伯爵、お母さんになる。
好き嫌いをするルイスと、それを容認しちゃうウィリアムと、そんな二人を叱るアルバート兄様のほのぼのしたお話。
弟二人とオカン兄様がいる。
「さぁいただこうか」
ロックウェル伯爵家自慢のシェフが手を込めて用意した夕食を前に、モリアーティ家に三人きりで遺された兄弟は互いの顔を見合わせた。
アルバートの配慮により伯爵家の人間とともに食べるということはなく、夕食の時間は誰に気兼ねなく兄弟としての時間を過ごすことが出来る。
人見知りの気質が強いルイスのことを考えると、彼の配慮は何よりウィリアムにとっての安心材料だ。
一日の中でようやく安堵したように表情を綻ばせる弟を見て、ウィリアムは兄の声に頷くことで同意を返した。
「明日は図書館に行こうか。ウィリアムもそろそろ読む本がなくなってきただろう?」
「そうですね。丁度全て読み終えてしまったところなので、新しく借りたいと思っていました」
「この前は検診後だったから留守番を任せてしまったけれど、明日はルイスも一緒に行こう」
「はい。楽しみです」
食事中の会話はあまり行儀が良くないのだろうけれど、兄弟の中でゆっくり話す時間は今か就寝前しかない。
家族の団欒と考えれば多少の不作法も許されるはずだ。
アルバートは気にせず積極的に可愛い弟達との会話を楽しみつつ、かつては砂のように感じていた食事を美味しく味わっていた。
ウィリアムも同じようにシェフが工夫を凝らした食事を積極的に口に運んでいる。
けれどルイスだけが少しばかりその手を持て余しており、見事にナイフとフォークを扱っているはずなのに幼子のように不安定に見えた。
「ルイス?あまり食が進んでいないようだが、体調でも悪いのかい?」
「あ、いえ…そういう訳では」
「ルイス、僕のポテトと交換しようか」
「兄さん」
「…ふむ」
見ればルイスの皿にはレバーと玉ねぎをソテーした料理だけが残されている。
浮かない顔をしてフォーク片手にじっとレバーを見つめていたルイスは、ウィリアムにより皿へころんと乗せられたポテトと同時に消えていったレバーを認識した瞬間、ふわりと柔らかい笑顔を見せていた。
どうやらルイスはレバーが苦手らしい。
アルバートは初めて知ったけれど、この様子ならばウィリアムはルイスの苦手な食べ物を知っていたのだろう。
それも当然かと、別に不思議に思うことはない。
むしろルイスに好き嫌いがあるということの方が意外だった。
だがウィリアムの真似をして大人のように振る舞おうとしているだけで、ルイスはまだまだ子どもでしかないのだ。
好き嫌いの一つや二つあってもおかしくはない。
実際にレバーは癖のある食材で、けれどその分だけ栄養も豊富だと記憶している。
アルバートは二人分のレバーを食べているウィリアムをジト目で見た後、美味しそうにポテトを頬張るルイスを見た。
「ルイスはレバーが苦手なんだね」
「…はい」
「それで、ウィリアムはルイスの代わりにレバーを食べていると」
「えぇ、昔からそうしていました」
苦手なものを隠していた今までのルイスを考えれば、今の姿はそれだけアルバートにも心を開いてくれている証拠だろう。
だが成長期の子ども、特に幼い頃に満足な栄養を摂ることが出来なかったルイスなのだから好き嫌いは良くない。
先日の検診でも未だ貧血が続いていると言われたばかりだ。
貧血改善の薬は定期的に飲んでいるけれど、食事で改善するのならそちらの方が良いのは間違いない。
「ルイス、この前の採血で貧血があると言われただろう。レバーは癖もあるが、貧血の改善にはぴったりの食材じゃないか」
「…でも、美味しくなくて」
「アルバート兄さん、ルイスを責めないでください。僕が勝手にしたことです」
「ウィリアム、お前もルイスの貧血については知っていたはずだ。それなのにどうしてポテトと交換してしまったんだい?」
「…嫌いなものを食べるルイスの顔を見ていられなくて。それに、貧血の薬は飲んでいるから良いだろうと」
アルバートはしょんぼりと言葉を紡ぐルイスを横目に、気まずそうに視線を逸らすウィリアムを見た。
健康体だった昔ならいざ知らず、今はやってはいけないことだと一応は認識しているらしい。
なるほど、この件はルイスではなくウィリアムの方にこそ問題があるようだ。
アルバートは大袈裟にため息を付いては両肘を机に付き、そのまま両の手指を組んで顎を乗せた。
その目が見せる迫力は次期伯爵として申し分ない鋭さである。
「はぁ…全く呆れたことだ。ウィリアム、お前がルイスを特別に可愛がっていることは理解している。だがいくら他の結果が良くとも、貧血があるのであればそれに配慮してあげるのは君の役目だろう」
「…仰る通りです」
「アルバート兄様、兄さんは悪くないんです!僕がレバーを食べられないのが悪いんです!だから兄さんを怒らないでください!」
「ルイス、良いんだよ。兄さんの言う通りだ」
「でも」
