ルイス、社交界デビューをする。
ルイスの社交界デビューにまつわる三兄弟。
貴婦人を上手くあしらえずに戸惑うルイスは絶対にいるし、今も上手くあしらえないからお茶会ではハブられていたんだと思う。
「良い機会だろう。あの子を連れてきてほしいという意見も多数聞こえている」
「…そうですか。それは初耳ですね」
「物珍しいのだろうな。だが悪いようにはならないはずだ。良い経験になると、あの子に伝えておきなさい」
「……了解しました、ロックウェル卿」
念願叶って気の休まる弟二人と三人だけの生活を始めていたアルバートだが、今日は近況報告のため世話になっていたロックウェル伯爵家へ一人訪れていた。
主人とその妻に迎えられ、ブランデーで風味を付けた紅茶を味わう。
以前はこの味に慣れていたものだが、今となってはこの屋敷に従事する師が淹れたものより、末の弟が淹れたものの方がよほど舌に馴染むようになっていた。
微かにアルコールが香る紅茶は本当ならば寝酒代わりに飲むべきものなのだろうなと、アルバートは目の前の主人好みに淹れられた紅茶で乾いた喉を潤していく。
そう当たり障りなくロックウェル伯爵との話を続けていたアルバートだったが、彼から提案されたことに思わず目を剥いてしまった。
「日時は追って連絡しよう。ウィリアムと、そしてルイスを必ず連れてきなさい」
「…えぇ、それは勿論」
後日、この家が所有する会館で催される社交界。
今までにも幾つかの招待を受けており、その中で必要最低限のものにアルバートは次期伯爵として胸を張って参加してきた。
実弟に成り代わったウィリアムもイートン校を卒業して以来、アルバートとともに幾度か近隣貴族との交流を経験している。
モリアーティ家次期当主であるアルバートと次男であるウィリアムが場にいれば、身分以上にその麗しい外見で空気が洗練されるのだから他の貴族、特に令嬢や貴婦人からの評判は上々であった。
ゆえに末のルイスを社交界の場に連れて行くことはなかったのだ。
人見知りの気質が強いルイスを衆人監視の場に連れていくことは彼にとって大きなストレスだろう。
いや、正確には会場に連れて行ったことはある。
だがあくまでも使用人としての立場を強いてきたため、フロアに足を踏み入れることは滅多になかったのだ。
フロア外で待たせているか、馬車の中で待機させていたことしかない。
ルイスが養子であることはある程度知れているのだから、わざわざ元孤児の子どもを連れていかずとも不自然ではないだろうと考えていた。
アルバートもウィリアムも、公の場にルイスを出したいとは思わない。
謂れなき誹謗中傷をその身に受けることを許せはしないし、それを掻い潜ったとして婦人の毒牙にかかるというのも許せない。
ルイス本人も出たいということはなかったから都合が良いと考えていたというのに、目の前の伯爵は兄としての思惑をいとも簡単に崩してしまった。
「……よりによって、あの子の名を名指しされてしまうとはな」
アルバートとウィリアムの思惑と違い、ロックウェル伯爵はいつまで経ってもルイスが公の場に出て行かないことに納得していなかったらしい。
貴族という身分の割に人の良い彼は、純粋にルイスが今持つ身分を憂えているのだろう。
もしくは、親しくしている他の貴族にモリアーティ家の末弟を連れて来るよう依頼されているのかもしれない。
おそらくは後者だろうと検討を付けて、ロックウェル家が親しくしている貴族の名を脳裏に思い浮かべては嘆息する。
思い浮かぶだけでも派手好きな貴婦人や令嬢が数名おり、好奇心ゆえルイスを表舞台に引きずり出したいのだという考えがありありと分かってしまった。
ロックウェル伯爵が言った良い経験という言葉に偽りはない。
あらゆる経験はルイスの糧となるのだし、今後を考えると場の空気を知っておくことは決してマイナスにはならないだろう。
だが、理屈は分かっていても感情が追いつかないのだ。
ルイスが持つ憂いを帯びた儚げな存在感は、きっと美しいものを好む婦人の興味を引く。
生い立ちゆえの誹謗中傷を投げかけられる可能性はあるだろうが、そのためだけにわざわざルイスを社交界に招待するはずもないのは明白だ。
