七匹目のカブトムシ
ヘルダーが作った惚れ薬をルイスが飲んじゃう話。
すきすき光線出すルイス可愛いなと思うけど、キャラ設定を大事にして控えめになった。
「惚れ薬を開発しました!」
そう言って仰々しいケースを置いて中身を取り出したのは陣営きっての変人であり奇才でもあるフォン・ヘルダーその人だった。
まるで香水が収められているかのような小洒落た瓶に入っているのは惚れ薬だという。
また奇妙なものを作りやがったものだと、モランは胡散臭そうな目でヘルダーと瓶を交互に見る。
「実験体になってください、モランさん」
「馬鹿言うな」
「相変わらずケチくさいですねぇ」
拒否されたことに落ち込むでもなく、ヘルダーは至極楽しげな雰囲気のまま応接室の扉を見た。
次に入ってきた人間に向けてその惚れ薬なる薬を使用するつもりなのはモランにでも分かる。
そして入ってくるであろう人物の予想も、二人には当についていた。
「お茶をお持ちしました」
「ありがとうございます、ルイスさん」
予想通りの人物に心の中で合掌したモランはそれでも浮かれるヘルダーを止めることはない。
こうなったヘルダーを止めるのは至難の技だし、本人がルイスに使っても問題ないと判断したのであれば信用はできる、はずだ。
彼が持つ才能ゆえの信頼をみせ、モランはルイスの手によって淹れられた紅茶を見て今後の動向を静かに探っていた。
「ルイスさん、今日も天気がいいですね」
「えぇ、外の庭木も喜んでいます」
「それは何より」
ルイスがティーワゴンに向かってポットを置くため背を向けたのを気配で感じ、ヘルダーはすかざすルイスの前に置かれているカップへ特性の惚れ薬を数滴垂らしていった。
そうして紅茶を一口飲み、モランにも早く自分の分を飲むよう促していく。
掛けるのではなく飲ませるのかとモランが珍しく思っていると、ヘルダーの行動に気付かなかったルイスは、二人が紅茶に手を付けたのを確認してからそのまま席に着いて自らが淹れた紅茶を飲んでしまった。
「この薬はですね、摂取して一番最初に見た人間に激しい恋情を抱きます」
「は!?」
「今ちょうど飲んだところなので、彼が私かモランさんのどちらかを見ればそれで条件は整います」
「おい嘘だろ!?」
「何を話しているんですか、お二人とも」
「ルイス、おまえ目ぇ閉じろ!開けるな!!」
「はぁ?どうして僕がそんなことをしなければならないんですか」
ヘルダーの解説を聞いていたモランは青ざめた顔をしてルイスに詰め寄ったが、本人は怪訝な顔でモランを見つめるばかりである。
自分へ向けられる濃いワイン色の瞳にギクリと肩を跳ねさせたモランは、一番最初に見た人間に激しい恋情を抱く、という変人の言葉を思い出した。
惚れ薬入りの紅茶を飲んだルイスが一番最初に見た人間は、ヘルダーではない。
「…マジかよ…」
「黙っていれば私とあなたで五分の確率だったのに、モランさんも相変わらずですねぇ」
ヘラヘラと笑う盲目の技術者を睨みつけるが一切の効力はないようで、彼の興味はとっくにモランからルイスへと移されていた。
目の見えない自分よりもよほど兄に対して盲目的なルイスが、兄ではない別の人間に心変わりするのであれば効力の信憑性はまず間違い無いだろう。
さぁ望む通りの結果よ来いと、ヘルダーはそわそわと耳を澄ませてルイスの一挙手一投足を聞き逃さないよう動きを止めた。
「…何ですか、お二人とも。今日は様子がおかしいですよ」
「あれ?ルイスさん、モランさんを見て何か思うことはありませんか?」
「モランさん?別に…あぁ、ここでの煙草は控えて欲しいものですね」
「え、それだけ?」
「他に何かありますか?」
淡々と紅茶を口にして声を出すルイスに変わったところは見られない。
いつもの彼だ。
驚いたように腰をあげてルイスに詰め寄るヘルダーとは対照的に、ひとまずルイスの想い人にならずに済んだらしいモランはほっとしたように息をついた。
「そんな馬鹿な!カブトムシで試したときはちゃんと上手くいったのに!」
「おい待て、カブトムシだと!?せめてマウスか何かで試してやれよ!」
とんでもないヘルダーの科白に思わず突っ込んでしまったが、失敗したのならば好都合だ。
彼を溺愛するウィリアムとアルバートの怒りを買わずに済むのだから。
