手塩にかけた自慢の弟
子ども時代の三兄弟。
ルイスのために生きようと決めたウィリアムの話。
「弟ってそんなにいいものかな」
「え?」
のどかな気候のある日、アルバートとウィリアムはソファに向かい合って座っていた。
手元にはルイスが淹れた熱い紅茶とスコーンのセットが綺麗に置かれている。
その紅茶を一口飲み、思っていたよりも美味しいな、とアルバートはルイスの手腕を密かに評価する。
直接褒めようにも当の本人は庭の手入れをしてくると言い、今この場にはいないのだ。
そんなもの専門の業者を呼べばいいというのに、あの子どもは「少しでもお役に立ちたいんです」と言って張り切って出ていってしまった。
小柄な体格で懸命に執務に精を出す姿は庇護欲をそそられるし、単純に可愛いとも思う。
だがアルバートの目には、あの子の実兄であるウィリアムと名を変えたこの少年の愛は少々行き過ぎているようにも見えるのだ。
「僕の弟はあれだったからね。正直あいつには何の情も湧かなかったし、同じ血が流れていると考えると気分が悪い」
「そうでしょうね…あの人とアルバート兄さんは根本的な出来が違うでしょうから」
「あぁ。だから僕には弟を構う君の気持ちが分からない。あの子の何が君の琴線に触れるんだい?」
「うーん…中々答えにくい質問ですね」
アルバートの質問にウィリアムは苦笑することで返事をした。
考えをまとめるために弟が淹れた紅茶を口に含み、窓の方へと視線を移す。
目的の姿は窓から窺えないが、恐らく視界に入らないところで花の手入れをしているのだろう。
きっと手を土で汚して帰ってくるだろうから、一緒にシャワーを浴びて綺麗にしてあげるのもいいかもしれない。
でもまずは頑張って手入れしてくれたことを存分に労い、褒めてあげなければならないな。
ウィリアムはそう考えて少しだけ微笑むと、アルバートは理解できない、とばかりに息をついていた。
「確かに外見は十分に可愛らしいが、そこまで溺愛できるものだろうか」
「見た目だけの問題ではありませんよ」
「だとすれば内面か?確かに働き者でしっかりしていると思うが」
「内面もそうですが、それだけではありません」
「では心臓が弱く病弱だったところかい?」
「それは確かに心配でしたが、ルイスでなければ過度に心配することはないでしょうね」
「ふむ…それもそうか」
言い換えれば、ルイスだからこそあんなにも熱心に手術を望んでいたということだ。
ウィリアムの言葉に納得は出来ないが、やはり彼がルイスを特別に想っているのはアルバートの勘違いではなかったらしい。
自分の弟があれだったせいで、弟というものに良いイメージを覚えたことは一度もない。
アルバートの知る弟とは、狡猾で他者を顧みない自己愛と見栄を混ぜこんだ打算的な人間のことだ。
ウィリアムとルイスが嫌っている貴族という存在の、実に典型的な姿ばかりを見せてきた弟をアルバートは今でも嫌っている。
貴族らしからぬ自分が異端であることは重々理解しているが、それでも己の信念を曲げてまで生きるのは我慢ならなかった。
ウィリアムとルイスを拾い、目的を同じにした同士を得てようやく未来が開けてきた今を、アルバートはとても居心地良く思う。
「兄さんの弟だったあの人とルイス、比べるまでもないでしょう」
「僕もあいつとルイスを一緒にしているわけではないが、弟という存在を可愛がるという行為がどうにも理解出来ない」
「そうですね…言うなれば本能でしょうか」
「本能?」
「はい。弟だから可愛がるのではなく、弟がルイスだから可愛がりたいんです」
そう言って紅茶を飲んだウィリアムの顔を、アルバートはじっと見つめた。
何が違うというのだろうか。
結果としては同じ場所に帰結すると思うのだが。
アルバートの考えが分かっているかのように、ウィリアムは歌うように言葉を紡いだ。
「僕とルイスは気付いたときから二人で生きてきました。他の誰を頼るわけでもなく、お互いだけを支えにして二人きりで生きてきたんです。兄さんが知っているようにルイスは病弱で、すぐに体調を崩してしまいがちでした。そんなルイスを助けるのは、兄として当然の義務だと思うでしょうね。でも僕は、兄だということを除いても、ルイスならば自分を犠牲にしてでも助けたかった。ルイスがいなければ僕は独りでしたから。勿論、それはルイスも同じことです。お互いしかいない状況で、お互いを助け合うのは当然ですよね。でも僕は例え何を犠牲にしても、ルイスのために在りたかったんです」
「…どうして?」
「ルイスが僕の人生に意味をくれたから」
「意味?」
