怪しい人に御用心


仲良し可愛い三兄弟のお話。

不用心な末っ子にちゃんと世の中の危ないことを教えつつ、邪魔を排除して回る兄さん兄様が暗躍する過去は絶対にあったんですよね。


これは今は昔、というほどでもないけれど、そこそこ過去の話である。

モリアーティ家の三人が三兄弟となって、新しい屋敷に移り住んでからのティータイムのことだ。

引っ越しに辺り、近隣住民及び関係する貴族への挨拶回りはアルバートが、手続きを含めた煩雑な事務作業はウィリアムが、屋敷の掃除と片付けはルイスが担当した。

重たい家財の設置は都合をつけ訪ねてきてくれたジャックや業者に頼ったが、三人ともが極力自分達でやりたいと考えていたため、屋敷に関することはほぼ兄弟だけでこなしていった。

けれど、三人いるとはいえ皆成人していない子どもなのだから、それぞれに十分な余裕を持ってスケジュールを組んでいた。

結果、越してきた日から三人が揃ってお茶をするのは今日が初めてのことだった。

ルイスが淹れた香りの良い紅茶は、ジャックに教わってルイス自身がブレンドした茶葉から抽出したものである。


「二人とも、今日までご苦労だった。ようやくひと段落出来たよ」

「僕は役所に通うだけでしたが、アルバート兄さんとルイスはさぞ大変だったでしょう。ありがとうございます」

「いえ、僕はほとんど掃除だけだったので、気苦労はありませんでした」

「ルイスのおかげで気持ち良く過ごせている。ありがとう、助かるよ」

「兄様も兄さんも、連日のお出かけお疲れ様でした」


疲労を見せないよう気をつけているのだろうが、それでもどこか気疲れして見える兄達を思い、ルイスは座ったまま小さく頭を下げた。

兄以外の人間と接すること自体があまり得意ではないルイスは、二人のように屋敷を出て誰かと関わるという行動が出来ない。

そうでなくとも、爵位を早くに継承することになったアルバートの代わりも、面倒な書類作業をミスなくこなさなければならないウィリアムの代わりも、ルイスには務まらないのだ。

