秘密のお茶会


221年B組設定パロのウィルイス。
ルイスが「ウィリアム兄さん先生」と呼ぶまでの話。

英国でも有数の名門進学校であるこの学園で、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティは若くして学年主任および数学の授業を一手に引き受けている。
広大な敷地面積にも関わらず通う生徒数はどの学年も絞られているため、全学年の数学授業を担当するのは負担ではない。
そう言ったウィリアムの申告と生徒から評判の良い授業、目に見えた全国区での成績アップにより生徒の両親からも熱く信頼されているため、この学園ではウィリアムだけが数学を専門に教えていた。
物腰の良いウィリアムを好意的に思う同僚も多いため、万一のときは他校の数学教師を派遣することで学園管理者からも同意を得ている。
ゆえにこの数学準備室もウィリアム一人が使うことの出来る、自宅に次ぐ第二の城となっていた。
一見して小難しそうな題名の書籍がいくつも並んでいるかと思いきや、数学問とは関係なさそうな幅広いジャンルの本も無造作に置かれている。
本で埋め尽くされていても鬱々とした雰囲気はなく、気に入ったもので囲まれているこの空間で寛ぐことをウィリアムは気に入っていた。
ケトルとポット、気に入った紅茶の茶葉と茶菓子があるのだから、いつでもすきなときにお茶会を楽しめるところもポイントが高い。
棚には清潔に仕舞われた揃いのマグカップが二つ並んでいた。
授業を終えたばかりで喉が渇いているけれど、ウィリアムは特に湯を沸かすでもなく椅子に腰かけて教科書を眺めている。
先ほどの授業でどこか分かりづらい解説をしていなかっただろうかと、簡単に記憶を振り返る。
熱心に聞いてくれる生徒とそうでない生徒の顔を思い浮かべ、次の授業ではもう少し詳しく教えてあげるべきだろうかと考えていたところで、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

「はい?」
「ウィリアム兄さん、指示された課題プリントを集めてきました」
「ありがとう、ルイス君。中にどうぞ」
「はい」

紙の束を持ちながら準備室の中に入ってきたのは、唯一ウィリアムを兄と呼ぶ221年B組のルイス・ジェームズ・モリアーティだった。
唯一の弟なのだから、その呼称に間違いがあるわけではない。
だがウィリアムは少しばかり苦笑しながら、自分に近づく彼の手を引いた。

「でも、学園内では兄さんではなく先生と呼ぼうね」
「…はい」

腕を引いたことで距離が近づいた実の弟に、ウィリアムは優しく教え込むように忠告をする。
その手の中にある数学のプリントには目もくれていない。
ウィリアムの忠告に、しまった、とばかりにルイスは目を泳がせるが、ほとんど無意識にそう呼んでしまうのだから今更直すことは難しかった。
困ったように眉を下げて反省する弟の姿を見て、ウィリアムは腰を上げて来客用のソファ席に彼を連れて行く。

「座っていて。今、紅茶を淹れてあげるから」
「あ、僕が淹れます!」
「いいよ、ルイス君は座っておいで。君ほど美味しくは淹れられないけど、今の君はここではお客様なんだから」
「は、はぁ…」

自宅では家事の一切をルイスが引き受けており、そもそもこの準備室に常備されている茶葉はルイス自らがブレンドしたものだ。
茶菓子もルイスが選んだ中でウィリアムが特に気に入ったものを置いてある。
自宅と同じくらいに寛げるように、とルイスが気を遣って用意してくれたものだが、これが何とも不思議なことに、一人では飲む気にも食べる気にもなれないのだ。
ほぼ毎日この準備室を訪ねてくれるルイスがいるから飲んでいるようなもので、他の生徒や同僚が来たときには冷蔵庫に置かれているペットボトルのお茶を出している始末だ。
おかげで紅茶を淹れる腕前にはあまり成長が見られないが、それでも喜んで飲んでくれる可愛い生徒であり弟でもある彼のため、ウィリアムはルイスが訪ねてくれたときには自発的に紅茶を淹れるようにしている。

「そろそろ良いかな…はい、どうぞ」
「ありがとうございます、に…先生」
「ふふ。ルイス君の口に合うと良いんだけど」

しっかりとカップを温め、ルイスが持ちこんでくれた三分計の砂時計で時間を計りながら蒸らした紅茶はまずまずの香りだった。
個包装されていたチョコレート菓子とともに差し出せば、ふわりと綻んだように笑う弟が目に入る。
つい先ほどの忠告を思い出したように言い直す呼称がくすぐったくて可愛らしかった。

