長男のアンガーマネジメント


ほのぼの三兄弟による深夜のお茶会。
自分の機嫌を取るためにウィリアムとルイスの笑顔を見ようとする兄様、絶対いる。

生来持ちえていたものなのか、生まれ落ちた環境が育んだものなのか、それとも「持っていなければならない」と本能が学習して備わったものなのか。
もしくは、その全てなのかもしれない。
いずれにせよ、名門伯爵家の嫡子としてこの世に生まれ落ちたアルバートは、己の感情をコントロールすることに長けていた。

「そうですか、それは良かった。こちらも嬉しい限りです」

本音を笑顔で隠しながら皮肉めいたことを言う方が、よほどアルバートの性に合っている。
けれど「モリアーティ」とその周りにいる人間がそれを許さず、またアルバートも重々それを理解していたため、笑顔の上に同意を返すことでその場を躱していた。
幼いながらに身に付いてしまった微笑みと社交辞令と場の切り抜け方。
鬱憤溜まった感情はどこにも漏らすことなく、ずっと抱えたまま生きていくのだろう。
ならばせめて自分だけは、自分の感情を無視することなく生きていかなければならない。
自分を大切にしたい気持ちなど爪の先ほどもないけれど、だからといって苛立ったままの自分が存在することを許容出来るほど無関心でもない。
自分の機嫌は自分で取るのだ。
だが、どうすれば自分の気分が上向くのだろうか。
幼い頃はよく分からずに真っ黒い何かを抱えたまま生きていた。
結果として半ば病んでしまっていたアルバートを救ってくれたのは見ず知らずの他人だった子ども達で、運命の出会いとはいつだって突然なのだと今尚実感する限りである。

「おかえりなさい、アルバート兄様」
「ただいま、ルイス」
「遅いお帰りですね。何かトラブルでも?」
「大したことではないよ。気にしなくて良い」

その日、アルバートの機嫌は悪かった。
無能な上司に話の伝わらない部下。
アルバートではない人間が起こした不始末の責任を取るための謝罪に「モリアーティ」が必要だからと言われてしまえば無闇矢鱈に拒否も出来ず、頭は下げずとも申し訳なさそうな笑みと愛想を振り撒いてきたのだ。
全く持って、性に合わないことをした。
上司には皮肉を返したが無能すぎて伝わっていなかったし、立場の弱い部下をいたぶるほど落ちぶれてもいない。
結果としてアルバートは鬱憤を溜めたまま、贔屓にしている洋菓子店で紙袋二つ分もの菓子を買い込んで帰宅する。
出迎えてくれたのは予想通り、屋敷の一切を取り仕切る末の弟だった。

「お荷物、預かります」

あまり感情を露わにしないルイスだが、それでもアルバートの帰宅には必ず表情を緩めてくれる。
軍に所属しているとはいえ部署と立場を考慮すれば、アルバートの身に危険が及ぶ可能性は低い。
そうだというのにルイスは、アルバートが無事に帰ってきてくれて嬉しい、と言わんばかりに必ず出迎えてくれるのだ。
多くを語ることはないけれど、ルイスが言う「おかえり」という言葉にはかつて感じられなかった温かみを感じられる。
苛立っていた気持ちが凪いでいくのを実感しつつ、言葉とともに差し出された手に仕事用の鞄を預けた。

「ありがとう。あぁ、こちらは構わない。私が持つよ」
「大きな荷物ですね。出掛けにはなかったと思いますが…?」

僅かに首を傾げているルイスに建前ではない笑みを返しながら、アルバートは何も言わずにもう一人の弟がいるであろうリビングへと足を運ぶ。
アルバートの鞄を持ってその後ろを付いてくるルイスの視線は二つの紙袋に向かっている。
重くはないのだろうが、そのまま彼に持たせていて良いのだろうか。
断られたとしても強引に預かった方が良いかもしれない。
そんな心の声が聞こえてきそうな、「うーん」という小さな唸りが背後から聞こえてくる様子に、アルバートは笑みを深めている。
ルイスに気付かれないよう紙袋を持つ手の力を込めながらリビングに入れば、そこにはソファに腰掛けて本を読んでいるウィリアムがいた。

「おかえりなさい、アルバート兄さん」
「ただいま、ウィリアム」

ルイスに言及されないよう急ぎ足でウィリアムが座るソファの前、ローテーブルに紙袋を二つとも置く。
そうしてその向かいに置かれている一人掛けのソファに腰を下ろし、膝の上に置いていた本を閉じるウィリアムを見た。
彼の視線はアルバートが持っていた紙袋に向かっている。

