家を出るまであともう少し
221年B組設定。
学パロウィルイス、いちゃいちゃ朝の身支度の巻。
基本的にルイスの目覚めは良く、セットした目覚ましよりも少しだけ早くに覚醒することが多い。
毛布に包まってぼんやりと意識を浮上させ、アラーム音を数秒聞いてからベッドを出てカーテンを開ける。
それが毎朝の恒例になっているのだが、時折例外が生じることもあるのだ。
今日がまさにその日であり、ルイスは自分の体にまとわりつく温もりに夢見心地のまま瞳を開けた。
ルイスには昔からの習慣で心臓を庇うように丸くなって眠る癖がある。
大きくなった体を目一杯に小さくして眠る姿は今も昔も変わらない。
そんな弟の背中に覆いかぶさり周りから匿うように兄であるウィリアムがその体を抱きしめるのも、もはや癖と言っていいだろう。
今朝もルイスの腹にはウィリアムの腕が回されており、首筋にはくすぐったいばかりの寝息が掠めていた。
「…兄さん?」
「ん…」
両親のいないウィリアムとルイスはずっと昔から二人だけで支えあいながら生きてきた。
けれど双方が学生の身では世話になりたくもない親類に頼ることも多く、ウィリアムが教職に就いてようやく何に気兼ねすることもなく二人だけの生活を満喫できるようになったのだ。
日々を忙しくしているウィリアムのため家事の一切は学生であるルイスが担当しており、十分に休息がとれるようにとそれぞれの寝室も分けている。
週の何度かは一緒に眠ることもあるけれど、ルイスは夜遅くまで授業の準備や趣味の読書をするウィリアムよりも早く寝付くことが多い。
昨夜もルイスの方が先に眠くなったため、しっかりと挨拶をしてから自室に戻って眠ったはずだった。
徹夜をせず少しでも横になってほしいと小言じみたことも言ったのだから間違いないのだが、目覚めたばかりのルイスの背中にはこうしてウィリアムがしがみついている。
大方、明け方になってようやく休もうとしたウィリアムが自室を抜け出してルイスの寝室に入り込んだのだろう。
とても気持ち良さそうに寝息を立ててルイスを抱きしめている彼は至極満足そうだ。
ウィリアムは一人で眠れない訳でもないが、ルイスと一緒のベッドにいる方が落ち着くらしい。
そんな兄に対して警戒心など一切持たないルイスが気付くことはなく、今朝のように起きてそのときに驚くことしか出来ないのだ。
ルイスは苦笑して腹に回された腕に自分の手を添え、互いの手指を絡めて握りしめた。
週の何度かは一緒に眠って、週の何度かはこのように後からウィリアムがルイスの部屋に侵入する。
よって週の半分以上は一緒のベッドを使っているのだから、寝室を分ける意味はあるのか甚だ疑問に感じてしまう。
出来れば体を休める意味でも手足を伸ばして眠ってほしいのだが、ルイスとしては彼と一緒にいられるのであれば拒否することもできない。
感じた幸福を噛み締めて、枕元で鳴り出したアラームを止めるため腕を伸ばした。
「兄さん、朝ですよ。起きてください」
「ん〜…」
ルイスの声にくぐもった音で返事をして、ウィリアムは瞳を開けるよりも先に抱きしめている体に顔を埋めた。
彼の体温と彼本来の匂いを堪能し、落ちていた意識を浮上させてはみるものの、居心地のいい空間で微睡む誘惑に勝つのは何とも難しい。
兄さん、と呼びかける声を必死に辿りながら眠気に抗ってなんとかその紅い瞳を見開いた。
「…」
「兄さん、起きましたか?」
「…おはよう、ルイス」
「おはようございます、ウィリアム兄さん」
「ん」
見えはしないが背後の兄が覚醒した気配がして、ルイスは口元を綻ばせて後ろを向くため首を動かす。
そうした先にいるのはぼんやりとした瞳で前を向くウィリアムの姿だった。
「目覚めはいかがですか?」
「…ふふ、この上なく良いね」
「それは良かった」
寝落ちるのも早ければ覚醒も早いウィリアムだが、ルイスよりも遅く目覚めるときには存外覚醒には時間がかかる。
柔らかい声で起こしてもらった日はウィリアムにとって幸先の良い一日の始まりになるのだから、なるべく長く微睡んでいたいと思うのだ。
無意識に出ている甘えなのだろうと自覚はしているが、弟本人はそのことに一切気付いていないらしい。
ウィリアム兄さんは目覚めがあまり良くないと、生まれてからずっと一緒に生きてきたのにそう勘違いさせたままだ。
