弟達なら大歓迎


子ども時代の三兄弟。
低体温のルイスを温める兄二人。
ルイスは心臓完治しても循環が悪いと思う。



自分のものより幾分か小さな手に触れたとき、思いのほかひんやり冷たいことにアルバートは少しだけ目を見開いた。
目の前には幼い弟が普段と変わりない顔色をして立っている。
子どもといえば大人よりも体温が高いと認識していたのだが、アルバートの記憶違いだっただろうか。
対するルイスは預かっていた書類を渡した手を取られ、じっと自分を見詰めるアルバートの様子に戸惑いながら声をかけた。

「兄様?お預かりしていた書類、間違っていましたか?」
「ん、あぁ、大丈夫だよ。これで合っている」
「そうですか」

ルイスの問いかけに笑みを返してその手を開放する。
アルバートの手には未だひやりとした感触が残るが、当のルイスは普段と何ら変わりないように見えた。
単なる気のせいか、それとも水仕事でも終えた後だったのかもしれない。
そう考えなおしたアルバートは持たせた書類を確認するため、意識を集中して文字の羅列を追って行った。
ルイスの手が冷たいことは何度かあったが、気にならない程度には温かいことも同じくらいあった。
だからアルバートも深く考えてはいなかったし、大したことではないのだろうと気楽に構えていた。
だがその考えが甘かったこと、そしてもっと気にかけていれば良かったのだとアルバートは後悔する。

「ルイス、今日は何だか顔色が悪いね?」
「え?そ、うでしょうか?」
「今日は少し冷えるし、もしかして寒いのかい?」
「あ…そう、かもしれません」
「やっぱり。待っていて、暖炉に薪をくべてあげよう」
「い、いいんです兄様!大丈夫です!」

ウィリアムが所要で一人出掛けているときに、アルバートはルイスの様子がどこか違うことに気が付いた。
普段は薄く色付いている頬が真っ白く、唇も何となく青みがかっているように見える。
何より、酷く疲れているような、普段は見せない倦怠感を滲ませてアルバートの傍に立っているのだ。
兄に心配されることを嫌うルイスは限界まで我慢するタイプであり、自分を隠すのが兄弟の中でも群を抜いて上手い。
きっと今でも自分の中にたくさんの感情を隠して生きているのだろう。
そんなルイスを寂しげに見るウィリアムを何度となく見てきたし、「アルバート兄様」と呼ばれ慕われるようになったアルバートもルイスの張り付けた表情を残念に思うようになった。
それでもルイスは自分から弱音を吐かない。
弱音を吐くことが迷惑になると考えているからだ。
隠すことばかり上手くなってしまった幼い弟を、アルバートとウィリアムは何より残念に思っている。
だが、今のルイスは隠そうにも隠せていない倦怠感を滲ませているのだ。
気にならないはずもない。

「いいから大人しく座っていなさい。すぐに温かくなるよ」
「に、兄様…」
「ん…?」

アルバートは抵抗するルイスをソファに座らせようと細い肩を支える。
そして薄いシャツ越しに触れた肩が、まるでガラスのように冷えていることに気が付いた。
起きてからずっと屋敷内にいたはずのルイスが、冷え切った外を上着もなく出歩いてきたような体温をしている。
アルバートは瞬時に眉を寄せ、そのまま手を滑らせて小さな両手を自分のそれで包み込んだ。
形の良い手が冷え切っていて、愛らしい容姿と相まって精巧に作られたビスクドールのようだった。

「ルイス、どうして君はこんなに冷えているんだ?」
「あ、あの…」
「まるで氷のようじゃないか。顔色が悪いと思っていたけど、それも仕方がないほどに冷たい。体調が良くないのかい?」
「そ、うじゃなくて…僕…」
「ルイス!」
「あ、兄さん…」
「ウィリアム?」
「アルバート兄さん、ただいま帰りました」

適温のはずの室内で冷え切ったルイスの手を握っていたアルバートの元に、出かけていたウィリアムが帰ってきた。
随分早かったな、とアルバートが疑問に思う暇もなくウィリアムが近寄ってくる。
正しく言うならば、アルバートに近寄ったのではなくルイスに近寄ったのだが。

「遅くなったね、ルイス。体は大丈夫かい?」
「大丈夫です、兄さん。少し、寒いだけで」
「そう。今日はまた随分と冷えてしまっているね」

見慣れた笑みを浮かべてアルバートの手からルイスを受け止め、ウィリアムは唯一の弟をぎゅうと抱きしめた。
アルバートには遠慮が見えたルイスも、ウィリアムへは甘えるようにその肩に頭を乗せて深く息をする。
冷え切っていた手をウィリアムの背に回すことはなく、自分と兄の体の間に挟んで温めている様子が僅かに見えた。
ルイスの背をゆっくりと撫で自分の体温を分け与えるように抱きしめるウィリアムを見て、アルバートは愛する弟たちの可愛い抱擁を見ながら思考を巡らせる。
先ほどの会話と冷え切ったルイスの体を考えるに、ウィリアムはルイスの低体温の理由について理解しているのだろう。
ならばルイス本人に聞くよりもウィリアムに聞いた方がよほど早い。