「残すまいと悲しそうに食べるルイスを見ていられなかった僕が悪いんだよ」
「兄さん…!」
「仲の良い兄弟だね、さすがウィリアムとルイスだ。でも今は空気を読もうか」
「「すみません」」
にっこりと圧の強い笑みを見せられ、反射的に謝ってしまった。
申し訳なさそうな顔をするウィリアムと、怒られて悲しそうに顔を歪めるルイス。
ただ二人を羨んで見ているだけだった過去のアルバートならば心を痛めるだろうが、今のアルバートはモリアーティ家の代表かつ二人の兄という立場だ。
立場上は弟達を守るべき人間である。
甘やかしてはルイスのためになるまいと、目だけは笑っていない器用な笑みを浮かべて声を出した。
「まずルイス」
「は、はい」
「好き嫌いをするのは良くないな。ただでさえ小柄な君だ、成長期には十分な栄養が必要になる。嫌いだとしても、少しは食べるよう努力していこうか」
「はい…」
「次にウィリアム」
「はい」
「ルイス可愛さに判断を誤っていることには気付いているね?たかが貧血と甘く見てはいけない。君がすべきことは代わりにレバーを食べてあげることではなくて、少しでもルイスにレバーを食べさせる工夫だろう」
「…はい」
アルバートは可愛い弟達を律するように穏やかかつ厳しい声色で諭していく。
その言葉は疑いようもなく正論で、反論する余地すらなかった。
「全く…せっかく僕からシェフにルイスに滋養のつくものを用意してほしいと頼んでいたのに、ウィリアムが食べてしまっては意味がないじゃないか」
「え?兄様が頼んでくださったんですか?」
「通りで最近、鉄分含有量の多いレバーだけじゃなく貝類が多く出ていたんですね。ルイスは貝なら問題なく食べられるので良かったんですけど」
近頃のメニューにやたら鉄分の多い食材が出ていたことには気付いていたけれど、それを指示していたのがアルバートというのは初めて知った。
ルイスは最近レバーばかり出ると悲しい顔をしていたけれど(実際には週に一度程度しか出ていないが)、あさりやホタテは美味しそうに食べていたからウィリアムとしても安心していたのだ。
薬でなく普段の食事からルイスの体調が良くなるのならそれに越したことはない。
だからついルイス可愛さにレバーくらいなら良いかと昔からの習慣で食べてしまったのだが、確かにルイスのためを思うならば心を鬼にすべきだった。
知らずのうちにアルバートからの心遣いを無碍にしていたと知った二人の弟達は、緊張感ゆえに背筋を伸ばして端正なその顔をじっと見つめてしまう。
「確か、ルイスはレバーパテなら問題なく食べていたと記憶しているがどうだい?」
「あ、あの、あまりすきじゃないですけど、パテなら何とか」
「そうか。ならシェフに伝えておこう。だから今日のレバーは一切れだけでも食べておきなさい」
「分かりました」
ただの意地悪ではなく、自分の体を思って伝えてくれる言葉に心がほわほわ暖かくなるようだ。
貧血の自覚はないのだから別に食べなくても良いなどと、そんな愚かなことは少しも考えられなかった。
このレバー料理はアルバートが自分のために用意してくれた彼の愛情だ。
ルイスはアルバートの心遣いに応えるべく、ウィリアムの皿に乗せられたレバーをじっと見ては意を決したように力強く頷いた。
「…ルイス、あーん」
「あー…むぐ、んん」
ウィリアムはルイスの覚悟を感じ取り、先程奪い取ったレバーを一切れだけフォークに取って小さな口に放ってあげた。
シェフこだわりの味付けは癖のあるレバーを風味豊かに仕上げているため、特に味にこだわりのないウィリアムにしてみれば気になることはないけれど、あの味が苦手なルイスにしてみれば苦痛だろう。
それでもルイスはレバーを味わうようにしっかりよく噛んでから飲み込んでいく。
こくりと細い喉が上下に動くのを確認した後、ウィリアムはルイスの頑張りに感動して小さな体を抱きしめた。
「ルイス、偉いね!」
レバーパテを何とか食べていたのは、アルバートに食事を残す姿を見せたくないルイスの意地だった。
アルバートと長く過ごすうちに弱みを見せても良い相手だと認識したらしく、我慢して食べることもせずにレバーをじっと見つめていたから、ついつい昔のように助け舟を出してしまったのはウィリアムの落ち度だ。
そんなルイスがアルバートの期待に応えるためにレバーを食べたのだ。
兄として嬉しい限りだし、好き嫌いを克服してくれるのならこれ以上のことはない。
「ん、ふふふ」
「そうだな。偉いよ、ルイス。よく食べたね」
「…はい」
口に残る風味はやっぱり美味しくないけれど、ウィリアムに抱きしめられて褒められたのだから十分プラスになる。
それに加え、向かいに座っていたアルバートがわざわざ席を立って褒めに来てくれたのだ。
しかも大きな手で頭を撫でてくれたのだから、レバーの後味などさして気にする問題でもなくなってしまった。
ゆったりと撫でてくれる感触が心地よくて、思わず頭を下げてもっと撫でてほしいとばかりに無言で訴えてしまう。
