末っ子、本物のねこさんと出会う
転生現パロ年の差三兄弟、べびルがイヌネコに導かれてお茶会する話。
兄さん兄様と喧嘩するたびにイヌネコが現れてべびルを励ましてほしいな〜
丁寧に磨かれたカップは照明の光を吸収して真っ白く輝いており、そこに透明感ある飴色の液体がゆっくりと注がれていく。
ゆらゆら波打つ湯気は熱いことの証明であることを、ルイスは兄から教わっていた。
だから勝手に触ってはいけないのだと、腕に抱いた友達をぎゅうと抱いて行儀良く座っている。
「さぁどうぞ、お召し上がりください」
「ありがとう、ナニー」
「ルイス、一緒に食べようか」
「はい」
モリアーティ家に長く仕える乳母かつ使用人の老婆は、アルバートとウィリアムには紅茶を、ルイスにはホットミルクを用意してその場を去った。
持ちやすいよう取っ手が二つ付いたルイス専用のカップには、飴色の熱い液体ではなく真っ白いミルクが入っている。
ルイスはすぐ隣に友達である独特な猫のぬいぐるみを座らせて、そのカップを両手に取った。
ふわりと甘い香りが漂うそれは、ほのかに湯気が立っている。
けれどナニーが用意してくれたこれは熱くないのだと、ルイスの短い人生経験の中で知っているのだ。
こくこくと飲んでは、ほう、と暖かい息を吐く。
「ミルク、おいしいです」
「良かったね」
右を見上げればウィリアムが微笑んでいて、左を見上げればアルバートが自分のカップを取りその中身を口にしている。
そうしてルイスが取り分けられた小さなタルトをフォークで突き刺しながら食べようとすると、ふと自分のカップと兄達のカップの中身が違うことが気にかかってしまった。
ルイスはミルクで、ウィリアムとアルバートは茶色い飲み物。
熱いそれは確か、紅茶という飲み物だと聞いたことがある。
じっとそれを見たルイスはフォークを置いて、ウィリアムのカップに手を伸ばした。
「ウィリアムにいさん」
「どうしたんだい、ルイス」
「にいさん、ぼくもそれがいいです」
「それ?このカップが良いのかい?」
「はい」
ルイスは小さな手を大きく広げてカップを貰おうとしたけれど、ウィリアムはその手を押しのけて少し待っているように言い残してどこかへ行ってしまった。
む、と眉を顰めているとアルバートが膝にその乗せてくれたので、ルイスは不満を口に出さずに大人しく待つことにする。
そうして帰ってきたウィリアムは自分のものと同じカップを持ってきてルイスに手渡そうとしたけれど、その中身を見たルイスは頬を膨らませてぷいと横を向いてしまった。
「ルイス、どうしたんだい?」
「ミルクじゃなくて、そのこうちゃがいいんです」
「紅茶が?」
ウィリアムは紅茶を分けてくれないのだと知ると、ルイスはすぐそばにあったアルバートのカップを取ろうとしてそのまま抱き上げられてしまった。
目当ての紅茶から距離を離されたことにますます頬を膨らませて、アルバートの腕の中でルイスは暴れ出してしまう。
「ミルクいやです、こうちゃがいい。こうちゃがのみたいです」
「だがルイス、君にはまだ紅茶は早いよ」
「にいさんもにいさまも、こうちゃをのんでます!」
「兄さんの言う通りだ。ルイス、紅茶を飲むと夜眠れなくなってしまうんだよ」
「にいさんもにいさまも、よるいっしょにねてるのに!」
「ルイス、紅茶は苦いんだよ」
「ぼく、ピーマンたべられるからだいじょうぶですー!」
ぼくもこうちゃのみます、のむ、とバタバタするルイスに苦笑しながら、アルバートは抑え込むのに苦労する。
近頃は随分力も強くなって、気を抜けば怪我をしてしまいそうなほどにルイスは元気いっぱいだ。
どうしたものかとウィリアムも思案するが、まだ幼いルイスに茶葉から淹れた紅茶は早いだろう。