モランはそう安堵しているがヘルダーはこれ以上ないほどに不満である。
業務の合間を縫ってわざわざ開発に時間をかけた自信の惚れ薬だというのに、まさか一切の感情変化すらなく終わってしまうだなんて、不満以外の何物でもない。
だがモランを見てもヘルダーを見ても何も変わらないルイスを前に、やはり薬は失敗作だったのだと実感せざるを得なかった。
「はぁ…これを元に色々作っていこうと思ったんですけどねぇ…」
「やめとけってことだろ。変なもん作るんじゃねーよ」
「…?」
よく分からない話を続けている二人を見て、ルイスは首を傾げている。
どうも自分の様子が落胆させている原因のようだが、一体何が気に食わないのだろうか。
言及すべきかどうか迷っていると、不意に扉が開いてそこから鮮やかな金髪を揺らした兄が入ってきた。
「やぁ賑やかだね。どうかしたのかい?」
穏やかな表情で三人を見るウィリアムを見て、ルイスはどくりと心臓が脈打つのを実感する。
そうしてその紅く美しい瞳が自分を見たと理解するよりも前に、意識せずに体が動いて兄目掛けて抱きついていた。
「…ルイス?どうかしたのかい?」
「兄さん、兄さん」
「うん?どうしたんだい?」
「ウィリアム兄さん…!」
俊敏な動きでウィリアムを抱きしめたルイスの姿は動体視力に優れたモランにさえ追えず、ふと気付いたときには見慣れた兄弟の抱擁が目に入るだけだった。
風の動きで大方の様子を伺っていたヘルダーに至っては、ルイスがウィリアムの元へ駆け寄ったという認識しかない。
弟による突然の抱擁はウィリアムでさえも驚かせたが、拒否するでも抵抗するでもなくただその背中を抱きしめ返すだけだ。
背中に回ったウィリアムの腕に気を良くしたのか、ルイスは彼の肩に埋めていた顔を上げて兄を見る。
驚きながらも穏やかなまま微笑んでいるウィリアムを見て、言い知れない昂揚感がルイスの全身を覆っていった。
「兄さん、すきです…」
「…うん?」
「すきです、兄さん、すき」
熱っぽく潤んだワイン色の瞳はとても幸せそうに煌めいていて、緩んだ表情と相まってとても美しかった。
ルイスが自分の感情を露わにすることは滅多にない。
大事な感情ほど奥に秘めて、自分以外の誰にも触れさせないよう大事に匿ってしまうのが常だった。
ウィリアムでさえもルイスの奥深くに隠されている感情全てに触れることは出来ていないというのに、今の彼の状態は一体どういうことだろうか。
二人きりの場面、それこそベッドの中でならいくらでも愛を紡いでくれる。
けれど今は麗らかな午後のひと時で、視線をずらせば部外者であるモランとヘルダーの二人がいる場なのだ。
そんな場でルイスが人目も気にせず抱きついてくるなど絶対にあり得ることではない。
感じた疑問を表には出さず、ウィリアムはふわりと微笑む弟の髪を混ぜるように優しく頭を撫でてあげた。
「どうしたの、ルイス。今日は随分と情熱的だね」
「兄さん、ウィリアム兄さん」
「ふふ。大丈夫だよ、僕はここにいるから」
「兄さん、すきです」
懸命にウィリアムへしがみつきながら愛を告げるルイスを愛しく思いながら、たくさんの安心と愛情を与えるように額を合わせて笑いかける。
優しいその瞳と腕に満足したルイスはもう一度その肩に顔を埋めて、あふれんばかりの愛を全身でアピールしていった。
背中を撫でさすり、まるで幼子をあやすかのような仕草は傍目から見ていると微笑ましいの一言だろう。
ただただ呆然と成り行きを見守っていたモランと漂う空気感で全てを察したヘルダーは、揃って互いの顔を見合わせた。
「惚れ薬、効果あったみたいですね」
「だな」
「カブトムシは一番最初に見た虫に求婚してたんですけど、人間だと違うのでしょうか」
「カブトムシとルイスを同列に扱ってやるなよ、ルイスが可哀想じゃねーか」
「もしくは、ルイスさんはウィリアム様以外に恋をしないということの証明かもしれませんね」
「あぁ、なるほどな」
「今、モランさんもカブトムシとルイスさんを同列に扱いましたね。私と同罪ですよ、ふふふ」
「ば、ちげーよ!」
自分達から少し離れた位置でソファに腰掛けながら話す二人の会話をウィリアムは聞き逃さなかった。