「好き嫌いは良くないから、少しずつ無くしていけるよう一緒に頑張ろうか」
「はい!」
「ウィリアムも、あまりルイスを甘やかさないようにしないといけないよ」
「分かりました、兄さん」
「じゃあ僕はシェフに希望を伝えてくるから、少し二人で過ごしていると良い。すぐ戻る」
先程とは違ったとびきり優しい表情を浮かべて満足ゆくまでルイスの頭を撫で、その後でウィリアムの頭をも撫でたアルバートは部屋を出て行く。
言葉の通り、ルイスが食べやすいレバー料理についてシェフと相談してくるのだろう。
厳しくも優しい弟思いの彼がいなくなった空間で、ウィリアムとルイスは行儀正しく椅子に腰掛けて残り少ない食事を食べていく。
話題に上がるのは当然、今ここにはいない兄のことだ。
「兄様、少し怖かったけどとても優しいですね」
「そうだね、厳しくも優しい素敵な人だ」
「まだレバーは嫌いですけど、兄様のためにも克服してみせます!」
「ふふ。その意気だよ、ルイス」
残りは全てウィリアムが食べてしまったレバーを脳裏に思い浮かべ、ルイスは自分のため以上にウィリアムとアルバートのために好き嫌いを無くしてみせると意気込んでいる。
前向きなルイスの存在が嬉しくて、その内面を引き出してくれたアルバートという存在には感謝しかない。
兄ではあるけれど、それだけではない包容力すら感じてしまった。
彼が生来持ち得ているものなのだろう慈しみを、他の誰でもない自分達のために見せてくれることが嬉しいと思う。
「まるでアルバート兄さんは母親のようだね」
「お母さん?」
「僕達に母親の記憶はほとんど残っていないけれど、きっとアルバート兄さんみたいな厳しい優しさのある人が母親なんだろうなぁ…」
「アルバート兄様が、お母さん…」
孤児院にいた頃のシスターはまるでみんなの母親のように振る舞っていた。
母を知らないルイスはあの姿こそが母なのだと朧げに感じていたけれど、アルバートは彼女達と似ているような気もするし似ていないような気もする。
町で見かけた親子の姿はどうだっただろうか。
危険な裏路地に走っていこうとする子どもを必死の形相で追いかけては叱りつけ、その後で慰めるように抱きしめていた女性の姿を覚えている。
ルイスにとってその役割を果たしてくれるのはいつだってウィリアムだったけれど、ウィリアムが母かと問われれば否だ。
だからアルバートに関してもそうだと、ルイスははっきり思うのだ。
「…兄様はお母さんみたいに優しい人かもしれませんが、やっぱり僕は兄様には兄様でいてほしいです」
「ルイス」
「お母さんより兄様が良い…僕は兄様の弟の方が嬉しいです」
「ルイス…そうだね、アルバート兄さんは僕達の兄さんだものね」
知らない母より、知っている兄が増える方が嬉しいのは当然だろう。
何となく懐かしさを思い出したウィリアムと違い、ルイスには母の記憶など少しも存在していないのだから。
ウィリアムとて弟として誰かの庇護に入る心地良さを知ってしまったのだから、今更アルバートに母親的役割を求めているわけではない。
ただ、ルイスと自分を叱りつける姿がそのまま保護者のようで少しばかり愉快だったのだ。
未来の伯爵様が子ども思いの母親だなんて、中々面白い話じゃないか。
「兄様、もうすぐに帰ってきますか?」
「もうそろそろじゃないかな」
「僕、パテじゃなくて他のレバー料理でもちゃんと食べられるようになりたいです」
「一緒に頑張ろうね」
「はい」
手持ち無沙汰に床に届かない足をぷらぷらと揺らしつつ、ルイスはアルバートが帰ってくるであろう扉の方を見る。
そんなルイスを真似てウィリアムも足を揺らしていたが、待ち望んでいた人を見かけてすぐに足を揃えて礼儀正しく彼を待つ。
けれどルイスは待ちきれなかったようで、ぴょんと椅子を降りてはアルバートの元へ駆け寄っていった。
(ルイスにも好き嫌いがあったんだね。あれだけ良い子なのに珍しい)
(昔はレバーなんて食材、食べることもありませんでしたから。慣れないんでしょうね)
(健康には良いし、少しずつでも好きになってくれると良いんだが…)
(食べられるようになりたいと張り切っていたから大丈夫でしょう)
(そうか、それは良かった。ところでウィリアム)
(何でしょうか?)
(ルイスが厨房を手伝っていない日の食事が随分と疎かになっているのは僕の気のせいかな?今日はともかく、昨日と一昨日は半分も食べていないだろう)
(…気のせいじゃないでしょうか)
(ウィリアム)
(はい)
(ルイスが作っていないからと選り好みをするものではないよ。さっきも言ったがお前達は成長期だ、食事はしっかりと食べなさい。好き嫌いのあるルイスよりもよほど性質が悪いじゃないか)
(…はい、お母さん)
(何か言ったかい?)
(何でもありませんよ、兄さん)
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