この小さな体にカフェインは良くないし、香りは甘いけれど風味に苦味のある紅茶を今のルイスが好むとは思えない。
自分達と同じものを食べたいという、よくあるルイスのわがままだ。
昨日までは気にせずホットミルクでのティータイムを楽しんでいたのに、今日になって自分だけ違うものを飲んでいることが嫌になったのだろう。
周りをよく見ていることに成長を感じて何よりだ。
けれど、やはりルイスに紅茶はまだ早い。
ゆえにウィリアムとアルバートは早々にカップの紅茶を飲み干してしまうことにした。
何も入っていないカップを見せるように傾けてやれば、ルイスにはその意味がしっかりと伝わってしまう。
「あっ!」
がーん、という効果音が聞こえてきそうなほど大きな目を見開いてショックを受けるルイスに、二人は少しだけ心を痛める。
だが、飲ませられないものは飲ませられないのだ。
ルイスは賢いから、ないものはないと分かってくれるに違いない。
成長の早いルイスを嘆いていたというのに、こんなときばかり賢いルイスに期待するとは実に都合の良い思考である。
ほんのわずかな罪悪感を覚えながら、ウィリアムとアルバートは空っぽのカップをもう一度ルイスに見せて諦めるよう促した。
「〜〜〜ひどい…にいさんとにいさまがいじわるした…!」
大きな瞳が潤んでいき、頬と鼻も赤く染まっていく。
噛み締めた唇からは唸るような声が漏れており、ウィリアムとアルバートの罪悪感が一層強くなってしまった。
思わずルイスを抱くアルバートの腕の力が弱くなった瞬間、ルイスは思い切りその腕を振り切ってだいすきな友達の耳を掴んで走り出す。
爽やかな風を感じるため開けられていた大きな窓へ向かい、そのままルイスは広い庭へと逃げて行ってしまった。
「にいさんとにいさまの、いじわるものー!」
「ルイス!」
「どこへ行くんだい、ルイス!」
幼児だというのに身体能力の高いルイスがその小さな体を生かして植え込みの隙間を駆けていけば、成長期ゆえに足元が疎かになりやすい兄達の死角をついて逃げ切れる。
まずい、とウィリアムが咄嗟に顔を上げた瞬間、ルイスは姿形を消していた。
「しまった、ルイス!」
「チッ、まさかこんなことになるとは…ウィリアム、手分けして探そう!」
「はい、兄さん!」
ルイスを見失った場所から二手に分かれ、ウィリアムとアルバートは無駄に広い庭を探しに行った。
「はぁ、ふぅ…ふたりとも、ひどいです」
前を気にせず全速力で駆けて行ったルイスは、緑豊かな木々に囲まれた中を歩いていた。
モリアーティ家の敷地は広大である。
だが管理は徹底されており、危険な動植物もいなければ危険な場所も存在しない。
敷地内には塀が張り巡らされているため、よっぽどのことがなければ一回りして屋敷へと帰って来れるだろう。
それでもルイスには危ないから一人で遠くまで行ってはいけないよ、と言われていたけれど、酷い意地悪をする兄達の言うことなど聞かなくても良いのだと、今のルイスは反抗心に満ちていた。
ぷんぷんと怒りながら、友達である猫のぬいぐるみの耳を掴んでは勢いのまま振り回す。
「ねこさん、にいさんとにいさまがいじわるしたんですよ。こうちゃをわけてくれませんでした」
振り返ることなくとりあえず前へと歩くルイスは、ぶつぶつとぬいぐるみへ語りかけながら足を進めていく。
美味しそうな紅茶という飲み物を、兄さんと兄様と同じ飲み物を一緒に飲みたかっただけなのに。
ルイスがそんなことをたどたどしく語りかけながら歩いていると、ふと目の前を白い生き物が横切っていった。
家の敷地内に何かいるとは思っていなかったルイスは驚きのあまり足を止め、掴んでいたぬいぐるみを両手に抱いて腕の中に閉じ込める。
