祝いのプレゼントにするはずだったのに、このままじゃコスモスが駄目になってしまう。
綺麗に咲かせて、二人にプレゼントしたかったのに。
僕はここでちゃんと二人を待っているから、きっと帰ってきてくださいって、そう言ってプレゼントしたかったのに。
僕が育てたコスモス、兄さんと兄様に見てほしかった。
ぐすぐすと今にも泣きそうな顔でそう言ったルイスを見下ろし、ウィリアムとアルバートは思わず胸を押さえた。
自分の身を顧みない無鉄砲なところは到底許せないが、そのきっかけがあまりにも可愛らしく衝撃的だったのだ。
嵐に負けて吹き飛ばされていたルイスを見たときと同じくらいの衝撃だ。
楽しそうに育てているな、とは思っていたのだ。
さぞ花がすきなのだろうと思っていたのに、その理由が自分達にあると知って絆されずにはいられない。
ウィリアムとアルバートは怒られたこととコスモスが駄目になってしまうことに落ち込んでいるルイスを上から抱きしめ、もう嵐の日に外に出てはいけないよ、と何度も何度も言い聞かせた。
そうして翌日、午後。
嵐が過ぎ去ってから三人揃って花壇を見に行けば、ネットごと倒れてしまって散々な姿になってしまったコスモスがあった。
ルイスは無念そうに項垂れては諦め切れない様子で蕾を触る。
けれどウィリアムとアルバートが、とても綺麗だね、嬉しいよ、よく頑張って育ててくれたね、ありがとう、と言葉を尽くしてルイスの努力とコスモスを褒めてくれたから、根が素直で分かりやすいルイスの気分はすぐに回復したのだった。
ちなみにこの一件以来、ウィリアムとアルバートは嵐の日には予防的にルイスを屋敷の中へしまおうとするようになる。
合言葉が「風が強い、ルイスをしまえ」であることは後に生活を共にする同志の中で、ルイスだけが知らないままなのである。
(ふむ。今日はやけに風が強いな)
(そうですね、兄さん。ちょっと探してきますね)
(あぁ、私も行こう)
(ルイス、ここにいたんだね)
(兄さん、兄様。どうされましたか?何か御用で?)
(いや、用というほどのことでもないさ。今日は風が強いからな)
(風?そうでしたか?)
(ルイス、一緒においで)
(はぁ)
(今日は僕と一緒にここで過ごそうか)
(風が止むまではここにいなさい)
(……)
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