ロックウェル伯爵は身分高い貴族にしては珍しくルイスのことを気にかけていて、ウィリアムと差異を付けることなくフラットにルイスへと接してくれていた。
アルバートが周囲への牽制を込めて弟二人を分かりやすく可愛がっていたからだろう。
そんな彼がわざわざルイスを連れてくるようアルバートに命令したのだから、ルイスにとって悪いようにはならない自信があるに違いない。
では、ルイスを求める人間が何を狙っているか。
改めて考えるまでもなく、モリアーティ家秘蔵っ子であるルイスに近付いて、彼を味見したいだけだろう。
爵位を継ぐことのない元孤児という肩書は、彼を狙う婦人を遊びとはいえ積極的にさせてしまう。
ルイスが持つ整った容姿に惹かれた人間だけでなく、頬にある傷跡に興味を唆られた人間が来る可能性を考えると頭が痛くなる。
アルバートは重い足取りのまま馬車を降り、普段よりも重たく感じられる我が家の扉を開けた。
「お帰りなさい、アルバート兄様。お変わりありませんか?」
「あぁただいま、ルイス。大事なかったよ。伯爵も先生もお元気そうだった」
「それは良かった。ウィリアム兄さんがリビングでお待ちですが、お部屋で少し休まれますか?」
「いや…すぐに向かおう。ルイス、飲み物を用意して君もすぐに来てくれるかい?話があるんだ」
「分かりました。すぐ伺います」
扉を開けたアルバートへ間髪入れず近寄ってきたルイスへ、アルバートは知らず眉に込めていた力が抜けていくのを感じる。
イートン校での休暇を利用して寮から帰宅していたルイスの存在は、アルバートならずウィリアムの心をも癒してくれていた。
帰宅して可愛い弟達の顔を見られること以上にアルバートが癒されることもないのだから、この時間が出来る限り長く続けば良いと思う。
だが現実にはルイスの休暇はあと数日で、しかもその内の一日はパーティーで潰れてしまうのだ。
これを憂鬱と言わずして何を憂鬱と称せば良いのだろうか。
アルバートはルイスが厨房へと向かうのを見送ってから、ウィリアムが待つというリビングへと足を向ける。
緩んだ表情はまたも硬く張り詰めていた。
「ルイス。今度の社交界、君にも来てもらいたい」
舌に馴染む紅茶で喉を潤し、アルバートは重苦しくその口を開く。
正面にルイス、その隣にウィリアムが座るこの位置は、二人の反応の違いを見るのに都合が良い。
察したように眉を潜めるウィリアムとは違い、ルイスは心得たとばかりに軽く頷いては声を出す。
「分かりました。休暇中ならば僕の都合はいつでも構いません。いつものように外で待機していれば良いのでしょうか?」
「いや、そうではない」
「…申し訳ありませんが、まだ馬の扱いに慣れていません。御者としての役目でしたら力不足かと思うのですが」
「違うよ、ルイス」
「ウィリアム兄さん」
いつものように介添人としての役割を与えられたのだと張り切るルイスへ水を差すように、ウィリアムはアルバートに負けず劣らず重苦しく口を開いては否定した。
ルイスがふとウィリアムを見れば表情は冴えず、続けて見上げたアルバートも同じように苦痛に満ちた顔をしている。
まだ御者として独り立ち出来ていない己の未熟さに呆れているのかと思ったが、そうではないのだと暗に言われたようでルイスは思わず口を噤む。
「…アルバート兄さん、ロックウェル伯爵からの御命令でしょうか?」
「あぁ。良い経験になるだろうと言っていたが、本音は別だろうな」
「…そうですか。えぇ、そうでしょうね。…はぁ」
「断り切れなかった私の失態を許してほしい…はぁ」
「いえ…いつかこういう日が来ることは分かっていました。アルバート兄さんに責任はありません」
「…兄様、兄さん、どうされましたか?」
兄達の間で進む会話に少しばかり付いていけなくなったルイスは静かに二人を呼ぶ。
ルイスには自分が社交界に招待されるという発想がそもそもない。
顔に大きな傷のある元孤児の養子であるルイスのことなど、誰も求めはしないだろう。
介添人か御者、それ以外の理由でルイスが社交界の場に赴く理由はないのだから、いったい何が二人を悩ませているのかがよく分からなかった。
