ちまルイスのおはなし。


「よくやった!」
ヘルダーの作った秘薬で小さくなるルイス。

偶然手に入れた薬品を試行錯誤した結果、どうにも使いづらい秘薬が完成しました。
役に立ちそうもないので君に送るとします。
適当に使ってみてください、きっと面白いことになりますよ!
そんな内容の手紙とともに、透明の液体が入った小瓶がモラン宛に届いたのは今朝のことだ。
差出人はQことヘルダー、ある種の変人からだった。

「何だぁ?食べもん、じゃねぇみたいだが…」

タイプされた文章を最後まで読まず、モランは小瓶を手に取って軽く揺らしてみる。
多少なりとも粘度があるのか、とろりとした液体が瓶の中で静かに波打った。
名実ともに変人であるあの彼が送ってくるものだから、おかしな薬ではあるのだろう。
果たして薬効は何なのか、ひとまず手紙の続きに目を通そうと視線を落とす。

「やぁモラン、おはよう。いい天気だね」
「おはようございます」

そう挨拶しながらリビングに入ってきたのはよく似た兄弟だった。
そういえばルイスはこの小包をモランに届けた後、ウィリアムを起こしてくると言ってリビングを出たのだった。
体感時間からしてもさほど時間は経っていないようだし、ウィリアムとともにやってきてもおかしくはない。
顔を上げて挨拶を返せば、ウィリアムの興味がモランの手にある紙と瓶に移っているのが気配で分かった。
そういえば、何故ヘルダーはウィリアムではなく俺にこれを送ってきたのだろうか。

「何を持っているんだい?」
「ん?あぁ、ヘルダーから届いたんだ。何かの薬だってよ」
「薬、ですか?何故そんなものをモランさんに送ってきたんでしょう」
「さてな。役に立たないって書いてあるから、ただ単に嫌がらせかもしれねぇな」
「へぇ、どんな効果があるんだろう?」

ウィリアムとルイスがモランに近寄り、手紙をしっかり読もうとモランが手と目を動かした。
瞬間、手が滑ったのか手紙のうちの一枚がモランの手をすり抜けて床に落ちる。
それがルイスの足元に落ちて行ったのだから、当然ルイスは親切にも腰をかがめて手紙を取ろうとした。
不幸だったのは、モランも同様に足を進めて腰をかがめたことだろう。
すると思っていたよりも小瓶の蓋が緩かったらしく、モランが腰をかがめた瞬間に手の中の小瓶から液体が零れ出た。
零れ出た先はルイスの軽やかな金髪の上だった。

「え?」
「ん?あ」

頭からひやりとした感触を受け、ルイスが驚いたように顔を上げると、同じく驚いた顔をしたモランと目が合った。
モランは慌てて傾けていた小瓶の位置を正したが、中身はほとんどルイスの頭に流れてしまっていたらしい。
頭から感じる不快な感触に、ルイスは当然の主張だとばかりに彼を睨みつけた。
むっとしたように瞳を鋭くしたルイスに、モランは焦りながら謝罪しようとした、その瞬間。

「え、あっ」

ルイスが見る見るうちにその場から消えてしまった。

「ルイス!?」
「え、お、おい!」

消えてしまった、というのは語弊があった。
正しく言うならば、ルイスの身体が見る見るうちに縮んでしまった、ようだ。
ルイスがいた場所には彼が着ていたスーツが山になっており、その山に埋もれるように呆然とした目をモランに向ける、ルイスによく似た子どもがいた。
暗い金髪と赤褐色の瞳と、頬に付いた火傷跡がルイスであることの象徴のようだった。