未知の何かに遭遇した不安を、無意識のうちに解消しようとしたのだろう。
ぬいぐるみの特徴であるつぶらな瞳が隠れるくらいに強く抱きしめ、ルイスは顔をこわばらせながら片方の足を後ろに引いた。
「初めまして、ルイスくん」
「…ね、ねこさん?」
するとその生き物は真っ直ぐにルイスを見つめ、流暢に喋り出したのだ。
恐れるルイスの目の前に現れたのは、見覚えのある姿形をした生き物だった。
今もルイスの腕の中にいる、長い耳とつぶらな瞳がチャーミングな猫である。
何度語りかけても返事をしないぬいぐるみと同じ姿をした生き物が、今ルイスの目の前にいる。
「ほ、ほんもののねこさん…!?」
「そうだよ、ボクは猫さんだ」
「わぁ!」
ルイスは抱きしめていたぬいぐるみと目の前の生き物とを交互に見つめ、いつか会いたかった本物の動く猫なのだと解釈する。
だいすきな友達である猫のぬいぐるみは世間一般の猫とは少しばかり違う、実に特徴的な姿をしていた。
それはひとえにアルバートのデザインのせいなのだが、言葉巧みな兄達によって、ルイスはどの猫も大人になればこのぬいぐるみと同じ形になるのだと信じているのだ。
いつか大人の猫と会ってみたいと思っていたのだが、まさか屋敷の中にいただなんて知らなかった。
この猫は探していた大人の猫なのだと、ルイスは歓喜に満ちた表情で駆け寄っていく。
「ねこさん、ぼく、ねこさんにあいたかったんです!ほんものだ、すごいですね!」
「ボクもルイスくんに会いたかったんだ。会えて嬉しいよ」
「ぼくもうれしいです!」
ねぇねこさん、と腕の中のぬいぐるみに話しかけながら、ルイスは動いて喋る白い猫と向かい合う。
真っ白い毛並みとつぶらな瞳はルイスが知っているそのもので、身長はルイスよりも少し低いくらいだろうか。
それでもぬいぐるみよりも大きい猫の首元には大きなオレンジ色のリボンが巻かれていて、そこから丸い何かが垂れ下がっていた
どうやら宝石が付いているようで、鈍い金色のカバーは木漏れ日に当たってキラキラしている。
「ねこさん、それなんですか?」
「これはね、時計なんだ。あぁもうこんな時間!さぁルイスくん、一緒に行こう!」
「え?どこにいくんですか?」
「もうすぐお茶会の時間です、遅刻してしまう!」
「おちゃかい?」
お茶とは兄さんと兄様が飲んでいた紅茶のことだろうか。
ルイスはそう検討をつけて、早く早く、と急かす猫の後を付いていく。
四つ足でシュパシュパ掛けて行く猫の足は早く、ルイスは離されないよう懸命に走って追いかけた。
ふと腕の中に意識をやると、ずっと見てきたぬいぐるみが微笑んでいるように見えてくる。
きっとこの子も仲間に会えて嬉しいのだろうと、ルイスは思う。
同時に、ついに本物の猫に会えたのだという感動がルイスの全身に広がっていった。
「はぁ、ふぅ…ここは…」
「ようこそ、ルイスくん!」
「待っていたよ!」
「初めまして!」
「ずっと会いたかったんだよ!」
「は…はじめ、まして…」
辿り着いた先にあった開けた空間には小さな円卓と小さな椅子が並んでいて、既に着席している猫がたくさんいた。
ルイスが猫だと信じている、白くつぶらな瞳がチャーミングな不思議な猫だ。
ひとつ、ふたつ、みっつ…数を数えられるようになったばかりのルイスでも間違いなく認識できるだけの猫が、そこには四匹いた。
ルイスを導いてくれた猫を合わせると全部で五匹にもなる。
「ねこさん、たくさんいた…!」
圧倒されてたじろいだのも束の間、ルイスは感動した様子で小さな机に駆け寄っては一匹ずつじっと顔を見渡していく。
この子は耳が長い、この子はほっぺが特別丸い、この子は笑顔がとても可愛くて、この子は体が大きい。
