囮に相応しい人間、それは


小説版二巻の「永遠のこどもたち」ベースの子ども三兄弟。
兄様が長男してて、ウィリアムが兄であり弟であり、ルイスが末弟らしく2人に守られているのがだいすき。

「ならば僕が囮になりましょう」

迷いのない瞳でウィリアムを見るルイスという存在を、アルバートは驚いたように二度見してしまった。
元孤児とは思えない優雅な振る舞いは、モリアーティ家に引き取られてからの貴族を見て観察した賜物なのだろう。
痛々しく目立つ傷跡を伸ばした前髪で隠して尚、その瞳には痛ましさの一片もなかった。
だからこそその言葉には嘘も偽りもなくて、そればかりか考え得る最悪の事態すら受け入れているような覚悟すら感じられる。

「…ルイス、自分が何を言っているのか分かっているのかい?」
「勿論です、兄さん。彼が殺す気で来るのであれば、真っ先に狙われるのは間違いなく僕だ。これを利用しない手はありません」
「ルイス!」
「…ふむ」

ルイスの言葉にアルバート以上に驚いたのがウィリアムで、意味を理解した途端にその端正な顔には戸惑い以上の嫌悪が滲み、その顔のまま唯一無二の弟を見る。
そんな表情を向けられてもルイスの表情は変わることもなく、囮になると言った自分の言葉を撤回する気はなかった。
ロックウェル伯爵家に厄介になったモリアーティ家子息である三人は、か弱い羊の皮を被りながら眈々と爪を研ぐ準備を進めていた。
聞き分けが良く優秀で、けれどもとても哀れな三人きりの小さな家族。
本当の中身はともかくロックウェル家に住まう人間にとって、モリアーティ家の三兄弟はそういう存在だった。
いや、そういう存在で在るよう、三人は苦もなく徹底して演じてみせていた。
それだけで単純な貴族の目は簡単に誤魔化すことが出来たし、お人好しな使用人の目などあってないようなものだ。
何よりこの屋敷の人間に共通するのは、三兄弟ないし長子のアルバートがいずれ「モリアーティ伯爵」としての爵位を継ぐことが明白だ、という認識だった。
今は引き上げられている領地もいずれは返還され、聡明な彼が伯爵になることは約束された未来である。
ならば今のうちに恩を売っておくのが間違いない対応だと、それが当主から掃除婦含めた全員の共通認識となっていた。
けれど、その全員に収まりきらない人間が一人だけいた。
ウィリアムがその対象に目を付け観察した結果で分かったのは、執務を統括するジャック・レンフィールドという人間が、ただ有能な執事の枠に収まりきらない存在だということである。
秘密裏に彼の素性を調べ上げた経歴から見ても、今後の理想のために彼を利用しない手はない。
ウィリアムの理想は誰かを駒のように使うのではなく、まず自らの手を汚すことを前提としているのだから。
そのためには相応の技術を身につけなければならず、ジャックという人間ならば我が身を守る術だけでなくちゃんとした殺人術を習うに値する存在だった。
そして脅迫にも似たカマをかけることで味方に引き込んでみせると豪語するウィリアムが策を練り、それを家族かつ同士であるアルバートとルイスに話したところ、ルイスから想定外の提案が出たのだ。
驚かないはずもない。

「ウィリアム兄さんの予想が正しいのならば、兄さんがした提案後の彼は間髪入れずに僕たちを殺しに来るのでしょう?経験豊富な元軍人がまず狙うのは確実に仕留められる存在…この中では僕しかいません」
「ルイス、そんなことは…」
「アルバート兄様は僕とウィリアム兄さんよりも体が出来上がっている。ウィリアム兄さんは僕のように病で伏せていた過去を持っていない。彼が知りうる僕たちの外見と過去を考えれば、まず真っ先に狙われるのは僕です」
「あぁ、そうだろうね。ウィリアムの予想を正しいと想定するならば、ルイスの予想もまた正しいと想定せざるを得ない」

ウィリアムがジャック・レンフィールドという人間をプロファイリングした結果、秘密を握られた幼い子どもなど目障りな存在でしかないというのが一番に上がってきた。
ならば余計なことを知る自分たちを、彼は必ず始末しにかかるだろう。
恐らくはテストとでも称して襲ってくるに違いなく、しかも提案からテストまでの時間は限りなく短いはずだ。
悠長な時間を与えれば与えただけ目障りな存在を容認しなければならないのだから、ウィリアムの提案後の彼はその場ですぐに自分たちを殺しに来る。
ならば自分たちはそれを逆手に取り、技術を教え込むに値する存在だと思い知らせてやれば良い。
事前に十分な準備をしてからジャックを誘き出せば勝算はあると、ウィリアムがそう提案した返答が先のルイスの言葉なのだから、驚かないはずもなかった。
ルイスの判断もアルバートの評価も的確で、ウィリアムが改めて考えてみても確かに二人の言葉通りの道を辿るのは一番確率の高い事実だ。
そこに一つ、ウィリアムの感情を織り交ぜなければ両手を上げて賛同したことだろう。

