思い出したくない過去だった


炎の中で生まれた三兄弟のうち、ウィリアムだけが炎を苦手に思ってるかもな、という話。
ルイスはトラウマどころか笑いながら貴族を焼いたからその図太い神経が本当にすき、可愛い。

三兄弟の秘密は燃え盛る炎の中で生まれて落ちた。
伯爵という肩書きに相応しい、絢爛豪華なその屋敷を全て包み込むほどの勢いを持った赤い炎。
罪深い炎とともにアルバートとウィリアムとルイスは新しい絆を作り出しては秘密を共有していった。
始まりはあの日。
焼け落ちていくモリアーティ家所有のあの屋敷と別れた日が三兄弟の始まりだった。
そして、三人の胸にそれぞれの楔を打ち込んだのもあの日だった。
アルバートがウィリアムとルイスの信頼を得た日も、守られるだけのルイスが覚悟を見せて顔を焼いた日も、ウィリアムの理想が最初の形となって現れた日も、全てが燃え盛る炎の中で生まれ落ちたのだ。
三人の中で誰もあの炎を後悔していない。
けれど三人の中においてウィリアムへだけ、あの炎は意図していない熱い楔を打ち込んでいた。
陽が沈むのも早くなり、晩にはぐっと冷え込むことが増えた。
石造りであるモリアーティ家の屋敷は風は凌げても保温性はほぼないに等しく、住人が集う居間では大きな暖炉を設置している。
立派な暖炉は冬の間中に煌々と炎を燃やしているのが常だった。
屋敷を管理しているルイスは事前に用意していた薪を焼べて暖炉に火を灯していく。
暖炉の整備と煙突の掃除は既にモランに頼んで済ませておいたため、この冬初めて使用するのにも支障はない。
もうすぐ出ていたウィリアムが帰宅する頃合いだろう。
早く帰って来れば良いのにと、ルイスはぼんやりと赤く燃える炎を見つめていた。

「お帰りなさい、兄さん」
「ただいま、ルイス」

程よく部屋が温まり、予定していた時刻よりも少しだけ遅い時間にウィリアムが帰宅した。
着ていたコートは風に晒されていたためにひんやりと冷たい。
コートを受け取ったルイスはその冷たさに少しだけ顔を顰め、続けて何も纏っていないその手に腕を伸ばして己の手指を絡めていった。

「外は随分と寒かったようですね。手がかなり冷えています」
「あぁ、あっという間に冬が来てしまったようだ。手袋を持って出れば良かったね」
「用意は出来ております。明日は忘れずにお渡ししましょう」
「ありがとう、ルイス」

冷えたウィリアムの手を温めるようにルイスはぎゅうと握りしめる。
ルイスとてさほど手が温かいわけでもないが、それでも今のウィリアムより確実に温度が高かった。
普段自分を包み込んでくれるウィリアムの手を、今ばかりはルイス自らが優しく包み込む。
あまりその大きさに差はないはずなのに、どうしてだかウィリアムの手はルイスよりも大きくて包容力があるように感じられるのだ。
大きくて頼り甲斐のあるその手がルイスはだいすきで、幼い頃からずっと自分を支えてくれた大事なパーツでもあった。
愛しい気持ちを流し込むように、懸命にルイスはその手を摩り温めていく。
そんな弟の気遣いを心地よく思いながら、ウィリアムの指はルイスの指によって絡め取られて熱を取り戻していった。
じんわりと熱が注ぎ込まれていくような感覚は冬ならではのものだろう。

「暖炉に薪を焼べております。冷えた体を温めてください」
「…ありがとう。行こうか」

僅かではあるけれどウィリアムの指が熱を取り戻したのを感じて、ルイスはそのまま手を引いて温めておいた部屋へと案内した。
冷えた玄関ホールでは兄の体に良くないだろうと、少しばかり急ぎ足で向かうルイスの足取りとは対照的に、ウィリアムは不思議なほどゆっくりと足を進めている。
それを気にせず、ルイスは半ば引きずるようにして愛しい兄の体を温かい空間へと連れて行った。

「屋敷にいた僕にとっては快適な室温ですが、兄さんにとってはいかがでしょう?もっと薪を焼べましょうか?」
「いや大丈夫だよ。丁度良い塩梅だ」
「それは良かった」

煌々と燃える暖炉の炎を目にしたウィリアムの瞳は、普段よりも一層輝いているように見える。
紅い瞳に映る赤い炎。
なんとも魅惑的で、まるであの日のことを思い出すような倒錯感すらルイスの胸には感じられる。
願うならばもっと暖炉に近付いて、冷えたその体を存分に暖めて欲しい。
一人がけ用のソファは常に暖炉近くに配置してあるし、少しの時間だけでもそこに腰掛けてその身に熱を燈らせて欲しいのだ。
けれどもそれが叶わないことをルイスは知っている。
ウィリアムはたとえ凍えるほどにその身を冷やしていても、決して暖炉の側に行くことはない。