そしてルイスを連れてきた猫は、どうやら一番ルイスに優しいようだった。
「ねこさん、たくさんあえてうれしいです!」
ねこさんもうれしいですよね、とぬいぐるみに語りかけながらルイスは喜びを露わにする。
ウィリアムもアルバートもルイスが思い描く猫に会わせてくれなかったけれど、本物の猫はここにいたのだ。
早く二人にも教えてあげなければ。
そんなことを考えながらルイスがそれぞれの猫を見ていると、大きな時計を身に付けた猫がルイスに着席を促した。
「さぁルイスくん。一緒に楽しいお茶会にしよう!」
「おちゃかい?」
「そうだよ。紅茶はミルクとレモン、どちらが良い?」
「こうちゃ…」
優しい猫はルイスのぬいぐるみの席まで用意してくれた。
揃ってそこに腰をかけると、丸いテーブルにはルイスとぬいぐるみと変わった猫五匹という、不思議で賑やかな空間が誕生する。
小さな机と小さな椅子はルイスにぴったりのサイズだ。
テーブルの中央には釣鐘型のポットと取っ手が二つ付いているカップが置かれている。
きっとポットの中身は紅茶なのだろう。
ルイスは飲みたいと切望した紅茶が目の前にあることを喜び、同時に飲んではいけないと怒られたことを思い出す。
「…こうちゃ、ぼくはのんじゃダメだって、にいさんとにいさまがいってました」
「そうなの?紅茶は嫌いなのかい?」
「にいさんとにいさまがのませてくれないんです」
「そうなんだ」
飲みたくて駄々をこねて逃げ出したとはいえ、ウィリアムとアルバートの言うことを聞かないのはルイスの主義に反するのだ。
二人が駄目だと言うのならば、いけないことなのは確かである。
それを破ってはいけないのだと、ルイスは目の前の誘惑から逃れるように小さな手を握りしめた。
そんなルイスを可哀想だと言わんばかりに、周りの猫達はしょんぼりと耳を垂れ下げている。
「…じゃあ、ワタシのを一口飲むのはどう?」
「ひとくち?」
「それは良い考えだね。少しだけ味見をしてみようよ、ルイスくん」
「でも…」
「ルイスくんのカップにはミルクを用意するよ。だから、一口だけ飲んでみないかい?」
「……」
思いの外、猫達の誘惑は強かった。
一口だけならウィリアムとアルバートも怒らないだろうか。
きっとこのままだと二人はルイスに紅茶を分けてくれないだろうし、ここで一口分けて貰わないと、もうずっと飲めないかもしれない。
うむむむ、と思い悩みながら、ルイスは少しだけ湯気を立てているカップを見た。
そうして、意地悪するウィリアムとアルバートへの反抗心が勝ったらしい。
ルイスは両手を伸ばして、一口くれるという耳の長い猫のカップを受け取った。
「さぁ召し上がれ」
「…いただきます」
ふーふーと息を吹きかけてから、こくりと口に迎え入れる。
そうしてゆっくり飲み込むと、ルイスは俯いたままカップを置いた。
これがウィリアムとアルバートが美味しそうに飲んでいた紅茶という飲み物。
なるほど、これは。
「……にがい」
うぇ、と口を横に広げ、痺れた舌を外に出す。
言葉だけでなくその仕草からも明白な感想を見せたルイスは、あぅ、と落ち込んだように顔を俯かせて口の中に残る風味を逃そうとする。
けれどじっとしていても紅茶の味は消えなくて、縋るものが欲しいとばかりに隣に座らせていたぬいぐるみを抱きしめた。
「ねこさん、こうちゃにがいぃ〜…うっ、うっ」
しょぼしょぼと後悔するルイスに強く抱きしめられても、ぬいぐるみは文句ひとつ言うことなくそのままだ。
けれどその表情はどこか悲しそうで、つぶらな瞳がどこか潤んでいた。
周りにいる猫達もぬいぐるみと同じ表情をしてはルイスにたくさんの菓子を勧めてくれる。
「ルイスくん、クッキー食べて!」