「ウィル、何故ルイスがこんなにも冷えているのか聞いてもいいかい?」
「はい、勿論」

ルイスを抱きしめる腕は緩めず、ウィリアムは腕の中の弟ごとソファに座り込んだ。
それに倣うようにアルバートも向かいのソファに浅く腰掛ける。
ふと前を見れば、ルイスはウィリアムの足の間に横座りしている様子が目に入った。
ウィリアムの首に顔を埋めて暖を取るルイスの仕草は幼くて愛らしい。
そんなルイスの背をウィリアムは片腕で抱きしめ、冷えたその両手を温めるべくもう片手で覆いこむ。
器用なその様子に慣れた動作なのだろうということは容易に想像がついた。

「ルイスは心臓が弱かったせいか、循環動態が上手く機能していないのです」

ルイスを抱きしめたウィリアムは、アルバートに視線を向けてそう言った。
いつも通り涼やかなその眼差しは、兄らしい思慕に満ちている。

「治療を受ける以前より良くなっていますが、それでも体温を維持するのはまだ難しいようです。気付くとすぐに手が冷えてしまう。それだけなら良いのですが、その状態が続いてしまうと次第に全身が冷えてしまうんですよ」
「なるほど…動いて体温をあげようにも、手術後の心臓に負担をかけるわけにもいかないな」
「えぇ。だから外部から温める以外に方法がないんです。お伝えするのが遅くなってしまいすみません」
「申し訳ありません、兄様…ご心配、おかけしたくなくて」
「ルイス…」

体温が低くなればその分だけ体力を持っていかれる。
小柄なルイスならばすぐに体温が下がり、体力も落ちてしまうだろう。
自分で体温を上げることができない以上、衣服を着るなり暖房を効かすなり外部からの介入は不可欠だ。
やはり早く暖炉に薪をくべておくべきだったか、とアルバートはウィリアムの腕の中で暖を取るルイスを見て申し訳なく思う。
心配などいくらかけてくれても良いのに、末の弟はまだ遠慮ばかりしている。
いや、これはもうルイスの性分なのだろう。
アルバートは少しばかりの苦笑を浮かべ、腰を上げて暖炉へと向かって行った。

「に、兄様!暖炉を使っては兄様が暑くなってしまいます!僕はもう大丈夫なので…!」
「あぁ、だから今まで暖炉を使わなかったのか。僕に怪しまれるから服も必要以上に着てこなかったんだね」
「ぅ…」
「ルイス、僕は君の兄で、君は僕の弟だろう?心配も迷惑もいくらだってかけてくれて構わないんだよ。弟の心配が出来るのは兄の特権、だったな?ウィリアム」
「えぇ。ルイス、今回は兄さんが正しいよ。だから早く伝えておくべきだと言ったのに」
「…ごめんなさい」

ウィリアムに抱かれて幾分か温まったのか、先ほどよりも血色の良い顔が上目にアルバートを見る。
その顔色を見て、今から暖炉をつけてもルイスが温まった後になるだろうし暑くなるだけか、とアルバートは思い直し、ウィリアムの隣に腰を下ろした。
そしてウィリアムの手に覆われていたルイスの手を取り、自らの頬に寄せていく。
まだ冷えてはいるが、先ほどより大分温まった指先に優しくキスをした。
ぴくん、と震える小さな爪先はどうにも庇護欲をそそられる。
幼いながらも懸命に兄を庇う姿を見て、可愛いな、と素直にそう思った。

「兄様?」
「僕も気付くのが遅くなってしまったことは詫びよう。これからはウィルだけじゃなく、僕も頼ってくれて構わない」
「で、でも…」
「ルイス、せっかくのアルバート兄さんの好意を無碍にするのかい?」
「そういう訳ではないのですが、でも」
「何か不満でもあるのかな?」
「…兄様、お忙しいのに」
「ルイスを温めるくらい、大した時間はかからないだろう?抱きしめたままでも勉強はできるしね」
「そうですね。ルイスに教えながらの方が捗ることもありますから」
「…いいんですか?」
「いいよ、ルイスなら大歓迎だ」

勿論ウィルも歓迎するよ、とアルバートは弟二人を抱きしめる。
一人は温かく、もう一人は少しだけひんやりとした体温の弟を愛でるのは、今まで満たされなかった兄としての自尊心が満たされるような心地がした。


(ウィルがルイスを頻繁に抱きしめていたのはちゃんと理由があったんだね)
(えぇ。ルイスは我慢しがちなので、自分から知らせることが少なくて)
(え?でも兄さん、僕が冷えてなくても抱きしめますよね?)
(うん。抱き心地がいいからね、ルイスは。抱きしめてると癒される)
(ほう、それは興味深いね。どれ、ルイスおいで。僕にも確かめさせてくれるかな)
(あ、はい。…兄様、温かいです)
(ルイスに比べたらそりゃあね。なるほど、確かに腕に馴染むな)
(そうでしょう?抱きしめられて嬉しそうに笑うルイスも可愛いですよね)
(兄さん、可愛いって言わないでください…)
(照れているルイスも可愛いな)
(兄様まで!)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

0コメント

  • 1000 / 1000