「なんでしょう、その紙袋の中身は」
「さぁなんだろう」
「ふむ」
「ルイス、お茶の用意を頼めるかい?取り皿も人数分頼む」
「分かりました」

傍らにいたルイスへ頼み事をして、アルバートは改めてウィリアムを見た。
彼は長い指を顎に当て、目を細めて紙袋とアルバートの顔を交互に見やり思考を巡らす。
長くもなければ短くもない、けれど茶の用意をするためこの場を離れたルイスが帰ってくるよりも先に、ウィリアムは口角を上げてから口を開く。

「その紙袋、兄さんが気に入っている洋菓子店のものですね。ならば中身は菓子の類に間違いはないでしょう。兄さんが僕に当ててほしいのはその菓子の種類ですか?」
「ご名答。さてウィリアム、この菓子はなんだろうね?」

スムーズな会話にアルバートの気分は良くなる。
多くは語らずとも話が進み、なんてことはない戯れの時間を共有してくれることが嬉しかった。
アルバートはまたも笑みを深め、大して興味もないだろう菓子の中身を当ててくるだろうウィリアムの返答を待つ。

「大きな袋ですね。中身はそれだけたくさんの菓子か、もしくはさぞ美しい装飾が施されていて嵩張る菓子なのでしょう。兄さんは先程、ルイスに人数分の皿を頼みましたね。皿の大きさを指摘しなかったのは、一般的なサイズの皿で十分だから。つまりこれは極端に大きな菓子ではないし、三人で消費出来る程度の量であることは明白です。そうなると、一つ一つが小さい割に持ち運びには嵩張るタイプの菓子である可能性が高い」
「さすがじゃないか、ウィリアム」
「僕達の人数は三人、紙袋は二つ。それぞれの紙袋に二つと一つの菓子が入っているのが妥当でしょう。ルイスに持たせず兄さん自らが持ってきたということは、中身を知らないルイスには持たせられなかったからですね。出迎えたルイスにもまだ中身を教えていないことを考慮すると、僕とルイス同時に中身を教えたいのでしょう?」
「そうだよ。サプライズ、というやつだ。私が持っていなければね」

聡明なウィリアムが発する、淡々と事実から推察される真実は聞いていて面白い。
彼を上司と部下と比較することすら烏滸がましいけれど、矛盾のない言葉はこうも理解に容易いのだ。
決してルイスが物を雑に扱うという想定をしているわけではないが、それでもルイスに持たせるわけにはいかなかった。
これはアルバートが己の機嫌を上向かせるための小道具なのだから。

「では、その中身までは分かりかねますね。これ以上はさすがにヒントの一つでも貰いたいところですが、ルイスを差し置いてサプライズの中身を知ってしまうなんて無粋にも程がありますから」
「懸命だな。ではルイスが来るまで楽しみに待っておいで」
「そうします」

分かりやすく両手を上げて降参をするウィリアムを咎めることなく、アルバートは足を組んでその上に繋いだ両手を乗せた。
茶の用意が出来るまでの数分間の戯れは、アルバートの気分をしかと上げてくれる。
ルイスの出迎えで苛立ちは収まり、ウィリアムとの遊びで気分が上向く。
ここまで来れば、アルバートの最低だった機嫌が最高になるまではあっという間である。

「お待たせしました、兄さん兄様」
「ありがとう、ルイス」
「手伝うよ」

手伝いを申し出たウィリアムがカップを用意している間に、ルイスは手際よくそれぞれのカップに飴色の香り高い紅茶を流し淹れる。
ほのかに見える湯気が今の気温を示しているようで、飲めばさぞかし暖かく喉が潤うのだろう。
同時に用意された皿には何も乗せないまま、ルイスはアルバートの向かいに座るウィリアムの隣に腰を下ろした。

「さぁ、答えを教えようか」

よく似ている顔で同じ表情を浮かべる弟達を見て、アルバートは愉快そうに紙袋から三つの箱を取り出した。
その顔がやけに楽しそうで、箱の中身よりも楽しそうにしている理由の方がよほど気になる。
けれどウィリアムもルイスもアルバートの気持ちを汲んで、視線を彼ではなく今まさに開けられようとしている箱へと移した。
ラッピングのリボンを丁寧に解き、そっと蓋を持ち上げる。
アルバートの行動をじっと見ていた弟達は、いざ見えてきたそれに赤い瞳を大きく丸くさせた。

「え、すごい…白い羽?」
「羽、の形をした…ガラス?」

思わず眼鏡の奥の瞳を何度も瞬かせつつ、ルイスは僅かに前のめりになって机の上のそれに釘付けになる。
同様にウィリアムも、美しい細工を施された真っ白い菓子に目を奪われた。
どちらもアルバートの手土産に心を惹かれているのは間違いなく、興味と関心をそそられたように観察している。
それに気を良くしたアルバートは大きく頷いてから、箱の中からそれを取り出しては皿の上に置いていった。