「ただ無価値に生きて英国に絶望していた僕と一緒に生きてくれたルイスが、僕とずっと一緒にいたいと言ってくれたんです。絶望しか見えないドブネズミみたいな生活でも、僕と一緒なら嬉しいと笑ってくれた。最下層の生活をしているのに驚くほど純粋で、無垢なまま僕を慕い成長しているルイスの存在が、どれほど僕を救ってくれたか分かりません。ルイスの無垢な笑顔が似合う世界はこんな汚らわしい場所じゃない。そう思ったとき、僕は今の英国をなくそうと決意しました。兄さんなら出来ると、僕も手伝いますとルイスが言ってくれたあのとき、ルイスが生きる世界を必ず美しい場所にすると決めたんです」
「へぇ…凄いね」
「僕だけを頼りにしてくれた可愛い弟のためなら苦でもありません。美しい英国をルイスと一緒に見ることが今の僕の夢であり目標です」
アルバートは目を見開きながら目の前のウィリアムを見た。
弟への行き過ぎた愛は、己の信念に伴うものだったのか。
何故ウィリアムが差別のない平等な社会を望むのかを考えれば、弟に満足な治療も受けさせることが出来なかった過去の経験ゆえなのだろう。
彼らの生きてきた過去を想像すれば、互いが固い絆で結ばれるというのもおのずと理解できる。
「自分の存在をただ喜んでくれて、好意を形にすれば同じように好意で応えてくれる。他の誰より僕を慕い支えてくれる人間がルイスであり、弟だったというだけの話です。アルバート兄さんはご存知ないのです。自分を無条件に肯定し求めてくれる存在は、それだけで嬉しいものなんですよ」
ルイスのためなら何でも出来る、と豪語したウィリアムに嘘はないのだろう。
そうしてアルバートは考える。
今まで生きてきて、自分の存在をただ喜び慕ってくれた人間など果たしていただろうか。
伯爵家長子、という欲目で見られたことしかないように思う。
アルバートは純粋に、いいな、と羨ましく思った。
何不自由ない生活を送ってきた自分より、この兄弟の方がよほど豊かな経験を得ているではないか。
「そうか…いいものだね、兄弟というものは」
「僕もルイスももうアルバート兄さんの弟ですよ。じきに僕の言っている言葉の意味が分かります。僕は兄さんの弟になれて嬉しいですから」
「ありがとう」
ウィリアムの言葉とはにかんだ表情にアルバートは癒される。
この二人が弟ならば、アルバートも少しは兄らしく振舞えるのだろうか。
自分のことを無条件に肯定してくれる存在に、三人揃ってなりえるのだろうか。
それはどこか気恥ずかしくて、でも期待に胸を震わせるほどに嬉しいと思う。
思わず緩んだ口元を引き締めるように、アルバートは優雅な笑みを浮かべて紅茶を啜った。
「それと、ルイスを可愛がりたい僕の気持ちはすぐ理解できると思います」
「え?どういう意味だい?」
「ルイスは生粋の末っ子気質なので」
「…んん?」
「今はまだ遠慮していますが、懐かれたらあっという間です。あの顔で好意を表現されると一溜まりもありませんからね」
「…よく意味が分からないけど、ルイスが僕に懐いてくれるには時間がかかりそうだから大分先の話かな」
「いえ、もうすぐですよ。今はただ時期を見計らっているだけです」
「そうなのかい?」
「えぇ。愛されたがりな子ですから、兄さんのお気に召すと良いのですが」
「へぇ。まぁ、楽しみにしているよ」
「はい。普段は控えめですが存分に懐いたルイスは可愛いので、覚悟しておいてくださいね」
ウィリアムの言葉の意味が分かるのは、その通りルイスが存分にアルバートに懐いた直後のことである。
なるほど、これは可愛がらずにはいられない、と神妙な顔をしてルイスの頭を撫でるアルバートを見てウィリアムは誇らしげに、そうでしょう、と頷くのだった。
(兄様、こちら兄様のお口に合うでしょうか?)
(あぁ、美味しいよ。随分と腕を上げたね、ルイス)
(兄様は学業や当主としてお忙しい身ですから、少しでも美味しく栄養を採っていただきたいんです。お口に合ったのなら良かった)
(そうか。ありがとう、嬉しいよ)
(僕こそ喜んでいただけて嬉しいです。兄様、いつもありがとうございます。無理はしないでくださいね)
(…)
(兄様?どうされました?)
(いや…弟に癒されるという経験にあまり馴染みがなくてね…ありがとうルイス)
(はぁ…)
(ウィルもありがとう。君が言っていた通り、控えめながらも全力で慕ってくれる姿は確かに可愛いな)
(経験を持ってして理解してくださったのなら何よりです)
(今のルイスがあるのは君のおかげだ、感謝する)
(ふふ、手塩にかけた自慢の弟ですからね)
(アルバート兄様?ウィリアム兄さん?)
((あぁ何でもないよ、ルイス))
(…なら良いのですが)
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