ルイ吸い


イチャイチャほのぼのウィルイスとアルルイの日常。
タイトルの通り、ルイスを吸う兄さん兄様のお話。

「…はぁ」

馬車に乗り、何にも遮られることなくスムーズに自宅へ辿り着く。
近頃のアルバートは多忙に多忙を重ねている状況だ。
女王陛下からの命令に加えて今後の計画に向けた暗躍をメンバーに指揮する"M"という立場である彼は、陛下からの無茶振りとも言える命令に疲弊しきっていた。
これも裏から英国を支えるため、ひいては己の理想のために必要なことなのだと言い聞かせてはいるものの、さすがに三日も家に帰れず眠れていない状況には気持ちが荒む。
やっと区切りを付けて三日ぶりに帰宅した我が家は変わらず荘厳なる雰囲気を携えていた。

「…疲れたな…もう眠ってしまうか」

拠点となっている建物に備え付けられているシャワー室で汗は流してきているが、空腹は感じたままだ。
そうだとしても今のアルバートは空腹を満たすよりも疲労を回復させたい。
鍵を開けて扉を開けてから誰も聞いていないことを承知で一人呟けば、鍛えられた耳から微かに戯れ合う声が聞こえてきた。
平日のど真ん中、弟達の帰宅は二日も先だ。
以前会ったその日からアルバートは職場に缶詰になっており、家に帰りたいと壁にかけられたカレンダーを何度も見つめたのだから間違いはない。
逸る気持ちを抑えず足を進めた先のリビングでは、声の通り二人の弟がいた。

「ウィリアム、ルイス」
「アルバート兄さん、お帰りなさい」
「お帰りなさい、兄様」
「どうしてここに?今日来るとは聞いていないが」

驚いたけれどそれ以上の歓喜が胸を覆っている。
肉体的な疲労は十分な睡眠を取れば回復するのだろうが、精神的に弱ったタイミングで一人過ごすというのはどこか物悲しかった。
けれど見ず知らずの他人と過ごしたいわけではないし、信頼出来るとはいえMI6のメンバーとの会話がアルバートの気を落ち着かせるわけでもない。
神経質で他者とのパーソナルスペースが広いアルバートが求めていたのはたった二人きりの弟だった。
己の内面を曝け出しても苦ではない、気を許した大切な家族。
幼い頃からずっと求めて止まなかった家族という存在を教えてくれたウィリアムとルイスのことを、アルバートは他の誰より愛しく思っているし尊く思っている。
予期せぬ逢瀬に気分が高揚するのは当然だった。

「ダラム大では改修工事があるので、今日から週明けまで大学は休校になっているんです。休校中はアルバート兄様の元へ帰ろうと決めていたので昼から帰宅しています」
「そうだったのか。聞いていなかったから驚いたよ」
「…兄さんが先週帰宅したときに伝え忘れていたようでして」
「すみません、兄さん。休校の日にちが曖昧で、つい忘れてしまいました」

ルイスは自分が席を外したタイミングでウィリアムがアルバートに伝えたのだろうと解釈し、ウィリアムは大学が休校になるのはもう少し先のことだと誤解していたために連絡を怠ったと、そういうことらしい。
何故か申し伝え忘れたウィリアムではなくルイスが失態を詫びるかのように眉を下げ、ウィリアムは「うっかりしていました」とばかりに照れたように笑っていた。
けれど心身ともに疲労でいっぱいのアルバートには嬉しいサプライズで、思わず頬が緩むような心地さえする。

「会えて嬉しいよ、二人とも。ちょうど二人が帰ったあの日から忙しくてね、今日やっと帰ることが出来たんだ。帰宅早々、お前達に会えて良かった」

ソファに腰掛けている弟達の隣、アルバートはゆっくり腰掛けては弾力のある背もたれに体を預けて穏やかに微笑む。
体全体を包み込むような座り心地はこだわって選んだだけある一級品で、凝り固まったアルバートの肉体を優しく支えてくれていた。

「お疲れのようですね、兄さん」
「あぁ。…いや、どうということはないよ」
「兄様、目元に隈が出来ております。眠れていないのですか?」
「大したことはないよ、ルイス」

心配そうな二対の赤色を見て、アルバートは素直に肯定することなくやんわりと否定を返す。
早くベッドに倒れ込むつもりではあったのだが、単純に今この時間を穏やかに過ごしたいという欲求の方が強かった。
二人の兄として弱みを見せたくないという意地もあったのだろう。
アルバートはさらりと流れるウィリアムの髪に触れ、そのままふわりと舞うルイスの髪を撫でていった。
ともすればこのままベッドで休むよう怒られてしまいそうだ。
確かに睡眠は欲しているけれど、今のアルバートはまず精神的な癒しを求めているのだからこの空間にいないことには満たされない。
ウィリアムとルイスと過ごす時間がアルバートにとって何よりの癒しになるのだから。
ゆえに先手を打ってルイスの言動を遮るように微笑みかけた。