「美味しいです」
「本当かい?ありがとう」
「はい。先生が淹れてくださる紅茶は随分と美味しくなりました」
「ルイス君に色々コツを教えてもらったからね」

学園と家庭の区別はきちんと付けるのが当然とばかりに、ウィリアムはこの学園でのルイスを弟ではなく生徒として扱っている。
その生徒にお茶の準備をさせるわけにはいかないと、自宅で目にしたルイスの見よう見まねで紅茶を淹れていたのだが、初めは随分と酷いものだった。
香りが立たない薄いだけの茶もあれば、香りも色も十分に付きすぎて渋いだけの茶もあった。
申し訳なさそうに紅茶を出すウィリアムをくすくす笑いながら、それでも美味しいと言って飲んでくれるルイスがいたからこそ、ウィリアムの腕前は僅かなりにも上達したのだ。
ルイスがほっと息をついて飲んでくれたのを見届けてから、ウィリアムもついでに淹れた自分の紅茶を一口飲む。
香り高い茶葉の風味が鼻を抜けて、確かにこれはこれで及第点だろう。
初めてのときよりは成長を感じるし、慣れ親しんだ好みの茶葉がよく感じられる。
だが、何度淹れても口に馴染む味がしないのはどうしてだろうか。

「ふむ…ルイス君が淹れてくれた紅茶とはやっぱり味が違うね」
「そうですか?僕はに…先生が淹れてくれた紅茶が一番すきですが」
「君が淹れてくれた紅茶の方が私のものより柔らかい味がする」

ルイスが家で淹れてくれる紅茶はもっと優しい味がしていると、ウィリアムは素直にそう思う。
どんなに真似て淹れてみてもやはり違いは明確で、ウィリアムが淹れたこの紅茶は少しばかり味が尖っているように感じられた。
淹れ続けていれば段々と味が近付いていくのだろうかと、もう一口紅茶を飲んでみては僅かばかりに首を傾げる。

「先生は僕が淹れた紅茶の方がお好みですか?」
「そうだね。自分で淹れるよりも、君が淹れてくれたものの方が美味しい」
「僕は先生が淹れた紅茶の方がすきですよ」
「ありがとう」

向かいで嬉しそうに微笑んでいるルイスの顔には偽りなどなく、本心からウィリアムの紅茶を気に入っているのだとよく伝わってくる。
他人の機微に鋭いウィリアムがそれを間違うはずもないし、まして相手は生まれたときからずっと傍にいる弟なのだ。
ルイスのことを間違う自分ではないと、ウィリアムは安心して彼の言葉を聞くことが出来た。
きっとどれだけ紅茶を淹れても、ウィリアムが自分好みの紅茶を自ら淹れることは出来ないのだろう。
ルイスが淹れてくれるからこそ、ウィリアム好みの味が完成するのだから。
ウィリアムが淹れる紅茶は自分のためではなく、ただ一人の弟のためだけに在ればそれでいい。

「ルイス君が気に入ってくれているなら良かった。君以外に淹れる相手はいないからね」
「え?でもここには他にも生徒が来ていますよね?…先生、人気ですし」
「来ることは来るけどね」

人気ですし、の言葉に棘を乗せて拗ねるルイスが幼く見えて、まだまだ兄離れできていないんだなと実感してしまう。
兄離れなど絶対に許しはしないけれど、要所要所で心地よいほど矜持を保つように見せてくれる嫉妬心がウィリアムには嬉しかった。

「私が紅茶を淹れるのは君だけですよ、ルイス君」
「そ、うなんですか?」
「他の生徒には失礼ながらボトルの飲み物をそのまま出しているだけなので。カップを洗うのも手間なので紙コップを使っています」
「…通りで」

使われたことのない紙コップが常備されていると思った、とルイスは目を見開いて棚を見る。
減ってはいるから使っているのだろうと推察していたが、自分がいるときには一度も使われたことがないのは何故だろうかと疑問に思っていたのだ。
他の生徒には紙コップにペットボトルのお茶で、ルイスには専用のカップに気に入っている紅茶。
学園と家庭を区別しているウィリアムにとっては破格の特別扱いだろう。
ウィリアムが自分を学園内では弟として扱っていないことはよく知っている。
それを冷たいなどと思うはずもなく、生徒への平等な振る舞いがむしろ誇らしくさえあった。
けれど、初めて知ったウィリアムの特別が嬉しくないはずもなく、ルイスは思わず頬を赤くしてカップを持つ指先に力を入れた。
ただ純粋に弟として、尊敬する兄の特別な気遣いを嬉しく思うのだ。
そんなルイスのまだまだ子どもらしい独占欲を垣間見て、ウィリアムは優雅に微笑んでは言葉を続ける。