「…え」
「…ルイス、かい?」
「に、にいさん…」
「おいおいおいおい…嘘だろヘルダー…」
「も、モランさん…」

慌てて駆け寄ったウィリアムに縋るような目を向けるその子どもを見て、ウィリアムは間違いなくルイスだと確信した。
傍にはサイズが合わずに落ちてしまった眼鏡もある。
ウィリアムはその丸い頬に触れて、幼い顔に驚愕と恐怖が宿ってはいるが疼痛や悪心がないことを確認する。
そして服に埋もれていたその体の上半身を見て、古い手術痕以外は何の異変もないことを己の目で見届け、ひとまずはルイスの全身状態に切迫した危険がないと考えた。
液体を被って身体が縮んでしまっている以上、危険ではないと安心できる状態ではないし、そもそも今この現状が既に危険ではあるのだが、それでもウィリアムは安堵したように息をつく。
兄の素早い状態把握に黙って従っていたルイスだが、大丈夫かいルイス、という優しい声に思わず安心してしまったのだから、相変わらずこの兄は凄い。
無条件にルイスを安心させる振る舞いには感服するばかりだ。
ルイスは大きな瞳を潤ませて兄の手に自分の手を重ねたのだが、その手も木の葉のように小さいことに絶望した。

「…モラン、ヘルダーからの手紙、僕に貸してくれるかな」

ルイスの手を握りしめ、そのまま幼い身体を服ごと抱き上げたウィリアムは、中腰のまま固まっていたモランににっこりと笑顔を向けた。
その笑顔が笑っていないことに気付かないほど、モランは鈍くない。
目の前で起こった非現実的な状況を理解することは諦めて、手に持っていた紙と床に落ちている紙の両方をウィリアムに手渡した。
ルイスの関わる案件ほどウィリアムの琴線に触れる事柄も少ないのだ。
これはさぞお怒りである。
まぁ大事すぎて囲いたいほどに愛しい弟の肉体に、とんでもない異変が起きたのだから仕方がない。
その原因がヘルダーであろうと、ルイスが縮んでしまった要因に一役買ったモランも相応の罰が待っているのだろう。
それを考えるとルイスへの申し訳なさよりも、己の明日が無事かどうかの方が気になってしまう。

「ふむ…」

ウィリアムが静かに手紙に目を通している間、モランはじっと彼の腕の中に居る幼いルイスらしき子どもを見た。
子どもにはあまり詳しくないが、精々五、六歳程度しかないだろう。
当然その身体も小さく、ちょろちょろと動き回ったらそれこそ踏み潰してしまいそうなほどである。
頭も小さく腕も細く、軽く力を込めたら簡単に折れてしまいそうだ。
ウィリアムはよく抱き上げられるな、俺なら殺しちまいそうで無理だ、なんてモランは考えた。
そうして、改めて怯えた顔をして兄を見上げるルイスの顔を見る。
何ともまぁ可愛らしい容姿をした子どもである。
ウィリアム含めて昔からルイスを知ってはいるが、これほど幼い姿はさすがにみることはなかった。
普段よりも大きい瞳と、さぞ弾力があるのだろう白い頬と白い手足は子どもらしく愛らしいのだろう。
これは稚児趣味のある成金に目を付けられたら厄介なことになるな、と至極どうでもいいことを考えて、これから先の恐怖からモランは目を背けることにした。

「…なるほど」
「にいさん、なにがかいてあるんですか!?」
「安心して、ルイス。身体が小さくなる以外に害はないらしい」
「ほ、ほんとうですか…!?」

険しい顔をして手紙を読んでいたウィリアムはようやく顔を上げてルイスに微笑んだ。
便箋三枚という少ない分量を、ウィリアムにしては考えられないほどの時間をかけて読んでいたことから、彼の本気度が簡単に窺い知れる。
推定五歳のルイスを片手で抱き上げ、もう片手で手紙を読むウィリアムは器用と言って良いだろう。

「何度か人体実験もして、ある程度の安全には信憑性があるらしい。そもそも体が若返る以外に影響はないようだよ。二、三日もすれば自然と元の体に戻れるみたいだから安心して良い」
「そ、そうなんですか…?」
「偶然手に入れた薬から作りだしたらしいけど、効能時間が短いから実践には向かないということで在庫処分のために送ってきたらしい。ヘルダーのことだから信頼は出来る」
「そう、ですね…ヘルダーがそうはんだんしたならしんらいできます」
「だから、あと三日もすれば元に戻るから安心して良いよ、ルイス」
「…はい」