「でも兄様」
「大丈夫だよ、ルイス」
「……」

アルバートの笑みに「これ以上踏み入れてくれるな」という圧を感じ取ったようで、ルイスは口を噤んでは恨めしげに兄の顔を見る。
強く出ようと思えば出られるだろうに、それでもアルバートの意を汲んで敢えて沈黙を選んでくれたのだ。
ウィリアムもアルバートの言葉を信じ、深くは追求せず黙って苦笑しているようだ。
よく気が付く弟達だと、アルバートは褒めるようにルイスの髪を撫でていた手を動かしていった。

「ところで、どうしてそんな体勢をしているんだい?」

ルイスからの追及を逃れ、アルバートは改めて二人の姿を見る。
近隣住民からも社交会からも花形たる美しい弟達はアルバートの目を癒してくれるが、そんな二人は今随分と仲良く密着していた。
ソファに腰掛けるウィリアムの膝の間、ルイスは大人しくその腕の中で抱きしめられている。
リビングに着いた瞬間はウィリアムがルイスの髪に顔を埋めていたような気がするけれど、今はただその体を抱きしめているだけだ。
見ていて目の保養ではあるし、仲良きことは間違いなく美しいのだけれど、何か理由でもあるのだろうか。
アルバートの問いかけにウィリアムとルイスはぱちくりと大きな瞳を瞬かせては目の前の兄を見上げている。

「実は昨日、学生達から面白いことを聞いたので試していたんです」
「試す?」
「そうだ、兄さんお疲れですよね?吸いますか?」

ルイスを。

そう言ったウィリアムは腕の中のルイスを差し出すようにアルバートへ向け、つい習慣のようにその体を受け取って己の体に抱き締めた。
ルイスは一切の抵抗なく、少しの戸惑いはあったけれど大人しくアルバートの腕の中に収まっている。
逞しいアルバートに抱きしめられたルイスは居心地の良い場所を探すようにもぞもぞと動き、ようやく納得した場所を見つけた後でじっと兄を見上げている。
透明感ある大きな瞳が宝石のようでとても綺麗だ。
その赤に自分が映っているというのは彼の意識を独占しているようで、見ているだけで癒された。

「吸うとはどういう意味だい?」

煙草もパイプも用意はないし、そもそも疲れたから一服するほどスモーカーな体質ではない。
濃い匂いが付くため社交界の場以外では好んで吸うことすらないのだから、生活を共にするウィリアムがそれを知らないはずもないだろう。
しかも勧められたのは愛すべき弟だ。
一体何を意味しているのだろうかと、アルバートはルイスを抱く腕に力を込めて支えにするようにソファへもたれる。

「ルイスを吸います」
「ルイスを吸う?」
「はい」

何を言っているのかとウィリアムを見ればその顔は至極真剣で、続けてルイスを見ればその顔は少しばかり気まずそうだった。
しかしその頬はしっかりと赤いのだからとても可愛らしく見える。

「昨日、大学の構内に猫が迷い込んできまして、学生が一日保護していたんです。自宅でも数匹の猫を飼っているようで手慣れた様子だったのですが、僕の講義が終わり次第その猫に顔を埋めておりまして」
「猫に顔を?」
「はい。曰く、猫吸いと呼ばれる行動で、猫を飼っている人間からすれば日常なんだとか」

何を言いたいのかよく分からない話を聞きながら、アルバートは疲労感残る頭脳を回転させることを諦めた。
今は思考そのものを放棄したい。
アルバートはウィリアムが正解を口にするまで己の頭脳を働かせることをやめ、腕の中にいるルイスを愛でるためその肩に顎を乗せて互いの頭を寄せ合わせた。

「可愛くて癒される猫に顔を埋めて無心になって呼吸することで、言い知れない癒しと幸福感を得られると言っていましたね」
「ほう、そうなのか」
「…どうやら僕の授業が退屈だったようで、もふもふした猫に顔を埋めて吸うことで疲労回復を図っていたようなんです」
「兄さん、兄さんの授業が退屈だなんてこと絶対にありませんよ。僕が保証します」
「ありがとう、ルイス」

ルイスは落ち込んだ様子で瞳を暗くしては虚空を見つめるウィリアムを擁護する。
実際は退屈なのではなく求めるものが高度すぎて理解が追いつかなかったのだろうことは想像に容易いのだが、アルバートは胸に留めておくことにした。

「つまり、猫に顔を埋めて呼吸すると癒しが得られるということかい?」
「そのようです。僕は試さなかったのですが、可愛くて癒される存在を吸うと癒されるなら、猫ではなくルイスを吸えば良いかと思いまして試していました」

