あと1㎝、あと4㎝


子ども時代の三兄弟と大人モラン。
モランみたいに大きくなろうと思って頑張るルイスの話。

ルイスにとって絶対であるウィリアムも、ルイスの新しい兄になってくれたアルバートも、当然のようにルイスよりも体が大きく背が高かった。
ウィリアムより一つ、アルバートより四つ年下であることを考えれば何の違和感もないことである。
むしろ幼い頃に十分な栄養を取れず心臓を患っていた期間があるルイスは他よりも小柄であったし、大人にはなれないだろうと幼心なりに察していたから何を思うこともなかったのだ。
生きることに未練はなくて、ウィリアムとともに居られなくなるのは嫌だなと考えてはいたけれど、その懸念を払うようにウィリアムが尽力してくれたおかげで、健康体としてルイスは今ここに存在している。
自分だけが知っていたウィリアムの志を知る同士が増え、その中でもルイスは一番幼く小さかった。
アルバートもジャックもモランも、ルイスより遥かに背が高くて大きい。
唯一ウィリアムはルイスと大差ないけれどそれでも僅かに背は届かないし、体格も彼の方がしっかりしている。
大人になることを諦めていたルイスにとって生きている今の状況は正に夢物語のようで、ちゃんとウィリアムと一緒に大人になれるのだと思えば欲が出てしまうのも無理はない。
健康になったルイスはウィリアムよりもアルバートよりも、もっと大きくなりたいのだ。

「モランさんは背が高いですね」
「いきなり何だ?そりゃちんまりしたおまえよりはデカイけどな」
「ちんまりは余計です。…どうしたらモランさんのように背が伸びるでしょうか?」

三人だけで暮らす屋敷に突如現れたモランを見上げ、ルイスは顔に掛かる前髪を払うことなく大きな瞳で彼を見る。
ルイスより十二も年上であるモランは完成された大人の体をしていて、恵まれた体格をしていて、抜群の戦闘力をその身に宿していて、とても羨ましい限りだ。
こんな体を持つことが出来たら、きっとウィリアムもアルバートもルイスの身一つで守ることが出来るのだろう。
それを持っているモランのことは羨ましいし恨めしいけれど、ひとまずルイスが目指すのは彼のように背が高くて大きな体である。
戦闘に関してはジャックから教わってきたし、これからも精進すればきっと問題はないだろう。
だが身長となると話は別だ。
男は二十歳を超えても背が伸びるというし、ルイスがウィリアムよりも大きくなる可能性は十分すぎるほどにある。
目指すべきもののために出来ることはすべきだろうと、そう考えてルイスは勉強と執務の合間にわざわざモランを訪ねてきたのだ。

「ルイス、背を伸ばしたいのか?」
「はい。出来ればモランさんより大きくなりたいです」
「…それは無謀な夢だな」

モランは両親ともに体格に恵まれていて、己も軍で体を鍛えてきた過去があるからこそ今の肉体を手に入れた。
ルイスの親など知る由もないが、兄であるウィリアムを見ても基本的な線は細いのだろう。
背は伸びるだろうしある程度の筋肉は付くかもしれないが、自分以上を望むちんまりした子どもの夢は無謀であるという他ない。
機嫌を損ねたらしく瞳を鋭くしたところで、威圧感はあれど怖くはなかった。

「どうしてですか。もしかしたら、ということがあるかもしれないじゃないですか」
「いや…そうだな、夢を見るのは自由だな、あぁ」
「…どこか気に障りますが…とにかく、どうしたら大きくなれるのでしょうか?」
「そうだな〜よく寝ることじゃねぇのか?寝る子は育つって格言があるくらいだしな」
「よく寝る…」

思えばモランは頼んだ仕事を放棄して昼寝していることが多いし、珍しくちゃんと仕事をしたと思っても空いた時間には目を閉じているのをよく見かける。
対するルイスは兄に追いつくため時間を惜しんで勉強しているし、兄の役に立つため屋敷の執務を一手に引き受けていて、睡眠など二の次以下である。
ウィリアムは寝落ちることで睡眠時間を確保しているが、ルイスはそう大胆に行動することが出来ない。
ただでさえ一人で眠ることに慣れていないのに、悲願達成のため知識を蓄えるウィリアムの邪魔をしてはいけないと、あてがわれた一人部屋で静かに目を閉じるのみだった。
良質な睡眠とはとても言えないだろう。
モランの言葉に、なるほど、という言葉を返し、本当にちんまりしてんなおまえ、と言いながら頭を撫でる彼の手をはね除けてルイスは部屋を後にした。
そうしてルイスが後にしたモランの部屋にはその兄二人が入ってきたのだが、ルイスがそれを知ることはない。
モランのアドバイスを素直に聞いたルイスは夜更かしも程々にして、可能な限りよく眠るよう努力を始めた。
それでもやっぱり一人では上手く眠れなくて、ウィリアムが珍しく眠るタイミングを見計らって一緒に眠ってもらうか、アルバートに頼み込んで同じベッドに潜り込んで眠ることでようやく睡眠時間を確保するので精一杯だ。
ゆくゆくは一人で問題なく眠れるように慣れていかなければならないが、一先ずの目的は達成できている。
自覚のない疲労は確実にルイスの体を蝕んでいていたが、やっとそれも解消できたらしい。
真っ白い顔に目立つ隈は薄くなり消えかけていた。