ウィリアムが優しく微笑みかけ、ようやくルイスの顔から焦りと恐怖が取り除かれる。
自分の身に起こったことが言葉で説明できるのならきっと大丈夫だろう。
何より、ウィリアムの安心して良いという言葉が一番ルイスの心を救ってくれた。
だが、二人のやりとりを見て一番安心したのはモランだろう。
もしルイスの身にこれ以上の何かがあれば、正気を失ったウィリアムに確実に葬られていた。
いつでもこの命を差し出す覚悟はあるが、こんな間の抜けた最期は御免被りたい。
二人には気付かれないようそっと肩を楽にしたモランだが、ウィリアムに縋っていたルイスが精一杯目を吊り上げて文句を言ってきたことに再び肩を上げた。

「モランさん!なんでこんなあぶないもの、ぼくにかけるんですか!」
「わ、悪いルイス。蓋がちゃんと締まってなかったみたいでよ、わざとじゃないんだ」
「だいたいモランさんはひごろからちゅういりょくがたりないんです!そんなことではいつかあしもとをすくわれますよ!」
「いや、本当に悪かった」

きーきーと子ども特有の高い声で、恐らく本人はがなり立てているつもりなのだろうが、正直何の迫力もないから子猫がじゃれているようにしか見えない。
ウィリアムの腕の中で片手を振りかぶって喚くルイスに、せめて形だけでも殊勝な態度を見せなくては後が怖い、とモランはひたすら謝り続けた。
それでも怒りの収まらないルイスは頬を膨らませて怒っているのだが、パンのように膨らんだ頬がまた可愛いのだからあまり意味はないな、とウィリアムですらそう感じていた。

「まぁまぁルイス、そのくらいにしてあげて」
「でもにいさん!こんなすがたではにいさんにごめいわくをかけてしまいます!」
「大丈夫、気にしなくていいよ。それより、モラン」
「え゛…な、何だよウィリアム…」

怖くも何ともないルイスの怒りを宥めたウィリアムが、モランを見た。
正直、ものすごくこの場から逃げたいほどには恐ろしい。
モランは顔を引きつらせて整ったその顔を見たが、先ほどとは打って変わって本当に笑っている笑顔が目に入った。
気のせいなのかそうではないのか、うっすら頬が紅潮しているようにも見える。

「よくやったね!」
「…は?」

怒りを露わに片手を振りかざしていたルイスとは対照的に、健闘を讃えるといったふうに拳を振り上げたウィリアムに、モランは思わず目を見開いた。
見開いた目に入ったのは、幼いルイスの丸い頬に自分の頬をすり寄せるウィリアムの姿だった。

「ルイスの身体に害がないのなら、こんなにも愛らしい姿のルイスを見れたことに感謝するべきだ。ありがとう、モラン」

モランを見ずにルイスの目を覗き込むウィリアムの顔は興奮したように煌めいていた。
それはもう、あれだけ嫌っていた英国に居るというのに「この世は天国だ」とばかりに表情が緩んでいる。
よく分からないが褒められたらしいことにモランは困惑した。

「懐かしいな、確かに昔のルイスはこんなにも小さくて可愛らしかった」
「にいさん?」
「頬の傷や手術の跡が残っているから、若返りではなくただ肉体が今のまま幼くなったということなのかな。もしかしたら過去のルイスとは若干の違いがあるのかもしれないけど、これはこれで新鮮な気持ちになれるから良いかもしれないね」
「は、はぁ」
「ふふ、随分と手触りの良い肌だね。元のルイスもきめ細かい肌質だけど、正真正銘子どもの肌だとより一層すべすべしていて気持ちが良い」
「にいさん、くすぐったいです」
「あぁ、ごめんね。それにしても、幼い顔に似合わない火傷の跡に倒錯感を覚えるよ。でもそれがルイス本人の証であるかと思うと愛しくて堪らなくなる。ねぇルイス、痛みや疼きはないのかい?中身が元の君だと分かってはいても、幼い顔に痛々しい傷跡は見ていて心が痛むんだ」
「だいじょうぶです、にいさん」
「それは良かった。君が元に戻るまで僕が付き添うから、何も心配はいらないよ」
「にいさん、ありがとうございます。ごめいわくおかけしますが、よろしくおねがいします」
「迷惑ではないから安心して頼るといい。ルイスのことは僕が責任持って面倒を見たいんだ」
「はい!」
「…」