「…そうだとして、囮になるというのはどういうことなんだい?」

大事な弟が、凄腕の元殺人鬼の前で囮になると言っている。
その言葉の意図が分からないほどウィリアムは鈍くないし、恐らくは脳裏によぎる予想と寸分違わず同じなのだろう。
けれども万に一つの可能性をかけて、ウィリアムは眉間に皺を寄せながらルイスを見た。

「兄さんの提案の後、彼がテストをすると発言した場合には僕が隙を見せます。何のことだか分からないという姿を見せ、テストの準備をするとでも言って背中を見せれば釣られてくれるでしょう」
「…それは」
「なるほど…良い案だね、ルイス。無知を装い、緊張感のない様子を見せられれば、僕でさえ隙を感じて簡単に仕留められると考えるだろう。元軍人という彼なら尚更だ」
「はい。僕が囮になっている間、お二人は事前に準備してある部屋へ向かってください」

アルバートからの評価に自信を付け、ルイスは頷いてから新しく兄となってくれた彼を見上げた。
大きな瞳からは誇らしさが感じられる。
まだまだ幼く守られてばかりだと思っていた末の弟は、もう既に逞しいほど成長してはウィリアムのために在ろうと懸命だった。
その姿が何とも健気で可愛らしい。
けれどアルバートのそんな評価もウィリアムには関係のないことで、言葉通りのシュミレーションをしては思い浮かぶ結果を否定するように頭を左右に振っていた。

「…駄目だ。ルイスがそんな真似をすれば、確かに彼はルイスの元に行くでしょう。でもその後は?彼が執務の最中に武器らしい武器を持っていないことは間違いない。けれど、彼には素手でルイスをどうにか出来るだけの力は十分にある」
「…振り切ってみせます」
「偽るのは止めなさい、ルイス。君が死ぬことを前提としたテストのクリアなんて、僕もアルバート兄さんも望んでいない」
「ですが、ここで彼の教えを貰わなければ兄さんの理想は実現出来ません!」
「僕の理想と君の命、どちらを取るかすら言葉にしなければ分からないのかい?」
「…で、ですが…!」

目の前で繰り広げられる弟二人のやりとりを、アルバートは表情なく見守っていた。
ルイスの言い分もウィリアムの言い分も所々で理解出来る。
アルバートもウィリアムの理想のためならば命を捧げる覚悟は出来ているし、誰も手にかけておらず真っ白に美しいままのルイスを犠牲にすることも許しはしないだろう。
だからといって、ジャックはウィリアムの提案に何の抵抗もなく了承するほど甘い人間ではないはずだし、テストと称して間髪入れず口封じに来るのは確かだ。
そうしてルイスを殺しにかかるジャック、という図を想像して、アルバートは揉めている弟たちに助言をした。

「なら、ルイスに狙いを定めた彼を僕が仕留めに行こうか」
「え?」
「に、兄様?」
「彼は間違いなく小柄で弱いだろうルイスを殺しに来る。武器を持たない状況で狙うのは首以外にないだろう。ならば彼がルイスの首を締めて落ちるまでの間、僕が彼を狙いに行く」

アルバートはその考え全てを言わなかったが、ルイスはともかくウィリアムにははっきり伝わっているだろう。
いくらルイスを殺そうとしている最中だろうと、アルバートに簡単に仕留められるほどジャックも鈍ってはいないはずだ。
仕込んだナイフで切りかかろうとしても致命傷は与えられず、けれども手にかけようとしていたルイスを放る程度はしてくれるかもしれない。
ルイスを殺しに来るその動きでジャックを試しつつ、本当に狙うのは捕らえられた弟の解放だ。
三人揃った状態で彼が提示したテストを合格すれば、およその目的は果たせるだろう。
そんなアルバートの真意を察しつつ、ウィリアムはもう一度その優れた頭脳を働かせて起こりうる状況を考えていく。

「…彼が僕たちをテストするとして、そこにルイスがいなければ僕たちの合格はありえない。ルイスの覚悟は立派だ。けれど、実際に死ぬことは許さない」
「わ、かっています」
「…アルバート兄さんがその状況で彼を狙いに行くというのは良い案かもしれません。勿論、成功したときと失敗したときと両方のパターンを考えなければなりませんが」
「あぁ。それは君の得意分野だろう、任せるよ」