「モランさん、よく眠ること以外に大きくなる方法はありますか?」

良質な睡眠が取れていることで顔色の良いルイスを前に、モランは目を見開いた。
まさか本当にまた来るとは思わなかった。
そうすぐに身長が伸びるはずもないが、出来ることは全てやりたいのだという熱意に満ちたちんまりとした顔を二度見して、モランは事前に指示されていた言葉をそっくり同じように返すことにする。

「よく食べることだな。食うもん食わなきゃ大きくなるも何もねぇよ」
「よく食べる…」

確かにモランはよく食べている。
大人であることを抜いても一般的な成人男性よりもよほどよく食べているだろう。
食事の用意を仰せつかっているルイスにしてみれば「居候のくせによく食べるな」という認識しかなかったけれど、たくさん食べればその分大きくなれるのかもしれない。
逆にルイスは食に興味があるわけでもないし、孤児だった頃は食べられないことの方が多かったから自然と食も細かった。
ウィリアムもルイス同様に食に興味はなく、そうなるとルイスが食べることに意味を見出せないのも無理はないだろう。
それでもウィリアムはルイスよりは食べていたし、対するルイスはウィリアムから分け与えられたとしても満足に食べることもせずに少食なままだった。
思えばアルバートもよく食べていて、だからこそ年齢の割にしっかりした体格をしているのだと考えれば納得がいった。
大きくなるためには良質な睡眠と同じくらいに十分な栄養が必要なのだ。
ルイスは頭を撫でてくるモランの手を避けてから丁寧に礼を言い、静かに部屋を後にした。
それからのルイスは今まで誤魔化して少なく用意していた自分の分の食事を、きちんと一人分にして準備するようになった。
始めの頃こそ量が多くて胃が受け付けないこともあったけれど、これも全てウィリアムよりも大きくなるためなのだと思えば頑張ることが出来た。
食べられなかった頃を振り返れば贅沢すぎる悩みだろう。
この食事を院の子ども達に分けてあげたいとは思うけれど、それ以上に今のルイスにとってはウィリアムを守ってあげられる自分を目指すことの方が大切だった。
アルバートも認めてくれた料理の腕は自分で食べても合格点をあげられる。
今までは美味しいという言葉もあまり意味を持っていなかったけれど、どうせ食べるのならば美味しい方が絶対に良いはずだ。
もっと料理の腕を上げてウィリアムとアルバートに喜んでもらいたいと、ルイスは一口一口を噛み締めて食事をする。
そんな日々を続けていれば自然と頬もふっくらとしてきて、唇の色も随分と良くなった。
鍛錬のときにも以前より疲れにくくなったような気がしている。
唯一の弊害としては、ちゃんと食事を摂るようになったルイスを見てウィリアムとアルバートが喜んだ結果、彼らの食事を少しずつ分け与えられるようになったことだろうか。
一人分の量を食べるのが精一杯なのに二人の分を食べるのはさすがに厳しくて、申し訳ない気持ちで断ると二人とも悲しげに表情を変える様子を見るのが一番大変なことだった。

「モランさん、よく眠ることとよく食べること以外に大きくなる方法はありますか?」

三度目にルイスがモランを訪ねたとき、さすがにモランはこの展開を予想していたのか驚きはしなかった。
別の意味で驚きはあったのだが、ルイスが質問してくることは教えられた通りだったのだ。
しっかりと食事を摂っているせいで心なしかふっくらした体を見て、モランは用意していた答えをそのまま返す。

「運動するのは良いって聞くな。でもジジイからの訓練してるんなら別にいらねぇだろうし…そうなるとあとはあれだ、牛乳飲んどけ」
「ミルク、ですか?」
「あれ、身長伸びるんだってよ。よく知らねぇけどな」
「モランさんは飲んでいましたか?」
「お、おう。飲んでたぜ、毎日がぶ飲みだったぜ」
「なるほど…」