「ルイス、おいで」
「はい、兄さん」
「…温かいね、ルイスの体は。ちゃんと冷やさないよう注意して働いてくれてたんだね」
「兄さんの命令ですから。背くような真似はしませんよ」
「そう」

心臓を悪くしていたルイスは成長した今になっても循環が悪く、体温は常に低めを維持してしまう。
その上で更に体を冷やすことのないよう命令したのはウィリアムだ。
自分の命令ならばルイスは逆らわないとウィリアムは知っている。
そして、その命令を誤魔化して結果だけをウィリアムに見せているだろうことも、ウィリアムは当に知っている。
きっとウィリアムが帰宅する直前までは体温のことなど考えずに働いて、帰宅に合わせて帳尻を合わせるように体を温めてから出迎えてくれているのだろう。
昔から自分よりも兄が最優先で、いつだって自分の体については無頓着な弟だ。
体を冷やしてしまう弊害よりも、屋敷の執務を優先する方が彼にとっての優先度は高い。
自分の体に対する気遣いなど、ウィリアムの理想を手助けすることの足元にも及ばないのがルイスらしいと思う。
ウィリアムはルイスの体を抱きしめて、しっとりした肌の中で唯一かさついて歪な感触がする右頬へと長い指を這わせていった。

「痛みはないかい?急な気温の変化があると傷が疼くんだろう?」
「問題ありません。もう何年も経っていますから、たとえ疼きがあろうと些細なことですよ」
「あまり無理をしてはいけないよ、ルイス」
「兄さんは心配性ですね」

苦笑しながらも嬉しそうに口元を緩めるルイスを見て、ウィリアムは湧き上がる感情を押し殺して強く体を抱きしめる。
温かいルイスの頬はウィリアムの指に確かな熱を与えてくれて、けれどどこか無機質な印象すら感じさせる質感が愛おしい。
そして、そんな感情と同じくらいの安堵がよぎっていく。
ウィリアムに抱きしめられて安心したように表情を変えるルイスは、自分以上にウィリアムが安心していることに気付いていないのだろう。
パチパチと薪が燃える音がする。
視界の隅には鮮やかに燃える炎も見える。
そうして目の前には燃え盛る炎が原因で生涯消えない傷を負ってしまった可愛い弟がいる。
ゾクリとした感情が背中を通り過ぎるが、それに名前を付けるとするならばきっと「恐怖」になるのだろう。
愛しい弟を炎に奪われてしまうのではないかという、恐怖。
ウィリアムは現存する概念の中で、炎を最も恐れている。

「…やはり冷えておいでですね。もう少し、側に行きましょうか?」

暖炉の、とは言わなかったが、ルイスはウィリアムのためを思って提案する。
しかし彼の答えは分かっていたため、否定の言葉が返ってきたときには我を通すこともなく引いてしまう。
理由はわからないけれど、ウィリアムが暖炉を嫌っていることをルイスは知っているのだ。
どれだけ寒くとも暖炉に近寄ることはなく、ルイスが薪を足すときにはその手元を見ることなく視線を逸らしてしまう。
暖炉の何がウィリアムの琴線に触れるのかは分からないけれど、冬場は暖炉がなければとてもこの屋敷では生きていけない。
だからウィリアムの気に障らないよう快適な温度を保った室内で、その身を持ってしてウィリアムの体を温めるのがルイスの役割になっていた。
自分を抱きしめる体へ縋るように大きな背中へ腕を回す。
至近距離で見る紅い瞳は美しくて、見慣れているはずなのに思わず見惚れてしまうほどだった。

「ルイスは温かいね」

二度目の言葉に違和感を持つけれど、ルイスは「はい」と答えるだけにした。
温かい体とは生きていることの象徴で、今この瞬間にルイスがウィリアムの傍で確実に生きていることを示している。
大人になるまで一緒に生きられるとは思わなかった可愛い弟。
これから先も一緒に生きられることが、まるで信じがたいほどの僥倖だと今でも思う。
ウィリアムにとって血の繋がったルイスが自分の一番の理解者で協力者であることは、ウィリアム唯一にして最大の自慢であり幸運だ。
彼はいつだって守ってあげたい大事な存在で、事実ずっとずっとウィリアムが愛しく大切に守ってきた。
守られたくないというルイスの自我すら受け入れて、それでもウィリアムにとっての庇護下に置いているルイスの顔に存在する、とても目立つ大きな傷跡。
その傷跡はウィリアムにとっての未熟さを示す後悔の証だった。