カブトムシ、という単語に驚きはしたが、ヘルダーが作ったものなら最低限の安全性は確立されているはずだろう。
人柄はともかくその確かな腕前は信用に値するのだ。
そして可愛い弟が人目も憚らず愛情表現してくれるというのは貴重な機会でもある。
ある程度は大目に見てあげようかと、ウィリアムはルイスの腰に回した腕に力を込めて囁きかける。
「ルイス、僕の部屋に移動するかい?」
「はい…」
「今日はずっと一緒にいようか」
ルイスはウィリアムの誘いに声は返さず、より一層強く抱きしめることで返事をした。
日頃から自分の心を浮足立たせる兄だが、今日ばかりは普段よりもずっと愛おしい気持ちでいっぱいだ。
離れたくないし離れて欲しくない。
ウィリアムのためならば自分の全てを差し出せると確信しているが、今はウィリアムが持つ全てが欲しいと思ってしまうほどに欲が増している。
彼から香るハーブの匂いを思い切り吸い込んで、まだ足りないとルイスはウィリアムの顔を見てはねだるように視線を合わせた。
「兄さん、今日はいつもより素敵ですね。勿論いつも素敵ですが、今日は一段と魅力的です」
「ありがとう。さぁ、行こうか」
「はい」
うっとりと自分を褒める弟へ気恥ずかしそうな笑みを返して、ウィリアムはしがみついている体を離して寄り添いながら扉へと向かう。
今の彼は僅かな距離が離れることも嫌うようで、腰を抱くウィリアムへとぴたり体を寄り添わせてようやくルイスは足を進める。
ふわふわと甘ったるい表情で自分を見上げるルイスを見て、なるほどさすがヘルダー特性の薬剤だな、とウィリアムは感心したように心で賞賛する。
ルイスが持つ全ての感情を余すことなく知りたいと考えるウィリアムにとっては幸運と言っていい。
外部の影響によって初めて見る弟の様子を堪能すべく応接室を出ようとすれば、扉は開けることなく自然に開いた。
思わず目を見開いていると、そこから現れたのは長兄のアルバートだった。
何か用だろうかとウィリアムが目を見開いていると、隣にいたルイスがしっかりと彼に向けて腕を伸ばす。
「兄様」
「おやルイス、どうかしたのかい?」
「アルバート兄様…!」
ウィリアムからは離れず、けれども腕だけはアルバートへと伸ばしてますます表情を緩めて満たされたような笑みをうかべるルイスを見下ろす。
常とは違う様子がすぐに分かってしまう末弟の様子に少しばかり眉を顰めて、アルバートは隣に立つもう一人の弟へと視線を移した。
「…ウィル、何かあったのか?」
「えぇ、まぁ」
「兄様、今日のアルバート兄様はより洗練されていて素敵ですね」
「ありがとう、ルイス」
照れる様子もない弟からの褒め言葉は賞賛に慣れているはずのアルバートですら心がくすぐられる。
飾った言葉を苦手とするルイスが口に出す音は全てが本心だ。
隠すことはあれど偽ることのないルイスの言葉は、特にウィリアムとアルバートに対しては顕著に表される。
それを知っているからこそ、アルバートは素直にその賞賛を受け取り礼を言うのだ。
そうして恥じることなく返すように言葉を与える。
「ルイスも普段とはどこか様子が違うね。今日は熱意にあふれているように見える」
「そうでしょうか?兄様のとめどない魅力を前にした人間であれば自然な反応かと思います」
「どうかな」
赤らんだ頬のまま彼を見上げ、ウィリアムとアルバートに挟まれた状態をこの上なく喜んでいるルイスは一際可愛らしく見える。
本当にどうしたのだろうかと優雅な笑みのままルイスを見るアルバートへ、ウィリアムは現在の状況を至極端的に説明してみせた。
ヘルダーが開発した惚れ薬なる薬剤で愛情があふれているのだと、そう伝えればアルバートは納得したように頷いている。
およそ現実的でないことではあるが現状ルイスの様子は普段とは違うし、原因となる人物がヘルダーとなれば説得力しかない。
アルバートは部屋の奥へと視線をやり、呑気に茶を飲んでいる二人を見やった。
「おかしいですねぇ。あの薬、最初に見た相手にしか効果がないはずなんですけど」
「おまえの実験が間違ってたんじゃねぇか?」
「失礼ですね。実験体になったカブトムシ六匹のうち、全員が最初に見た固体にしか発情しませんでした。次に見た固体には一切の興味を示さなかったんですよ。だから私とモランさんとで五分の確率だと言ったんです」