随分飛躍したなと、アルバートはそう感じた。
けれどウィリアムはふざけているわけでもなく純粋な気持ちで検証していたようで、効果はバッチリでした、と力強く頷いている。
なるほど、アルバートが帰宅した直後に見た光景はウィリアムがルイスを吸っていた姿だったのだ。
確かにウィリアムの瞳は生気に満ちており、疲労とはかけ離れた活力ある色をしている。
日々の徹夜が習慣になっているウィリアムがこうも活力に溢れているのはルイスのおかげなのだろう。
この瞳をルイスが演出したというのであれば効果は上々だ。
アルバートは抱きしめているルイスを見たが、その顔は気恥ずかしそうに染まっている。
可愛い弟の可愛い表情を腕に収めているだけで既に癒されているようなものだが、これ以上の癒しがあるのならば試してみるのも良いかもしれない。

「アルバート兄さんもお疲れでしょう?吸ってみてはいかがです?」
「そうするとしようか」

ウィリアムの問いかけに返事をすると同時にアルバートはルイスの髪に顔を埋める。
そうしてふわふわした感触を頬に感じつつ、ルイスの髪の匂いを思い切りに吸う。
鼻から吸ってはそのまま吐き出し、両の肺を限界まで膨らませるように深呼吸する。
愛用しているシャンプーは同じものを使っているはずなのに、アルバートの髪よりも細く柔らかい毛質とどこか漂う甘い香りはルイス特有のものなのだろう。
けれど香りに浸るよりも腕の中で大人しくする姿にこそ胸が高鳴る。
思わず無心になって呼吸だけに集中していると、ルイスが居心地悪そうに体を捩らせ唸り出した。

「うぅ…」
「ルイス、どうしたんだい?」
「…兄さんも兄様も、あまり長く匂いを嗅がないで欲しいのですが」
「でもルイスを吸うと癒されるって学生が言っていたんだよ」
「僕じゃなくて猫を吸うと癒されると言っていたじゃないですか」
「猫もルイスも似たようなものだよ」
「全然違います!」

ウィリアムとルイスが戯れ合うような会話を続けている最中もアルバートは無心になってルイスを吸う。
髪に顔を埋めて呼吸されるという行為に羞恥を伴うのは当然だ。
恥ずかしそうに身を捩るルイスの気持ちはよくよく理解出来るが、だからといってアルバートは埋めた顔を戻すことはしなかった。
照れる様子も含めて疲弊していた精神が癒えていくのを実感する。
暴れようとするルイスの体を押さえつけては吸うことに専念するアルバートと、抱きしめられて嬉しい以上に恥ずかしく逃げられないルイスと、そんな二人を見て猫とルイスの違いは四足歩行か二足歩行くらいのものだろうと考えるウィリアム。
モリアーティ家のリビングではどこの誰が見ても心温まる時間が流れていた。

「…効くな、ルイ吸い」
「そうでしょう。効くんですよ、ルイ吸い」
「ルイ吸いって何ですか」
「「ルイスを吸うことだよ」」
「……」

綺麗にハモる兄達の言葉にルイスはたじろいだ。
ようやく顔を上げたアルバートは神妙な顔をしてウィリアムに語りかけており、ウィリアムも深々頷いている。
そもそも猫吸いという単語も初めて聞いたというのに、試してみようかと言うウィリアムの言葉に肯定も反対もせずにじっとしていたら、そのままいきなり髪に顔を埋められたのだ。
何事かと思ったけれど、その行動自体は珍しいものではないから黙ってウィリアムの体温を堪能していた。
だがあまりにも長い時間、ひたすら無言で深呼吸をされるというのはどうにも羞恥心を煽られる。
アルバートの気質もあってルイスも清潔には十分配慮してはいるが、汗臭くないだろうかと気になってしまうのは仕方ないだろう。
二人の様子を見るにあまり悪い印象はないのが幸いだ。
そうしてルイスは隙を見てはアルバートの腕を抜け出し、二人が座るソファの向かいに逃げていく。

「もう、そんなに吸わないでください」

染まった頬で不満を口にするルイスの姿を見て、アルバートが抱えていた精神的な疲労は見事に解消された。
そうして隣に座るウィリアムと視線だけで意思を交わし合い、どうにかルイ吸いを日常のルーチンに織り込むべくウィリアムは計画を練るのであった。



(ルイス、おいで)
(…吸わないですか?)
(吸わないよ、抱きしめるだけ)
(それなら良いです)
(ふふ)

(兄さんのうそつき!兄様、兄さんがうそをつきました、酷いです!)
(なんと、それは酷いウィリアムだね。さてルイス、シャワーを浴びてきてくれるかい?)
(え?はい、分かりました)

(…あの、兄様。吸わないでいただけますか)
(どうして?シャワーも浴びたし、気になることはないだろう?私としては少々物足りないのだが、ルイスの意思を尊重しているのだからこれくらいは許されるべきだ)
(……何だか言いくるめられている気がします…)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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