アルバートもウィリアムも、あまり社交界の空気そのものを得意としていないから面倒なのだろうか。
遠くから見る二人はいつも張り付けたような笑みを浮かべて偽りだらけの言葉を口にしていたから、ルイスとてそれがさぞ窮屈なのだろうとは知ってはいる。
知ってはいるが、それだけなのだ。
二人が持つ苦労をルイスは知らないままである。
「ルイス。君に社交界への招待の話が来ている」
「え…?僕に、ですか?」
「あぁ」
大きく息を吐いてから、アルバートは苦々しく口を開いてはルイスにも分かりやすいよう言葉を出した。
それはルイスの中に存在しなかった提案で、何かの間違いだろうという気持ちが拭えない。
だがアルバートの顔を見てもウィリアムの顔を見てもおそらく聞こえてきた言葉は真実で、傷物の養子である自分が華やかなパーティーの場に招待されていることを実感するばかりだった。
アルバートとウィリアムならば、身分だけでなくその整った顔立ちに需要があることはすぐ分かる。
だが自分は違う。
傷物の養子である自分がロックウェル伯爵に招待される謂れはないことくらい、すぐ分かるのだ。
彼の屋敷に身を寄せていたときに嫌な思いをしたことはないが、だからといって信用出来るはずもない。
先程アルバートが言っていた、彼の本音が別にあると言うのならばきっと言葉の通りに違いないのだろう。
ルイスは自分が公の場で嘲笑されることを望まれているのだと、そう解釈した。
心優しい二人の兄はそれを危惧して、ルイスを慮るがゆえに冴えない表情を浮かべているのだ。
全くもって、勘違い甚だしいことである。
「…分かりました。モリアーティの名に泥を塗らぬよう、精一杯努めさせていただきます」
元よりルイスは理由なき中傷には慣れている。
孤児だった頃に直接投げかけられていた言葉のナイフは、今では影から身を突き刺す槍へと変わった。
傷付かないといえば嘘になるのだろうが、刺されるたびに一々傷付いていては身が持たないのだ。
ルイスは早々に心を閉じて自分を守ることにしていたし、傷付く以上にウィリアムとアルバートが真摯に接してくれるのだからそれで満足だった。
公の場で嘲笑の的になろうと耐え切ってみせる。
雑な振る舞いをすれば後の噂になるだろうし、反論しても敵意を抱かせてしまうことだろう。
ならば相手に合わせた道化になれば良いと、ルイスは招待を受けたアルバートのために感情を押し殺すことにした。
「ルイス、本当に大丈夫かい?こういっては怖がらせてしまうけど、彼女達の勢いには凄まじいものがある。君が上手くあしらえるとは思えないんだ」
「大丈夫です、ウィリアム兄さん。どんな言葉を投げかけられようと、向こうに不快な思いをさせないよう注意します」
「ルイス…」
彼女達、という言葉に一瞬だけ疑問を感じたが、パーティー場面では異性同士ともにいるのが普通なのだということを思い出す。
怒鳴り散らす野太い声よりも、気に障る甲高い声の方がまだ気は楽かもしれない。
細身ではあるがジャック直々に鍛えられているのだから女相手に怪我をすることもないのだし、むしろ都合が良いと、おそらくはルイスがそう考えているだろうことにウィリアムは頭を抱えた。
「…ルイス。僕か兄さんのそばからなるべく離れないように。身の危険を感じたらすぐに合図を出すんだよ」
「分かりました」
兄さんは心配性ですね、という表情を浮かべている弟を見て、ウィリアムは堪えきれずに大きく息を吐いた。
そうしてすぐ目の前にいるアルバートを見る。
彼は弟二人の様子を見て、ウィリアムと同調するように呆れと心配を滲ませた表情を浮かべていた。
「…ウィル、当日は互いに注意しようか」
「えぇ、頑張りましょう兄さん」
「僕もお役に立てるよう頑張ります」
「あぁ、うん。ルイスも程々にね」
ルイスはあくまでも、自分に対する嫌悪と嘲笑を受け止めるためだけに社交界への参加を覚悟している。
当然そういったこともあるだろうが、今回ばかりは話が違う。
おそらくはルイスに好意的な感情を向ける人間が多数いるはずだ。
そういった人間をルイスが上手くあしらえるかどうかなど、考える余地もないくらいにノーである。