愛しさを隠すつもりのない蕩けきった顔をしてルイスを抱きしめ語り掛けるウィリアムを、モランは目の前で見る。
始めは戸惑っていた幼いルイスも雰囲気に流されたのか、最終的には嬉しそうにウィリアムに笑いかけていたのだから順応性が高い。
ルイスを溺愛しているウィリアムが幼い彼の姿を見て興奮している、という状況でまぁ間違いはないのだろう。
そしてそれを作りだしたためにモランはウィリアムに褒められたのだ。
何だそりゃ、とモランは目の前で仲良くじゃれ合う兄弟を見ることなく遠い目をした。

「あぁそうだ。モラン、アルバート兄さんに電報を打ってくれるかい?急ぎで出せば昼には届くだろう」
「電報?アルバートに何の用だ?」
「兄さんはこんなにも幼いルイスを見たことがないからね。せっかくの機会だから兄さんにも見てもらいたいんだ。昼に電報を見れば今日の夜にはこちらに来てもらえるだろう」

当然のように言ってのけたウィリアムにモランの口元は引きつった。
確かに弟二人を溺愛しているアルバートなら幼いルイスは勿論のこと、彼を抱きあげているウィリアムすらも嬉々として愛でるのだろう。
そして、あの男はまず間違いなく今晩中に帰ってくる。
弟たちのためなら山でも海でも越えてみせるのがアルバートという人間だ。
余裕を携えたモリアーティ家当主の顔を思い浮かべて、モランの顔はより引きつった。

「あと仕立て屋と写真屋にも連絡を頼むよ。僕はルイスに紅茶でも淹れてくるから」

いつまでもサイズの合わない服を纏わせるのではなく彼によく似合った服の用意と、時間制限のある状況を永遠に残すための写真の用意。
その両方をすぐさま思い浮かべるウィリアムの判断力はさすがである。
呆れたようにため息をつくモランを置いて、ルイスを抱き上げたウィリアムは楽しげにリビングを足早に出ていく。
その後ろ姿から少しだけ見えた幼いルイスの顔は、小さい果実のような唇に弧を描いて子どもらしく笑っていた。


(本当に今晩中に帰ってきやがったよこいつ)
(モラン大佐、よくやった!まさかあなたに感謝する日が来るとは露ほども想像したことがなかったから不思議な気持ちだが、さほど不快でもないことに驚くな)
(うるせーよ、ったく)
(それにしても、ヘルダーも妙な薬を開発したものだな。今となっては感謝しかないが。見てください大佐、ルイスがたどたどしく歩いている)
(だから何だよ)
(可愛い)
(だから何なんだよ!)
(ウィルの後を追って必死に歩くルイスと、ルイスに合わせてゆっくり歩くウィルの二人がセットで可愛い。この世は天国だな、素晴らしい)
(さっきからウィリアムと似たようなこと言って似たようなこと思ってんじゃねーよ…)
(しかし三日で戻ってしまうのか…元のルイスに会えないのは惜しいが、この愛らしい姿があと三日で見納めというのも勿体ないな。いっそこのまま私の手でルイスを育てていきたいのだが)
(おいやめろ、ルイスが可哀想だろ)
(この秘薬はヘルダーに貰ったんだったな。残りがないか確認してみるとするか)
(おまえ何に使う気だよ!)
(はっはっは、あなたには関係のないことですよ、モラン大佐)
(おい!)


のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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