きっと大変だろう作業を代わりにこなすことが出来ず、申し訳ない気持ちを抱えたルイスはせっかく淹れた紅茶には手をつけずに俯いた。


「気にすることはないさ、ルイス。見れば、丁寧に行き届いた掃除をしてくれているじゃないか」

「僕の本もきちんと著者順に並べられていたね。おかげで勉強が捗るよ」

「…はい」


二人ともルイスには甘いが、決してルイスの機嫌を取るための言葉ではない。

それが伝わるからこそ、ルイスは謙遜することなくその評価を受け取った。

ウィリアムとアルバートはルイスの気持ちを察しつつ、敢えて言葉を続けずに紅茶のカップとルイスが焼いた菓子に手をつける。

香り高い紅茶は気持ちをより落ち着けてくれるし、バニラがふわりと香る焼き菓子との相性も良い。

素直に、うん美味しい、と声に出せば、ルイスは嬉しそうに顔を上げてくれた。

こうすればルイスも紅茶と菓子に手を付けることをウィリアムもアルバートも知っている。

そして、ルイスがどう考えていようがウィリアムとアルバートが必要もなくこの子どもを屋敷の外へ出さないことを、この末の弟はこの先も知ることがない。


「出かけた先の町で見慣れない菓子があったよ。二人が好きな味だと良いのだが、今度買ってこようか」

「役所の方が、現在回収中のデパートが来月にも新装開店すると言っていました。良ければ三人で買い物に行きましょう」

「今日は庭に花の種を蒔きました。また暖かくなる頃には咲くので、咲いたら庭でお茶にしましょう」


各々が今日までにあったことを踏まえながら話を進め、何のことはない日常のワンシーンを重ねていく。

三人で過ごせなかった分だけ会話は弾み、引き締めていた気持ちは緩むし抱えていたストレスは和らいでいった。

そんな中でウィリアムは、近くで誘拐が続いているから怪しい人間には注意するように、と役所で教えられた情報を兄と弟にも分ける。

アルバートは眉を顰め、ルイスは心得たとばかりに頷いたけれど、わざわざ物騒な話題を引きずることもない。

話題はすぐさま別に移り、時計が進むにつれ紅茶も減って、それぞれに分けた菓子も無くなった。


「そういえば、庭に水を撒いていたら、近くに住むという人が挨拶に来てくれました。兄様の代わりにご挨拶をしましたが、今度兄様からもご挨拶をお願いします」

「ふむ。近隣には一通り挨拶を済ませたはずだが…他に何か言っていたかい?」

「兄様やモリアーティのことについては何も。よろしくお伝えくださいと言っていました」

「…他には何か言っていたのかな?」


ふと思い出したようにルイスが言えば、会話を続けるようにアルバートからもウィリアムからも質問が続く。

二人が帰宅してすぐに伝えなかったのだから、報告する内容としては優先度が低いとルイス自ら判断したのだろう。

実際に、アルバートは越してすぐに近隣住民への挨拶もさりげない根回しも済ませている。

ならば緊急性は低く、ルイスの判断は間違っていないはずだ。

だが何か引っかかると、ウィリアムがルイスに記憶を掘り起こすような問いかけをしてみれば、せっかくのティータイムで癒された心のストレスがぶり返すことになってしまった。


「たしか、僕の歳を聞いてきました。他に家に人がいるのかどうかと、あと可愛いねって」


歳は答えて、今は屋敷に兄はいないということと、お礼を言っておきました。

そう言いながら、こくりとカップを傾けて紅茶を飲み干したルイスは、目の前の兄達の顔を見て思わず肩を上げた。

はっきりした怒りを滲ませるウィリアムとアルバートを見上げ、ルイスは慌てて何が二人の琴線に触れたのかを考える。

つい先程までは穏やかに笑っていたのだから、直前のことを順に思い出していけば良いのだ。

そうして思い当たったことに、ルイスは両手を握って力強く声を出す。


「だ、大丈夫です!兄さんと兄様も可愛いです!僕よりもっと!」

「「いや、そうじゃないから」」

「えっ」


ルイスにとって、可愛いとは少しの羞恥を込みで受け入れている褒め言葉である。

今よりもっと幼い頃からウィリアムに言われ続けていたし、アルバートが兄になってからも言われることが多い。

ウィリアムはともかくアルバートからの言葉は少しだけ気恥ずかしい気持ちはあるけれど、可愛いという言葉は親愛を伝える単語の一つだという認識を持ってからは、彼からの愛を疑うことも拒否することも失礼だろうと、受け入れることにしているのだ。