「美しいだろう?この白い羽は白鳥をモチーフにしているらしい」

直径10センチ程度の小さなケーキは、高さはおよそその倍ほどもある。
おそらくはバタークリームを塗りこんでいるのだろう全面には特徴的な細工がされていた。
ふわりと軽やかなそれが一面を覆い尽くしており、真っ白い色と合わせて神秘的かつ神聖な雰囲気すら漂わせている。
風一つで飛んでいきそうなほど繊細な細工のそれは、予想の通りに鳥の羽をモチーフにしているものだった。

「綺麗ですね…これほど美しい装飾がされている洋菓子、初めて目にしました」
「これは持ち運びに気を使うでしょうね。一枚一枚がとても繊細で、まるで本物の羽のようです」
「この羽はガラスではなく飴を加工したものだそうだよ。一枚ずつ形を作ってから飾り付けているから、もちろん食べることも可能だ」
「飴細工?この白い羽がですか?」

感動したようにケーキを見ているルイスとウィリアムに羽の素材を明かしてみれば、またも驚いたように目を見開く。
赤い瞳に白い羽が浮かぶ様子を間近で見たアルバートの機嫌はこの上なく良い。

「砂糖とともにミルクを加えて、透明感を残しつつも真っ白い飴で細工を作っているらしい。とても幻想的で美しいだろう?」
「はい、とても」
「芸術品のようですね」
「気に入ってくれたようで何よりだ」

言葉を出しながら全てのケーキを取り出し、三人の間には真っ白い羽をモチーフにしたそれが人数分だけ並ぶ。
室内だというのに、まるで小さな白鳥の繭がある外の世界のようだった。

「これがケーキだなんて…信じられませんね。食べるのが勿体無いくらいです」
「えぇ、本当に。観賞用としても映える作品です」

瞳を煌めかせながら羽に夢中な弟達の感情は分かりやすく喜びに満ちている。
未知のものを見た驚嘆と、美しいものを見た感動。
それをもたらしたのが己の兄であることを含め、今のウィリアムとルイスの気持ちはこの上ないほどに最高だった。

「素晴らしいお土産をありがとうございます、アルバート兄様」
「想像以上に驚きに満ちたサプライズでした。さすがアルバート兄さんですね」

しきりに羽を見ていた二人はようやく満足したようで、その顔を上げてアルバートに礼を言う。
表情はとても晴れやかで、それでいて歓喜に満ちていて美しい。
けれど兄の贔屓目が混ざっているのか、アルバートにはこれ以上ないくらいに可愛らしい笑顔に見える。

「二人が喜んでくれて、私も嬉しい」

可愛い笑顔に気持ちの明るい笑みを返す。
アルバートはこれが見たかったのだ。
自分の機嫌は自分で取るのがアルバートにとっての当たり前で、その方法の鍵になるのが唯一の家族である弟達だった。
ウィリアムとルイスが喜んでくれたらアルバートも嬉しい。
ウィリアムとルイスの気持ちが明るくなるのなら、アルバートの気持ちだって明るくなってしまう。
機嫌が悪いときには大事な弟達の笑顔が何よりの特効薬なのだと、二人の兄になったアルバートは知っているのだ。

「ありがとう、ウィリアム、ルイス」

だから二人に礼を言う。
薄暗くなってしまった重苦しい腹の底を明るく照らし、あっという間に軽くさせてしまった弟達に感謝は尽きないからだ。
二人の笑顔が見たい気持ちに偽りはないけれど、己の機嫌を保つための行動だと知ったら二人は呆れるだろうか。
きっと呆れるのではなく照れくさそうに笑うのだろうなと想像しながら、アルバートは少しだけ冷めてしまった紅茶のカップを手に取った。



(この綺麗な羽が食べられるだなんて信じられませんね。なんだか緊張します)
(大丈夫だよ、ルイス。ルイスにこのケーキはよく似合うよ。無垢なところがそっくりだ)
(ウィリアムの言う通りさ。緊張せず食べてごらん)
(…はい。ところで、あの洋菓子店にこんなケーキ置いていましたか?何度か行ったことはありますが、そのときには見かけなかったような…)
(あぁ、今回は事情があってね。店主にお願いして特別に作ってもらったんだよ。完成までに時間がかかったから帰りが遅くなってしまってね)
(なるほど、そうだったんですね)
(それにしても、遅い時間のティータイムというのも背徳感があって良いですね)
(何、明日は休日だ。三人揃って寝過ごしてしまえば良いさ)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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