「このキャラメルも美味しいよ!」
「ミルクもあるよ、蜂蜜がとっても甘くて美味しいから!」
「泣かないでルイスくん」
「うぅ…」
次々と励まされながらルイスはお菓子とミルクを口にする。
甘くて美味しいそれはルイスの舌を癒してくれたけど、会いたいと切望していた猫達が皆優しいことにこそ心が癒された。
猫とはやはり可愛くて優しい生き物なのだ。
ルイスがそう認識していると、時計を身に付けた猫が笑いながら語りかけてくる。
「ほら、ウィリアムさんとアルバートさんがルイスくんに紅茶を飲ませたくなかった理由が分かっただろう?」
「…はい」
「二人とも、意地悪したんじゃないんだよ。ルイスくんに苦い思いをさせたくなかったんだ」
「……にいさんとにいさまは、にがくないのですか?」
「大きくなると、美味しく感じられるんだよ」
ルイスくんはまだ小さいから、と続けられ、子ども扱いされたことに悔しさを覚えつつもこの苦みには勝てないのだと思い知る。
やはりウィリアムとアルバートが正しかったのだ。
二人は決して意地悪をしたのではないと、ルイスはようやく気が付いた。
「…ぼくもおおきくなったら、こうちゃをおいしくのめますか?」
「もちろん!大きくなったらきっと、ウィリアムさんとアルバートさんと楽しいお茶会が出来るよ!」
「たのしいおちゃかい…」
ぬいぐるみをぎゅうと握りしめ、ルイスは目の前のカップと猫達を見比べる。
幼いルイスにはまだ紅茶は早くて、みんなとのお茶会も上手に楽しめない。
いつかウィリアムとアルバートとお茶会が出来るようになったら、この猫達とのお茶会も楽しめるのだろうか。
せっかく会えたのに申し訳ないと、ルイスはますます縮こまって頭を下げた。
「こうちゃ、おいしくのめなくてごめんなさい…」
「良いんだよ、ルイスくん。また今度、みんなで楽しいお茶会をしよう!」
時計猫がそう言うと他の猫も賛同するように笑顔を見せてくれた。
ずっと見てきたぬいぐるみと同じ生き物の可愛い笑顔はルイスの心を抜群に癒してくれる。
大事な友達は、こんなにも可愛くて優しい猫だったのだ。
ルイスはぬいぐるみをより自慢に思いながら、落ち込んでいた顔に笑みを浮かべる。
「ぼく、はやくおおきくなるので、おちゃかいたのしみにしてますね!」
ルイスがそう言って笑った瞬間、大きな風が吹いて思わず目を瞑ってしまった。
腕の中の友達が飛ばされないよう抱きしめながら堪えていると、二度三度と風が吹いてはようやく落ち着く。
感じる風と聞こえる音がなくなったことを確認してから恐る恐る目を開けると、そこには誰もいなかった。
「あれ?ねこさん、ねこさん。どこですか?」
ぱちぱちと目を見開くと座っていた椅子もなくなって、とさりとその場に尻餅を付いてしまった。
慌てて周りと見渡すけれど、耳の長い猫もほっぺの丸い猫も笑顔の可愛い猫も体の大きな猫も、首から時計を下げた猫もいない。
けれど、腕の中にいる動かない猫のぬいぐるみだけはいつも通りルイスとともにいた。
「ねこさん…?」
ルイスはぽつりと呟いてから猫を探しに行こうと立ち上がろうとしたけれど、自分を呼ぶ声に後ろを振り返る。
短い人生の中、一番に聞いてきた声だ。
恐れることなくルイスはその場に佇んで、左右から聞こえてくる声を待った。
「「ルイス!」」
「にいさん、にいさま」
予想通りの人達が木々の隙間から現れて、ルイスは嬉しそうに駆け寄った。
二人は自分を探しに来てくれたのだ。
それがルイスには嬉しくて、怒っていたことなどすっかり忘れて笑顔を見せる。
「ルイス、勝手に走ったら危ないじゃないか!」
「心配しただろう!」
「ご、ごめんなさい…」
肩に手を添えて怒られてしまえば、言いつけを破った自分が悪いのだと認識しているルイスは素直に謝る。