ルイスからの問いに一瞬だけ肩を跳ねさせて、モランは後ろめたさで視線を逸らす。
牛乳は嫌いだ。
調理に使うならいざ知らず、そのままを飲むなど記憶のある限りはしたことがない。
それを気付かせないように自然な様子を心がけてみたが、ルイスはモラン自身には興味がないとばかりに自分が飲む牛乳の量を思い返した。
孤児だった頃はよく飲んでいたが、今はアルバートに合わせてめっきり紅茶派だ。
毎日飲むことはなくなったけれど、確かに牛乳には栄養素が豊富だとウィリアムから聞いたことがある。
単価も安いため、院にいる孤児がぎりぎり飢えなかったのはその栄養価のおかげなのだろう。
ならば今、しっかりと牛乳を飲めば将来はモランのように大きくなれるのかもしれない。
牛乳の仕入れを増やしても良いかアルバートに相談しようとルイスが結論づけ、モランを見上げてからふと見慣れた光景が頭を過ぎった。

「はっ…モランさんがよく飲んでいるのはミルクではなくお酒です。ならばお酒を飲んだ方がよほど背が伸びるのでは?」
「え"」
「兄様もワインをこよなく愛しています。アルコールに身長を伸ばす成分が入っているのかもしれません。そうなると僕が飲むべきはミルクではなくお酒なのでは…」
「え〜と、だな…」

名案だとばかりにルイスが輝かしい表情を浮かべる様子を見て、モランはもう一度視線を彷徨わせた。
そうして辿り着いた先で見た光景に頬を引きつらせ、ミルクではなくお酒の仕入れを増やさなくては、と独り言ちるルイスを言い聞かせるように神妙な顔を浮かべる。

「いやルイス。飲み慣れない奴がいきなり酒を飲んだからって背が伸びるわけねーよ。俺もアルバートも昔から飲んでて慣れてるだけだ。おまえは酒を飲んでもデカくはなれねぇ」
「慣れないのなら今から慣れればいいだけの話です。主治医にもお酒は許可を貰っているので問題ありません」
「よく聞けルイス。俺は牛乳一つでここまでデカくなった。酒は背が伸びてから飲むようになったんだ。そもそも酒は牛乳よりも高い。おまえが望むならアルバートは許可するだろうが、おまえはそれで良いのか?アルバートの金を私欲のために使って納得出来んのか?」
「…そ、れは…」
「出来ねぇだろ。おまえは牛乳飲んどけ。そんで、ある程度背が伸びたら酒を飲むようにしろ」
「…はい」

ルイスが大きくなりたいのはウィリアムとアルバートを守るためではあるが、そのためであろうと家が持つ金を使うのは良くないことだろう。
自分で稼いだ金ならいざ知らず、今のルイスは基本的に私財を一切持っていない。
物欲はないし、生活するのに必要なものはアルバートかウィリアムから与えられている。
頼めば用意してくれるだろうが、確かに私欲でアルバートの財産を使うのは心苦しかった。
せめて牛乳は許されて欲しいと、ルイスは揺らいだ結論をもう一度固めてからモランの部屋を後にした。

「…何とかなったな」
「ありがとう、モラン」
「助かりました」

ルイスが去ってしばらくした後、モランの部屋の奥からウィリアムとアルバートが姿を現した。
そろそろルイスがモランの部屋を訪ねる頃合いだろうと先読みして、事前に部屋の中で様子を伺っていたのである。
今しがた出て行ったちんまりした末っ子よりは幾分か大きいウィリアムと、出会った頃よりもすらりと背が伸びているアルバートを見てモランはベッドに寝転がった。

「ったく、何で俺がこんな面倒なことやんなきゃいけねーんだよ。勘弁しろよウィリアム」
「ふふ、ごめんねモラン。僕とアルバート兄さんがいくら言っても聞いてくれなくて」

自分よりも少しだけ小さな弟の姿を思い浮かべ、ウィリアムは穏やかに微笑んだ。
いつだって小さくて可愛い大事な弟が望んでいるものに気付かないはずもない。
ルイスの世界の中心が自分であることをウィリアムは知っているし、そのために健気なまでに尽力していることも知っている。
自分を守りたいと願うその気持ちはとても暖かくて心を擽られるほどに愛しいものだ。
そんな日が来ることはないだろうが、願うだけならばルイスの自由だろう。

「この屋敷に移り住んでからというもの、ルイスは碌に休むこともせず執務と勉学に励んでばかりだったからね。これでは寮に入るまでの間にまた体を壊してしまうところだった」
「モランのおかげでルイスはしっかり眠ってくれるようになったし、食事もきちんと摂ってくれるようになった。心臓が完治したからといって元々丈夫な体ではないし、日々の積み重ねは大事だからね」
「大佐の酒呑みには焦りましたが、うまく誤魔化してくれて何より」
「これでひとまずは安心ですね、アルバート兄さん」