そんな事実に心をくすぐられて、ウィリアムは抱きしめていた腕に力を込め寝起きで暖かなルイスの体へまるで猫のようにすり寄った。
「ん、くすぐったいですよ、兄さん」
「良い朝だね、ルイス」
「そうですね。さぁ、早く着替えて支度をしませんと」
カーテンの外から優しい光が差し込んできて、ベッドの中で甘い時間を過ごす兄弟を淡く照らしている。
今日は職員会議もなければ日直の担当でもない。
時間ぎりぎりまでのんびりと過ごしても問題はないけれど、生活リズムを崩さないためにも体を起こそうと提案するルイスに賛同するように、ウィリアムはまだセットされておらず乱れた金の髪にキスを落とした。
「兄さん、タイを結ぶのでこちらへ」
「あぁ、頼むよ」
ベッドを抜け出し、互いにシャワーを浴びて簡単に髪の毛を整える。
ウィリアムはシャツにベスト、ルイスは学ランという分かりやすい服に袖を通して振り返れば、弟の手元にはストライプ柄をした翡翠色のタイがあった。
鮮やかながらも落ち着いた色合いのそれをウィリアムの首に掛け、ルイスは懇切丁寧に結んでいく。
「初めて見かける柄だね。新しく用意してくれたのかい?」
「はい。兄さんの瞳と補色になっているので映えるかと思い、用意しました」
就職したウィリアムのタイを結ぶのは始めからルイスの役目だった。
一本の細長い布がまるで魔法のように結ばれては首元へと華やかな印象を与える。
味気ないスーツでもタイ一つで与える印象は随分と変わり、その度にウィリアムの魅力もまた一段変化しては上質なものに成っていくのだ。
その変化をいの一番に見て、自らの手で敬愛する兄を飾ることが出来るこの時間がルイスにはとても大切な時間だった。
式典でもあれば凝った結び目にアレンジしたいところではあるが、平凡な日常では浮いてしまうだろう。
ただでさえ魅力的な兄に懸想する人間をこれ以上増やすわけにもいくまいと、ルイスは残念な気持ちを隠さず眉を下げながら、一般的なスモールノットの結び目を彼の首元に施した。
長身でスマートな兄には小さなそれがとても似合うのだ。
真新しい布を持ち上げて、我ながら美しい結び目がウィリアムによく似合っていると自画自賛してからルイスは満足げに口角を上げて鼻を鳴らした。
「よくお似合いですよ、兄さん」
「ありがとう、ルイス」
思っていた通り、ウィリアムの瞳と新しいタイの色はよく似合っている。
同級生のアルバートの瞳を見て思い浮かんだ色だが元々の性質がよく似ている彼ら二人らしく、足りないものを補うかのようにあるべき位置にぴたり収まっていた。
まるで自分のことのように嬉しそうに表情を変えている弟を間近で見て、ウィリアムはつい先日まで身につけていた赤いタイを手にとってその細い首筋に掛けてみる。
制服が学ランであるルイスはタイを身につけることはない。
けれど常々ウィリアムは思っていたのだ。
「ルイスにもきっとタイが似合うね」
「そうでしょうか?」
「君の顔にはあの黒よりもタイとジャケットが似合うと言ったことがあるだろう?」
ルイスが今通う学園への入学を決めたのはウィリアムの母校であることと、その彼が今はそこで教鞭をとっていることが要因だった。
兄と同じ道を辿りたいと熱望するルイスは懸命に勉強し、元の出来の良さに本人の努力を合わせ念願叶った結果、彼と同じ学園に通うことが出来たのだ。
しかもその兄が今は教師として学園に戻っているのだから、ルイスが他を受験する選択肢など存在すらしなかった。
そんなルイスの想いを可愛いものだと受け止めて応援してはいたのだが、ウィリアムとしては少し惜しい気持ちも消せはしなかった。
今現在、二人が通う学園と対を成すかのように偏差値の高い学園は他にもあったのだから。
その学園であれば制服はブレザーであり、シンプルな白のジャケットにワンポイントにもなる学年カラーのタイを身につけることが出来たのだ。
清純とも言える白いジャケットこそ無垢な弟には相応しいと考えていたのだが、ウィリアムの考えを伝える暇もないほどルイスは懸命に受験勉強をこなしてしまっていた。
そうして初めてルイスが指定服でもある黒の学ランを着こなした姿を見た瞬間、あぁやっぱりな、という気持ちで一杯になってしまったのは記憶に新しい。
どうでしょうか、兄さん。
よく似合うよ、ルイス。似合ってはいるけれど、ね…
何かおかしなところがあるでしょうか?