ウィリアムもアルバートも意地悪をしたのではないのだから、怒って逃げ出したルイスがいけないのだ。
嫌われてしまっただろうかと落ち込むルイスは、またも縋るようにぬいぐるみを強く抱きしめ俯いた。
「ルイス、痛いところはないかい?」
「ないです…」
「服が土で汚れているね。早く戻って着替えようか」
「はい…」
ウィリアムは手早くルイスの体に怪我がないかを確かめ、擦り傷ひとつ付いていないことに安堵する。
そうしてぬいぐるみごとルイスを抱きしめてから、言い淀むように口をまごつかせた。
アルバートはそんなウィリアムに気付いた様子で、きっかけを作る意味でルイスの頬を擽っていく
服に付いた土を軽く払ってあげれば、ルイスは見上げるようにアルバートに視線をやった。
「…すまないな、ルイス。僕もウィリアムも、ルイスに意地悪を言ったわけではないんだよ」
「そうなんだ、ルイス。決して意地悪をしたわけじゃない。でも、紅茶を飲ませてあげられなくてごめんね」
「だいじょうぶです。にいさんとにいさまは、ぼくにやさしくしてくれたんですよね」
「そ、そうなんだよ、ルイス」
ルイスはふるふると首を降って、アルバートとウィリアムは悪くないのだと訴える。
さっき初めて味わった紅茶はとても苦くて、少しも美味しいと思えなかった。
ホットミルクの方がよほど美味しいのだから、飲ませてくれなかった二人の気遣いが正しいのは確かなのだ。
だから謝らなくて良いのだと、理解あることを言うルイスに驚きつつもウィリアムは同意を返す。
「分かってくれてありがとう、ルイス」
「だが、もうあんなことはしないと約束しよう」
たっぷりのカフェインを飲ませるわけにはいかないとルイスの目の前で紅茶を飲み干してしまったけれど、ルイスにしてみれば理不尽な意地悪をされたと思うのも仕方のないことだ。
方法を間違えてしまったのだから、ルイスが怒るのも道理である。
だが怒って逃げ出すくらいに飲みたかったのなら、一口くらいは分けてあげるべきだったと二人は反省していた。
飲んでみて口に合わなければ、賢いルイスなら分かってくれるに違いない。
今のルイスにカフェインを飲ませるのは良くないことだが、一口だけならばさほど影響はないだろう。
そう考えてアイコンタクトを取ったウィリアムとアルバートは、ルイスに一つの提案をした。
「ねぇルイス。一口だけ紅茶を飲んでみようか」
「飲んでみて味を知れば、ルイスも満足するだろう?」
「…いえ、いらないです」
「「え?」」
「こうちゃ、いらない」
きっとルイスが喜ぶだろうと思っていた提案を跳ね除けられ、ウィリアムとアルバートは目を瞬かせた。
けれど当のルイスがいかにも渋い顔をしていて、うぇ、と言わんばかりの表情をしているものだから、それ以上は二の句を告げなかった。
(そういえばルイス、あんなところで何をしていたんだい?)
(ぼく、ねこさんとおちゃかいしてたんです)
(猫さんと?)
(はい。みみのながいねこさんと、ほっぺのまるいねこさんと、わらうとかわいいねこさんと、おおきなねこさんと、とけいをもったねこさんと、あとねこさんと、みんなでおちゃかいしたんです)
(うん…?)
(みんなやさしくて、またおちゃかいしようってやくそくしたんですよ)
(へぇ、そうか…)
(とってもたのしかったです!ねぇねこさん、またねこさんといっしょにおちゃかいするの、たのしみですね)
(よかったね…)
(猫さんがゲシュタルト崩壊しそうです)
(同じく。どの猫さんなのかさっぱり分からない)
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