自分よりも遥かに小さいくせにやたらと策略を張り巡らせている二人を見て、モランはもう一度呆れたように息を付いた。
ルイスが些か行き過ぎという程の執着を兄に見せているかと思えば、その兄達もルイスに負けず劣らずの執着を見せている。
あの弟にしてこの兄ありということなのだろう。
ルイスはなるべくしてああいう性質を持っているのだ。
三兄弟それぞれの思惑が頭によぎり、モランは何となく浮かんだ疑問を口に出す。

「おまえらルイスの体に気遣うのはいいけどよ、いざルイスが成長して身長抜かされたら悔しくないのか?男としてというか、兄としてよ」
「何を言ってるんだい、モラン。弟の成長を喜ばない兄はいないよ」
「ふ〜ん」
「それに…」

偽りのない綺麗な笑みを浮かべてウィリアムはモランへと向き合う。
その顔は確かに慈愛に満ちていて、支配者ではなく兄としての表情を思わせていた。

「ルイスが僕達よりも大きくなるほど努力してくれたのならこんなに嬉しいことはないよ。それだけルイスの中で僕とアルバート兄さんの存在が大きいということの証明なんだから」

ウィリアムはにっこりと笑みを浮かべていて、アルバートは同調するように思わしげに微笑んでいる。
嘘も偽りもなく、心からの本心なのだろうことはすぐに分かった。
だからこそ言い知れない感情がモランを襲っていて、過保護などという陳腐な言葉で表現していた自分の語彙の無さを恥じている。
過保護どころではない。
これは一人の人間に向けるには重すぎるほどの独占欲だ。

「僕を想って行動するルイスに結果が付いてきてくれるのなら僕も嬉しい。僕よりもアルバート兄さんよりも、それこそモランよりも背が高くなってくれたのならそれは褒めるべきことだろう」
「そうだね、ウィリアム。ルイスの成長は僕達にとって誇るべきことだ」
「えぇ。とはいえルイスがあんなにも努力してくれているのだから、そう簡単に追いつかれてしまっては兄として確かに悔しいですね。慢心せず、僕達も努力していくとしましょうか」

ルイスの生活態度を改めさせることが出来て至極満足そうな二人の兄はモランの部屋を後にする。
これでルイスの体はより一層健康体へと近付いていくのだろう。
きちんと成長して大きくなったルイスを見ることが出来るのならばウィリアムにとってこれ以上の幸福はないし、一緒に大人になることを信じきれなかったあの頃の自分に教えてあげたいほどの僥倖だ。
そうして嬉しくも楽しげな様子でルイスの元に行こうとするウィリアムを見て、アルバートも大方の心情を察して付いていく。
懸命で可愛らしい弟を構い倒すのだろうが、それを独り占めするのは良くないことだ。
兄とは弟を可愛がるように出来ていて、アルバートはウィリアムからその性質を教わり学んできたのだから。
二人の兄は揃って末弟を構うべく、ルイスがいるであろう場所を数カ所思い浮かべながら足を進めていった。

「…ルイスも大変だな」

あんな兄貴を二人も持って、というモランの言葉は誰にも届かなくて、ひっそりと部屋の中に溶けていく。
似た者同士の兄弟だから上手くやれているのだろうが、ウィリアムとルイスの実兄弟はともかくアルバートは元々実弟がいたのではないだろうか。
その弟に一般的な兄としての感性を養ってもらうことなく、いきなりウィリアムの兄としての姿を見て学習したというならば相手が悪かった。
まぁルイスが気にしていないのなら良いかと、モランはベッドに寝転がったまま煙草の煙を燻らせていた。



(…結局、モランさんどころかアルバート兄様にもウィリアム兄さんにも追いつくことは出来ませんでした)
(どうかしたのかい、ルイス。僕の顔に何かついているのかな?)
(いえ、何もついてはいませんよ。ただ、兄さんはいつも僕よりも大きかったなと思っていただけです)
(へぇ…?)
(子どもの頃は兄さんよりも大きくなりたくて色々と頑張っていたんですけど、無駄な努力でしたね)
(無駄ではないよ、ルイス)
(え?)
(小さくて病気がちな君がこんなにも大きくなって、しっかりと今を生きているのは君の努力の結果だ)
(は、ぁ…)
(ありがとう、ルイス。君が大きくなった姿を見られて、僕はとても嬉しい)
(…はい、兄さん)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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