「だからおまえ…カブトムシの次にマウスくらい挟めよな」
「最初に見た相手でもなくウィリアム様へ一直線な様子から察するに、てっきりウィリアム様以外には靡かないのかと思ったのですが…」
聞こえてくる会話は中々刺激的で、アルバートだけでなくウィリアムの琴線に触れる事案が幾つか出てはきたがひとまず置いておいた。
技術者としてのヘルダーの腕は紛れもない本物だ。
ルイスに使ったとなれば安全性には自信があるのだろうと、信頼するしかない。
「ふむ…ルイスさん、ちょっといいですか?」
「何ですか、ヘルダーさん」
「いえ何も」
素早く思考を働かせ、幾つか仮定を挙げたヘルダーは試すかのようにルイスの名を呼び自分の姿を見るよう促す。
そうして面倒な気配を滲ませて自分を見るその視線を感じたことで、一つの仮定が確信へと変わった。
ルイスはウィリアムとアルバートから離れることはなく、それでも意識を兄達以外に向けることを嫌いながら渋々ヘルダーを見ている。
分かりやすい奴だなと、モランがそう考えていると隣に座るヘルダーからは明るい声が聞こえてきた。
「なるほど!つまりこの惚れ薬、ルイスさんには元々好意を持っている相手に対しての増幅剤でしかなかったわけですね!」
「どういう意味だよ、ヘルダー」
「ウィリアム様だけでなくアルバート様にも反応しているということは、ルイスさんにとって特別な感情を抱く相手にしか効果がないということです。効果が出るのに時間がかかるのかと思いましたが、私を見たルイスさんの反応は変わりませんからね。つまり、特定の感情を抱く相手に対してその感情を増幅させているということです」
「ほ〜。それ、惚れ薬って言えるのか?」
「言えませんね!カブトムシにとっての惚れ薬ではありますが、ルイスさんにとっては単なる愛情増幅剤でしかありません!失敗という他ないですね!」
「晴れやかに言ってんじゃねーよ、おい」
「ん?いえ、待ってください。ルイスさんには増幅剤でしかありませんが、他の人間にとっては意図した効果のある惚れ薬かもしれませんね。こう言っては難ですが、ルイスさんがお二人に向ける感情は言葉に尽くしがたい独特のものですから、単純に効果が薄いだけなのかもしれません」
ブツブツと独り言を言うヘルダーを見て、モランはもう飽きたとばかりに紅茶を飲み干した。
そうしてその独り言を聞いていたウィリアムとアルバートは大方の状況を察していて、ルイスは意味もなく呼び止めたヘルダーに苛立ちを覚えつつも二人の兄を見ては気分を直していた。
「なるほど、状況は分かった」
「僕に対してだけかと思いましたが、アルバート兄さんにも反応があるならちょうど良かった。お時間はありますか?これから僕の部屋でルイスとゆっくり過ごそうと思っていたのですが…」
「特に急ぎの用はないな」
「では、兄様も一緒に来てくださいますか?」
「あぁ、勿論」
アルバートの答えを聞いてルイスは大きな瞳をさらに煌めかせて喜び、ウィリアムも安心したようにほっと息をつく。
一人でルイスを堪能するのも良いが、アルバートだけを除け者にするのも心苦しかったのだ。
ルイスがアルバートへの感情も膨れさせていたのならちょうど良い。
すきがあふれて一際可愛い弟を、二人で存分に愛でて愛していこうではないか。
「さぁ行きましょうか、ルイス、兄さん」
ウィリアムとアルバートの腕を抱くルイスを中心に、モリアーティ家の三兄弟は足取り軽く応接室を後にした。
(今日のウィリアム兄さんとアルバート兄様はとても素敵ですね、格好いい…お二人の弟で、僕は誰より幸せです)
(ふふ、ありがとう。ルイスも綺麗だよ、とても魅力的だ)
(あぁ、ルイスこそ私にとって誰より愛おしい存在だよ)
(すきです、すき、お二人のことが誰よりすきです。世界で一番、僕にとって大切なお人です。ウィリアム兄さん、アルバート兄様)
(…中々効果が凄いですね)
(…彼の腕もさすがだな)
(兄さん?兄様?どうされましたか?)
(いや、何でもないよルイス)
(さぁおいで、今夜は目一杯に可愛がってあげよう)
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