名探偵は今日も明日も空回る
221年B組設定パロのシャロジョン。
くっついてない青春のシャロ→ジョンを見守るウィリアム先生。
「ジョン君、もう授業終わったよ!そろそろ起きなさい!」
「ん、んん~…」
「もう!」
「どうしました?ハドソンさん」
「あ、先生!」
一日の締めくくりでもあるホームルームのためにウィリアムが221年B組の中に入ると、ハドソンが一人騒いでいるのが目に入った。
全ての授業を終えた時間にもなれば気分が高揚するのも無理ないが、それにしてはやけに苛立った様子である。
ウィリアムが声をかければ、困ったように眉を下げていた彼女の顔がすぐさま明るくなった。
「それが、ジョン君さっきの授業から眠ってしまってちっとも起きないんです」
「…よくもまぁレンフィールド先生の授業を寝て過ごせますね」
「本当に!レンフィールド先生も呆れて放っておかれてしまったの。ジョン君、よっぽど疲れてるのかしら」
「確かに起きる気配はないですね…仕方ありません、ホームルームの時間は見逃してあげましょうか」
「さすが先生!」
自分のことではないはずなのに、ほっとしたように肩を楽にした彼女は心根が優しい。
きっと先ほどの授業でも、何とかワトソンを起こそうと思考錯誤したに違いない。
それでもやはり起きなくて、せめて担任のウィリアムがいるホームルームでは起きるべきだと、あの手この手で起こそうとしていたらしい。
頬を抓り、髪を引っ張り、耳元で大きな声で叫ぶというのも、容赦ないハドソンなりの優しさなのだ。
そんな彼女の優しさに触れてもワトソンが一向に起きないというのは、よほど疲れている証拠だろう。
もう授業は終わってしまったことだし、今日はもう大目に見てあげるべきだと考えたウィリアムは、彼の昼寝を見過ごすことにした。
ウィリアムの言葉に安心したハドソンは、その手に掴んでいたワトソンの薄茶色の髪を勢いよく離してくれる。
その勢いで髪が数本抜け落ちていたのには気付かないふりをして、ワトソン君が剥げていなければいいけれど、とウィリアムはひそかに心配しながら明日以降の予定について簡単に話していった。
「先生、ジョン君まだ起きません」
「まだ起きそうにないですね…後で先生が起こしに来るので、みんなはもう帰っていいですよ」
「分かりました」
ホームルームを終え、生徒がまばらになった教室でもワトソンは深い眠りに就いていた。
ハドソンがあれだけ必死に起こそうとしても起きなかったのだから、今更誰が何をしても彼が起きることはないだろう。
ならば時間が経って自然に目覚めるのを待つ方が間違いがない。
ふとワトソンの隣の席に目をやるが、その座席の主であるホームズは当然のように座っていなかった。
「先生、どこへ行かれるんですか?」
「ちょっと教室の見回りをしてきます。そろそろワトソン君が起きている頃でしょう」
「分かりました、お気をつけて」
「留守番よろしくね、ルイス君」
「はい」
数学準備室で生徒の一人であるルイスの数学を見てあげていたウィリアムは、切りの良いところで休憩と称してワトソン一人残してきた教室に向かって行った。
ホームルームが終わってもう一時間ほど経っている。
まだ部活動をしている生徒もいるが、さすがにそろそろ起こして帰宅を促すべきだろう。
そう考えて221年B組の教室の扉に手をかけたとき、ふと中に複数の人間の気配があることに気が付いた。
他の生徒は皆帰したし、そうでない者は部活や委員会で教室に残る用事はないはずだ。
少しばかり眉を顰めてそっとドアを開けて中を伺うと、そこには黒髪で長身の生徒が立っていた。
「(…ホームズ君?それと、ワトソン君…)」
机に突っ伏しているワトソンは未だ夢の中にいるようだった。
そんな彼をただ静かに見下ろしているホームズの表情はウィリアムからは窺い知れない。
けれど彼の広い背中がウィリアムの視界に映り、何とも穏やかな空気が全ての疑問を解消してくれた。
伸ばされた手がワトソンの薄茶色の髪に伸ばされて、表面だけを撫でるように動かされる。
それ以上の何をするでもなく、何を言うでもなく、ただ淡く髪を撫でるだけの行為が彼の想いの深さを物語っているのだ。
いつも優しく人の良さを前面に感じさせるワトソンに対し、ホームズがかなり気を許していることは気付いていた。
誰にでも馴れ馴れしいホームズが、ワトソンにだけは強引なまでの我を通しているのだから一目瞭然だ。