ウィリアムとアルバート以外には決して心を開かないし、イートン校でも友人と呼べる存在はいない。
そもそもルイスは好意を向けられることにすら慣れていないのだから、羽目を外した婦人に良いようにされる未来が容易く脳裏に浮かぶ。
ウィリアムは己の想像に身震いするように肩を震わせた。
招待を受けたアルバートに恥をかかせないよう傷付く覚悟を決めている健気な弟を、兄である自分は何としてでも守らなければならない。
兄さん寒いのですかと見当違いなことを心配するルイスに微笑みかけ、寒くないよありがとう、とウィリアムは優しく返してあげた。
そうしてやってきたルイス初めての社交界の場。
招待された分の仕事はこなそうと覚悟を決めたルイスを待ち受けていたのは、想定外の仕事内容だった。
「ねぇルイス様、ご趣味はありますの?」
「え、ぁ、あの…」
「素敵な御召し物ですのね。綺麗なカフスですわ」
「は、はぁ」
「以前モリアーティ家の近くを通りましたのよ。今度お邪魔しても宜しいかしら?」
「え、それは」
「ルイス様、こちらをご覧になって」
「…っ…!」
想像と違った。
ルイスは衆人環視の元、場にそぐわない身分と傷跡で笑い者にされるのだとばかり思っていた。
心を鎮め、いざ、とアルバートとウィリアムに続いて会場内へと足を踏み入れれば、兄によって数名の男性に紹介をされた後、初めて見る女性達によりあっという間に囲まれてしまった。
アルバートもウィリアムもそれぞれ他の貴族を相手にしている。
ルイスも彼らに付いていようかと思ったが、ふと気付けば女性達に囲まれていたのだ。
全員に見覚えがないわけではなく、何人かはアルバートからの指示で目を通したことのある書類に載っていた女性だ。
今夜のパーティーは結婚相手を見つける場ではないのだからこれも遊びの一環なのだろう。
だがそれにしたって、まさか自分が目を付けられるとは思っていなかった。
ルイスは漂う香水の匂いと甘ったるく聞こえる声に戸惑い、ほぼ何も返せず呆然とグラス片手に立ち尽くしている。
おそらくは好意を向けられているのだろうと思う。
だが好意であろうと悪意であろうと、誰かの目に自分の存在を気にされることを嫌うルイスにとって、今この状況は苦痛以上のものだった。
「アルバート様はワインがお好きですのよね。ルイス様もワインはお好きなのかしら?」
「ぇ、あ…はい。アルバート兄様が飲まれるワインの幾つかは私が選んでいますので」
「まぁ素敵!ワインにお詳しいなんてさすがですわね、ルイス様」
「は、はぁ…」
美しく化粧をしているその顔に笑みを浮かべ、ひたすらにルイスを褒めている女性はまるで花に集まる蝶のようだった。
いや、蝶ではあまりに表現が美しい。
紳士然とした佇まいでありながら女性慣れしていないルイスの雰囲気にむらがう女性の姿は、暗がりに灯る光へ集まる蛾のようだった。
「(な、な…想像と違う、何でこんなことに…に、兄さん、兄様…!)」
ウィリアム譲りの愛想笑いですら上手く作れず、いつもならばもっと上手に表情を取り繕えているだろうに、今のルイスは想像の範囲外にある婦人達の勢いに圧倒されるばかりである。
ルイスは咄嗟の判断力に欠けている。
だからこそ常に先を予測して行動出来るようジャックに教えを貰っていたというのに、まさか戦闘に限らず日常生活においてもそれが必要になるとは思っていなかった。
本人なりに先を予測してはいたが、予測パターンがあまりにも少なすぎたのがルイスの敗因だろう。
そもそも積極的な女性というのははしたなさの極みではないだろうか。
自分は貴族ではないからはしたないところを見せても問題ない、都合の良い遊び相手だと思われているのだろうか。
どちらにせよ、ルイスはこの場を切り抜けられるだけの方法を持ち得ておらず、助けを求めるようにウィリアムとアルバートを探して視線を動かした。
「こんばんは、レディ。弟の相手をしてくださってありがとうございます」
「まぁウィリアム様!お久しぶりですね」
「今夜も素敵ですわね」
「あなたの美しさも特別ですよ、レディ」
「まぁお上手」