本当ならば自分が助けに行きたいのだというウィリアムの気持ちが、アルバートにはひしひしと伝わってくる。
だが放られたルイスをしかと受け止め、かつすぐにその場を立て直すことが出来るかと問われれば否だ。
ウィリアムよりも体格の良いアルバートの方がその場をやり過ごせる可能性は高い。
ならば自分は仕込みをした部屋に誘き出すために尽力するべきなのだろう。
ルイスが囮になって油断を誘い、アルバートが身体能力と判断力を持ってして彼と対峙し、ウィリアムはその頭脳を持ってして現場を撹乱させる。
アルバートは三人それぞれの役割を考慮した上で、自らジャックを狙いに行く提案してみせたのだ。
状況判断が的確で頭の回転が早い兄は、たった三年であろうとさすが年長者としての貫禄があった。
彼のように、感情的にならず策を進めていけるようになるべきなのだろう。
もしくは、感情を優先しても問題ないような策を考えられるようになるべきなのかもしれない。
まだまだ自分は未熟なのだと、ウィリアムはルイスを守る役目を放棄した今この瞬間にその事実を痛感していた。
ウィリアムは修正が入っても概ね自分の提案が受け入れられたことに満足げなルイスを見て、ようやく顰めていた表情を緩めて息を吐く。
その表情はどこか悲しげで、どこか悔しそうにも見えた。

「ルイス、致命傷を負ってもその後に支障が出る。あまり無理をしないようにね」
「はい。彼が本当に殺す気で来るのか、僕が見極めてみせます」
「…彼の手腕を確認するには絶好のチャンスだ。よろしく頼んだよ」
「任せてください、兄さん」

自分の役割を認識して、ルイスはより一層の覚悟を決めたようにウィリアムを見る。
その瞳には少しの躊躇いもなくて、あぁこの子はもし死んだとしても、一切の後悔すらしないのだろうなと、ウィリアムにそう思わせてしまうような色をしていた。
事実、ルイスはきっと後悔しない。
自分の命を使ってジャックを試すことが出来るのならば、それは将来的にウィリアムのためになると信じているから、きっと後悔しないのだ。
たとえルイスが後悔せずともウィリアムが後悔することなど、今のこの子は一切考えていないのだろう。
もっと自分のことを大事にして欲しいと願ってやまないけれど、ルイスの分まで自分が大事にしてあげれば良いだろうとウィリアムは気持ちを引き締める。
そうして正面に座るアルバートを見た。

「兄さん、ルイスをよろしくお願いします」
「あぁ。安心するといい、ウィリアム、ルイス」
「はい、兄様。兄様ならきっと彼に見事な一撃を与えられるはずです」

最近になってようやく懐いてくれたルイスは少しだけ申し訳なさそうに、それでも信頼した様子でアルバートに笑みを見せた。
彼ならきっと上手く立ち入ってくれるだろうという安心感すらある。
ウィリアムもルイス同様に、彼ならばきっとルイスが致命傷を受ける前に助けてくれるだろうと信じていた。
彼ならば大事な弟を任せられる。
任せるに値する存在だと、ウィリアムは縋るようにアルバートを見上げては小さく呟いた。

「…頼りにしています、兄さん」

ルイスを守る役目が自分ではないことに悔しさはあるけれど、今の策で確実にルイスを守ることが出来るのはアルバートだ。
それを寂しく感じる気持ちもある。
だが、二人だけで生きてきた世界にアルバートが来てくれたことは純粋にありがたいと思う。
自分以外にルイスを託せる存在に出会えた奇跡は、自分以外の誰とも分かち合えないだろう。
ウィリアムは穏やかに微笑み、不測の事態にも対応できるように兄と弟と一緒になって策を詰めていった。



(兄様、あのとき放られた僕を受け止めてくれてありがとうございました)
(大したことではないよ。君に大事なくて良かった)
(ありがとうございます、兄さん。兄さんのおかげでルイスに大きな怪我もなくテストに合格できました)
(いや、全てはウィリアムが立てた計画のおかげだろう。さすがだな、ウィリアム)
(そうですね、合格は兄さんのおかげです。これで兄さんの理想にも一歩近づけましたね)
(…ありがとうございます、二人とも。でもまだまだ修正の余地はあったはずです。今後はもっと危険のない計画を立てていかなければならない)
(そうでしょうか。兄さんの計画はいつも危険もなく完璧だと思いますが…)
(ルイスに万一の可能性があった時点で、今回の計画には穴があったんだよ。君は気にしていないかもしれないけどね)
(ふ…ウィルの言う通りだな。ルイス、君はもう少し自分の体を大事にしてあげるべきだ)
(…わかりました、兄さん、兄様)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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