ワトソンが「しょうがないな、シャーロックは」と許してくれるギリギリを常に探しているかのように、敢えて我がままを言って押し通す。
それでいて、彼の尊敬の眼差しを一身に受けようと頑張っているのだから青春そのものだな、とウィリアムは教師として微笑ましく思っていたのだ。
そう考えていたところの、これだ。
強引を押し通すホームズがこんなにも秘密裏にワトソンを慈しむところは初めて見た。
普段の素行からさぞ荒々しい表現をするのかと思いきや、存外穏やかで静かな優しさに満ちている。
「(…人は見かけによらない、と言いますか…いや、ホームズ君の行動を変えているワトソン君を讃えるべきかな)」
音を立てずに扉に凭れたウィリアムは愉快そうに息をついては腕を組んだ。
なるほど、二人の春はまだまだこれからやってくるらしい。
ホームズは当に自覚して子ども染みたアプローチをしているようだが、肝心のワトソンが鈍いのだからしばらく春は遠いだろう。
これは今後が楽しみだ。
そう考えたウィリアムは美しく口角をあげて、わざと靴音を立てて存在をアピールしてから教室の中に入っていった。
そんな場面を見たのが、春が終わって夏になる前だっただろうか。
思えばあの真面目なワトソンが、一日の最後の授業とはいえ深い眠りに就くなど珍しいことだった。
あれからも極たまに放課後近くに寝入っては起きず、ハドソンの過激な優しさにより髪の毛を数本無駄にしていたが、今になってようやくその理由が形となって現れた。
文芸部に所属する彼が書き上げたという小説が一冊の本として完成したのだ。
愛する生徒の書いた作品とあらば担任であるウィリアムが読まないはずもない。
元々速読に長けたウィリアムのため、一晩で数十ページにも及ぶワトソンの処女作を読み上げた。
読み上げた感想としては、以下の通りである。
「…ホームズ君、これだけ持ち上げられて尊敬されているというのに、君も報われませんね」
「な、何だよいきなり…」
「君の活躍をたくさんの人に知ってもらいたい、というワトソン君の純粋な気持ちに付け込むような真似をしていないことは評価しましょう。ですが、もっと他にもやり方があるのでは?」
「だから何の話だよ!」
「君の頭脳および推理力には感心します。でもこういった分野においてはまだまだ空回っていると言う他ありませんね」
「…リアム先生、おまえまさか…」
「おや、噂をすればワトソン君」
ワトソンの処女作である「緋色の研究」を手に、ウィリアムは学園に来ておりながら教室ではなく屋上に向かおうとしていたホームズを見つけてそのまま教室に連行した。
道すがら抵抗するホームズに話しかければ、ウィリアムの手にある本と言葉の内容で察しの良い彼はさっと顔色を青から赤へ、そしてまた青に変えていく。
ウィリアムがワトソンの本に抱いた感想といえば、文章の素晴らしさに感銘するよりもモデルとされている主人公の空回り具合が気の毒でならない、の一言に尽きる。
ホームズが類い稀なる推理力を持ってして、学園だけでなく街中で起こる謎を探偵として解明していることはウィリアムの耳にも届いているし、その相棒としてワトソンを連れ回していることも知っている。
「凄いじゃないか、シャーロック!」とその推理力に感動しているワトソンと、照れくさそうに賞賛を受け入れるホームズの姿も何度か見てきた。
ホームズが謎を解くのは探偵としての性なのだろうが、わざわざワトソンを連れ回して推理しているのは彼に良いところを見せたいという男子学生らしいアピールの一種だと、ウィリアムはそう認識している。
事実、ワトソンからの尊敬の眼差しはホームズの心の柔らかい部分を甘く刺激しているに違いない。
言うなれば己の好奇心を満たす要素と、ワトソンに自分を魅せつけたいという要素の二つがあるからこそ、ホームズは彼を連れて謎を解きに出かけているのだ。
少なくともウィリアムはそう考えていたし、ホームズの表情から判断するとその考えに間違いはない。
だが当のワトソンは、自分だけシャーロックの推理に感動するのは勿体ないと、もっとたくさんの人に彼の魅力を知ってもらうべきだと、懸命に物語として綴っては学園全員の目に留まるよう工夫を凝らしてしまった。
ワトソンだけが知っていれば良かったホームズの格好良い一面を、学園全員に知ってもらおうと睡眠時間を削ってまで頑張ってしまっているのだ。
これがホームズの空回りでないのなら、一体何と表現すればいいのだろう。
「あ、ウィリアム先生にシャーロック、おはようございます。二人が一緒なんて珍しいですね」