「(に、兄さん…!)」
ルイスがウィリアムの姿を探すよりも先に、彼がルイスの元へとやってきた。
いつも見せている穏やかな微笑みを浮かべ、ルイスにむらがう蛾を一人一人丁寧に払っては距離を取るよう促していく。
ウィリアムはルイスが集めていた興味を全て自分へと集め、グラスを傾け乾杯をしてはワインを煽り飲んでいく。
突然現れた美しき天才数学者に女性達は大満足だ。
ルイスの代わりにウィリアムを囲い、我先にと会話しようと狙っている。
そんな様子をルイスは見つめ、ようやく自分は兄に助けられたのだと理解した。
どうしよう、と戸惑ったように眉を下げていた弟の頬が歓喜に染まるのを見て、ウィリアムは何とか間に合ったと内心で冷や汗をかいていた。
予想通りの展開で、もはや笑いすら出てくることはない。
「おやルイス、疲れてしまったのかい?顔色が良くないようだ」
「え、ルイス様大丈夫ですの?」
「今夜が初めてのパーティーですものね、無理をしてはいけませんわ」
「もう少しお話ししたかったけれど…」
「馬鹿ね、ルイス様に無理をさせてはいけないでしょう」
「ルイス様、どうぞお休みください」
「ぇ、あ…ありがとうございます」
「行こうか。せっかくの時間だというのに申し訳ありません。また次の機会にゆっくり話しましょうか」
「是非。今度はお屋敷にもお伺いしたいですわ」
「えぇ、機会がありましたら」
方便ではなく本当に顔色が優れないルイスの背中を押し、ウィリアムは会場の外へと歩いていく。
未だ混乱しているルイスを他の貴婦人の目から隠すように連れ立って歩けば、それだけでルイスの動揺は少しだけ晴れていくのだから不思議なものだ。
混ざり合ったキツい香水の香りではなく、ウィリアムが好んで使うハーブの清涼感を模した香水の香りを感じながらルイスは気持ちを落ち着ける。
歩きながらウィリアムは背の高い兄を見つけては視線だけでコンタクトを取っていた。
「ルイス、大丈夫かい?」
「に、兄さん…!助けてくださり、ありがとうございました…!」
「何もされてはいないね?」
「は、はい…上手く言葉を返せなかっただけで、殴られてはいません」
「…そんな心配はしてないけど、ひとまず良かった」
風通しの良いテラスに足を踏み入れれば、ルイスはようやく人心地ついたように表情を崩してウィリアムを見た。
殴られても蹴られても何を言われようとも表情を変えることのない弟が、はっきりとした怯えを見せていることにウィリアムは同情する。
時に女性は驚くほどに強引なのだ。
ウィリアムとて経験したことがあるのだからよく分かる。
今でこそ上手くあしらえるようになったけれど、今日のルイスはウィリアムのときよりもよほど酷い有り様だった。
やはりルイスに社交界での婦人の相手は荷が重かったらしい。
「…僕が爵位継承をすることのない養子だと、あの方達は知らないのでしょうか?」
「知っていると思うよ」
「ではやはり、モリアーティ家に影響のない都合の良い遊び相手だと思われているのでしょうか?」
「…そういう表現は好ましくないけど、概ねそうだろうね」
「まさか、こんなことになるとは思っていませんでした…」
初めての経験とはいえ無様な失態を晒し、挙句ウィリアムに助けられてしまった。
ウィリアムとて他の貴族と交流を保たなければならなかっただろうにとんだ失敗だ。
ルイスは自分の不甲斐なさに気落ちして、小さく小さく縮こまる。
しょんぼりと眉を下げた弟を慰めるようにウィリアムは撫で付けられた髪に触れ、励ますように優しく声をかけてあげた。
「ルイス、お疲れ様。女性の中にはああいった積極的な方もいるから、これからは気を付けようね」
「兄さん…でも、僕なんかに声をかけるような物好きは早々いないと思うのですが…」
「いたじゃないか、実際に」
「も、物好きの集まりだったんでしょうか、今日のパーティーは」
「あのね、ルイス」
「ん、む」
自分を卑下することばかり言うその口を、左右の頬を寄せることで塞いでしまう。
手触りの良い左頬と歪な感触がする右頬へと触れ、ウィリアムは自分とよく似た弟の顔を覗き込んだ。