…学ランよりもブレザーの方が、君には似合っていただろうね。
春先にそんな会話をしてもう半年も経つ。
半年も経つというのに未だに学ランが似合うとは言えない弟の姿を見て、ウィリアムはルイスの首元に掛けたタイを襟に通して静かにそれを結んでいった。
どうせすぐに外してしまうというのに、少しでも長くルイスに触れていたいウィリアムが選んだのはエルドリッジノットだ。
編み込まれたような結び目はとても美しく、控えめながらも整った顔の造形を持つルイスにはよく似合っている。
華やかな首元は目立つことを嫌うルイスにとって戸惑うものかもしれないが、ウィリアムにしてみれば可愛く美しい弟を飾ることが出来て満足だ。
ふわりと微笑んだウィリアムは今しがた自分が編んだばかりの結び目に指をやって、恭しく唇を落としてあげた。
「うん、よく似合ってる」
「ありがとうございます」
上げられた片側の前髪を梳くように撫でてその指通りの良さに顔を綻ばせる。
黒い学ランの下から覗く洒落た結びのタイは不恰好にも程があって、とてもスマートな着こなしとは言えないアンバランスなものだ。
そう考えたウィリアムはルイスが着る学ランを脱がせてシャツとタイだけの姿になるよう促した。
首を傾げながらも抵抗する気のないルイスは素直にそれを脱ぎ、アイロンのかかったシャツと美しく編み込まれた結び目のタイをその身に晒す。
細身で繊細な面影をしたルイスにはよく似合う出で立ちだ。
学生だけが着ることを許されてはいるが洗練されていない学ランよりもよほど似合っている。
そんな弟の姿を見て至極満足げに表情を変えたウィリアムは当然の如く言葉を紡ぐ。
「やっぱり君には学ランよりもブレザーの方が良かったんじゃないかな」
「…そういえば、兄さんもあまり学ランは似合っていませんでしたね」
「そうだったかな。でも半年経ってもルイスに学ランが似合うとは思えないし、せめて指定服がブレザーの学校だったら良かったのに」
「僕は兄さんの母校に通うと決めていました。その母校に兄さんが赴任したとなれば、他の学校など選択の余地すらありません」
はっきりと言うルイスの目には一点の曇りもないし迷いもない。
むしろ、たかが制服で進学先を選ぶなど考えられない、という気迫すら感じられる。
ウィリアムとて同じ学園で愛しい弟が学びを深めていることは何よりも嬉しいのだ。
けれどせっかく可愛い弟なのに似合わない制服を着ていることは兄として少しばかり残念なのは否めない。
愛しい弟にはいつだって魅力的な出で立ちでいてほしいという兄の我がままは、きっと伝わることはないのだろう。
いつだってルイスの一番はウィリアムで、ウィリアムはそれをよくよく知っているのだから。
綺麗に締められたタイを着こなす弟を見て心の奥で満足感を得るだけで今は十分すぎるほどだ。
ウィリアムは他の誰も知らない弟の姿を唯一知っているという優越を胸に、いずれは好きなだけ彼を飾ることが出来るのだからと自らに言い聞かせた。
「そろそろこれ、外しても良いですか?」
編み込まれた結び目に指をやって了解をもらおうとするルイスの手をそっと外し、ウィリアムは今しがた自ら結んであげたそのタイを解こうと手を伸ばす。
そうして軽く引き寄せてから上向いた鼻先にキスを落として、丸く見開いた目を間近で見つめては「早く卒業すれば良いのにね」と囁いた。
(卒業、ですか)
(あぁ。そうすればルイスに似合う服をいつだって着せることが出来るだろう?)
(…ですが、卒業してしまっては家でも学校でも兄さんがいる生活ではなくなってしまいます)
(ルイス?)
(まだ卒業はしたくありませんし、考えたくもないですね)
(…ふふ、そうだね。似合わない学ラン姿のルイスももっと堪能しておかないといけないね)
(そんなに似合いませんか?この髪色が良くないのでしょうか…暗い色に染めれば少しは似合うのでしょうか)
(ルイス、分かってると思うけど染めるのは許さないからね)
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