「残念ながら先生が紅茶を淹れるのはこの数学準備室だけです。家では君が淹れてくれますからね。だからルイス君が私の淹れる紅茶を気に入ってくれているのは嬉しいですよ」
「は、はい」
「君には申し訳ないけれど私が家で紅茶を淹れることは今後もないので、この味はここだけの秘密ですね」
「…そうですね、僕と先生だけの秘密です」
「ふふ。今日、帰ったら君の淹れる紅茶を楽しみにしていますよ」
「はい」

こくり、ともう一口紅茶を飲んでからウィリアムは時計を見る。
もうそろそろ長めに取られている中間休みも終わるだろう。
秘密のお茶会を楽しみたい気持ちはあるが、学生の本分である授業をサボらせるわけにはいかない。
嬉しそうに紅茶を飲んでいる生徒であり弟でもある彼を見て、ウィリアムはルイスがやってきた本来の目的である数学のプリントをようやく手に取った。

「持って来てくれてありがとうございました。さぁ、次の授業に遅刻しないようそろそろ教室に戻りなさい」
「分かりました。先生、ご馳走様です」
「いいえ、こちらこそ付き合ってくれてありがとう」

ルイスも本来の性分なのか、まだここに居たいと粘る様子もなくすぐにソファから腰をあげた。
元が真面目な彼のことだから、授業をサボってしまうと自分への不利益がある以上に学年主任でもあるウィリアムに迷惑をかけてしまう、とでも考えているのだろう。
二つ置かれたカップを机に残し、ドアの方へ向かうルイスにウィリアムも付いていく。
そうしてルイスがドアに手をかけたとき、その手を抑えるようにウィリアムが後ろから手を伸ばして耳元で囁いた。

「家では存分に兄さんと呼んでいいからね、ルイス」

丁寧さを崩し兄本来の口調で伝えられた言葉に続けて、後ろ髪に何かが触れる感覚がした。
ここではない場所で何度も感じたそれは、おそらく髪に落とされたキスで違いないだろう。
まさかと思い、ルイスは驚いたように後ろを振り返ったが、そこには普段と変わらず「先生」の顔をしているウィリアムしかいなかった。
気のせいではない、絶対にその唇で自分の髪に触れたはずだ。
そう確信してはいるが、目の前の彼は兄ではなく先生としてのウィリアムだった。
戸惑いを顔に乗せているルイスを見て微笑みながら、授業頑張ってきてくださいね、とウィリアムは言う。
そんな彼の様子を見てルイスはようやく気が付いた。
切り替えが早いウィリアムのこと、あの一瞬以外はもう「先生」としての役割を全うしているのだろう。
ならば自分も弟ではなく、あくまでも「生徒」らしく返すべきだ。
そう判断したルイスは、頑張ってきます、と浮き足立つ心のままに自分が所属する教室へと足を向けて歩いて行った。

「…あのくらいは許されてほしいものだけど」

少しばかり特別扱いが過ぎるかな、とウィリアムが悩みながら数学準備室の中へ戻ったことを、ルイスは知らないままだった。



(ウィリアム兄さん…先生!)
(…ルイス君?)
(ウィリアム兄さん先生。これなら先生と呼んでいますし、問題はないでしょう?)
(ど、どうでしょうね)
(…駄目ですか…?どうしても兄さんと呼んでしまうので、それなら後から先生と付ければ確実だと思ったのですが…)
(…いえ、構いませんよ。ルイス君が呼びやすいならその呼び方でいいでしょう)
(ありがとうございます、ウィリアム兄さん先生!)
(気を付けられるよう工夫出来て偉いですね、ルイス君)
(はい!)

(ふぅ…)
(ゴテゴテで不自然な呼び方を許容するなんて甘いんじゃねーの、リアム先生)
(おやいたんですか、ホームズ君)
(気付いてたくせによく言うぜ。ほらよ、課題のプリント)
(はい、確かに。もう遅れての提出はいけませんよ)
(分かったよ。…それにしても先生、あんたみたいな完璧を絵に描いた人でも血の繋がった弟には弱いんだな)
(そうでしょうか?特別扱いしているつもりはありませんよ)
(よく言うぜ、ったく…)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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