ウィリアムと似た顔を隠すために前髪を伸ばし、表情を似せない目的で笑うことの減ったルイスだが、アルバートの美的感覚からも合格を貰っているほど整った顔立ちをしているのだ。
綺麗だと言われる自分よりも大きな瞳はあどけなく可愛らしい。
自分の後を追いかけてルイス個人を持っていないようなその精神はとても透明で、とても美しいものなのだ。
滲み出る透明感と憂いを、どうしていつまでも卑下してしまうのだろう。
「ずっと言っているだろう?ルイス、君はとても魅力的なんだよ」
「…魅力」
「あぁ。とても綺麗で可愛らしい」
「それは、兄さんが兄の欲目でそう見えているだけだと思っていました」
「欲目もあるかもしれないけど、実際にルイスはその火傷の跡すら気にならないほどの魅力があるんだよ」
「…そうなのでしょうか」
「自覚しろとは言わないけど、せめて彼女達から自分の身を守れるくらいにはなってほしいかな」
「が、んばります…」
先程囲まれたことを思い出したのか、ルイスの顔はまたも青褪めている。
屈強な悪人を相手にする方がよほど気が楽だろうと、むしろ彼女らの方が数倍厄介なのは間違いない。
ルイスが社交界に参列するとして、嘲笑の的になるか婦人達の餌食になるか、二つに一つしか可能性はないことは分かっていた。
前者であるならば無自覚に傷付いているルイスを慰めるためありったけの愛情を注げば良いが、後者であるならばルイス本人が上手くあしらえる可能性はほぼない。
元々好意に慣れていないのだし、女性の扱いも不得手なのだ。
これから覚えるにしても、咄嗟の判断力に欠けるルイスが不測の事態に対応出来るとも思えない。
具体的には、欲情に駆られた蛾にその唇を許してしまう可能性は十分にある。
そんなこと、許せるはずもないだろう。
ウィリアムはルイスの頬に添えていた両手を離し、薄い肩を軽く抱き寄せては気付かれないよう息を吐く。
やはりこういった場において、ルイスを一人にしておくのは得策ではないのだろう。
「ウィリアム兄さん、そろそろ会場に戻らなければならないのでは…」
「大丈夫。アルバート兄さんが僕達の分まで対応してくれているから」
「兄様が?」
「あぁ。後でお礼を言っておこうね」
去り際にアルバートと交わした視線から察するに、彼もこの状況を的確に把握しているはずだ。
ウィリアムとルイスを自由にするため、今頃彼は伯爵らしく周囲を魅了していることだろう。
アルバートの心遣いに感激したように瞳を輝かせたルイスは、次の瞬間にはすぐにさま視線を落として凹んでいた。
「兄様のお役に立とうと思っていたのに、かえって兄様の手を煩わせてしまうなんて…」
「仕方ないさ、初めてのパーティーだったんだから」
「ですが…」
「兄さんからのご厚意だよ、有り難く受け取っておけば良い」
「…はい」
ウィリアムの言葉に、ルイスは唇を尖らせながら小さく頷いた。
本来ならば戻るべきなのだろうが、今戻っても先程の二の舞になる予感しかしないのだ。
ならばこのままある程度の時間を潰し、早めに帰宅するのがベストだろう。
ルイスは不甲斐ない自分を情けなく思いながら、困っていた自分を助けてくれたウィリアムの肩に顔を埋めて気持ちを落ち着ける。
次の機会があった際には、もっと上手く立ち回れるよう精進しなければならない。
随分とアグレッシブな貴婦人をあしらえるだけの余裕を持とうと、ルイスは決意を固めていた。
(やはり思っていた通りの展開でしたね。ルイスには今後も社交界への参加をさせない方が良いかと思います)
(同意見だ、ウィル。だが大半の招待は躱せるとはいえ、どうしても難しいケースは存在してしまう)
(マナー違反ではありますが、僕がルイスのそばにいるようにします。アルバート兄さんは…)
(周りの注目を集め、おまえ達に注意がいかないよう行動すればいいわけだな)
(えぇ。お願い出来ますか、兄さん)
(あぁ、ルイスは任せたぞ。いや、ルイスだけでなくおまえも彼女らに隙を見せることのないようにな)
(勿論です、アルバート兄さん)
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