自分に興味のないルイスがそう考えるに至るまで、二人はルイスを可愛がってきた。

だからこそルイスにとって可愛いとは聞き慣れた、それでいて他人から言われたところで心揺さぶられることもない言葉に成り果てている。

あれはウィリアムとアルバートに言われるからこそ意味があるのだ。

顔も名前もうろ覚えの男に言われたところで何を思うこともない。

だが二人はそうではないようで、もしかするとルイスだけ褒められたのが気に入らなかったのかもしれない。

心配せずとも、ウィリアムとアルバートこそ整った顔立ちをしていてとても可愛いと思う。

だから安心してほしいと、ルイスはそう考えたが、当然そんな訳がなかった。


「ルイス。その人…男の人かな?その人はルイスに歳を聞いた上で、君以外が留守にしていることを確認して、可愛いと、君のことをそう評価したんだね?」

「は、はい…身なりの良い男の人でした」

「ふむ。徒歩でこの屋敷まで来られる地域に住まう成人男性となると…ルイス、この中にその人はいるかい?」

「えーと…」


今この瞬間に描き上げたらしいアルバートの似顔絵は驚くほどに上手い。

地図も人物画もこれだけ写実的で繊細な描写をするというのに、動物だけはどうしてあんなにも近代アートなのだろう。

一瞬よぎった疑問を忘れるように、ルイスは見せられた絵の中から昼間見た男の顔を思い出す。

実を言えば既に忘れかけていた顔だったのだが、アルバートの絵が正確だったおかげで、すぐに記憶から拾い上げることが出来た。


「あ、この人です。この人が屋敷の近くに来ていて、声をかけてきました」

「ほう、彼が…それで、ルイス。彼は君のことしか聞いて来なかったんだね?当主たる私のことではなく、家族構成や税についてでもなく」

「はい。兄様に御用かと思ったのですが、不在だと伝えても気にした様子はありませんでした。だから大した用ではないのかと思い」

「大した用がなさそうなのに、ルイスに可愛いと言ってきたんだね」

「はい」

「へぇ…可愛い、ねぇ…」

「あ、あの…兄さんと兄様も可愛い、ですよ」

「どう思いますか、兄さん」

「君の意見を聞こうか、ウィリアム」

「えっ」


む、無視された、とルイスが密かに衝撃を受けていることなど気にせず、二人は僅かにトーンを落として会話を続ける。

ルイスは何も気にしていないが、越してきたばかりの子どもへ声をかけるなど、しかも他に住まう人間の不在を確認してもすぐに立ち去らないなど、まず間違いなく黒だ。

白昼堂々、モリアーティという貴族家に住まう子どもを狙うとは大胆不敵にも程がある。

子どもならば簡単に丸めこめると考えて政策に利用するのならばまだ良いが、末の弟が養子であることは既に知られているはずだ。

ならば、人攫いやルイス自身に興味があると考える方が正解に近いだろう。

歳を確認した上での可愛いなど、標的を見繕っているとしか考えられない。

ウィリアムもアルバートも、まさか引っ越して早々の危機がルイスに訪れるとは思いもよらなかった。

ルイスの危機感の無さはこれからしっかり教育するとして、まずはこの男をどうにかしなければ安心して生活できない。

アルバートは先程描き上げた一枚に指を添え、ウィリアムは置かれていたペンで描かれたその顔にチェックを付けた。


「経験上、こういった人間は大抵前科がある。表に出ていないだけだろう」

「役所で注意喚起していた誘拐事件とも関係がありそうですね」

「ウィリアム、誘拐されたという被害者に共通点はあるのかい?」

「聞いた限りでは未成年の男女、という程度ですね。はっきりした共通点がない以上、誰もが標的になる可能性があります」

「ならば、ルイスもその標的になりうる、というわけか」

「えぇ。いずれにせよ、僕の弟を勝手に評価するなんて良い度胸ですね」


ルイスは確かに可愛いですが、可愛いと言って良いのは僕と兄さんだけなのに。

ウィリアムが到底子どもとは思えない美しい笑みを浮かべて両手を合わせる。

そんな弟を見たアルバートも同じように綺麗に微笑み、自らが描いた絵を手に取った。

それはそれは麗しい表情をする二人の兄を見て、ルイスは感嘆したように小さく息を吐く。

ウィリアムもアルバートも可愛いと言ってはみたが、可愛いというよりも綺麗、いや格好良いという言葉こそがよほど合っている。

格好良くて優しい、自慢の兄だ。

だからこそ自分はこの二人に恥じない弟であらなければならないと、ルイスはそう決意を固める。

けれどルイスがそう考えていることなどどうでも良いとばかりに、二人の兄はさぞ美しい笑みを浮かべたまま、ルイスを無視した上で今後についての相談をするのだった。




(ねぇルイス。これからは家に誰かいてもいなくても、決してそれを誰かに言ってはいけないよ)

(どうしてですか?)

(ただの世間話かもしれないけど、もしかしたら泥棒の下見や強盗の可能性もあるからね。情報は不用意に与えてはいけない)

(なるほど…分かりました。僕が不用心だったんですね、すみません)

(もし家に誰かいるのか聞かれたら確認してくると屋敷に入って、そのまま中で僕か兄さんが帰ってくるまで待っていなさい。ルイス一人で対応することはないよ、子ども一人だと出来ることにも限りがあるから)

(はい、気をつけます)

(あぁそれと)

(?)

(可愛いと言って近寄ってくる人間がいたらすぐにその場を離れなさい。そんな奴と会話を続ける必要はない、時間の無駄だよ)

(分かりました、兄様)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

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