「…ルイス」
「はい、兄さん」

全てを焼き尽くす炎は恐怖の象徴でありながらも人間を魅了する。
危険であろう火を好ましく思う人種は必ず一定数存在するのだ。
ウィリアムとルイスは炎に対して特別好意的な感情を抱いてはいない。
それどころか、ウィリアムは炎を無意識に嫌っているほどだった。
自分の理想を追い求め、ようやく第一歩を歩み始めたきっかけであるあの日のことを生涯忘れることはない。
孤独だと思っていた道を信じて付いてきてくれる兄と弟と意識を共有できたのだから、人生において特別な一日であることは確実だ。
そうだというのに、あの日はウィリアムにとって思い出したくない過去そのものだった。
大切なあの日の象徴でもある炎に対し、ウィリアムは恐怖を抱いている。
完全犯罪だと豪語した自分の計画へ、いともあっさり色鮮やかな一筆をくれたルイス。
その一筆の結果でウィリアムの計画はようやく完全犯罪として形作られ、代償として彼の顔には生涯消えない傷が残ってしまった。
可愛い弟のしっかりした覚悟は嬉しくもあり、けれど自分の未熟さを突き付けられる気分だった。
ルイスの頬を見てはその覚悟を愛しく思うけれど、燃え盛る炎を見れば自分の計画への後悔ばかりが募るのだ。
もっと他に方法があったのではないか、ルイスが顔を焼く前に気付くことが出来たのではないか、ルイスが炎にその身を明け渡すことを防げたのではないか。
あの日以来、ウィリアムが苦悩しなかった日は一日として存在しない。
自分の計画が甘かったせいで、ルイスは顔を焼いてしまったようなものなのだから。
今でこそ愛しさの塊であるけれど、煌々と燃える炎を見れば見るほどウィリアムの心は痛むのだ。
ルイスがウィリアムではない炎に魅入られ、自分の元を離れてしまうような心地さえして落ち着かない。
愛しい弟の一番は常に自分であってほしいと、兄が持つ以上のエゴをウィリアムは自覚している。
そのエゴを焼き尽くすような炎の存在がウィリアムは嫌いで、いっそ恐怖すら実感していた。

「もう少しだけこうしていても良いかな」
「勿論です、兄さん」

暖炉を背にしてソファに腰掛け、隣に座るルイスの体をもう一度抱きしめる。
視界に映るのは世界で一番愛しい弟の姿だけだ。
どんなに寒くても炎の熱ではウィリアムの心が温まることなどない。
ともに生きてくれているルイスの熱を分け与えてもらうことでしか、ウィリアムの身も心も納得してくれることはないのだ。
見られることを嫌っている右頬に視線をやり、頬を合わせるように互いの顔を擦り合わせる。
今この腕の中に存在してくれているルイスこそが何よりの奇跡だ。
歪な感触を特に好ましく思いながら顔を動かし、ウィリアムは薄い唇でその傷跡にキスをした。

「…兄さん?」
「今日と明日、疼くことのないようにおまじないだよ」
「…ありがとう、ございます」

吐息が掠める至近距離で、ルイスはウィリアムからの柔らかなキスを何度も何度も受け止める。
炎を前にしたウィリアムの様子が普段と違うのはもう何年も前から気づいていたことだから、敢えて拒否を示すこともない。
きっと兄の精神にとって、この傷へのキスは必要なのだろう。
ルイスはそう解釈しているからこそ肩を強張らせることなく、ウィリアムの良いようにされていた。
ウィリアムが満足してくれるならルイスにとってそれが一番なのだから。

「ルイス、明日の講義に使う書類作成を手伝ってくれるかな」

顔を上げたウィリアムの後ろには燃え盛る炎が見える。
それはとても魅力的で、言い知れない恐怖すら感じる美しさだ。

「はい。僕に出来ることであれば何でもします」

腕の中には穏やかに微笑むルイスだけが存在している。
大事な弟を炎に連れて行かれないよう、ウィリアムは繋いだこの手を絶対に離さないと気持ちを新たにしてその体を抱きしめた。



(…ウィリアム兄さんは、どうして暖炉がお嫌いなんでしょう)
(僕が暖炉を?どういう意味だい?)
(自覚がないのですか?兄さんはもう何年も暖炉に近寄ることがありません。どんなに体が冷えていても、決して火で温まろうとはしない)
(…そうだったかな)
(何か気になることでもあるのでしょうか?)
(特にないよ。ごめんね、気にしていなかったよ。強いて言うなら…そうだね、暖炉で温まるよりもルイスを抱いていた方がすぐに温まるからかな)
(…冗談はやめてください)
(冗談なんかじゃないさ。人肌が一番効果的に体温を上げると言うのは事実だよ。試してみるかい?)
(…誤魔化されている気がします)
(気のせいだよ、ふふ)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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