「おはようございます、ワトソン君。ホームズ君は屋上に行こうとするところを捕まえてきたんですよ」
「そうだったんですか?こらシャーロック、駄目じゃないか!先生に迷惑をかけて」
「…うるせーよ」
「良いんですよ、ワトソン君。それより、君が書いた本を読みました。ホームズ君の良いところをとても上手に書けていましたね」
「もう読んでいただけたんですか?ありがとうございます。シャーロックは本当に凄いんですよ!俺には想像もつかない推理を次々として、すぐに事件を解決してみせる…普段の素行は悪いかもしれないけど、本当は凄い奴なんです」
「そうですか。知らなかったホームズ君の一面を知れて先生も嬉しいです」
「きっと他の生徒や先生の中にも、シャーロックのことを誤解してる人は多いと思うんです。本当は凄い奴なのに、こいつ普段がこんなんだから…この本で少しでもシャーロックのことを理解してくれたらいいな、と思って書いたんです」
「ふふ、友達思いですね、ワトソン君は」
「シャーロックは大事な相棒ですから!」
「相棒、ですか」
「はい。シャーロックはずっと大事な、俺の相棒です!」
な、シャーロック!と子犬のようにきらきらとした瞳でホームズを見るワトソンの機嫌は中々に良い。
ずっと相棒だ、と無邪気に発するその言葉がシャーロックの機嫌を良くも悪くもさせていることなど知る由もない。
二人の春は遠いな、と大分昔にそう考えていたウィリアムは、過去の自分の判断に間違いはなかったと嫌でも確信してしまう。
ホームズを友達、いや相棒としてしか見ていないワトソンと、ワトソンに相棒以上を望んでいるホームズ。
この二人にしっかりとした春が来てくれることを、担任としては密かに応援してあげるべきだろう。
「…もう少し押してもいいんじゃないですか、ホームズ君」
「うるせーよ!」
「青春してる二人を見るのは面白いのですが、このままでは卒業間近になっても相棒止まりですよ。いいんですか?」
「うるせーっつーんだよ!おい、行くぞジョン!」
「あ、こらシャーロック!先生にそんな言葉遣いは良くないだろう!」
「いいから来い!」
「ワトソン君、自分だけに推理を見せてくれるホームズ君の気持ち、ちゃんと気付いてあげてくださいね」
「え?は、はい…?」
「おい先生、余計なお世話だって言ってんだろ!」
もう教室まで数メートルもない距離で、ホームズはワトソンの腕を引いてとっととウィリアムの前から消えてしまった。
どうせすぐまたホームルームで会うというのにせっかちな生徒だ。
まぁまだまだ経験の浅い学生の身、多少の回り道も今後の良い糧となることだろう。
思っていた以上にただ人の良いワトソンを独占するのは骨が折れるに違いないが、ホームズならば不器用なりにも良い決着点を見つけるはずだ。
それまでは担任として、二人の青春を見守るのも一興である。
ウィリアムはくすくすと笑いを溢しながら、二人が消えていった221年B組の教室へと入っていった。
(…兄さんは、ホームズ君には特別目をかけていますよね)
(そうかな?気にしたことはなかったけど)
(…)
(ルイスはホームズ君が嫌いかい?)
(…嫌いです。授業はサボるし、煙草は吸うし、そのくせテストの点数は抜群に良いですし。…何より、兄さんに馴れ馴れしいところが嫌いです)
(ふふ、嫉妬とは嬉しいね。でも彼も案外面白いところがあるんだよ)
(面白いところ、ですか?)
(例えば、ワトソン君が絡んだときとか)
(ワトソン君…?確かに二人は仲が良いようですが、それが何か?)
(今度よく二人…いや、ホームズ君だけでいいかな。よく彼を観察してごらん。僕の言っている意味が分かるはずだよ)
(はぁ…)
(兄さんの言っている意味が分かりました。ホームズ君は可哀想なくらい空回っています。あれではワトソン君がホームズ君の気持ちに気付くなど、卒業しても無理だと思います)
(案外ホームズ君は不器用だからね。もっとはっきり言ってあげればいいのに、僕の助言は嫌がられてしまって聞いてくれないんだ)
(兄さんのアドバイスを聞かないんですか!?何たる愚行を…ホームズ君の恋路なんてもう知りません。精々ワトソン君に振り回されていれば良いんですよ、あんな奴)
(まぁまぁルイス、落ち着いて。それより、紅茶のお代わりを貰えるかな)
(はい!)
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